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投稿日:2021年02月24日




†第一章†——索漠たる時々
第三話『曙光しょこう


 城下の、王宮へと続く一本の本通りには、何十軒もの露店が並んでいる。
売られている主な品は、他の地域から入ってくる干された果実や肉、毛皮などで、つまりは輸入される故に保存のきくものばかりであり、常に新鮮な物々が売られる港町ハーフェルンの者達から見れば、この通りの市場はいくらか味気ないのかもしれない。
それでも、辺境の南の地で大半を過ごしているオーラントにとっては、久々のシュベルテの市場は、やたらと豪勢な品揃えをしているように見えた。

「あー、三年ぶりかあー」

 ぐっと伸びをして、多少白の混じる黒髪をがりがりと掻きむしると、ぽろぽろと古い頭皮が飛び散る。
その汚ならしい行為に、周囲の人々から冷ややかな視線が送られてきているのを感じて、オーラントは苦笑いした。

 王宮に程近い城下ともなれば、商人の姿はあっても、旅人の姿などはほとんどない。
明らかに長旅をしてきたという風体のオーラントは、ひどく目立ってしまっているようだった。

 王宮に顔を出す前に、少し身綺麗になった方が良いかもしれない。
自分の纏っている擦りきれた外套を見ながら、オーラントはそう思った。
そして、周囲を見回していると、ちょうど前方に衣類を扱っている店を発見した。

 露台の上には、色鮮やかでありつつも派手すぎない、品の良い多くの衣が並べられている。
それでいて、値段もそれほど高くはなく、なかなかの店を見つけたとオーラントは満足げに唸った。

 店の主人は、衣を選び始めたオーラントを、しばらく怪訝そうに見つめていた。
このいかにも胡散臭そうな男に、代金が払えるとは思えなかったのだ。

 そして、オーラントがついに深い碧色の衣を手にとった時、主人は、眉間に皺を寄せて、声をかけた。

「……お客さん、あんた、旅人だろう。その衣は質は良いが、少々重い。旅にゃあ向かないよ」

 客相手とは思えないほど、素っ気ない声であったが、オーラントは満面の笑みで答えた。

「あ、いーのいーの。俺、明日王宮に行くからさ。そのための衣選んでんの」

 王宮に行くという言葉に、主人は、ぎょっとしたように瞬きをした。
続いて、オーラントの腕の宮廷魔導師の腕章に気づくと、その顔色がみるみる青くなっていく。

「きゅ、宮廷魔導師様……! 申し訳ありません、ご無礼を……!」

「んあ? ああ、別に気にせんでいーよ」

 オーラントは、快活に笑いながら、主人の肩をばしばしと叩いた。
しかし、主人の顔色は青いままである。
宮廷魔導師を相手に、一瞬でもあのような口を利いてしまったことを、後悔しているようだ。

 サーフェリアは、召喚師を筆頭に、魔導師団と騎士団の二大勢力によって守られている国であるが、宮廷魔導師といえば、その魔導師団の中でも特に能力の高い者のみを集めた、国王直属の武官である。
地位でいえば、貴族と同等。
平民階級の者が、そう簡単に話しかけられる相手ではないのだ。
店の主人が慌てふためくのも、無理はなかった。

「本当に、申し訳ありません。どうぞお許しください」

 深々と頭を下げる主人に、オーラントは肩をすくめた。

「いやいや、本当に気にすんなって。実際、俺怪しいだろ? しかも今、汚いし臭いだろ? 三日くらい風呂入ってねーんだわ」

 何故か、実に愉快そうなオーラントに、どうすればよいか分からないといった様子で、店の主人は狼狽した。

「いえ……その……あ、その衣は、どうぞお持ちください。お代は要りませんので……」

「えっ、いや、いいよ。遠慮すんなって! 五千ゼルだろ? 出す出す!」

 主人の言葉に、オーラントはぶんぶんと首を振ると、懐から巾着を取り出す。
しかし、その巾着を開けてすぐに、あっと声をあげた。

「しまった! 換金するの忘れてたわ! 俺金持ってないじゃん!」

「…………」

 騒がしい男だ、と内心呆れながら、主人は苦笑を浮かべた。

「は、ははは……いえ、ですからお代は──」

「いや、待て待て! 言ったからには払う!」

 オーラントは大声でそう言って、どんっと背負っていた荷を下ろした。
そして、何かを引っ張り出すと、それを主人に差し出した。

「これ、やるよ。結構値打ちもんだかんな。足りるはずだ」

 ころり、と掌に転がされた、銀白色の石。
それを見た途端、主人は、あまりの衝撃に口をぱっくりと開いて叫んだ。

「こっ、これは、シシムの磨石じゃ──」

「うん、そうそう。御守りにするなり、質屋に出すなりしてくれや」

 主人は、口を何度も開閉しながら、言葉にならない感動と共に、磨石を握りしめた。

 シシムの磨石は、暗闇に持ち出すと光る性質を持っており、最近はほとんど採れなくなったという理由で、貴重とされている石である。
オーラントから渡されたものは、かなり小さいものではあったが、一商人である自分が易々とお目にかかれるものではない。

 主人は、信じられないという思いからまだ覚めぬまま、何回もオーラントに礼を述べた。

「いやはや、しかし……シシムの磨石をお持ちということは、貴方はノーラデュースからお越しなのですか?」

 宮廷魔導師と会話をする緊張など吹き飛んだ主人は、磨石を握りしめたまま、そう尋ねた。

 ノーラデュースとは、奈落を差す言葉である。
サーフェリアの南西端にある、深い峡谷の連なる地を、一度地下に落ちてしまえば二度と地上には戻れない、という意味を込めて、人々はノーラデュースと呼んでいるのだ。
また、シシムの磨石を含め、貴重な鉱石のいくつかは、ノーラデュースでしか入手できない。

 主人の問いに、オーラントは頷いた。

「そーそー、俺、ノーラデュース常駐の宮廷魔導師だからな。リオット族の見張りが仕事ってわけ」

「なるほど……」

 主人は、神妙な面持ちで頷いた。

 リオットとは、古語で『地の祝福を受ける民』を意味し、その名をもつリオット族は、文字通り、特殊な地の魔術を操る民である。
彼らは二十年ほど前から、ノーラデュースの谷底に棲んでおり、度々王都からの旅人や行商人を襲うため、南方常駐の宮廷魔導師団、及び魔導師団に監視されているのだ。

 オーラントは、どこか得意気に鼻をならしてみせると、次いで、他にも聞きたそうな顔の主人に、にやりと笑って言った。

「おっと、これ以上は聞かないでくれよ。こっちも仕事なんでね」

 主人は、焦ったように顔の前で手を振った。

「いえ、申し訳ありません。決して、詮索しようと思ったわけでは……」

「あはは、分かってるよ」

 オーラントは、それだけ言って再び主人の肩を叩くと、店を出た。

 久しぶりにシュベルテに帰ってきて、その町民に触れ、つい話し込んでしまった。
けれど、任務地の暑苦しい面々では、こんな会話はできないのだから、たまにはこれくらい仕方がないとも思う。

 オーラントは、近くの宿に入り、湯浴みを済ますと、早速買った碧色の衣に着替えた。
南西端のノーラデュースに比べ、シュベルテは幾分か肌寒かったが、長旅の疲労が身体に蓄積している。
今夜はよく眠れるだろう。


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