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投稿日:2021年02月24日
意識を失っているリオット族の一人に、右腕と口だけで止血を施していると、突然、オーラントに声をかけられた。
「馬鹿、ルーフェン! お前もさっさと肩の治療をしろ!」
魔術で抉られた、ルーフェンの左肩の傷を見て、オーラントが駆け寄ってくる。
しかし、出血しているリオット族の男を、放置するわけにはいかない。
そう思って、作業を続けていると、オーラントに軽く頭を叩かれた。
「いいから早く来い! そいつの止血は、他の奴に頼んだ!」
その有無を言わせぬ口調に、ルーフェンは渋々立ち上がると、オーラントに着いていった。
広場の隅に座り、魔術で照らすと、ルーフェンの左肩の傷は、幸い出血が止まっていた。
自分で、止血だけは施していたのだろう。
だが、きつく巻いてあるローブの切れ端をほどくと、傷口に砂や土が食い込んでいた。
よく見れば、ルーフェンの顔も青白く、全身が脂汗でじっとりと濡れている。
このままでは、傷口が化膿するだろうし、もしかしたら、既に熱が出ているかもしれない。
オーラントは、荷物から水筒を取り出して、その水で傷口を洗い始めた。
ルーフェンは、しばらく黙って、されるがままになっていたが、オーラントが軟膏を取り出すのを見ると、驚いたように目を見開いた。
「……オーラントさん、傷薬持ってたんですか?」
オーラントは、ルーフェンの顔を一瞥すると、呆れたようにため息をついた。
「言っておきますけど、全員分はないですよ。あんたに使う分しかありません。他の奴に使えとか、ごちゃごちゃ言わないように」
「…………」
言おうと思っていたことを先に言われて、ルーフェンは、暗い表情で口をつぐんだ。
予想通りの反応に、オーラントが肩をすくめる。
ルーフェンは、この奈落に魔導師たちが攻め入ってきたことに、責任を感じているようだった。
傷口に軟膏を塗りながら、オーラントは、ふと口を開いた。
「……そういえば、さっきルンベルトと話したんですがね。三日ほど前に、イシュカル教徒がノーラデュースの砦に来て、次期召喚師がリオット族に囚われているから、奈落に攻め込めと言ってきたそうですよ。今回のリオット族討伐のきっかけは、それみたいです。やっぱりイシュカル教徒は、混乱に乗じて、あんたを殺害するつもりだったのかもしれません」
「……そうですか」
大して驚いた様子もなく、ルーフェンは、淡々と返した。
「じゃあ、今回の争いの原因は、俺だったんですね」
オーラントは、一瞬躊躇ったように言葉を止めて、ぽりぽりと後頭部を掻いた。
「……そうですね。……でも、リオット族は皆、あんたに感謝してましたよ。リオット族のあんたに対する態度が、明らかに変わった」
「…………」
ルーフェンは、ぎゅっと唇を結んで、つかの間、何かを堪えるように俯いていた。
だが、すっと息を吸うと、顔をあげた。
「魔導師たちの中に紛れ込んでいた、イシュカル教徒は?」
オーラントは、微かに表情を険しくした。
「もう逃げ帰ったんじゃないですか。俺もざっと見て回りましたが、魔導師の中には、見知った顔しかありませんでした。……イシュカル教徒は、何故あんたがノーラデュースに来てることを知っていたんでしょうね。まあ、後々調べさせましょう」
ルーフェンは、少し考え込むように目を伏せてから、首を振った。
「……いえ、とりあえずイシュカル教徒のことは、放置しておきましょう。調べさせたって、きりがないし。地上に出たら、ひとまずリオット族のことに集中したいので」
ルーフェンの言葉に、オーラントは眉を寄せた。
リオット族に集中したいというのは、イシュカル教徒を追跡しない理由にはならない。
きりがない、というのも、方便に違いないだろう。
おそらくルーフェンは、もう以前のように、イシュカル教徒の殲滅に出向きたくないのだ。
アーベリトを復興させる理由の中に、イシュカル教徒の子供たちの居場所を作りたいという理由も、入っているくらいだ。
自分の命を狙ってくる存在だというのに、ルーフェンは、イシュカル教徒に対して無頓着なように見えた。
オーラントは、きつい口調で言った。
「んなこと言ったって、いずれまたイシュカル教徒は、あんたのことを狙ってきますよ。気乗りしないのかもしれませんが、やらなきゃやられるんです。それくらいは、諦めて受け入れてもらわないといけません。何度も言うように、あんたは──」
次期召喚師なんだから、と言おうとして、オーラントは口をつぐんだ。
そして、どこかやりづらそうに言葉を探していると、ルーフェンが、微かに苦笑した。
「大丈夫ですよ。別に俺は、死ぬ気はありません。……ただどうしても、イシュカル教徒を消そうとは思えないんです。正直、国の守護を押し付けて、勝手に安心している奴等より、召喚師一族を疎むイシュカル教徒の考えの方が、よく分かる。……俺も、自分の力が嫌いです」
「…………」
血に汚れ、荒れた奈落の景色を見ながら、ルーフェンは続けた。
「……でも今回、俺とイシュカル教徒の問題に巻き込んで、沢山のリオット族や、魔導師たちを死なせてしまった。全部、俺の行動が招いた結果です。今後二度と、こんなことは起こしちゃいけないし、もし、イシュカル教徒がまた、俺以外の人間も貶めようとするなら……俺は、彼らを殺さないといけないのでしょうね」
一瞬、別人ではないかと疑うほど大人びた表情で、ルーフェンは言った。
そんなルーフェンの横顔を見ている内に、オーラントの頭に、あのおぞましい黒い皮膚のことがよみがえった。
フォルネウスが、召喚される前。
まるでルーフェンを侵食しようとするかのように、皮膚に貼り付いていた、あの黒い鱗のようなもの。
あれも、悪魔を操る召喚師の力が、原因なのだろうか。
あの黒い皮膚が、本当に全身を覆ってしまったら、ルーフェンはどうなっていたのだろうか。
己の力を嫌いだと言うルーフェンに、それを問うことは憚られる。
だが、問わずとも、あの黒い皮膚を見たとき、はっきりとルーフェンを巣食う闇を見たような気がした。
オーラントは、ルーフェンの傷口に包帯を巻きながら、ぼんやりと言った。
「……この前から一つ、ずっと言おうと思ってたことがあるんですけど」
ルーフェンが、不思議そうにオーラントを見る。
その目を見つめ返して、オーラントは言った。
「……悪かったですね。前々から、次期召喚師なんだから、次期召喚師なんだからって連呼して」
「…………」
ルーフェンが、驚いたように瞠目する。
オーラントは、再び包帯を巻く手に目をやりながら、言い募った。
「つっても、あんたはどうしたって次期召喚師で、無茶されるのはやっぱり困りますから、立場を弁えろとは言います。ただ、俺が思っていた以上に、あんたは次期召喚師として見られるのが嫌だったみたいだから……ろくに事情も知らずに、連呼してすんません」
「…………」
ルーフェンは、何も言わず、オーラントを見つめていた。
返事がないので、同じく黙りこんでいたが、やがて、沈黙に耐えきれなくなって、オーラントは口を開いた。
「……召喚師になるのは、そんなに嫌ですか?」
「…………」
尋ねてみても、相変わらず、ルーフェンから返事はなかった。
あまり触れるべき話ではなかっただろうかと、オーラントが話を変えようとしたとき。
ルーフェンから、答えが返ってきた。
「……嫌ですよ、とても」
穏やかだが、弱々しいともとれる声だった。
「……もう、どうしようもないって散々思い知らされて、頭では分かってるけど……それでも嫌です」
オーラントは、はっと顔をあげると、ルーフェンの顔を凝視した。
ルーフェンは、平坦な口調で語った。
「……俺は、サーフェリアが嫌いです。貧困を見て見ぬふりする政治も、人形みたいな母親も、上辺ばっかりの貴族も、他力本願に国を護れとか言ってくる連中も、全部、この国の何もかもが、大嫌い。召喚術を使うのも、殺した人たちが夢に出てくるのも……人ならざるものになってしまいそうで、怖い。皆、殺せ殺せと俺に求めるくせに、本当は心の奥底で悪魔の力を恐れ、俺を敬遠してる。こんな窮屈な運命ばかり強いてくるサーフェリアを、守りたいなんて思えない。……俺は、召喚師の立場なんかに、生まれたくなかった」
ルーフェンの本音に、オーラントは、どう答えて良いのか分からず、逡巡の後、そうか、とだけ答えた。
ルーフェンは、沈んだオーラントの表情を横目で見て、自嘲気味に言った。
「でもね、皮肉だなぁと、思うんですよ」
「……なにが?」
「だって、次期召喚師の地位と力がなかったら、こうやってリオット族の所に乗り込んで、アーベリトの財政を立て直そうだなんて大事、絶対出来なかったでしょ?」
苦笑しながら言ったルーフェンに、オーラントも、つられたように笑む。
ルーフェンは、どこかすっきりしたような顔をしていた。
「いつか……」
目を伏せてから、ルーフェンは、真上に君臨する月を見上げた。
「……いつか、召喚師で良かったと思う日が、来るんでしょうか」
「…………」
二人の会話は、そこで途切れたが、ルーフェンは、特に返事を求めてはいないようだった。
オーラントも、そんなルーフェンの空気を感じ取ったのか、一瞬だけ口を開いたが、結局何も言わなかった。
オーラントは、包帯を巻き終わると、ルーフェンの肩に、ぽんと手を置いた。
「よし、終わり。もうあんまり無茶せんで下さいよ。明日の昼くらいには、砦に行った魔導師たちが戻ってくると思いますから、そうしたら、地上に出ましょう」
「……はい」
ルーフェンが、そう返事をしたとき。
不意に、目の前を光る何かが通りすぎて、ルーフェンは瞬いた。
(……蝶?)
淡く輝く蝶が、ぱたぱたと羽ばたいて、ルーフェンの前を通過していく。
こんなところに、蝶などいるはずがないし、そもそも、光る蝶なんて聞いたことがない。
夢でも見ているような思いで、その蝶を見つめていると、蝶は、やがて岩壁に吸い込まれるようにして、消えてしまった。
(……?)
あの蝶は、一体なんだったのだろう。
なんだか妙な胸騒ぎがして、ルーフェンは立ち上がると、周囲を見回した。
辺りでは、リオット族や魔導師たちが、遺体を埋葬したり運んだりしている。
突然険しい顔つきになったルーフェンに、オーラントも立ち上がった。
「どうしたんです? 何かありました?」
ルーフェンは、オーラントの方を見た。
「……やっぱり、砦に行った魔導師たちを待たずに、もう地上に向かいませんか? 何だか、嫌な予感がします」
「嫌な予感?」
オーラントは、訝しげに眉を寄せた。
「いや、怪我人が多くいるんですよ? あいつらを無理に動かすのは危険だし、せめてもう少し、回復を待ってからの方がいいでしょう」
「…………」
ルーフェンは、戸惑った様子で黙りこんだ。
オーラントの言うことは正論だし、ルーフェンだって、先程までは今すぐ地上に向かおうなどとは思っていなかった。
ただ突然、何の根拠もないが、ここにいてはいけないような気がしてきたのだ。
正体の分からない不安を抱えたまま、もう一度辺りを見回す。
すると、その瞬間──。
奈落の岩壁が、ぎしぎしと嫌な音を立てて、揺れ始めた。
「なっ、なんだ!?」
さっと身構えて、オーラントがルマニールを具現化させる。
他のリオット族や魔導師たちも、動揺した様子で騒ぎ始めた。
「奈落が、崩れる……!」
ルーフェンは、はっと岩壁を見上げた。
激しい争いで、このノーラデュースの地盤が緩んだのだ。
地面が沈み、撓みながら、崩れる岩壁を飲み込んでいく。
同時に、崩壊した岩石が、濁流のように押し寄せてきた。
「皆、地上へ……! 洞窟に逃げ込め……!!」
ラッセルの大声が響いてきて、全員が、弾かれたように走り出す。
リオット族も、魔導師も関係なく、怪我人は馬に乗せ、懸命に迫り来る岩石を避けながら、洞窟を目指した。
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