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投稿日:2021年02月24日





†第二章†──新王都の創立
第二話『落暉らっき


 血塗れた地面に膝をつき、目の前の光景に愕然としていると、下からのびてきた小さな手が、イグナーツの腕を掴んだ。
ゆっくりと地面に視線をやると、既に事切れた妻の側で、娘が虚ろな視線をこちらに向けている。

「……おと、さん……」

 娘の目から、涙が一筋落ちる。
イグナーツは、その手を強く握りしめ、祈るように己の額に押し付けた。

「すまない、すまない……」

 身を切るような悲痛な声で、イグナーツは何度も何度も謝った。
まだ十にもならない娘と、生涯を共にすると誓った妻に、救えなかったことを、心の底から詫びた。

 突如、シュベルテの城下で起きた、リオット族たちによる騒擾。
その中心地が、自分の家族が住んでいる地区だと分かって駆けつけた頃には、もう既に遅かった。

「…………」

 現場に来てすぐ、大通りに転がっている、いくつもの死体を見たとき。
その内の一体に、見覚えのある腕輪をした、頭の潰れた女を見つけて、イグナーツの思考は真っ白になった。

 そして、彼女の腕が守るようにかき抱く、小さな娘と目が合ったとき、呼吸ができなくなった。
ひゅーひゅーと喉を鳴らし、弱々しく息をする娘のはらわたは、ごっそりなくなっていた。

「…………」

 最期に一つ、ほうっと呼気を漏らして、娘の手から力が抜ける。
涙を貯めて、微かに開かれたその目には、もう二度と、光が差すことはない。

「……おのれ……」

 なぜ、妻と娘が殺されなければならなかったのか。
奴隷を抱えていた商家から、逃げ出したリオット族たちの標的に、どうして彼女たちが選ばれてしまったのか。

──ねえ、イグナーツ。
この前もね、リオット族が一人、脱走して子供を襲ったらしいの。
やっぱり、一時的でいいから、シュベルテを離れない?

 ふと、穏やかな妻の声が蘇ってくる。

──まだエリも小さいし……万が一ってことを考えると、怖いわ。
それにね、あのリオット族たちも、なんだかとても可哀想。
奴隷とはいえ、こんな見知らぬ地に連れてこられて、鞭打たれて……。

 悲しそうに俯いた妻を見て、イグナーツは答えた。

──大丈夫だ。
シュベルテは、騎士団にも、我々魔導師団にも守られる、サーフェリアで最も安全な街だ。
リオット族だって、歯向かおうなんて奴はごく一部だ。
だから、心配するな。
お前もエリも、俺が守って──……。

 身の内から込み上げてくる激情を抑えられず、力任せに地面を殴ると、跳ねた血が頬を打つ。
いつもの賑いなど嘘のように、荒涼として静まり返る大通りで、イグナーツは声の限り絶叫した。

「おのれ、おのれ、おのれ──!」

 際限なく沸き起こる怒り、悲しみ、そして憎しみ。
それらは、己の無力さに向けられたものだったのか、それとも諸悪の根源たるリオット族に向けられたものだったのか。

「許さない……っ!」

 イグナーツは、血走った目をいっぱいに開き、全身を震わせながら叫んだ。


  *  *  *


 天幕の隙間から、星が一筋、空を駆けていくのが見えた。
それと同時に、瞠目して跳ね起きると、イグナーツは胸を押さえてよろめいた。

 ノーラデュースの夜は肌寒いというのに、全身が汗でぐっしょりと濡れている。
こめかみからも、とめどなく汗が伝い落ちてきて、それを拭いとると、イグナーツは深く息を吐いた。

(また、夢か……)

 二十年前、リオット族による騒擾で、妻と娘を亡くしたときの夢。
これまで自分は、何度この夢にうなされてきたか分からない。

 呼吸を整えながら、しばらくは放心していたイグナーツであったが、やがて、外が騒がしいことに気づくと、立ち上がって天幕から出た。
出入り口のすぐそばには、夜番の魔導師が立っている。

「……なにがあった」

「ルンベルト隊長!」

 魔導師は、一瞬驚いたようにイグナーツのほうに振り返ったが、敬礼の姿勢をとると、向かいにある一般の魔導師用の天幕を示した。

「今し方、リオット族の女が薬品庫に侵入しまして、それを捕らえるのに手こずっていたようです。おそらくは、単なる盗難が目的かと思いますが……」

「女だと?」

 怪訝そうに聞き返してきたイグナーツに、魔導師は少し不思議そうに瞬いてから、首肯した。

 地上に現れるリオット族は大半が男で、捕らえたのが女であるのは、確かに珍しいことだった。
しかし、これといって気にするほど、異例なことでもない。
これまでも、リオット族の女や子供がノーラデュースの割れ目から這い上がってきて、商人や魔導師に対して強奪、殺人を犯してきた例はいくつもある。
そのため、イグナーツが何故、このような反応をしたのかが分からなかった。

「ええ、リオット族の女だと、そう報告を受けておりますが……なにかございましたか?」

「いや……」

 イグナーツは、一度言葉を濁してから、何かを思い出すように目を細めた。

「……そのリオット族の左目に、傷はなかったか?」

「傷、ですか?」

 魔導師は、小さく首を振った。

「申し訳ありません。私は報告を受けただけでして、リオット族の容姿までは……」

「…………」

 その返事を聞くと、イグナーツは黙ったまま、先程魔導師が示した天幕の方へと歩いていった。
すると、呻き声のようなものが聞こえてきたのと同時に、三人の魔導師に捕縛される、リオット族の女が目に飛び込んできた。

 リオット族は、四本の長槍を四肢に突き刺され、地面に縫い付けられている。
獣のような鋭い眼光で、ぎゃあぎゃあと喚いてはいるが、既に手負いの状態で、暴れまわる力は残っていないらしい。

 イグナーツは、そんなリオット族の左目に、なんの傷もないことを認めると、微かに息を吐いた。
どうやらこのリオット族は、イグナーツの知っている女ではなかったようだ。

 魔導師たちは、突然の隊長の訪問に驚いた様子だったが、すぐに敬礼して見せた。

「隊長、お騒がせして申し訳ありません。……いかがなされましたか?」

 イグナーツは、リオット族を一瞥してから、いや、と一言置いて口を開いた。

「……なんでもない。悪かった、続けてくれ」

「はっ!」

 イグナーツの指示を受けると、魔導師たちは慣れた様子で、リオット族の四肢を貫く長槍が、深々と地面にまで刺さっていることを確認し、魔術で火を放った。
リオット族は、喉を必死に震わせて、断末魔をあげていたが、燃え広がった炎が全身を包んだ頃には、弱々しい喘ぎ声しかあげなくなっていた。

「…………ゆる、さない、人間……ゆる、さ……」

 その言葉を最期に。
炭化して脆くなったリオット族の首が、ぼろっと崩れて、毬のように頭が転がる。

 イグナーツは無感情な瞳で、その姿を見届けると、静かに踵を返した。


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