トップページへ
目次選択へ
投稿日:2021年02月24日




†第一章†——索漠たる時々
第五話『 壮途そうと


「はあ? 図書室で寝泊まりしてる?」

 オーラントは、ルーフェン付きの侍女だという少女を、まじまじと見つめた。

「なーんでまた、そんなことを……」

 アンナは、困ったように答えた。

「寝る間も惜しんで、何か調べものをしていらっしゃるようで……。私からも次期召喚師様に、夜は寝所にお戻りになるよう申し上げたのですが、全く聞き入れて下さらないのです」

 オーラントは、呆れ顔でがくっと首を落とした。

 ルーフェンと共に、ヘンリ村やアーベリトを巡ったあの日から、早八日。
様々な理由を聞いたからには、約束通り、なにか協力しようかとも考えていたのだが、ルーフェンからは、とりあえず休暇に入っていい、ノーラデュースに戻る日までは放っておいてくれて構わない、と言われていた。
だが、結局様子が気になって、オーラントは王宮まで足を運んでいたのだった。

 しかし、訪ねてもルーフェンは自室にはおらず、仕方なく近くを歩いていた侍女、アンナに彼の行方を聞くと、とんでもない答えが返ってきた。
「次期召喚師様は、ここ八日間、図書室に籠りきりなのです」と。

「はあ……全く、本当に困ったお坊ちゃんだな」

 盛大な溜め息をついて、肩をすくめる。
アンナは、おろおろとした様子でオーラントを見上げた。

「で、ですが、今回はちゃんとお食事も摂っていらっしゃいますし、最低限の生活はなさってるんです。ただ本当に、夢中になっている、という感じで……」

 オーラントは、驚いたように目を見開いた。

「今回は、って……前にもこんなことあったわけ?」

 アンナは、こくりと頷いた。

「はい。以前は、半月ほどお食事もろくになさらず、自室にこもりきって、体調を崩しておられました」

「うわぁ、なにそれ、こわ……」

 心の底から恐ろしい、といった様子で、オーラントは顔を歪める。
馬鹿と天才は紙一重、などと言ったりするが、ルーフェンは間違いなく馬鹿寄りだろう。

「医者とか、他の奴等は何も言わんの? あいつ、仮にも次期召喚師だろ?」

 オーラントが聞くと、アンナは微かに苦笑を浮かべた。

「ええ、その……もう、皆様諦めていらっしゃるというか……。宮廷医師の方々も、最近までは、次期召喚師様にはかなり厳しく言い聞かせていたのですが、何分、全く聞き入れられないものですから……。今は、次期召喚師様のお食事に、お医者様の指定される栄養剤を混ぜることで、なんとか折り合いをつけていますわ」

 オーラントが、ぽかんと口を開ける。

「……なにそれ。あいつ、てっきり他には猫かぶってると思ったら、とんでもない問題児なのな。大変だろう、あんたも」

「いえ、そんなことは……」

 アンナは、躊躇いがちにそう返事をして、ふるふると首を振った。

「次期召喚師様は、それでも、課されたことは誰よりも上手くこなしてしまうんです。だからといって、威張ったり、偉そうにしたりしませんし……。そんなお方につけて、私は幸せですわ」

「へ、へー……」

 突然、乙女全開なことは語り始めた少女に、オーラントは若干口元をひきつらせながら答えた。

「ま、まあ、とにかくだ。詳しい事情は話せないんだが、ちと次期召喚師様のご様子を伺いたい。お目通り願えるか」

「ええ、伯爵以上のご身分のお方なら、謁見も許されておりますわ。どうぞ、ご案内致します」

 アンナは、一転して手慣れた様子で一礼すると、オーラントを図書室まで案内した。


  *  *  *


 アランの確立した遺伝病の治療法が、失敗ではないという仮定を成立させ、かつ、ノーラデュースに放られたリオット族に病状が戻った原因を突き止めるためにも、まずは、医療魔術に関する知識を得ねばならなかった。
しかし、そもそも医療に関して専門的な知識など皆無なルーフェンは、基礎から学ぶ必要がある。
それ故に、何冊もの医学書を読み漁り、アランの作り上げた治療法の原理をかじった頃には、既に、八日もの時間が経っていた。

 遺伝病の治療は、簡単に言うと、患者の細胞に正常な遺伝子を導入することで、症状の回復を図る、というものであった。
あくまで患者個人の体細胞に施す治療であるため、親を治療したからといって、その子供まで改善されるわけではない。
しかし、これほど高度な技術と知識を、かつてのアーベリトが有していたことには驚きが隠せなかったし、この治療法は、次世代には影響しなくとも、個人個人の治療では、ほぼ確実に効果が発揮されるものであるようだった。

 具体的な治療方法に関しては、アーベリトが独占しているらしく、その医療魔術に関する詳細な文献や魔導書は、王宮の図書室にも置いていなかった。
施療院にいた女性が、「遺伝病の治療を施せるのは、今は亡きアランと、その弟サミルだけだ」と、そう言っていたのも頷ける。
予想はしていたが、確立されたからと言って誰にでも施せるような、そう簡単な治療法ではないのだろう。

 それに、医療の街と呼ばれるアーベリトにとって、医療魔術の知識や技術は財産である。
いくらサミルが心根の優しい人間だとはいっても、その財産を、他の街にそう易々と分け与えるとは思えなかった。
まして、今やその医療魔術は、リオット族に症状が戻ったことで、世間からは「でたらめだ」などと貶され、信用を失っているのだ。

 非難されたことで、もしかしたらサミルは、もう遺伝病の治療法など見放しているかもしれない。
仮に、未だに研究を進めていたとしても、その情報を外部に漏らすことはしないだろう。
王宮の蔵書を読み漁るだけでは、遺伝病の治療魔術について、これ以上掘り下げるのは不可能そうであった。

 遺伝病の治療の主な対象となっていたリオット病に関しては、どの医学書にも、『遺伝子の突然変異によって引き起こされる劣性の遺伝病である』と記されていた。
症状としては、皮膚の硬化と、蛋白質異常による、全身の筋肉の異常発達、及び変形。
それに伴う心肺機能の停止、そして死亡、である。

 どの正規の医学書を調べてみても、こう記されているのだから、おそらくリオット病に関するこの記述は、真実なのだろう。
しかし、そうだとすると、不可解な点があった。
それは、リオット病の患者が年々増え続け、現在に至っては、ほとんどのリオット族がその症状を発症している、ということである。

 サーフェリア歴、一一八四年。
ルーフェンが見つけた文献の中で、最も古いリオット族に関する記述は、この年から始まっていた。
そこには、南のココルネという森に棲むリオット族には、稀に忌み子が産まれる、と記載されており、この忌み子が、つまりはリオット病患者と考えられるから、この時点ではまだ、リオット病を発症していた者は少人数であったことが分かる。
リオット病が劣性の遺伝病だと判断されたのも、おそらくこの時代だったのだろう。

 しかし、それから約百年。
驚くべきことに、リオット病の発症者は増えて、一二九三年には、なんとほとんどのリオット族が、その症状を抱えていたのである。
そして、リオット族が奴隷としてシュベルテで使役されるようになり、数百年。
その間は、発症者が増加することもなく、また、一四六六年にアラン・レーシアスによって治療法が開発されたため、むしろその症状は改善されていった。
だが、一四七一年にリオット族が暴動を起こし、ノーラデュースに押し込められた年から、またしてもリオット病の発症者が増え始め、それから約二十年ほど経った今では、再び大半のリオット族が、リオット病を抱えているというのだ。

 彼らがノーラデュースに棲み始めてからは、ほとんど調査も行われていないため、正確な情報はない。
しかし、発症者が増加しているというこの事態こそが、問題であった。
なぜなら、本来、生存に不利な遺伝子というものは、自然に淘汰されていくはずだからである。

 リオット病の存在が確認されて、約三百年。
これほどの年月が経てば、生物は、不利、あるいは不要な形質を捨て、より強く生きていくために進化していく。
故に、リオット病のような劣性の遺伝子が、減少しないどころか増加するというのは、どう考えてもおかしいのである。

 ノーラデュースに移ってから、発症者が増えたという辺りから、アランの治療法がむしろ悪影響を与えたのだという見解もあるようだが、それでは、一時的にでも奴隷となっていたリオット族に回復が見られたことに説明がつかない。
また、もしアランの治療法が原因ならば、リオット族が奴隷となる以前に、発症者が増えていた理由を、説明できなくなってしまう。

 加えて、徐々に増加した挙げ句、リオット族の大半が患うようになったというのなら、今現在、もはやリオット病は劣性の遺伝病とは言えない。
ちょっとしたきっかけで、偶然増えたとも考えられない。

 ひたすらに医学書とにらみ合いながら、ルーフェンは、一日中気づいたことを頭の中で反復していた。

 最終的には死に至るようなリオット病の遺伝子が、どうして淘汰されずに増えていくのか。
一体、なぜ──。

 ルーフェンは、ひとまず医学書の類いを置くと、今度は、南の土地について調べ始めた。
もし、リオット病の増加の原因が環境的な要因ならば、土地の気候が、大きく関わっていると思ったからである。

 そうして、ひたすら地理に関する書物を捲っていると、かつてリオット族の棲んでいたココルネの森については、高温多湿で常盤木の密林が広がる地域である、と綴ってあった。
そして、一方のノーラデュースは、深い峡谷の連なる砂漠地帯である。

(となると、共通点は……)

 多湿で、リオット族の他にも原住民がいるココルネの森。
それに対し、乾燥地帯で、その環境の厳しさゆえに人など棲んでいないノーラデュース。
出てくるのは違いばかりで、双方の土地の共通点と言えば、高温であること、それ以外に思い付かない。

 しかも、高温といっても、雨量の多いココルネの森と、水などろくに確保できないノーラデュースとでは、条件があまりにも違う。
共通点と言えるのかどうかも、分からなかった。

 ならば、一体なぜ、ココルネとノーラデュース、双方の地でリオット病が猛威を奮うようになったのか。
リオット族達の身に、何が起こったというのか。

 ルーフェンは、書物を開いたまま顔に乗せると、積み上げられた本の隙間に、仰向けになった。


- 21 -


🔖しおりを挟む

 👏拍手を送る

前ページへ  次ページへ

目次選択へ


(総ページ数82)