トップページへ
目次選択へ
投稿日:2021年02月24日





「……エルダ……」

 ハインツが心配そうに近づくと、側にいたノイが、悲痛な面持ちで言った。

「仕留める直前に、土蛇に噛まれたの。さっきから、出血が止まらなくて……」

 ノイの言葉に、リオット族たちは、こわばった顔でエルダを見た。

 土蛇の牙には、毒がある。
噛まれてすぐに死に至るような猛毒ではないが、清潔な水や医療器具、薬などがないこの奈落の底では、致死率も低くはない。

「今から地上出て、人間見つけて、薬奪おう」

 リオット族の一人が、強い口調で言った。
それに同調して、何人かの男たちが頷き合う。

 ルーフェンは、その様子を遠巻きに眺めていたが、男たちが地上に出る準備を始めようとすると、素早くエルダに近づいていった。

「……そんなことしてたら、間に合わないよ。地上に出て、都合よく旅人や商人が見つかるか分からないし、見つかったとしても、戻ってくる頃には手遅れになってるかもしれない。薬なら、俺が持ってる」

 そう言って、自分の荷物からアーベリトで買った傷薬を取り出すと、全員の視線が、はっとルーフェンに向いた。
しかし、エルダのすぐ近くまで来たところで、別のリオット族の男がルーフェンを強く睨んで、言った。

「ふざけるな! お前の助けなど、借りてたまるか!」

 ルーフェンは、冷静に男を見つめ返した。

「……それじゃあ、その人が死んでもいいの?」

 エルダを示してそう言うと、男がぐっと口を閉じる。
周囲のリオット族たちも、どうするか迷っている様子で、その場に立ち尽くしていた。

 ルーフェンは、彼らの返事を待つことなく、荷物から出した小刀で自分の袖を切り裂くと、それでエルダの傷口の上部を縛り、止血した。
次いで、傷口から、出血する血液と共に毒液を口で吸い出して、ぷっと吐き捨てた。

 ルーフェンは、毒液を吸い出しては吐き出すことを繰り返し、ようやく、ほとんど出血がなくなると、安心したように息を吐いた。

「血の色を見る限りじゃ、動脈からの出血ではないし、今のところ腫れてもいないから、きっと大丈夫じゃないかな」

 そう告げると、その場にいたリオット族たちの顔に、わずかに血の色が戻る。

 ルーフェンは立ち上がって、ノイに先程見せた傷薬を差し出すと、口を開いた。

「あとは、時々止血を緩めながら、完全に出血が止まったら、この薬塗って。でも、これは消毒と傷の治癒のための薬で、解毒作用があるかどうかは分からないから、オーラントさんに土蛇に噛まれた時に使うような薬を持ってないか、聞いてくるよ。土蛇のことなら、オーラントさんのほうが詳しいだろうし」

 ルーフェンの説明を、リオット族たちは、どこか戸惑ったように聞いていた。

 ノイは、ルーフェンが差し出す傷薬を、手に取ろうとして、しかし、ぐっと拳を握ると、首を横に振った。

「……いらない」

 ルーフェンが、少し驚いたように瞠目する。
周りにいたリオット族たちも、意外そうにノイを見たが、ノイはうつむくと、絞り出すような声で言った。

「……私達は、長の命令があったから貴方をここに引き入れただけで、貴方に心まで許した覚えはない。私達に、これ以上関わらないで」

「…………」

 ルーフェンは、微かに眉を寄せると、厳しい口調で返した。

「今は、心を許すとか許さないとか、そんなこと言ってる場合じゃないだろう? 君たちリオット族の、仲間の命がかかってるんだ。俺達のことが憎くて仕方ないのはわかるけど、そんな意地のために、仲間を見殺しにする気なの?」

 ノイは、ぐっと唇を噛んで、エルダの方を一瞥した。
エルダは、傷の痛みに耐えながら、朦朧とした様子で荒い呼吸を繰り返している。

 ノイは、ルーフェンから目をそらして、言った。

「もし、ここでエルダが死んだら……。……それが、エルダの運命よ」

 ルーフェンは、顔をしかめて、思わず他のリオット族たちの表情も見渡した。
一人くらい、このノイの意見に反対する者はいないのだろうかと思ったが、誰もいなかった。
皆、辛そうに顔を歪めて、俯いているだけである。

 ノイは、半ば睨むようにルーフェンを見ると、続けて言った。

「私達リオット族は、遅かれ早かれ、この奈落の底で全員死んでいくの。そういう運命なのよ」

「…………」

 ルーフェンは、つかの間沈黙していたが、すっと息を吸うと、静かに言った。

「……昨日も言ったけど、本当にそう思ってるの? 俺には、君達が勝手にリオット族は滅ぶべきだって結論付けて、無理矢理納得しようとしているようにしか見えないよ。そんなの、運命でもなんでもない」

「……っ」

 ルーフェンの言葉に、ノイは激昂した。

 込み上げてきた怒りに身を任せ、ルーフェンの持っていた薬瓶を奪うと、思いきりそれを地面に叩きつける。
呆気なく割れた薬瓶を見ながら、ノイは大声で叫んだ。

「だったら何だって言うのよ!」

 普段の落ち着いた態度が一変して、ノイの声が、広間中に響く。

「何もないこの地下で、長年苦しんできて、どう希望を持てと言うの! 私達にはもう、死ぬ以外の道が残されてないのよ! 生きることを諦めて、皆で必死に一族の死を受け入れようとしてるのに、私達の決意を引っ掻き回さないで!」

 全身から押し出したような、ノイの絶叫を、リオット族たちは悲しげな表情で聞いていた。

 ルーフェンは、凄絶な瞳でこちらを睨むノイを、しばらく見つめていた。
だが、そっと屈むと、割れた薬瓶の欠片を広い集めながら、ぽつりと口を開いた。

「……だから、本当は生きたいって気持ちがあるのに、どうして諦めるの? 理不尽なことを無理に納得して、受け入れようとする必要なんてないよ」

「……は?」

 困惑したように、ノイが聞き返す。
ルーフェンは、拾った薬瓶の欠片をそっと荷物の中にしまうと、穏やかな声音で言った。

「辛くて苦しくて、諦めるしかなくなった時の気持ちは、俺にも分かるよ。今のままじゃ、死ぬ以外どうしようもないって嘆く気持ちもね。でも、俺ならこの状況をどうにかしてあげられるかもしれないって、昨日も言ったじゃないか。……今のままじゃどうしようもないって言うなら、俺が、君達の希望になることはできない?」

 リオット族たちが、驚いたように目を見張る。
ルーフェンは、微かに笑みを浮かべた。

「突然現れた俺の言葉なんて、信用できないのは分かる。ましてそれが、君達をこの奈落に追い込んだ元凶の、王都の人間の言葉なら尚更ね。……でも俺は、本気で君達を地上に出したいんだ。別に綺麗事を並べてるつもりも、正義を振りかざしているつもりもない」

「…………」

「君達はきっと、心の底では、まだ生きたいって思ってる。だから、生き残れる可能性に繋がる一つの手段として、俺を利用すればいい。君達をここから出すことは、俺の願いでもあるからね。……信じてもらえるまで、俺はずっとそう言い続けるよ」

 そう言って、荷物から水筒を取り出すと、ルーフェンは今度はノイの手をとって、それを握らせた。

「とりあえず今は、そのエルダさん、だっけ。どうにかしないと。オーラントさんから新しい薬とか貰ってくるから、その水飲ませておいて。……あとで、また色々話そう。ありがとう、君達の本音が聞けて良かったよ」

 それだけ一方的に告げると、ルーフェンは、元来た道を戻っていってしまう。

 ノイや他のリオット族は、複雑な表情で、じっと黙りこんでいた。
ハインツもまた、生まれてから一度も感じたことのなかったような不思議な気持ちで、遠ざかっていくルーフェンの後ろ姿を見つめていた。


- 40 -


🔖しおりを挟む

 👏拍手を送る

前ページへ  次ページへ

目次選択へ


(総ページ数82)