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投稿日:2021年02月24日





 頭がぼんやりして、意識が沈んでくる。
だが、その時──。
ふいに頭の中で、ぼこぼこっと泡立つような水音が聞こえた。

「──……!?」

 一気に意識が浮上して、はっと目を見開く。
オーラントは、シルヴィアの華奢な肩を掴むと、思いきり彼女の身体を突き飛ばした。

「──ふざ、けるな!」

 よろけたシルヴィアが、石床の上に崩れ落ちる。
オーラントは、苦しげに咳き込むと、突き上げてきた怒りに、シルヴィアをきっと睨み付けた。

「黙って聞いてりゃ、抜けしゃあしゃあと……! ルーフェンは息子じゃない? 最初から望んでいなかった? あんた、その台詞、ルーフェンに直接言ったんじゃないだろうな!?」

「…………」

 シルヴィアの顔から、ふっと笑みが消える。
そんなことには構わず、オーラントは、怒鳴り声をあげた。

「血の繋がりがあったら、何故息子だと認めなくてはいけないのかなんて……そんなの、決まってる! あんたとその旦那が、ルーフェンを生んだからだろ! 勝手に生んだくせに、望んでなかったからさようなら、ってか? いい加減にしろよ!」

 オーラントは、だんっ、と文机を殴り付けた。

「ルーフェンには、何かを言われた訳じゃない。言わねえんだよ、あいつ。どんな危険な目に遭っても、悟ったみたいな平然とした顔しやがって……まだ十四のガキだぞ? そのルーフェンが、あんたの話になった途端、怯えて縮こまってた。ガキにあんな顔させて、あんたは一体何がしたいんだよ!」

 しん、と部屋が静まり返る。
激昂するオーラントを見て、シルヴィアはゆっくりと立ち上がると、冷たい声で言った。

「……貴方、フォルネウスの暗示にかかった?」

 シルヴィアの問いに、オーラントが眉を寄せる。

 フォルネウスは、サーフェリアの召喚師が使役する、銀鮫の姿をした悪魔だ。
フォルネウスの能力は、対象の脳に暗示をかけること。
オーラントは、ノーラデュースでイグナーツ達と交戦した際、ルーフェンに「動くな」という暗示をかけられている。

(フォル、ネウス……?)

 先程、シルヴィアに口付けられたとき。
奇妙な水音が聞こえてきたのを思い出して、オーラントが目を見開く。
その反応に、ふっと嘲笑すると、シルヴィアは、さらりと髪を耳にかけた。

「そう……そういうこと。あの子、召喚術を嫌っているみたいだったから、使わないと思っていたのだけれど、貴方にフォルネウスの能力を使ったことがあるのね。道理で、私の暗示が弱まっていると思った」

 微かに声音を低くして、シルヴィアが向き直る。
オーラントは、はっと身構えた。

「お前、やっぱり俺達に、術かなんかかけてやがったのか……!」

 シルヴィアは、今までの表情とは違う、冷たい笑みを浮かべた。

「だったら、なあに?」

──刹那、シルヴィアの手が、素早く翻る。
直感で危険を察知し、短槍ルマニールを発現させたオーラントだったが、瞬間、右腕に熱い衝撃が走って、血潮が舞った。

「────っ!」

 あまりの激痛に、ルマニールを取り落とす。
落下したルマニールは、歩み寄ってきたシルヴィアが踏みつけると、あっという間に光の粒子となって、大気に還元されてしまった。

 まるで、獣の爪に引き裂かれたかのように──。
血の滴る右腕を抑えて、オーラントが呻き声をあげる。
そんな彼を見下ろすと、シルヴィアは、満足げに口端をあげた。

「……だって、暗示でもかけないと、皆、私の言葉を聞いてくれないんだもの。私、何度も言ったのよ。あの子は私の息子じゃない。三人目の子供は、死産だったのよ、って。……まあ、そんなことをしても、完全に信じてくれる人なんて、結局いなかったけれど」

 一瞬、シルヴィアの表情に陰りが差す。

「……誰も、私を見てくれない。聞いてくれない。召喚師の座すら奪われたら、きっとこの国に、私の居場所はなくなってしまう。本当に私を認めてくださるのは、エルディオ様だけ……」

 オーラントは、喘鳴しながらも、なんとか顔をあげると、吐き捨てるように言った。

「……召喚師の座を退いたら、居場所がなくなる。だから今度は、王座でも狙おう、ってのか? 他の王位継承者を殺したのも、お前か……!」

 オーラントの問いに、シルヴィアは、低い声で返した。

「……それも、ルーフェンが言ったの?」

 普段のシルヴィアからは、全く想像もできないような、凄みのある声。
思わず沈黙すると、それを肯定ととったのか、シルヴィアは、くつくつと笑い始めた。

「本当に、どこまでもどこまでも、目障りな子供……。私から力を奪い、地位を奪い、これ以上なにを奪おうって言うの……」

 オーラントは、ぐっと歯を食い縛った。

「奪ってるのは、あんたの方だろ……」

 掠れた声を、喉の奥から絞り出して、オーラントは言った。

「自分の出自も、よく分からないまま……いきなり、お前は息子じゃないとかほざく母親の元に連れてこられて……。挙げ句、召喚師としての生を強いられて……。ルーフェンが、一体どんな気持ちで、日々を過ごしてきたのか、考えたことあるのか。親に拒絶されて、子供が傷つかないわけがない。どうして、それが分からない……!」

 出会ったばかりの頃の、途方にくれたような、茫洋とした瞳のルーフェンを思い出して、オーラントは叫んだ。

 きっと、本当の意味でルーフェンの苦しみを理解してあげられるのは、この女だけなのに。
同じ召喚師一族として、母親として。
彼に寄り添ってあげられるのは、このシルヴィアだけなのに──。

 強く食い縛った唇の端から、つっと血が垂れる。
こみ上がってくる猛烈な怒りを堪えながら、オーラントは、シルヴィアを睨み付けた。

 しかし、再び口を開く前に、シルヴィアの態度が一変した。
 
「──お前こそ、私の気持ちなんて、知りもしないくせに……!」

 かっと見開かれた、凄絶な瞳で、シルヴィアがオーラントを睨み返す。
突如、髪を掻き乱し、絶叫すると、シルヴィアはわなわなと唇を震わせた。

「私は、ルーフェンを生んだんじゃない! 生まされたの! お前たちのように、次期召喚師を望むこのサーフェリアの民が! 次期召喚師を生まぬことなど、許してはくれなかった……!」

 浅く呼吸を繰り返しながら、シルヴィアがどんっと壁にもたれかかる。
両手で顔を覆い、錯乱したように瞳をさまよわせるシルヴィアの様子は、明らかに異常であった。

 ──刹那。
視界がぐにゃりと歪んで、突然、オーラントは急激な目眩に襲われた。

 立っていたはずの石床が消えて、まるで、空中に放り出されたかのような感覚に陥る。
思わず目を閉じて、受け身をとろうと身を丸めたが、次に目を開けたとき、オーラントが立っていたのは、今までいた部屋とは違う部屋だった。

 先程までいたシルヴィアの部屋と、構造自体は変わらない。
だが、雰囲気が全くの別物だった。
寝台の位置も、文机の位置も同じ。
しかし、今いる部屋の空気は、まるで鉛のように重く、淀んでいる。
加えて、部屋中を取り囲むように、巨大な本棚がいくつも並んでいた。

(ここは、どこだ……!?)

 咄嗟に状況が把握しきれず、呆然と辺りを見回す。
そして、高くそびえる本棚に詰まった、沢山の魔導書を見たとき。
オーラントは、目を見張った。

(禁忌魔術の、魔導書……!?)

 禁忌魔術とは、その危険性から発動することを禁止された、古代魔術のことである。
研究されることも禁じられているため、謎に包まれた部分が多いが、禁忌魔術には、大きく分けて二つの種類が存在する。
一つは『時を操る魔術』、もう一つは、『命を操る魔術』である。
 
 行使すれば、発動させた魔導師も代償を払わざるを得ない、強大で、凶悪な魔術──。
古(いにしえ)の時代に封印され、その存在に触れることすら禁忌とされる魔術であるため、オーラントも、知識として知っているだけだ。
しかし今、目の前にある大量の魔導書を見たとき、すぐに、これは禁忌魔術の魔導書なのだと分かった。
魔導書から発せられる魔力が、あまりにも邪悪で、どす黒かったからだ。

 また、この魔力に包まれた時に感じる、奇妙で息苦しくなるような感覚は、移動陣を前にしたときに感じる、その感覚に微かに似ていた。

──……リーヴィアス・シェイルハート……。

──じゃあ、移動陣を作り出したのは、召喚師一族ってことですか?

──そうなんでしょうね。

 以前、ルーフェンとアーベリトに行くため、移動陣を使ったときの会話を思い出す。
考えてみれば、移動陣も、移動時間を短縮させるという意味では、一種の『時を操る魔術』なのかもしれない。
通常、複数人の魔術師を動員しなければ使えない、強力な魔術であるし、使用した者は、しばらく動けないほど身体に激痛が走る。

 移動陣は、他に存在する禁忌魔術に比べれば、危険性が低い部類なのだろう。
しかし、古に存在ごと封印されたはずの禁忌魔術──移動陣を、かつてリーヴィアスという名の召喚師が完成させたのだとすれば、今、シルヴィアの部屋に、禁忌魔術の魔導書があることも頷けた。

(召喚師一族は、禁忌魔術を保有してるのか……?)

 この推測が、真実かどうかはまだ分からない。
だが、目の前にずらりと並ぶ魔導書の中には、厳重に錠をつけられたものや、鎖が巻かれたものまである。
とても、普通の魔導書とは思えなかった。

「おいっ、ここは、なんだ……!」

 部屋の隅で、うずくまっているシルヴィアに問いかけると、シルヴィアは、ゆっくりと顔をあげた。
その顔を見て、オーラントはぎょっとした。
シルヴィアの顔が、まるで老婆のように変貌し、やつれていたからである。

「……っ!?」

 シルヴィアも、己の変化に気づいたのだろう。
皺の刻まれた、枯れ枝のように細い自分の手を見て瞠目すると、すがりつくように本棚に駆け寄った。
そして、一冊の魔導書を開くと、ぶつぶつと何かを唱え始める。

 その詠唱と共に、シルヴィアの背後に、ぼんやりと淡く光る、巨大な砂時計が現れた。
砂時計は、くるりと半転すると、白銀の砂をさらさらと逆流させていく。
そうして、溶けるように砂時計が消えたときには、シルヴィアは、元の若く美しい姿に戻っていた。

「今の……まさか、禁忌魔術か?」

 警戒したようにオーラントが尋ねると、シルヴィアは、ふうっと息を吐いて、魔導書を本棚に戻した。
冷静さを取り戻したのか、シルヴィアの目には、もう混乱の色は見えない。

 オーラントは、動く左手に再び短槍ルマニールを発現させると、言った。

「……おかしいと思ったんだ。あんたは、もう随分と長い間、その若い姿のままだ。周りの連中には、暗示か何かをかけて誤魔化してるのかもしれんが、俺は騙されない。あんた、禁忌魔術を使って……時を操って、若い姿で在り続けようとしてるんじゃねえだろうな?」

 シルヴィアの返事を待たずに、オーラントは言い募った。

「この部屋は、一体なんだ? お前は……いや、召喚師一族は、禁忌魔術にまで手を出してるのか? 何が狙いだ? 王座について、何をする気なんだ?」

 シルヴィアは、射抜くような鋭い視線をオーラントに向けると、冷笑した。

「少しお話ししようと思って、呼んだだけなのに……随分とうるさいわね。暗示が完全に効かないなら、もう、貴方はいらない……」

 一歩、シルヴィアが踏み出す。
瞬時に、ルマニールを構えたオーラントだったが、しかし、その穂先を突き出す前に、オーラントは、シルヴィアにふわりと抱き締められていた。

 まるで、赤子をあやすように、ぽんぽんとオーラントの後頭部を撫でると、シルヴィアは囁いた。

「そう……貴方にも、ルーフェンと同い年の息子がいるの。……その子も、王宮で魔導師として働いているのかしら……」

「────っ!」

 ぞっとした。
一体どんな手を使って、思考を読まれているのかは分からなかったが、オーラントの頭の中で、けたたましく警鐘が鳴った。

「黙れ──っ!」

 オーラントが、上擦った声をあげる。
シルヴィアは、一度身体を離すと、子供のように首を傾げて、オーラントの顔を覗きこんだ。
その瞳には、おぞましいほどの狂気が滲んでいる。

「……貴方以外にも、ルーフェンに深く関わってしまった人間は、いる? ノーラデュースに常駐していた魔導師たちや、貴方の息子も、ルーフェンのお友達になってしまった……? ねえ、教えて……?」

「──……っ!」

 力一杯、シルヴィアを蹴り飛ばした。
その反動で、後ろに仰け反ったオーラントが、背後の文机に突っ込む。

 衝撃で飛び出した、文机の引き出しから、ぱらりと何かが飛び出す。
それが、一枚の封筒であることに気づくと、オーラントは、差出人を見て、微かに目を見開いた。

(──アリア・ルウェンダ……)

 咄嗟に封筒を懐に突っ込むと、オーラントは、扉めがけて走り出した。
もう、この場所にはいてはならない。
今すぐ逃げるべきだと、本能がそう告げている。

 召喚術は、もうルーフェンが引き継いでいるから、シルヴィアはもうただの魔導師同然である。
だから、いざとなれば、対抗できると思っていたのに──。
この女には勝てない、そんな確信が、オーラントの中にはあった。

 しかし、勢いよく開けた扉の先が、螺旋階段ではなく、深い深い闇であることを目の当たりにすると、オーラントは、立ち止まった。

「逃げられるわけ、ないでしょう?」

 すぐ近くで、シルヴィアの声がする。
後ろから、すっと白い腕が伸びてきて、オーラントの目を覆った。

 シルヴィアは、くすくすと笑いながら、オーラントの耳に唇を寄せた。

「ここは、さっきまでの部屋とは違うの。私が作り出した、私だけの部屋よ……。だから、私の許可がなければ、出ることは叶わない……」

 ルマニールを握る手に、力を込める。
しかし、その次の瞬間には、オーラントの意識は、ぶつりと途切れた。


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