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投稿日:2021年02月24日





  *  *  *


「──い、おい。起きなくて良いのか? 若君がおらんぞ」

 頭上から、ラッセルのしわがれた声が聞こえてきて、オーラントは跳ね起きた。

 深い眠りに落ちないよう、座ったまま寝たはずだったのに、いつの間にか横たわって、爆睡していたらしい。
自分の上には、ルーフェンが寝るとき枕代わりにしていた、外套がかけられていた。

「……って、へ? あ!? ルーフェンは!?」

「だから、おらんと言っておろうが」

 寝ぼけ半分にオーラントが叫ぶと、呆れたようにラッセルが答える。
オーラントは、ラッセルの顔を見てから、かっと目を見開くと、次いで、空になったルーフェンの寝床を見て、真っ青になった。

「げっ、あいつ……! 一人でどこ行った……!」

 切迫した声で呟いて、オーラントが慌てて立ち上がる。
しかし、焦りのあまり、ルーフェンの外套に足を引っ掻けたオーラントを見て、ラッセルは苦笑した。

「落ち着け、地上の魔導師よ。同胞には、おぬしらに手を出すなと、わしからきつく言い聞かせておる。そう慌てずとも、若君は無事じゃろうて」

 ラッセルの呑気な発言に、オーラントが、訝しげに目を細める。

 昨日は散々リオット族に襲われたわけだし、正直、信用できないと思った。
だが、この迷路のような洞窟の中、どこに行ったのかも分からないルーフェンを探すのは難しそうだし、少なくともあのノイというリオット族の少女は、長の命令に忠実なようだ。
彼女がいれば、他のリオット族が暴れだしても止めてくれるだろうし、ルーフェンだって、戦えないわけでない。
焦って飛び出したところで、迷うだけだと自分を納得させると、オーラントは、再びその場に腰を下ろした。

 そんなオーラントの様子を眺めながら、ラッセルは、ふと口を開いた。

「ずっと不思議に思っていたんじゃが、おぬしは、何故ここに来た? 若君と違い、おぬしは我らリオット族に好意的なようには見えん。このノーラデュースから我々を救いたいなど、思うておらんのだろう。召喚師の命令で、仕方無く着いてきたのか?」

 問いかけられて、オーラントは、ラッセルの方に向き直った。
ここで敵意を見せれば、後々ルーフェンに怒られるかもしれない。
しかし、実際に自分は、リオット族に対して好意的ではないし、今更このラッセルの前で体裁を取り繕うのは、無駄なような気がした。

 オーラントは、小さく肩をすくめた。

「まあ、そうだな。俺は、あの自由奔放なルーフェンぼっちゃんに巻き込まれただけですよ。サーフェリアの人間として、次期召喚師に死なれちゃ困るから、護衛してるようなもんです」

 冷めた口調で言ってから、オーラントは、質問を返した。

「でも、それを言うなら、あんただって何故俺たちに協力してる? 俺は、リオット族の牽制を仕事とする魔導師──つまり、あんたらの敵だ。リオット族を殺したことだってあるし、あんたたちにとっちゃ、憎むべき人間のはずだろう? ルーフェンの無茶苦茶な言い分だって、この奈落で朽ちていきたいと願っているリオット族にとっては、邪魔でしかないはずだ。それなのに、なんでわざわざ俺達を受け入れた?」

 警戒するように、厳しい視線を寄越すオーラントの対して、ラッセルは、自嘲気味に笑った。

「何故受け入れたか、そうじゃのう……」

 少し言葉を濁してから、ラッセルは目を伏せた。

「……若君の目を見ていたら、わしも、自分の選択が正しいのか、分からなくなってしまったのやもしれん」

 言葉の意図を図りかねた様子で、オーラントが眉を寄せる。
ラッセルは、手首から先が欠如した右腕を擦りながら、静かに語り始めた。

「リオット病を抱えながら、わしはもう、随分長く生き永らえてしまった。もう生への執着はないし、このまま絶望と憎悪に苛まれて生きるくらいなら、リオット族は、この奈落の底で朽ちるのが良いと思い込んでおった。……じゃが、本当にそうなのか、不安になってしまったよ。わしのようなじじいと違い、若い連中は、まだ生に希望を見出だそうとしているのではないかと」

「…………」

 オーラントは、黙ったまま、ラッセルの話に耳を傾けていた。
ラッセルは、細く息を吐くと、微かに俯いた。

「……元々、争いは好まん。ノーラデュースに侵入したおぬしたちが、わしの元に連れてこられたとき、速やかに地上に帰そうと思った。じゃが若君が、リオット族をこのノーラデュースから出したいと言ったとき、そんな無謀なことを考える者が、地上におったのかと驚いた。同時に、少し賭けてみたくなったのじゃ」

 目をつぶり、ラッセルは続けた。

「地上に出た先に、希望があるとは思えぬ。再び、絶望を味わうことになるやもしれん。しかし、これからを生き、リオット族の未来を決めるのは、わしではなく、若い衆であるべきじゃ。若君の言葉を聞くか、聞かないかも、ノイたち若い衆に任せようと思う……」

「……そうか」

 神妙な面持ちで返事をしたオーラントに、ラッセルは言い募った。

「それにのう、年甲斐もなく、嬉しかったのじゃ」

 そう言って、ラッセルは、オーラントに自らの左手を見せた。
その掌は、乾いた地表のようにひび割れ、震えており、その節くれだった指先は変形して、黒ずんでいる。

 到底人のものとは思えない、その掌を見ながら、ラッセルは微笑んだ。

「わしが手を差し出したとき、若君は、すぐに握り返してくれた。こんな汚い手、普通の人間ならば、触るのも躊躇しそうなもんじゃが……。それが、わしは嬉しかった。リオット族のことを気にかける人間が、まだおったのかと思ったよ」

 初めてルーフェンの手を握ったときのことを思い出して、ラッセルは目を細めた。

 リオット病で硬化し、岩のように分厚くなってしまった手では、もう握ったものの感触は分からない。
それでも、ルーフェンに手を握り返された時、何か暖かいものに触れたような気がした。

 ふうと息を吐いて、ラッセルは、穏やかな声で言った。

「……不思議な子じゃ。奴隷として王都にいた頃、召喚師の姿は何度も見たことがあったが、若君は、その誰とも違うように見える」

 オーラントが、ふと顔をあげる。
その目を見つめて、ラッセルは、オーラントに向き直った。

「召喚師一族として、同じように王宮で育って、あんなにも違う雰囲気を纏うようになるものなのじゃろうか。これまで見てきた召喚師も、皆、どこかほの暗い空気を帯びていた。だが若君からは、その暗い空気の奥に、強い熱のようなものを感じる。子供だからと気を緩めれば、うっかり取り込まれてしまいそうなほどの、強い強い熱が……」

「…………」

 ラッセルの言葉を聞きながら、オーラントは、思わず息を飲んだ。
ラッセルの言うその熱に、オーラントも覚えがあったからだ。

 ルーフェンに同行して、ヘンリ村の跡地に行った、あの時。
アーベリトを救うため、再びリオット族を王都に連れ戻すのだと語るルーフェンを、最初は、幼い次期召喚師の夢物語だと、聞き流そうと思ったのだ。

 それなのに、ルーフェンの目を見ている内に、そんな風には考えられなくなった。
そして、リオット病の謎を解き明かしてしまった頃には、いよいよ、ルーフェンなら本当に、リオット族を奈落から出してしまうかもしれない、とさえ思うようになった。

 ルーフェンと向き合っていると、時折、とてつもない力に引っ張られているような感覚に陥る。
遥かな遠くを透かして見る、彼の銀の瞳には、ラッセルの言うような、力強い熱が灯っているのだ。
半ば強引だったとはいえ、その熱に取り込まれてしまったからこそ、オーラントも、今ここにいる。

 オーラントは、眉間に皺を寄せると、ラッセルを見つめ返した。

「確かにあいつは……ルーフェンは、普通の召喚師とは、違うのかもしれない。ルーフェンは、王宮で生まれ育ったわけじゃないんだ」

 ラッセルは、少し驚いたように眉をあげた。
微かに首を振って、オーラントは続けた。

「俺も、王都にはほとんどいないから、詳しくは知らん。だがルーフェンは、ヘンリ村っつー貧村で見つかって、王宮に連れてこられたんだ。ヘンリ村は、落雷で焼け野原になっちまったらしいが、ルーフェンは、その中で唯一の生き残りだったんだと」

「ほう……道理で、このノーラデュースの荒れ具合にも、動じぬわけか」

「……ああ」

 返事をしながら、オーラント自身も、そうか、と思った。
妙に適応力がある奴だとは思っていたが、そういうことだったのか、と。

 普通、王宮で生まれ育った者ならば、土蛇の腐肉を食らうリオット族の姿を見た時点で、かなりの衝撃を受けるはずである。
しかしルーフェンは、リオット族たちの生活を見ても、驚いてすらいなかった。
おそらく、幼少期ヘンリ村で育ったルーフェンにとっては、腐肉を食らう光景など、珍しいものでもなかったのだろう。

 次期召喚師がヘンリ村から見つかったという噂は、王都から、遠く南にも届いていたから、オーラントも知っていた。
知っていたが、だからといって、ルーフェンの生い立ちなど考えたことがなかった。

 ルーフェンからは、年相応の子供らしさがあまり感じられない。
その理由がわかった気がして、オーラントは言葉を失った。

 その時だった。

「なに話してるんですか?」

 突然、背後からルーフェンの声が聞こえてきて、オーラントはその場から飛び退いた。
 
「びっ、びっくりしたぁー……気配消して近づかんで下さいよ」

 ルーフェンは、冷めた視線を送ると、大袈裟な口ぶりで返した。

「気づかないほうがどうかと思いますよ? 宮廷魔導師のくせに」

「ほんっとお前、可愛げがねーな」

 ぴきっと青筋を立てて、オーラントが言う。
しかし、そんなオーラントの文句は無視して、ルーフェンは自分の荷物をごそごそと漁り出した。

「それより、オーラントさん。土蛇の毒に効く、解毒剤とか持ってませんか? リオット族のエルダさんって人が、さっき土蛇に噛まれたんです」

 アーベリトで買った、二本目の傷薬を荷から取り出しながら、ルーフェンが問う。
ラッセルは、ぴくりと眉を上げると、ルーフェンを見た。

「エルダじゃと? 大丈夫なのか?」

 珍しく声音を強めたラッセルに、ルーフェンは頷いた。

「出血も酷くありませんし、少なくとも、命に別状はないと思いますよ。何の処置も出来なければ、危険だったかもしれませんが、幸い俺達が薬を持ってますから」

 ラッセルが、どこかほっとしたように、息をつく。
その様子を見て、ルーフェンは微かに微笑んだ。

 ラッセルは、ちゃんと同胞のことを想っている。
ラッセルだけではない。
先程広間にいた全員が、エルダのことを心配していた。

 もしリオット族たちが、本当にノーラデュースでの死を望んでいるなら、仲間の死を恐れたりはしないだろう。
やはり彼らは、自分達は滅ぶべきだと、無理矢理言い聞かせているだけなのだ。

 オーラントは、ルーフェンの問いに頷くと、自分の荷物を手繰り寄せた。

「ああ、土蛇の被害には、俺達魔導師も遭ってますからね。解毒用の飲み薬が、どっかに入れてあったはずだが……」

 そう言って、オーラントが、荷物から目当ての薬瓶を探し始める。
ルーフェンは、その様をぼんやりと見つめながら、ふと口を開いた。

「ラッセル老……このあと、また皆のことを集めてくれませんか?」

 ラッセルが目線を上げて、ルーフェンを見る。
ルーフェンも、ラッセルの方を向くと、はっきりとした声で言った。

「もう一度だけ、皆を説得する機会を下さい。今度こそ、ちゃんと話を聞いてもらえるように、貴方たちに向き合いたいから」

 ルーフェンの銀の瞳に浮かぶ、強い光を見ながら、ラッセルはゆっくりと頷いた。



To be continued....



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