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投稿日:2021年02月24日






 ルーフェンが、離宮の最上階にあるシルヴィアの自室に入っても、シルヴィアは、顔を上げなかった。
床に座り込み、寝台に顔を埋めたまま、微動だにしない。

 だが、扉を閉めたルーフェンが、一言声をかけると、シルヴィアは、はっと顔を上げた。

「まあ、来てくれたのね」

 ふわりと微笑んで、シルヴィアが近づいてくる。
シルヴィアは、ルーフェンに手を伸ばすと、その感触を確かめるように、するりと頬を撫でた。

「少し見ない内に、立派になったのね。聞いたわ、召喚師になったのでしょう? おめでとう、ルーフェン」

 左耳の耳飾りに触れて、シルヴィアが言う。
ルーフェンは、険しい表情になった。

「……心にもないことを。どういうつもりですか」

 華奢な手首を掴み上げて、シルヴィアを睨む。
これまでの冷ややかなものとは一変した、不自然な彼女の態度には、嫌悪感しか湧かなかった。

 これまで向けられたことのない、シルヴィアの笑顔や優しげな声。
そのどれもが、偽物にしか見えない。

 ルーフェンに睨まれても、シルヴィアは、笑みを崩さなかった。

「そんな風に怒らないで。私、寂しかったのよ。ルイスもリュートもアレイドも、エルディオ様まで、皆いなくなってしまって……。貴方は、葬儀の時以外、全く顔を出してくれないし……」

 ルーフェンは、顔を強張らせると、乱暴にシルヴィアの手首を離した。

「ふざけるのも大概にしろ! お前がアレイドたちを……王位継承者たちを殺したんじゃないのか!」

 シルヴィアが、一瞬、微笑んだまま硬直する。
ルーフェンは、声を荒らげた。

「お前は、陛下に執着するあまり、国王の正妃たちを殺した。挙げ句、俺が召喚師として即位することを恐れ、次は国王の座を狙い、王位継承者たちをことごとく亡き者にした。そして、その秘密を知ったオーラントさんにまで、呪詛をかけたんだ」

 ぐっと拳を握って、続ける。

「……それだけじゃない。俺の父親を……アーベリトの前領主、アラン・レーシアスを殺したのも、お前じゃないのか。全部、知ってるんだぞ。お前は、俺という存在を隠し通すために、アランを事故と見せかけて殺害した。そして、世間に次期召喚師の誕生を知られないように、十四年前、俺をヘンリ村に捨てた。今朝お隠れになった陛下のことだって、お前がやったんだろう。……違うか? ……違うなら、そう言ってみろ!」

 声が掠れるほどの大声で叫んで、シルヴィアに詰め寄る。
違うと言ってくれたら、いっそ良かったのに。
そんな思いが、心のどこかにあった。

 しかしシルヴィアは、この状況下で尚、狼狽えるどころか、にっこりと笑みを深めた。

「何故、ルーフェンが怒るの……?」

 純粋な子供のように、シルヴィアが瞬く。
瞬間、目を見開いたルーフェンに、シルヴィアは、おかしそうに首を傾げた。

「だって、アランや正妃たちのことなんて、ルーフェンは、顔も知らないでしょう……? バーンズ卿は、亡くなったわけではないのだし、貴方が怒る理由が分からないわ。ルイスやリュート、アレイドのことだって、貴方、散々煙たがっていたじゃない。そうでしょう……?」

 罪から逃れたくて、言っているわけじゃない。
本当に、心から不思議そうに、シルヴィアは言った。

「別に、どうだって良いじゃない。私達に人殺しの宿命を押し付けてくる奴等なんて……。あんな人達、私に殺されて当然なのよ。ねえ、分かるでしょう? 息子たちのことだって、私は、なんとも思っていなかったわ。ルイスも、リュートも、アレイドも……私はきっと、愛してなんていなかった……」

 ルーフェンは、息を詰めると、苦しそうに目元を歪めた。

「……アレイドたちは、お前のことを……慕ってたんだぞ。母親として……」

 微かに、語尾が震える。
爪が食い込むほど強く握られているルーフェンの拳に、シルヴィアは、そっと手を添えた。

「そんなこと、もうどうでもいいの……。だって私には、ルーフェンがいるから……」

 甘く媚びるような、シルヴィアの高い声。

 召喚師を退任し、国王即位の道も絶たれた今、もう彼女は、ルーフェンの地位にすがるしかないのだろう。
ルーフェンの傘下に入ることで、シルヴィアは、まだ自分の居場所を保とうとしている。

 そんな彼女の貪欲さ、必死さを思うと、深い哀れみのようなものが、込み上げてきた。
今更、分かりやすい偽りの優しさを向けられたって、心が動くわけもないのに。

 シルヴィアは、ルーフェンの頭を抱き寄せると、優しく銀髪を撫でた。

「ああ、ルーフェン。おまえは本当に綺麗な銀髪ねえ……。私と、おんなじよ」

 どこか恍惚としたような口調で言いながら、シルヴィアは、ルーフェンの耳元で囁いた。

「昔みたいに、また私と一緒に、離宮で暮らさない? 今日は、そのために貴方を呼んだのよ。皆、皆、いなくなってしまったから、もう、私にはルーフェンしかいないの。お願い、お母さんを、見捨てないで……?」

「…………」

 ふわっと花の香りが鼻孔を擽って、シルヴィアの長い銀髪が、さらりと揺れる。
ルーフェンは、耳にかかっていたシルヴィアの銀髪が、するすると肩に流れていくのを見ながら、じっと黙っていた。

「これまで、冷たくしてごめんなさいね。でも、おまえを愛していなかったわけじゃないの。私とルーフェンは、この国にたった二人しかいない、召喚師の血を引く者……。その証拠に、他の子達はみぃんな弱くて醜いのに、おまえだけは、私にそっくりよ。力まで私にそっくりなんですもの。ねえ、戻ってきてくれるでしょう……?」

「…………」

 声が、出なかった。
溢れてくる様々な感情に、頭の中が支配されて、動くこともできない。
だから、シルヴィアが密かに取り出した短刀が、ゆっくりと背中に迫っていることに、ルーフェンは気づくことができなかった。

「────っ!」

 刃先が、背中の皮膚を擦る。
咄嗟にシルヴィアを突き飛ばし、その細腕から短刀を奪うと、ルーフェンは素早く後ずさった。

 寸前に回避したお陰で、背中の傷は深くない。
だが、微かに走ったその痛みは、ルーフェンの迷いを消し去るのには、十分すぎるくらいの痛みだった。

「……馬鹿みたいにご機嫌取りを始めたかと思えば……。次の狙いは、俺だったんですね……」

 床にうずくまっているシルヴィアを見下ろして、ルーフェンが、短刀を向ける。
恐怖のあまり、いつも目を反らしていた母の姿は、こうして見てみると、思いの外小さく、力も弱々しかった。

「……こんな分かりやすい方法じゃなくて、いっそ、俺にも呪詛をかければ良かったのに……。そんなことも思い付かないほど、貴女は壊れてしまったんですか」

 自分の声が、どこか遠くに聞こえる。
胸の奥は熱くて、ぐらぐらと煮えたぎっているのに、声だけは、ひどく冷たかった。

「……まあ、それ、なあに。やめて、ルーフェン。短刀なんて向けられたら、私、怖いわ」

 シルヴィアが、瞳孔の開ききった目で、ルーフェンを見つめてくる。
立ち上がると、シルヴィアは、まるで短刀など見えていないかのように、微笑んだ。

「ルーフェン……私の、可愛いルーフェン……。お願いよ、私のところに、戻ってきて……?」

 手を広げて、シルヴィアが、徐々に距離を詰めてくる。
だが、ルーフェンが容赦なく短刀を胸元に突きつけると、シルヴィアは、ぴたりと動きを止めた。

「ルーフェン……?」

「…………」

 それでもシルヴィアは、美麗に笑っている。
そんな彼女の銀の瞳を見ている内に、ルーフェンの短刀を持つ手が、微かに震えてきた。

「……貴女、は……」

 呟いてから、ルーフェンは、にじんできた視界に、数回瞬いた。

「……どうしていつも、笑っているんですか……?」

 きつく歯を食い縛って、言葉を紡ぐ。

「どうして……今更、そんな風に俺を見て、俺の名前を、呼ぶんですか……」

 何も映らない、硝子玉のようなシルヴィアの瞳を、見つめ返す。
その動かぬ瞳は、やはり人形のように無機質で、どこか狂気的にも見える。

 シルヴィアは、刃を突きつけられたまま、顔を綻ばせると、ゆっくりと唇を動かした。

「あら、だっておまえは、私の息子でしょう……?」

「──……」

 ぷつりと、何かが切れた音がした。

 力任せに振った短刀を、思いきり、壁に叩きつける。
きん、と鋭い音がして、折れた刃先が、壁から跳ね返った。

 突き上げてきた怒りに身を任せ、魔力を増幅させると、ルーフェンの足元から迸った雷光が、部屋中を駆け巡る。

 文机と寝台は焼け焦げ、崩れるようにして倒れた本棚からは、無数の本が雪崩落ちてきた。
衝撃で割れた窓や花瓶は、壁に当たっては砕け、その破片が、シルヴィアの頬をかする。

 呆然と立っていたシルヴィアは、自分の頬から血が垂れても、抵抗することなく、ただルーフェンを見つめていた。

 そうして、焼いて、焼いて、焼き尽くして。
もう部屋中の物という物が、炭になって燻る頃には、身を蝕む憤怒は、雷光と共にどこかへ抜け出ていってしまった。

 もう、手加減などせずに、壁や床も吹き飛ばして、離宮ごと──シルヴィアごと、破壊してしまおうか。
そんな考えがよぎれば、もはや怒りというより、投げ槍になっている自分に気づいて、虚しさが胸の中に広がった。

「…………」

 怒りも、哀しみも憎しみも、全てを通り越して、ふと、笑みがこぼれた。
目元を手で覆って、乾いた声で、ははっと笑う。
ひとしきり笑ってから、シルヴィアに向き直ると、ルーフェンは言った。

「──ねえ、人には心があるって、知ってますか?」

 シルヴィアの瞳が、わずかに動く。
一度目を閉じて、そして、やはり笑顔になると、シルヴィアは答えた。

「……どうしてそんなことを問うの?」

 ルーフェンは、悲しげに眉を寄せると、薄く笑った。

「……それが分からないなら、多分、お前は人じゃないんだろうな、と思って」

 声の震えを自覚しながら、ルーフェンは、言い募った。

「人じゃないなら、そんなお前の気持ちを考えて、悩んだって……無駄なんだろうなって」

「…………」

 一呼吸すると、ルーフェンは、はっきりと言った。

「お前は、俺の母親じゃない。ただ、血が繋がってるだけだ。同じ人殺しの、召喚師一族……ただ、それだけのこと。……俺は、アリアさんのように、貴女を理解したいとは思えない」

「…………」

 そう言って、黙りこんだシルヴィアの前に、アリアの手紙を置く。
シルヴィアは、少し驚いた様子で口を閉じていたが、やがて、手紙を手にしてその場にうずくまると、突然、声を上げて笑い出した。

「……あはっ、はは、ふふふ……っ」

 いつも浮かべているような、綺麗な微笑ではない。
壊れたように笑いながら、シルヴィアは、静かに言った。

「……そうよ、それだけなのよ……。ただ、血が繋がってるだけ。たったそれだけのことに、私達は一生縛られて、振り回されて、苦しめられる……。どんなに足掻いても、足掻いても、結局私は、逃げられなかった……。おまえも、召喚師の血からは、絶対に逃げられない……」

 浅く呼吸しながら、シルヴィアは、すがりつくようにルーフェンの腕を掴んだ。

「ねえ、今の私、どう見える? 哀れ? 滑稽? 人じゃないというなら、化け物にでも見えるのかしら。私のこと、憎くて、殺したくて、仕方ないでしょう……?」

 シルヴィアの目から、ぽつっと一筋の雫が落ちる。
一瞬、びくりと身体を震わせたルーフェンは、怯えたように腕を引いたが、シルヴィアの手は離れなかった。

「憎いって、そう言いなさい……。私、おまえのことが大嫌いよ。生んだことを、ずっと後悔してきたの。邪魔で邪魔で、心の底から、殺したかった……。だから、おまえもそう言いなさい……。私のことが憎くて、殺意すらあったんだって、お願いだから、そう言って……」

「…………」

 涙を流しながら、譫言うわごとのように呟く。
しかし、その紅色の唇で、にんまりと弧を描くと、シルヴィアは泣き嗤いした。

「召喚師として生まれてしまった以上、今更、もう何をしようったって無駄よ! 前にも言ったでしょう、おまえは、無知で無力だ。だから、今の私の姿を、よく覚えておくといいわ。おまえも、いずれこうなるのだから……!」

 シルヴィアの腕を振り払って、ルーフェンは、部屋を飛び出した。
螺旋階段を降り、本殿の廊下を走り抜け、驚いた様子で声をかけてくる家臣たちにも構わず──。
とにかく、そうしていなければ、頭がおかしくなりそうだった。

 行き先も決めず、移動陣に飛び込んで、ルーフェンは、気がつけば、アーベリトに隣接するリラの森に来ていた。

 深く積もる雪の上を走って、走って。
リラの森を抜け、ふと、雪に足をとられて転ぶと、ルーフェンは、どしゃりと倒れこんだ。

 冷たい雪の水気が染み込んできて、だんだん、指先の感覚が無くなってくる。
同時に、幾分か冷静になってきて、ルーフェンは、日光を反射してきらきらと光る雪原を、ぼんやりと見つめていた。

 こんな風に王宮を飛び出したって、何かが変わるわけじゃない。
召喚師として生きていくことは、もう随分前に覚悟を決めたし、今更、抵抗しようという気も起きない。

──ただ、シルヴィアを見て、その残酷さを改めて実感しただけだ。
どんなに嘆いても、もがいても、もうどうにもならない運命。
召喚師であることを強いられ、その苦痛を飲み込み、耐えて、耐えて、やがて、感情を出すのも嫌になって。
そうしていつか、自分もシルヴィアのような、人形になるのだろうか。

 分かっていた。
最近になって、もう抗うのはやめようと言い聞かせて、何度も納得した。

 自分は、シルヴィア・シェイルハートの血を引く、召喚師一族だ。
たったそれだけのことが、己の全てだ。
その血の繋がりからは、もう逃れられはしない。
そういうものなのだ。
──きっと、そういうものなのだろう。


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