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投稿日:2021年02月24日






  *  *  *


 岩壁に等間隔で設置されたシシムの磨石は、柔らかい光を放って、広間に集まった大勢のリオット族たちの顔を、ぼんやりと照らしていた。

 広間の中心には、ルーフェンが立っており、そのすぐ横にオーラント、ラッセル、ノイの三人が控えている。
注がれるリオット族たちの視線は、決して穏やかなものではなかったが、それでもルーフェンは、堂々とした態度で周囲を見据え、口を開いた。

「皆、度々呼び出して、ごめん。だけど、もう一度だけ、俺の話を聞いてほしい」

 しん、と静まり返る谷底に、ルーフェンの声が響く。

「俺は昨日、貴方たちをシュベルテに連れていきたいと言った。俺たち王都の人間の過ちを許し、再び、シュベルテを支えてほしいと……。もちろん、奴隷としてではなく、同じ人間として」

 ルーフェンは、再びその場にいる全員の顔を見回して、続けた。

「……そうしたら貴方たちは、『王都の人間とリオット族は違う。だから、共に暮らせるはずがない』、そう言った。……でもやっぱり、俺はそうは思わないよ。この二日間、貴方たちの暮らしや生き方を見て、改めてそう感じた。俺たちと……少なくとも、俺とリオット族は、同じ人間で、違うところなんてない──」

 言い終えた瞬間、途端に、リオット族たちの表情が激しく歪んだ。
静かな空気は一変し、次々とルーフェンに向かって罵声が飛ぶ。

「王都の人間、リオット族を嫌い、蔑み、こんなところに閉じ込めた!」

「お前たち、敵だ!」

「ここから出ていけ!」

「同じ? そんなわけ、ない!」

 まるで石を投げつけられているような、圧倒的な怒りと憎しみの声をぶつけられる。
だが、ルーフェンは小さく笑みを浮かべると、はっきりと言った。

「違わないよ。何も、違わない」

「黙れ!」

 リオット族たちの中からゾゾが飛び出してきて、ルーフェンの胸ぐらをつかみあげた。

「嘘、言うな! お前、恵まれた召喚師の一族、俺たちの何が分かる! 地を這いずって生きる俺たちを、軽蔑しているくせに、俺たちとお前、何が同じというのか! リオット族、いつも飢えて、渇いて、腐った血肉でも、必死に食べて、死物狂いで生きている! お前、そんなことできるのか。この気持ち、理解できるのか!」

 激昂した様子でルーフェンに詰め寄るゾゾを、オーラントが止めに入ろうと動いた。
しかし、ルーフェンはそれを目配せして制すると、ゾゾの醜い顔を見つめ返した。

「……全部は、分からないよ。俺は、リオット族が受けた苦しみ全てを理解できるほど、まだ貴方たちのことを知らない。……だけど……」

 ルーフェンは、わずかに緩んだゾゾの岩のような太い腕を、そっと外した。
そして、地面の土砂を掬いとると、あろうことか、それを口に詰め込んだ。

「なっ……なにしてる、お前!」

 突然のルーフェンの行動に、リオット族たちがざわめく。
オーラントも、慌てた様子でルーフェンに駆け寄った。

 ルーフェンは、久々の喉を抉るような異物感に一瞬顔をしかめたが、無理矢理土塊を喉の奥に押し込めると、一拍おいて、もう一度ゾゾのほうを見た。

「……だけど、俺は、気が狂いそうなほどの飢えや渇きを、知ってるよ」

「え……」

 ゾゾが、吐息を溢すように呟く。

「俺は、貴方たちが思っているほど、まともな生き方はしてこなかったし、腐肉だろうが土だろうが、やろうと思えば何だって口にできる。俺も、ヘンリ村という貧村で育ったから」

「村……?」

 ゾゾの目に、驚きの色が浮かぶ。
召喚師一族は、本来王宮で生まれ、先代の元で育てられるのだ。
村育ちと聞いて、驚くのは仕方がないことだった。

 ルーフェンは、小さく息を吸った。

「俺のいた村は、特に貧しい農奴や、役に立たないからと貴族に捨てられた奴隷が集まったような、まるでごみ溜めみたいな村だった。当時、俺の髪や瞳の色を見て、村人たちがどう思ったのかは知らないけど……とにかく、俺は生まれてすぐ、そのごみ溜めに捨てられていた子供だったんだ」

 存外落ち着いた表情で、ルーフェンは話した。

「俺を拾ってくれたのは、農業を営んでいた若い夫婦だった。彼らには息子が二人、娘が三人いて、俺はその中で、一番年下だった。元々貧しい生活が続いていたけど、ある時、村の耕地が完全に朽ちてからは、役人に税も払えなくなって、粟もきびも、家から一粒残らず消え失せた。空腹のあまり、さっきみたいに虫や土を食べることも日常的にあった。最初は受け付けられず、吐いてばかりいたけど、骨と皮だけになって餓死していく人達を見ていたら、いつしか、どんなものでも、無理矢理腹に納められるようになった」

 気づけば、広間に再び静寂が訪れていた。
リオット族たちも、オーラントも、放心したような顔つきで、ルーフェンの話を聞いていた。

「……俺が八歳になった、冬。食べるために残していた家畜を、全て役人に持っていかれて、その翌月には、一番目と二番目の姉が連れていかれた。二番目の兄と三番目の姉は、ある朝起きたら冷たくなっていて、一番目の兄は、虚ろな目をしたままどこかに行って、二度と帰ってこなかった。母親は、痩せた土の上で転び、そのまま動かなくなって。唯一血の繋がりを持たない俺は、父親に喰い殺されそうになった」

「…………」

「飢えて癇癪かんしゃくを起こした父親が、俺を狙っていたのは気づいていたよ。でも、その時俺は、別に殺されてもいいと思ってた。本気で、そう思ってたんだ……。それなのに、いざ鉈を向けられたら、急に、死ぬのが怖くなった」

 ルーフェンは微かに目を伏せると、つかの間、息をつまらせた。

「……俺が、初めて召喚術を使ったのは、その時だ。父を、生まれ育った村を、俺は跡形もなく消滅させた」

 一度目を閉じ、開くと、ルーフェンは、呆然としているゾゾにすっと目を向けた。

「貴方はさっき、リオット族を軽蔑しているくせに、と言ったけれど、俺は貴方たちを軽蔑してはいないよ。軽蔑、できるはずがないんだ。地を這いずりながら、貪欲に、生にしがみついて生きてきたのは、俺も同じなんだから」

 言葉を失った様子で沈黙しているリオット族たちに、ルーフェンは言い募る。

「俺は今、王宮で暮らすようになったけど、八歳のあの時からずっと、どうして同じ国の人間なのに、ヘンリ村とシュベルテの暮らしはこうも違うんだろうと、不思議に思ってた。だけど本当は、王族も貴族も、平民も貧民も、そしてリオット族も、皆、根底は同じ人間なんだ。だから誰にだって、自由に、幸せに、好きな場所で生きる権利はあるはずなんだよ」

 その時、ふいに、ゾゾが口を開いた。

「で、でも……」

 口ごもりながら、ルーフェンを見つめ、ゾゾは、かすれた声で言った。

「俺たち、呪われている。皆、生まれつき、醜い姿、している。病で、すぐ死ぬ。だから、お前たち王都の人間、俺たちのこと、受け入れたがらない……」

 ぽつん、と呟かれたゾゾの言葉に、他のリオット族たちも同調したように、ルーフェンに視線を向けた。
ルーフェンは、瞳に柔らかい光を灯すと、首を横に振った。

「リオット病によって硬化した皮膚は、貴方たちを、ガドリアの感染源である刺し蝿から守ってきたんだ。だから、ガドリアのない地域で治療すれば、貴方たちの病はちゃんと治る。リオット族は、呪われてなんかいないよ。まして、醜いだなんて思わなくていい。だって、生き抜くために強くなっていった結果こそが、リオット病なんだから」

 ルーフェンは、微笑んだ。

「特殊な力や形質を持っているという理由で、軽蔑してくる人間は確かにいる。でももし、それが正しいことなら、人々がまず軽蔑するべきは、召喚師一族だ。自分達だけが醜く呪われた存在だなんて、思う必要はない。地を操る力も、リオット族が持っているものは全て、一族が誇ってよい力なんだと思う」

 思いがけず、目頭が熱くなったのを感じて、ゾゾは慌てて瞬きをした。
全身、ひび割れて乾いた自分の体からも、まだ涙は出るのかと、不思議に思った。

 ルーフェンは、ゾゾを一瞥し、それから顔をあげた。

「かつて、リオット族を否定し追い詰めて、このノーラデュースに押し込めたのは、俺たちの過ちだ。本当に、ごめん……。でも、だからこそ、貴方たちをここから救い出すのもまた、俺たちの役目であるべきだと思う。もし、リオット族の子供たちに、生まれたことを後悔させたくないと思うなら……俺に、託してください。この奈落の底から出て、王都の人々とリオット族が一緒に暮らせるように。貴方たちがこれから好きに生きられるように、きっと、してみせます。ここで朽ちるべきだなんて、諦める必要はないし、自分達の気持ちを押し殺す必要もない。俺にも、貴方たちの存在が必要だから……だから、一緒に、シュベルテに来てほしい……。ここから出て、生きたいと思う自分達の願いを、どうか否定しないで。俺に、賭けてほしいんだ」

 ルーフェンが言い終えたとき、しばらくの間は、その場にいた全員が口を閉ざしていた。
しかし、ややあって、リオット族の中から、か細い声が上がった。

「……本当に、出してくれる……?」

 声を出したのは、昨日ルーフェンが見た、赤子を抱えた女であった。
ルーフェンは、女の方をじっと見て、力強く頷いた。

「はい。約束します」

 すると、女が微かな声で言った。

「……出たい……」

 ぽろぽろっと涙を溢して踞(うずくま)り、赤子を抱き締める。

「ここから、出たい……。まだ、死にたくない……」

 その女の言葉を皮切りに、他のリオット族たちからも、ぽつりぽつりと声が零れ始めた。

「俺も、出たい……!」

「こんなところで死にたくない……」

「出たい……召喚師、様……!」

「召喚師様……!」

 リオット族達は、懇願するような表情になると、口々にルーフェンの名を呼び始めた。
そんな彼らを見回しながら、ルーフェンは、何かを噛み締めるように拳を握った。

 ようやく、成し遂げられた。
ノーラデュースに来て、リオット族達と話し、その本音に触れて──。
彼らのルーフェンに対する思いも、少しずつではあるが、変わってきたように感じる。

 深い絶望の中で、それでもまだ生きていたいと切に願い、涙を流すリオット族たちを見て、ルーフェンは確かにそう思った。


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