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投稿日:2021年02月24日






  *  *  *


 王宮に戻ると、ルーフェンは、オーラントの件を政務次官であるガラドに報告した。
昨夜、オーラントが離宮に行ったことなど、シルヴィアに関する一切は伏せて話したが、宮廷医師たちが既に、オーラントの症状の解明が難しいことを知らせていたのだろう。
ルーフェンの報告に不明点が多くても、別段怪しまれることはなく、報告以上のことは追求されなかった。

 自室に戻り、ここ二日で溜まった書類を整理しながら、ルーフェンは、ふとシルヴィア宛の封筒を取り出した。
ジークハルトと殴り合いをしたせいで、薄汚れてしまったが、読む分には問題ない。

 ルーフェンは、開封済みの封蝋ふうろうを親指でなぞると、封筒の中から、手紙を取り出した。


━━━━

シルヴィア・シェイルハート様

 王宮を去ったこの私が、こうして召喚師様に文を差し上げたこと、どうかお許しください。
 あの日私は、ヘンリ村に向かい、彼を捨て去りました。
その後も、あの子はまだ、無事に村で生きておられます。
ただ、そのことをお知らせしたく、筆をとりました。

 ご心痛は、いかばかりかと拝察致しますが、どうぞ、お気を強く持ってください。
貴女様は、もう十分に苦しみました。
あの子は、死産だったのです。

 この文は、燃やしてください。
シルヴィア様に、幸せが訪れますように。

  アリア・ルウェンダ

━━━━


 丁寧で、几帳面な文字であった。

 ルーフェンは、この手紙を何度か読み返しながら、その内容について、ぽつぽつと考えていた。
そのまま読み取れば、そう難しい内容ではない。

──あの日私は、ヘンリ村に向かい、彼を捨て去りました。

 つまり、この手紙の差出人であるアリア・ルウェンダという女性が、ルーフェンをヘンリ村に捨てた帳本人である、ということだ。
しかも、堂々と手紙でシルヴィアに知らせているわけだから、当然、シルヴィアの承認の下、ルーフェンを王宮から連れ出したことになる。

(……シルヴィア自身が動くわけにはいかないから、このアリア・ルウェンダという女性に、俺を捨ててくるように命じた……単純に、こういうことか?)

 一度手紙を封筒にしまうと、ルーフェンは、眉を寄せた。
あまりにも単純すぎて、疑わしいという気持ちが拭えない。

 何かの暗号になっているようにも思えないが、そもそも、証拠隠滅のために「文を焼け」と書いてあるのに、何故シルヴィアは、この手紙を燃やしていないのだろう。
わざわざこの手紙を、保管していた理由が分からない。
もしかしたら、この手紙はシルヴィアが作成したもので、こちらを混乱させるために、わざとオーラントに持たせたのではないだろうか。
そんな回りくどい上に見え透いた手、シルヴィアが使うとも思えないが。

 いまいち考えが煮え切らないまま、しばらく床の一点を見つめていたルーフェンだったが、やがて、手元にある呼び鈴を手に取ると、それを振って三度鳴らした。
これは、ルーフェンがアンナを呼ぶときの合図である。

 シルヴィア宛の手紙については、腑に落ちない部分があるが、差出人のアリア・ルウェンダについては、探っていく価値があると思ったのだ。

 ルウェンダ家とは、代々召喚師一族に仕える家系である。
現在、ルーフェンの侍女であるアンナも、ルウェンダ家の生まれだ。
シルヴィアに仕えていたであろう、アリア・ルウェンダという女性──。
名前を聞いたことがないから、おそらくもう王宮にはいないのだろうが、時期を考えると、アリアはアンナの母親か、あるいは祖母にあたる可能性が高い。
彼女のことは、アンナに聞けば、何かわかるだろう。

 十四年前の真実を再確認したところで、何かが変わるわけでもない。
だが、ただの推測が確信に変われば、次期召喚師を捨てたというこの事実は、シルヴィアを陥れる口実の一つにはなるはずだ。

 ひとまず手紙と封筒は懐に隠し、書類の整理を続けていると、しばらくして、扉を叩く音が聞こえてきた。
返事をすると、扉が開いて、アンナがいそいそと入ってきた。

「お呼びでしょうか、次期召喚師様」

 とんとん、と書類をまとめて机の端に追いやると、ルーフェンは頷いた。

「夜遅くに呼んじゃって、ごめんね。俺、夕飯まだ食べてなくて、もし何か余ってたら、持ってきてほしいんだけど」

 少し驚いたように顔をあげてから、アンナは頭を下げた。

「もちろんです、今すぐお持ちしますね」
 
 それだけ行って、アンナは足早に部屋を出ていく。
そして、本当にすぐに盆を持って戻ってくると、座っているルーフェンの前に、深めの椀と木匙を置いた。
椀の中には、温かい肉団子と野菜のスープが入っている。

「どうぞ、お召し上がり下さい。御入り用でしたら、他にも何かお作りいたしますわ」

 張り切った様子のアンナに、ルーフェンは苦笑した。

「いや、これだけで大丈夫だよ」

 そう言って、頂きますと告げて、ひとまずスープを啜る。
今日は朝から、オーラントのことで駆けずり回っていたから、味はもちろんのこと、身体に染みるようなスープの温かさが、とても心地よかった。

 美味しいよ、と一言告げれば、アンナが嬉しそうに頬を綻ばせる。
彼女がずっと立ったまま、こちらを見ているので、一緒に食べないかと誘うと、アンナは、慌てたように首を振った。

「いっ、いえ、そんな。次期召喚師様とご一緒するなんて、滅相もございませんわ」

 ルーフェンは、少し困ったように微笑した。

「そう? まあ、無理にとは言わないけど。でも、そんなじっと見つめられると食べづらいし、とりあえず座ったら?」

机を挟んだ向かいの椅子を示して、座るように勧める。
アンナは、顔を赤くしてルーフェンから視線をそらすと、躊躇いがちに椅子に座った。

 スープを飲みながら、ルーフェンは、さりげなくアンナを見た。
見つめられると食べづらい、という言葉を気にしているのか、アンナは、自分の手元に視線を落としている。

 少し緊張しているのだろう。
伏せられた亜麻色の睫毛は、色白の肌に陰を落として、頻繁に瞬いていた。

 アリアという女性が、どういう人物なのかは分からない。
しかし、目の前で落ち着かなさそうに座っているアンナは、純朴で健気な、一人の少女のように見えた。
少なくとも、悪意を持って何か隠し事をしたり、誰かを騙したりするような人間には思えない。

 ルーフェンは、スープを飲み終えると、空になった椀と木匙を、机の上に置いた。

「……ごちそうさま。急に呼び出したのに、用意してくれてありがとう、アンナ」

 礼を述べると、アンナは表情を緩めた。

「そんな、とんでもありません。最近、次期召喚師様はお忙しくて、お夕飯を私がご用意させて頂くことも少なくなっておりましたから、その……嬉しかったです。もし何かありましたら、いつでもお呼びくださいね」

 椀と木匙を片付けようと、アンナが立ち上がる。
同じように立ち上がると、ルーフェンは、椀に木匙を入れて、それをアンナに手渡した。

 揺れた木匙が、椀の縁にこつんとぶつかって、音を立てる。
その音を聞きながら、ルーフェンは、アンナを見た。

「……ねえ、アンナ。聞きたいことがあるんだけど」

「はい、なんでしょう」

 椀と木匙を受け取ったアンナが、ルーフェンを見上げる。
ルーフェンは、世間話をするような軽い口調で、尋ねた。

「ルウェンダ家は、代々召喚師一族に仕えているんだよね? ということは、俺の母……シルヴィア・シェイルハートに仕えているのも、君の親族なの?」

 アンナは、一瞬だけ言葉を止めて、それから答えた。

「──ええ。その、現在のシルヴィア様は、特定の侍従をお付けになってはおりませんが、以前は、私の母が召喚師様にお仕えしておりました」

 ルーフェンは、無表情になった。

「……そう。もしかして、君のお母さんの名前は、アリア・ルウェンダ?」

 床を叩く音が響いて、アンナが椀と木匙を取り落とす。

「もっ、申し訳ありません!」

 慌てて謝罪し、落ちた椀と木匙を拾いながら、アンナは焦ったように言った。

「私の母は、確かに、アリア・ルウェンダという名です。あっ、私、以前お話したことがあったでしょうか……!」

 明らかな動揺を見せながら、アンナが笑みを向けてくる。
ルーフェンは、もうアンナを探ることもせず、はっきりと尋ねた。

「じゃあ、十四年前、生まれた俺をヘンリ村に連れていったのは、アリアさん?」

 アンナの顔が、はっと強張る。
必死に平静さを取り戻そうと表情を押し殺していたが、やがて、唇を震わせると、その場に土下座をした。

「おっ、お許しください……! お答え出来ません……!」

 ルーフェンは、すっと目を細めた。

「シルヴィアの命令で、ヘンリ村に俺を連れていったの? 何のために? ただ俺が邪魔だっただけなら、生まれた瞬間に殺せば良かったのに、そうしなかったのは何故?」

「お許しください、お許しください……!」

 立て続けに問うも、アンナは、答えようとしない。
ルーフェンは、抑揚のない声で続けた。

「殺すより、貧しいヘンリ村に捨てた方が、俺が苦しむと思った? シルヴィアは、一体何を考えている?」

 アンナは黙って、ひたすら額を床につけている。
その様子からは、ルーフェンに対する怯えが見て取れた。

 ルーフェンは、震えているアンナの肩に、そっと手を置いた。

「……アンナ、顔、あげて」

 おそるおそる視線をあげて、アンナがこちらを見つめてくる。
頬を伝う大粒の涙を、親指で拭って、ルーフェンは優しく言った。

「……君は、アリアさんから何も聞いていない? それとも、知っているけど言えないの? 絶対に話すなって、シルヴィアに脅された?」

 アンナの薄茶の瞳が、大きく揺れる。
ふるふると首を振って、アンナは答えた。

「そっ、そんな言い方、どうぞなさらないで……! 私は、母と約束したのです。召喚師様のお心に寄り添い、私達だけは、常に味方であるようにと……!」

「…………」

 アンナの様子を伺いながら、ルーフェンは、その言葉に眉をしかめた。

 常に味方であるように──。
つまり、シルヴィアのためなら、悪事の片棒を担ごうということだろうか。
寄り添うも何も、生まれた瞬間に子供を捨てるようなシルヴィアの心に、どう同情しようというのか。

 怒りを押し込めて、ルーフェンは、寂しそうに言った。

「……アンナは、俺の味方はしてくれないの?」

「え……」

 アンナの腕を引いて、その身体を腕の中に納める。
腰に手を回して抱き寄せれば、アンナが、途端に仰天して、全身を真っ赤にした。

「じっ、じ、次期召喚師!?」

 あたふたと慌てるアンナを逃さぬように、腕に力を込める。
ルーフェンは、その耳元に唇を寄せた。

「……誰にも言わない。俺をヘンリ村に捨てたのが、本当にアンナのお母さんだったとしても、君はもちろん、アリアさんのことも、罪に問おうとは思ってない。……俺が、十四年前のことを知りたいだけだよ」

 硬直しているアンナに、甘い声で囁く。

「だから、お願い。知っていることを教えて……」

「…………」

 吐息がかかるほどの距離で、声に切なさを交える。
それでもアンナは、頑なに口を閉ざしていた。

 ルーフェンは、焦れた様子で息をはくと、促すように名を呼んだ。

「……アンナ」

 びくり、とアンナの身体が震える。
そうして、何もせずに待っていると、しばらくして、アンナのか細い声が聞こえてきた。

「……シルヴィア様は……ただ、陛下の隣で、召喚師として、在り続けたかっただけなのです……」

 アンナはしゃくりあげながら、ゆっくりと語り出した。

「陛下は、シルヴィア様の召喚師としての力を、お認めになっています。だからこそシルヴィア様は、召喚師の座を誰にも譲りたくはなかった……。ご自分が召喚師でなくなり、陛下からのご寵愛を受けられなくなることを、何よりも恐れていたのです。シルヴィア様は、陛下のことをお慕いしているから……」

 以前、シルヴィアが倒れたとき。
見舞いに来たエルディオを見て、シルヴィアが、安心したように笑っていたことをを思い出す。

 ルーフェンは、低い声で言った。

「だから、生まれた俺が次期召喚師だと分かって、消そうとしたの? 俺が王宮にいれば、いずれ召喚師の地位は俺のものになる。それが嫌で、俺を遠ざけた……そういうこと?」

 アンナが無言のまま、ルーフェンの肩口に額をつける。
ルーフェンは、静かに続けた。

「……だったら、やっぱり殺せば良かったじゃないか。生まれて、まだ自我も芽生えていない内に、俺を殺せば良かった……」

 ルーフェンの暗い声を聞きながら、アンナは、首を振った。

「次期召喚師を殺せば、また次に生まれる子が、召喚術の才を持つ子になるかもしれません。ですが、一度生まれた次期召喚師──つまり、ルーフェン様がどこかで生きている限りは、もう、他の子が召喚術を継ぐことはない……。だから、貴方様を生かしたのです。シルヴィア様の思いに反して、世間は、次期召喚師の誕生を望んでいました。その中で、ずっと苦しんでおられたシルヴィア様は、次期召喚師が生まれてしまうかもしれない恐怖に、もう耐えられなくなっていたのです……」

 ゆっくりと顔をあげて、アンナは言い募った。

「それに……そんな簡単に、殺せるはずがないではありませんか。だってシルヴィア様にとって、ルーフェン様は、お腹を痛めて生んだ我が子なんですもの。シルヴィア様は、ちゃんと、貴方様のことを──」

 慌ててアンナから身体を離すと、ルーフェンは、その場から一歩後ずさった。

 その先の言葉は、聞きたくなかった。
聞いてしまったら、これまでシルヴィアに対して感じてきたこと、思ってきたことの全てが、揺らいでしまうような気がした。

 ルーフェンは、平静を装いながら、なんとか言葉を絞り出した。

「……それで、当時シルヴィアの侍女だったアリア・ルウェンダが、俺をヘンリ村まで連れていった、ってわけか。女性一人で、誰にも見つからずに遠くまで逃げるのは、難しい。その点、ヘンリ村は王都から近いし、反面、王政からは見捨てられたようなごみ溜めみたいな場所だったから、俺の存在を隠すには、ちょうど良かった」

 アンナは、悲しそうに顔を歪ませて、ルーフェンを見つめた。

「私の母は、当然、ヘンリ村に貴方様を置き去りにした後、王宮を去りました。ですがずっと、シルヴィア様のことを案じていました。そして、王宮入りが決まった私に、言ったのです。『いつだって、召喚師様の御心に寄り添って差し上げるように……。召喚師様はきっと、私達では想像もつかないような多くの苦しみに、耐えておられるから』と」

 ルーフェンは、吐き捨てるように返した。

「苦しみに耐えてる? あれが? あんな、何をするにも笑ってるような女が、何に耐えてるって言うのさ」

 アンナの瞳に、哀れみの色が浮かんだ。

「……それは、私や母以上に、次期召喚師である貴方様が、一番お分かりになるのではありませんか……?」

 アンナの瞳から零れ落ちた涙が、床に当たって砕ける。
俯いて、涙声になりながら、アンナは続けた。

「私にとっては、召喚師様も次期召喚師様も、優しくてお強い、国の守護者様に見えます。そんな方々が抱える辛さや苦しみを理解し、その御心を支えることなどできるのか……私は、不安で仕方ありません。それでも、完全に理解することは出来なくても、やはり……想像すると思うのです。シルヴィア様は本当に、ただ純粋に、陛下だけを愛し、そして愛されたかっただけなのだろう、と」

 黙ったままのルーフェンに、アンナは向き直った。

「シルヴィア様は、普通の女性としての幸せを、許されないお立場なのです。それが、どんなに悲しいことか……この苦しみならば、私にも、少しは分かります。愛する陛下との御子は、亡くなったリュート様一人。シルヴィア様は、そのお立場故に、愛してもいない三人の男性と、関係を持たなければなれなかった……。きっと、お辛かったのだと思いますわ」

 アンナは、すがるようにルーフェンに近寄った。

「私は、次期召喚師様に仕える侍女です。母の意思を継ぎ、召喚師様のこともお支えしたいと考えていますが、もちろん、貴方様のお役にも立ちたいと、そう思っています。だから──」

 真摯な眼差しを向けてきたアンナを、ルーフェンは制した。
そして、疲弊した表情で首を振ると、ルーフェンは、微かに息を吐いた。

「……もう、いいよ。分かった」

 力ない言葉に、アンナが、胸の前で手をきゅっと握る。
ルーフェンは、乾いた笑みを溢すと、落ち着いた口調で言った。

「……最後に、一つだけ。陛下以外に、シルヴィアが関係を持った三人の男のこと……。アンナは、知ってるの?」

 三人の男──つまり、ルイスとルーフェン、アレイドの父親のことだ。
シルヴィアは、優れた次期召喚師を生むために、地位や名誉を持つ者だけでなく、優秀な魔導師などとも関係を持っていた。

 ルーフェン自身、本当の父親のことなど、あまり考えたことがなかったし、周囲からそんな話を聞くこともなかった。
だからこれは、八歳になってから王宮入りしたルーフェンにとって、今まで一度も触れずにいた話だ。

 アンナは、こくりと頷いた。

「ええ……存じ上げておりますわ」

 ルーフェンは、微かに目を細めた。

「じゃあ、俺の父親は、誰?」

 アンナは、少し躊躇った後、唇を開いた。

「それは──……」


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