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投稿日:2021年02月24日
* * *
窓の外が、雨に煙っている。
今朝降り出した霧雨は、昼を過ぎる頃には、激しいどしゃ降りになっていた。
道理で冷えるな、と他人事ように考えながら、ルーフェンは、執務机の上で、ぼんやりとアリアの手紙を弄っていた。
昨夜、アンナと話し、シルヴィアのことや、自分の父親が、アーベリトの前領主アランであったことなどを知った。
それ以来、どうにもシルヴィアのことが、頭から離れない。
しかしそれは、これまで感じていた憎しみとは違う。
じんわりと胸の底に巣食うような、茫漠とした虚しさだった。
──……それは、私や母以上に、次期召喚師である貴方様が、一番お分かりになるのではありませんか……?
アンナの言葉が、何度も何度も、頭の中で再生される。
シルヴィアの気持ちなんて、考えたことはなかった。
否、考えたくなかったのだ。
そんなことをすれば、否が応でも、自分とシルヴィアが“同じ”であることを認めてしまう。
ルーフェンは、心のどこかで、自分とシルヴィアは違うのだと思っていたかったのだ。
(……馬鹿らしいな。出会ったときから、同類だと感じ取っていたのに)
苛立って拳に力を込めれば、握っていたアリアの手紙が、くしゃりと音を立てる。
無意識に、見たくないものから目をそらしていたくせに、今まで冷静なつもりでいた己を思うと、自分自身に嫌気が差した。
「…………」
シルヴィアを見るたび、まるで壊れた人形のような女だと、そう思っていた。
いつも同じ表情で、同じことばかり言う、気味の悪い女。
そんな彼女だって、壊れた人形になってしまう前は、ただの人間だった。
結局は自分と同じ、召喚師の名に囚われた、ただの人間だったのだ──。
シルヴィアに対する怒りは、もうどこかに消えてしまった。
一方で、未だに自身の運命を呪い、その運命を強いたシルヴィアを恨む気持ちは、胸の底に沈殿している。
こうして、自分の内側にある負の感情を覗くというのは、他人の醜悪な一面を見るよりも、ずっと息苦しいことのように感じた。
──復讐を正義だと考え、生きてきた私の二十年間を否定するより、リオット族を蛮族として憎み、殺し続ける方が、ずっと楽だったのだ……。
ふと、ノーラデュースで、イグナーツが残した言葉を思い出す。
あの言葉の重みが、今なら分かるような気がした。
もしイグナーツが生きていたら、今のルーフェンの姿を見て、どう思うだろう。
きっと、さぞ哀れで、滑稽だと思うに違いない。
そう考えると、自然と乾いた笑みがこぼれてきた。
(……本当だな。自分が正しいと思い込んで、シルヴィアをただ憎んでいる方が、ずっと楽だった……)
所詮、蓋をあければ、己などこんなものだ。
分かっていたが、そう再認識してしまうと、自分の稚拙さを、まざまざと見せつけられているような気分になった。
握ったせいで、くしゃくしゃになってしまった手紙の文面を、再び読み直してみる。
そうしてぼんやりと考え事をしながら、ルーフェンは、微かに息を吐いた。
(……燃やしたく、なかったんだろうか……)
その皺を、そっと伸ばしながら、目を伏せる。
燃やしてください、と書かれた、アリアの手紙。
それを、シルヴィアは何故燃やさなかったのか、ずっと疑問に思っていた。
だがきっと、深い意味などなかったのだろう。
シルヴィアはただ、燃やしたくなかったのだ。
唯一己に寄り添い、王宮を去ってまでシルヴィアを守ろうとした、アリア・ルウェンダからの手紙を──。
今となっては、そんな風に思えた。
(……こんな話、聞かなきゃ良かった……)
ずきずきと痛む頭を押さえて、嘆息する。
別に、今になって、シルヴィアを忌み嫌うこの気持ちが、消えてなくなったわけじゃない。
しかし、こうして彼女の内面を垣間見てしまった以上、今までと同じ目で、シルヴィアを見ることはできなくなっていた。
手紙を畳み直して、再び封筒にしまいこんだ時。
扉を叩く音がして、一人の侍従が呼び掛けてきた。
「次期召喚師様、王太妃様がお呼びです」
告げられた意外な用件に、思わず眉を寄せる。
しかし、ゆっくりと立ち上がると、ルーフェンは席を立った。
正直、今は何かをする気力もないのだが、王族からの召集に応じないわけにはいかない。
ルーフェンは、上着を羽織ると、迎えの侍従に着いていったのだった。
呼び出されたのは、謁見の間ではなく、バジレットの自室であった。
てっきり、他の重役たちも揃っているのかと思ったが、どうやら今回の呼ばれたのは、ルーフェンだけらしい。
バジレットと二人きりで話す内容など、皆目検討も付かなかったが、不信感を顔に出さぬようにして、ルーフェンは、部屋の中に入った。
「……お呼びでしょうか、バジレット様」
恭しく頭を下げて、返答を待つ。
ゆったりと椅子に腰かけていたバジレットは、飲み物を運んできた侍従に下がるように告げると、自分が座っている向かいの椅子を、ルーフェンに示した。
「よく参った。そこに座るが良い」
「……はい、失礼致します」
言われた通り、ルーフェンが椅子に腰を下ろす。
バジレットは、寒そうに肩掛けをかけ直すと、早速口を開いた。
「そなたとは、一度話してみたいと思っていたのだ、ルーフェン」
目線をあげたルーフェンに、バジレットが目を細める。
ルーフェンは、無表情で答えた。
「人払いをなさったということは、誰にも聞かせられぬお話……ということでしょうか?」
「…………」
ふっと吐息をこぼし、バジレットが薄い笑みを浮かべる。
そうして、椅子の背もたれから微かに身を乗り出すと、バジレットは尋ねた。
「ここには、我らしかいない。正直に述べよ。此度の王位継承者の問題、そなたはどう考える?」
突然切り込まれた話題に、一瞬、口ごもる。
ルーフェンは、慎重に言葉を探しながら、静かに答えた。
「……王都を他の街に移すにしても、シャルシス殿下が次期国王として即位なさるにしても、問題は多いように思います。……シルヴィアが即位するのが……皆の、望みなのでしょう」
当たり障りのない、家臣たちの声をそのまま口にする。
しかし、そう答えると、バジレットは途端に冷ややかな目になった。
「皆ではなく、そなたの考えを申してみよと言ったのだが?」
「…………」
威圧的に返されて、思わずルーフェンが黙りこむ。
バジレットは、ルーフェンを見つめながら、はぁっと嘆息した。
「以前、謁見の間でそなたを見たとき、この次期召喚師は、余と同じものを見て考えている、と思ったのだがな。勘違いであったか。……それとも、やはり実の母の名を汚すのは、憚られるか?」
息が詰まるような衝撃が走って、はっと顔をあげる。
驚いた様子のルーフェンに、バジレットは、ふっと笑った。
「なんだ、その顔は。この国を回しているのは、そなたたち召喚師一族ではないのだぞ」
ルーフェンが、大きく目を見開く。
バジレットは、笑みを消すと、真剣な顔になった。
「今一度、問おう。そなたは、母が次期国王に相応しいと考えているのか?」
「…………」
ルーフェンは、信じられぬものを見るような思いで、バジレットを見つめていた。
シルヴィアに対して嫌悪しているのは、自分だけかと思っていた。
しかし、この口ぶり、態度──バジレットは、シルヴィアの即位を望んでいない。
膝上の拳に力を込めると、ルーフェンは、言った。
「……相応しいとは、思いません。シルヴィア・シェイルハートは……宮廷魔導師、オーラント・バーンズに呪詛をかけ、殺そうとした。ルイスやリュート、アレイド、そしてフィオーナ姫の死も……私は、彼女が仕組んだのではないかと、思っております。……あの、女は……」
つかの間、言うのを躊躇って。
しかし、歯を食い縛ると、ルーフェンは、吐き出すように告げた。
「あの、女は……エルディオ陛下と並ぶ、地位に固執して……。……どこか、壊れてる。次期国王になんて、なってはならない存在です……」
「…………」
降り頻る雨音が、急に強くなった。
バジレットは、しばらく黙っていたが、やがて口の端を歪めると、ルーフェンの前に、一枚の書簡を出した。
巻かれた書簡を留める封蝋印は、王家の紋章を表している。
ルーフェンは、戸惑ったように息を飲むと、顔をあげた。
「これ、は……?」
「開けてみよ。そなたには、見る権利がある」
おずおずと手を伸ばし、書簡を広げる。
ルーフェンは、書いてあった内容に目を通すと、息をするのも忘れて、何度もその文面を読み返した。
書簡に書かれていたのは、『王都と王位を他の街に移せ』という、国王エルディオの意思表明だったのである。
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