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投稿日:2021年02月24日





 ルーフェンは、浅く息を吸って、顔をあげた。

「……俺に、何か手伝えることはありますか。理由はどうあれ、直接的には俺が奪ったんだ。贖罪だなんて大層なことを言うつもりはないけど……責任を取りたい……」

 ルーフェンは、悲痛さの滲む声で言った。
しかし、サミルは首を横に振った。

「いいえ、その、お気持ちだけで。召喚師一族に仇なすイシュカル教徒の子に、次期召喚師である貴方様が手を貸したとあれば、周囲の反発を招くでしょうから」

「そんなの、どうだっていいです。反発だろうがなんだろうが、俺は……」

「次期召喚師様」

 サミルが、再び首を振る。
ルーフェンは、一度口を開いたが、何かを言うことはなく、そのまま黙りこんだ。
頭に渦巻くこの思いを、どうサミルに言えば良いのか、分からなかった。

 サミルの手が、ルーフェンの頬に触れる。

「恐れながら……貴方様も、まだ子供です。生まれる場所を選べなかった、まだ十四の少年なのです。ですからどうか、無理をなさいますな」

「…………」

 サミルはうつむき、悲しげに言葉を紡いだ。

「……ルーフェン様、召喚師というしがらみから解放できない私を、どうぞお許しください。それでも私は、本当に貴方様の幸せを願っています。せめて、これ以上の災いが、貴方様に及びませぬようにと……」

 サミルは、ルーフェンの頬にかかった髪を、さらりと払った。
ルーフェンは、その手をぎゅっと掴むと、目線を上げた。

「……サミルさん、貴方の力になることを、災いだとは思いません。それに、俺は確かに子供ですが……ただの子供じゃない」

 窓から射し込んだ夕暮れの残光が、ルーフェンの顔に影を落とす。
その表情の奥によどむ、ひどく大人びた陰を、サミルははっきりと見たような気がした。

 ルーフェンは、サミルの手をするりと外すと、微かに笑みを浮かべた。

「……サミルさん、ありがとうございます。ずっと、貴方にはお礼を言いたかったから、今日、言えて良かった」

 今朝までとは比べ物にならないほど、心中が穏やかになったのを感じて、ルーフェンは微笑んで見せた。

「もう、戻ります……」

 サミルは、ルーフェンの言葉にはっとして、辺りを見回した。
部屋の中には、夕暮れの光がたゆたっている。
話を聴くつもりが、いつの間にか夢中になっていたのは、自分の方だったらしい。

 申し訳なさそうに頭を下げると、サミルは苦笑した。

「これはこれは……大変申し訳ありません。随分と長く引き留めてしまっていましたね」

「いいえ……」

 ルーフェンは、相変わらず疲れたような顔をしていた。
しかし、その顔には、心に溜まったものが取り払われたような、すっきりとした表情が浮かんでいた。

「また、会えますか」

 ルーフェンの問いに、サミルは頷く。

「ええ、きっと。貴方様がそう望んで下さるのならば」

「……はい」

 ルーフェンは、サミルの目を見て、表情を和らげた。
次いで、サミルの腰辺りにしがみついているイオを一瞥すると、最後に一度頭を下げて、部屋を出た。

 それを見送った後、サミルは寝台に腰かけると、膝の上で組んだ手に、額つけて目を閉じた。
手の震えが、おさまらない。
そうして脳裏に兄の姿を思い浮かべると、サミルは深く溜め息をついた。



 ルーフェンが戻ると、アレイドはまだ部屋の扉の前にいた。
壁に寄りかかって俯き、そして、ルーフェンの姿を認めると、気まずそうにこちらを見た。

 まさか、ずっとここで自分の帰りを待っていたんだろうかと、ルーフェンは内心驚いた。
しかし、それを口に出すことはせず、また、アレイドも、何を話せば良いのか考えているようで、しばらくは互いに黙ったままであった。

 部屋の前で佇む二人の間に、静寂が流れる。
それを先に破ったのは、ルーフェンの方であった。

「……ねえ」

 声をかけると、アレイドは、びくりと顔をあげた。

「な、なに?」

「今、講義ってなにやってるの?」

 予想外の質問だったのか、アレイドは拍子抜けしたように、数回瞬きした。
てっきり、今朝言い争ったことに関して何か言われると思っていたのだが、そうではないらしい。

 アレイドは、困ったように口ごもると、ここ何日かの講義内容を思い出すべく思考を巡らせた。

「……えっと……兄さん大分長い間、講義に来てないし、その間に色々やったけど……」

「……うん」

「とりあえず、昨日は古語をやったよ。古代魔術に関する、魔導書の読解。あとは、政のこととか……」

 質問の意図を伺うように、ちらちらと視線を送りながらアレイドが答えると、ルーフェンは、古語か、と一言呟いて、眉をひそめた。
それからルーフェンは、何かをじっと考えながら、尋ねた。

「……地理や歴史もやるでしょ? あと、経済学とか」

「う、うん……そりゃあ、もちろん」

 こくこくと頷くと、ルーフェンが一歩前に出て、アレイドに近づいた。

「それだ。それの、教本貸して」

「それって……地理とか歴史の?」

「そう、あと経済学」

 あくまで落ち着き払った様子で言ってくるルーフェンを、アレイドは少し戸惑ったように見つめた。
内容はともかく、こんな風にルーフェンに頼み事をされたことなんて、これまで一度もない。

 アレイドは、またルーフェンの怒りに触れないだろうかと考えながら、慎重に言葉を選びつつ、言った。

「それは、構わないけど……普通に、明日から講義に出ればいいじゃない。そろそろ出ないと、いくら兄さんでも、ついていけなくなっちゃうよ」

 ルーフェンは、首を横に振った。

「自分で教本読んで覚えた方が、早い。……いいから貸して」

 不機嫌ではないようだが、もはや聞く耳持たずなルーフェンに、アレイドは仕方なく頷いた。

「分かったよ。じゃあ、とりあえずは地理の教本だけでいい? 経済学と歴史の教本は、明日の講義で使うから……」

「いや、全部持ってきて」

「えっ、全部?」

 アレイドは、驚いたように目を見開いた。
そして、否定するようにルーフェンの前で両手を振った。

「そっ、それは無理だよ……教本なしで講義に出たら、怒られちゃうもの。それなら、兄さんは図書室で借りてよ……。教本があるかは分からないけど、図書室なら詳しい文献とかあると思うし……」

「大丈夫。今晩全部読んで、明日の朝に必ず返すから」

 ルーフェンは、まるで何でもないといった様子で、はっきりと言った。

「いやいや、一晩でなんて無理だよ。教本といっても、すっごく分厚いんだよ?」

「知ってる。俺だって講義には出たことあるし、魔法学なら何冊か教本持ってるから。でも、あれくらいなら出来るさ。別に、全項目完璧に読み込むわけじゃないんだ」

 綽々と言い切ったルーフェンに、アレイドは言葉を失った。
同時に、これ以上は何を言っても変わらないだろうと悟ると、再び頷いた。

 ここで何か反論して、また今朝のようにルーフェンと喧嘩になっては敵わない。
一晩教本を貸すだけで、彼が満足するならそれでいいじゃないかと、アレイドは自分に言い聞かせた。

「……じゃあ、離宮から持ってくるから、兄さんはちょっとここで待っててくれる?」

「……分かった」

 ルーフェンが頷いたのを確認して、アレイドは離宮の方に体を向けた。
だが、ふと足を止め、顔だけルーフェンの方に振り返ると、躊躇いがちに尋ねた。

「……でも、兄さん。なんで急に教本を貸せなんて言ったの? 学問なんて、前まで全然興味無さそうだったのに……」

 すると、ルーフェンは、心なしか表情を明るくして、言った。

「……やりたいことが、できたんだ」

 その口元が、微かに弧を描く。

「やりたいことができたから……そのために、知識を増やそうと思って」

 いつになく力強く言ったルーフェンの、光を宿した銀色の瞳を見ながら、アレイドはどきりとした。
ルーフェンのこんな表情を見たのは、初めてであった。


To be continued....



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