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投稿日:2021年02月24日





 かつては、ココルネの森で暮らしていたリオット族たち。
それが、突然奴隷としてシュベルテに強制的に収容された挙げ句、反抗的になったとあれば、ノーラデュースの谷底へと突き落とされた。

 砂漠化が進んだノーラデュースは、峡谷が連なるといっても、河などとうの昔に干上がっているし、わずかに存在する水場だって、リオット族たちの棲む谷底に都合よくあるとも考えられない。
おそらく彼らは、厳しい生活を強いられているのだろうということは、容易に想像できた。

 リオット族たちは、シュベルテの人間を、どんな風に思っているのだろうか。
奴隷として扱った上、奈落の底に自分達を閉じ込めたシュベルテの人間を、どれほど恨んでいるのだろうか。

 オーラントは、リオット族は野蛮で、本能的に動くことしかできないから、物事の良し悪しなんてものは考えないだろう、などと言っていたが、ルーフェンはなんとなく、そうではないような気がしていた。
ルーフェンはリオット族を見たことがないし、本当に直感的な推論であったけれど、それは違うと思った。

 だって、思考などしないというなら、何故リオット族は、シュベルテに反抗したのか。

 団結して、奴隷として虐げられるのはもう嫌だと。
そう主張したかったからに決まっている。
単に本能で暴れたわけではない。
ちゃんと考えて、騒擾を起こしたのだ。

(ノーラデュースでの暮らしが、良いわけはないだろうな……)

 そう思ったとき、不意に、ルーフェンの顔に乗っていた書物が持ち上がった。
真っ暗だった視界に、図書室のぼんやりとした薄暗い光が射し込んでくる。

 ルーフェンが微かに目を開けると、こちらを見下ろしていたのは、オーラントだった。

「もしもーし、生きてますか?」

 取り上げた書物をルーフェンの目の前でぱたぱたと振って、オーラントが声をかけてくる。
ルーフェンは、ふう、と息を吐くと、むくりと起き上がった。

「……おはようございます」

「今はこんにちはの時間ですよ」

 辺りを見回しながら、オーラントは顔をしかめて言った。

「すんごいところで生活してますね。心配してましたよ、あんたの侍女さんが」

 ルーフェンは、本の山を多少ずらして、オーラントの座る空間を作ると、怪訝そうな顔をした。

「心配? 大丈夫ですよ、食べてますし、寝てますし、お風呂も入ってますから。部屋にこもってるので、ちょっと時間の感覚がなくなってるだけです」

「自分の主がそんな生活してたら、普通心配しますよ」

 苦笑混じりに言って、オーラントはその場に腰を下ろす。
そして、先程ルーフェンからとった書物を、ぱらぱらと捲りながら言った。

「これ、全部読んでるんですか?」

「一応。まだ重要なことは、何も分かってませんけどね」

 若干疲労の滲んだルーフェンの声に、オーラントは、呆れたような、感心したようなため息をついて、書物をルーフェンに返した。

 八日も図書室にいるなんて聞いたときは、嘘じゃないかとも疑ったが、この本と散乱した図書室からして、本当にずっと籠っているのだろう。
元々、ただならぬ覚悟だとは思っていたが、まさかこんなにも没頭するなんて、正直予想外であった。

 ルーフェンは、座って身を丸めると、顎を膝にのせた。

「オーラントさん。ノーラデュースとかココルネの森に、なんか、ありませんか。遺伝病の原因になりそうな……別の病気とか、薬とか……」

 ルーフェンは、ちらりと視線だけオーラントにやって、問うた。

「そう言われましてもねえ……。俺だって、医師じゃありませんから、分からんですよ。ココルネに至っては、視察で数回しか行ったことありませんし」

 オーラントが、眉をぎゅっと寄せて、唸る。

「まあ、ノーラデュースでよく出る病って言ったら、一番は熱射病ですけどね。あとは、食中毒とか、ガドリアとか……」

「ガドリアって……感染症のですか?」

 ルーフェンの問い返しに、オーラントは頷いた。

「そうです、ガドリア原虫に寄生された刺し蝿に刺されると、感染するあれです」

 ルーフェンは、微かに眉をしかめると、言った。

「ココルネの森でガドリアが一時期流行ったのは知ってますけど、ノーラデュースは砂漠みたいなものでしょう。刺し蝿なんて、いるんですか?」

「ええ、いますいます」

 オーラントは、少し苦々しい表情を浮かべた。

「ノーラデュースだって、水場が皆無ってわけじゃありません。蝿っていうのは、どこにでも出てくるもんですからね。いつだったか、俺らの砦のごみ溜めに大量発生していて、震撼しましたよ」

 まるでその時のことを思い出したように身を震わせて、オーラントは続けた。

「まあでもガドリアは、昔ならともかく、今じゃ気にするほどのもんでもないです。一度抗原を射っとけば、二度とかかりませんし、万が一かかっても飲み薬で治ります。露出を少なくすれば、刺し蝿にも刺されませんしね」

「…………」

「そんなことよりも……ああ、そうだ」

 オーラントは、何か思い出したように顔をあげた。

「俺がノーラデュースに行ってすぐでしたから、二十年ほどまえのことになるんですが……。魔導師団の砦の近くに、結構大きな湖沼がありましてね。当時、そこを水源にして水を引いてこようって話になってたんですよ」

 ルーフェンは、真剣な顔つきでオーラントを見つめると、先を促した。

「でも、その湖沼を見に行ったとき、その近くに五本足の鼠が死んでたんです。それで、気味が悪いってんで、結局水源は別の湖沼にしたんですが……。五本足の鼠なんて聞いたことありませんし、よく考えたら、その鼠も奇形の一種ですよね。リオット病も皮膚や筋肉に奇形が現れますし、俺には詳しい原因とかはよく分かりませんが、もしかしたら、何か関係あるじゃないかと思って……どうですかね?」

「五本足の……」

 ルーフェンは、そうぽつりと呟いて、しばらく何かを考え込んでいた。
だが、突然はっと目を見開くと、オーラントの側にあった本の山を指差した。

「それの、下にある緑の表紙の図鑑、とってください!」

「えっ、こ、これですか?」

 慌てつつ、本の山を崩さぬように、革表紙の分厚い図鑑を抜き取ると、ルーフェンにそれを渡す。
ルーフェンは、それを受け取るや否や、素早くとあるぺーじを開くと、オーラントにそれを見せた。

「これ、この植物! その五本足の鼠が死んでた湖沼の周りに、生えてませんでしたか?」

 ルーフェンに見せられた頁には、太めの茎から細長い葉が複数生えた、子供の背ほどの植物が描かれていた。
しかし、生えていたかと尋ねられても、二十年も前のこととなると、記憶が曖昧である。

「んー……どうだったかなあ……。確かに、植物は生えてましたよ、それは覚えてます。でも、どんな植物だったかは、流石に……」

 なんとか思い出そうとするものの、どう頑張っても、あの景色が脳裏に蘇るとは思えない。
うんうんと頭を抱えるオーラントを見ながら、ルーフェンは図鑑を手元に戻すと、言った。

「……これは、クツララ草という多年草の一種です。耐暑性に強く、根には毒があって、この根をかじった兎が、多足症にかかったと記録されています」

「それって……!」

 オーラントが瞠目すると、ルーフェンは強く頷いた。

「耐暑性に強いということは、ノーラデュースのような気候でも、湖沼の近くなら群生できる可能性はあります。しかも、クツララ草の根が水に浸っていたとしたら……」

「その毒が、水に溶け出してるかもしれませんね」

 二人は目を大きくして、お互いの顔を見合った。

「人間は根なんてかじらないでしょうが、その毒が湖沼に溶け出していたとなれば、話は別です。その湖沼の水を飲み水として使用していれば、毒は体内に入ります。そして、それをリオット族たちも飲んでいたとしたら、このクツララ草が、皮膚や筋肉の変形を引き起こす要因になった可能性も、大いに考えられる……」

「小動物と人間とじゃ、出る症状も違うでしょうしね」

「ええ。これで、ココルネの森にもクツララ草の群生が認められれば、リオット病が増加した原因として、かなり有力な説になるんですが……」

 ルーフェンはそう言って、悔しそうに本棚を見上げた。

 王宮の図書室は大きく、当然内容も充実しているが、やはり専門書となると、そこまで膨大な数が揃っているわけではない。
医学や南方の土地に関する書物は、この八日間で、ほとんど目を通した。
しかし、これらのことに見覚えはない。
つまり、クツララ草のことも、ココルネやノーラデュースのことも、これ以上、本をあてにしては掘り下げることが出来ない。
手詰まりである。

「せめて、クツララ草についてだけでも……」

 ルーフェンが唇を噛むと、ふと、オーラントが言った。

「そういや、あの人の力は借りられないんですか? えーっと……アーベリトのご婦人が言ってた、レーシアス伯ともう一人、遺伝病の治療に詳しいとかいう……」

「レック・バーナルドですか?」

「そう! その人です!」

 オーラントは、ぽんっと手を打つと、腕を組んだ。

「そのレックさんとやらは、宮廷医師なんですよね? 探して、ちょいと手伝ってもらいましょうよ。いくらなんでも、医療魔術の素人である俺たちだけじゃ、無理がありますって」

 オーラントは、名案だとばかりに目を輝かせて言ったが、ルーフェンは、釈然としない顔つきのままであった。
今回のことを、あまり外部に漏らしたくないのである。

 ルーフェンは目を伏せると、小さな声で、でも、と言葉を濁した。
すると、オーラントは肩をすくめた。

「じゃあ、レーシアス伯に相談しますか? 本当はそれが一番いいんですよ、当事者ですし。この件に関しちゃ、彼が一番詳しいはずですから」

 ルーフェンは、すぐさま首を横に振った。

「それは、絶対にしません。サミルさんは、俺がこれ以上、サンレードの子供たちに関わるのを反対してました……もし、リオット族をシュベルテに連れ戻すことで、アーベリトの再興を考えてるなんて知ったら、きっと、心配かけます」

「でしょう? それなら、レックさんとこ行きましょうよ」

「…………」

 ルーフェンは、オーラントの顔を見て、俯いた。

 確かに、宮廷医師に頼れば、詳しい専門書や情報が手に入るかもしれない。
別に、頼るからといって、事情を全て説明しなければいけないわけではないし、こんなところで燻っているよりは、素直に助けを求めた方が良いだろう。

 ルーフェンは、図鑑を手にしたまま、ゆっくりと立ち上がり、ぐぐっと伸びをすると、小さく息を吐いた。

「そう、ですね……レック・バーナルドという名前には聞き覚えがありますし、宮廷医師は皆、宮殿の三階に研究室と自室を持っていますから、探しにいきましょう」

 それを聞くと、ほっとしたような表情を浮かべて、オーラントも立ち上がった。

「聞き覚えがあるっていうなら、話も早いですね。あんた、嘘は得意でしょう。医療に興味が出たとか適当に理由つけて、情報を聞き出せばいいんじゃないですかね」

「嘘が得意って、人聞きの悪い……あ」

「あ?」

 散乱した本を踏まないように、図書室の出口に向かって歩いていたルーフェンが、突如立ち止まったので、オーラントも慌てて歩を止めた。

 ルーフェンは、ゆっくりとオーラントの方に振り返ると、しばしばと目を瞬かせて、言った。

「……レック・バーナルドって……俺たち召喚師一族の、主治医でした」

「はあ!?」

 思わず声をあげて、オーラントが眉を寄せる。

 ルーフェンは、シルヴィアを診ていた、あの線の細い老人を頭に浮かべていた。
そういえば彼は、レックと呼ばれていたし、初めて会ったときも、そう自己紹介されたような気がする。
道理で聞き覚えがあるはずである。

 オーラントは、まだ見ぬレックを哀れむように、眉を下げた。

「主治医の名前を忘れるって……あんたの脳には、一体なにが詰まってるんですか」

「いや、だって……あの人、『次期召喚師様は不摂生な生活を送りすぎです!』とか言って、ご飯に凄まじく苦い栄養剤を混ぜてくるから、苦手で……。ちょっと、記憶から抹消してました」

「なんですか、そのとんでもなくガキ臭い理由は。全体的にあんたが悪いでしょう」

 オーラントは、呆れ返った様子でそう言うと、次いで、ルーフェンの背中を押した。

「ま、主治医だってんなら、更に話が早い。行って、さっさと話を聞きましょう」

「はい。そうですね」

 二人は図書室を出ると、三階に続く階段へと向かって、歩いていった。


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