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投稿日:2021年02月24日








 どれくらい、雪の上にそうして寝転んでいたのか。
虚ろな意識のまま、冷えきって動かなくなった指先を見つめていると、ふいに、ざくざくと雪を掻き分ける足音が聞こえてきた。

 小さな影が落ちて、近づいてきた足音は、ルーフェンの目の前で止まる。
仕方なく起き上がると、四、五歳ほどの男の子が、不思議そうにルーフェンのことを見ていた。

「……召喚師、さま……?」

 こてん、と首を傾げて、男の子が尋ねてくる。
少しだけ迷った後、ルーフェンが頷くと、男の子は、ぱっと目を輝かせた。

「すごーい! ほんものだ! ほんものの召喚師さまだー!」

 唐突に興奮し出して、男の子が大声をあげる。
ルーフェンが呆気にとられていると、別の方向から少年がやって来て、男の子を叱り飛ばした。

「モリン! あんまり遠くに行くなって言ったじゃないか!」

 頬を紅潮させ、白い息を吐きながら、十歳前後の少年が駆けてくる。
モリン、と呼ばれた男の子は、はしゃいだ様子で少年に飛び付くと、ルーフェンを指差した。

「みてよ、ユタ兄ちゃん! 召喚師さま、ほんものだよ!」

「はあ?」

 訝しげに眉をしかめたユタだったが、しかし、ルーフェンの方を見た瞬間、目を見開いて硬直する。
モリンは、雪まみれで突っ立っているルーフェンに突撃すると、その手を掴んで、ぐいぐいと引っ張り出した。

「わあ、召喚師さま、手つめたーい! 風邪ひいちゃうよ、いっしょに帰ろー!」

 楽しげに笑いながら、モリンがルーフェンの手を振り回す。
返答に困っていると、顔を真っ青にしたユタが、モリンをルーフェンから引き剥がした。

「馬鹿っ、モリン、失礼だろっ! 申し訳ありません、召喚師様! こいつ、まだ子供で……!」

 慌てて頭を下げて、ユタが謝罪してくる。
ルーフェンは、苦笑すると、ゆるゆると首を振った。

「……いや、大丈夫だよ。気にしてないから」

 穏やかな口調で言うと、ユタが、安心したように息を吐く。
叱られたのだと分かって、どこか不満げにしているモリンを横目に、ユタは、緊張した面持ちで言った。

「あの、もしかして、アーベリトに何か御用ですか? サミル先生なら、さっき孤児院を見回ってたと思うんですが……」

 ユタに言われて、ルーフェンは初めて、ここはアーベリトの近くだ、ということに気がついた。
シルヴィアの元から飛び出して、無意識に、こんなところまで来てしまっていたらしい。
なんとなく、サミルやオーラントに、会いたくなったのかもしれない。

 シルヴィアから逃げてきた自分に呆れつつ、かぶりを振ろうとしたルーフェンだったが、ふと、自分の父アランのことを思い出すと、動きを止めた。
アランを殺したのがシルヴィアである、ということが、先程の離宮でのやり取りで、明らかになった。
この事実は、アランの弟であるサミルにとっても、重要なことに違いない。

 以前話したときのサミルの口ぶりからして、サミルは、ルーフェンの出自を知っているようだった。
だから、アランがルーフェンの父親であることも、口封じのためにシルヴィアがアランの殺害を謀ったことも、もしかしたら知っているかもしれない。
だが、オーラントの容態も気になるし、折角アーベリトまで来たのだから、一度サミルに会って、話しておくべきだろう。
王太妃バジレットへの報告は、それからでも遅くはない。

 ひとまず、沈んだ気持ちを押しやって、ルーフェンは、微笑んだ。

「……うん、そうなんだ。サミルさんに話があるから、良かったら、案内してくれるかな」

「は、はい! もちろんです!」

 ユタが、ぎこちない動きで頷く。
一方のモリンは、嬉しそうに声をあげると、再びルーフェンの手をとった。

「いこう、いこう! こっちだよ!」

 失礼だと怒るユタを振り切って、モリンが、ルーフェンの手を引いていく。
小さくて柔らかい、子供らしいその手は、とても温かかった。

 ルーフェンが連れてこられたのは、アーベリトの街並みを抜けた東端にある、孤児院だった。
なんとなく予想はしていたが、ユタもモリンも、この孤児院の子供らしい。
ユタたちは、上着についた雪を払いつつ、扉を開けて、ルーフェンを中に引き入れたのだった。

 孤児院の中は、思いの外広く、天井から下がったシャンデリアの蝋燭が数本、淡い光を放っていた。
夜になれば、あの全ての蝋燭に、明かりが灯るのだろう。

 室内では、十数人ほどの子供たちが、思い思いに絵を描いたり、玩具で遊んだりしていた。
積雪が多い今日は、大半の子供たちは、職員と一緒に外に出てはしゃぎ回っているらしい。
室内にいるのは、ごく少ない人数のようだが、それでも、ルーフェンにとっては、こんなに沢山の子供を前にするのは、初めてのことであった。

 ユタは、上着を脱ぎながら、近くにいた少女に話しかけた。

「なあ、サミル先生、まだいる?」

「ううん。さっき施療院の方に戻っちゃったけど……」

 ユタと同い年くらいの少女が、ルーフェンの方を気にしながら、首を振る。
ユタは、困ったように息をつくと、ルーフェンの方に振り返った。

「すみません、召喚師様。サミル先生、ここにはいないみたいで……。呼び戻してくるので、少し待っていてもらえますか?」

 そう言って、申し訳なさそうに頭を下げる。
ルーフェンは、表情を緩めると、小さく首を振った。

「……急に押し掛けたのは、俺の方だから。わざわざ呼び戻してもらうのも悪いし、俺が直接、施療院に行くよ」

 ルーフェンが答えると、ユタはぶんぶんと手を振った。

「いやっ、そんなわけには! 外は寒いですし、召喚師様は中で寛いでいて下さい!」

 食い気味に言われて、思わず黙りこむ。
すると、先程の少女が、いそいそと上着を着込みだした。

「それなら、私が行ってくるよ。ちょうど今月分の薬を、施療院に取りに行かなきゃいけなかったし。ついでに、サミル先生を呼んでくる!」

 何やら嬉しそうにルーフェンを一瞥して、少女が走っていく。
その後ろ姿を、ルーフェンが見送っていると、周りをちょろちょろと動き回っていたモリンが、ふと声を上げた。

「ねえ、召喚師さま。せなか、けがしてるよ?」

 はっと目を見開いて、背中に触れる。
今朝、シルヴィアにつけられた傷だ。
大した傷ではなかったから、気にしていなかったが、そういえば、何の手当てもしていなかった。

 ルーフェンは、慌てて微笑んで見せると、背中が見えないように、モリンの方を向いた。

「……大丈夫だよ。ちょっと、引っ掻いただけだから」

 心配そうに、こちらを見つめてくるユタの方も見ながら、誤魔化す。
しかしモリンは、不満そうに唇を尖らせると、ルーフェンを暖炉の前まで連れていって、座らせた。

「お医者さんは、こうするんだよ」

そう言って、玩具箱を漁ると、モリンが聴診器を取り出す。
使わなくなったものを、アーベリトの医師にもらったのだろうか。

 モリンは、ルーフェンの胸に、服越しに聴診器を当てると、ふんふん、と何度か頷いて見せた。

「あまり、よくありませんね。今日は一日、あんせいにしていないとだめですよ」

 医師の真似事でもしているのか、はきはきと敬語を使って、モリンが言う。
当然、聴診器で傷が治るはずもないのだが、その得意気な様子がおかしくて、ルーフェンは、微かに破顔した。

「……お医者さんの真似、上手だね」

 褒めたつもりであったが、モリンは、途端に物足りなさそうな顔になった。

「ちがうよ! こういうときは、ありがとうございます、先生! っていうんだよ!」

「……そっか。ありがとうございます、先生。今日は、大人しくしています」

 ルーフェンが頭を下げると、モリンは、満足そうに笑った。
その裏のない、爛漫な笑顔を見ている内に、ルーフェンも、自然と微笑んでいた。
普段相手しているのが、腹の底の知れない、分厚い仮面をかぶった大人たちばかりだから、こういう純粋な笑顔を向けられるのは、なんだか新鮮である。

 モリンとルーフェンの会話を聞いていたのか、ちらちらとこちらを伺っていた子供たちが、徐々にルーフェンの元に集まり始めた。

「え、召喚師さま?」

「しょーかんしさまだー!」

「本当に髪の毛が銀色だ!」

 一人が声を上げたのを皮切りに、子供たちが口々に騒ぎ出して、ルーフェンを取り囲む。
目を白黒させていると、ユタが焦った様子で、声を張り上げた。

「こら! お前たち、いい加減にしろ! 召喚師様は偉い人なんだから、そんな風に集るな!」

 だが、そんなユタの説教も空しく、子供たちは、実に楽しそうに笑っている。
見たところ、子供たちは大体五、六歳程度で、今いる中では、ユタが最年長のようだ。

「召喚師さま! しょーかんじゅつ、見せてよ!」

「王宮って、どんなところ?」

「これあげる! さっき、私が作ったんだよ!」

「私も! これあげる、折り紙のお魚さん!」

 思い思いに話しかけてくる子供たちに戸惑いながらも、その一つ一つに、なんとか返事をしていく。
ルーフェンは、女の子が差し出してきた折り紙を受け取ると、顔を綻ばせた。

「ありがとう、もらっていいの?」

 二人の女の子は、互いに顔を見合わせると、こくりと頷いた。

「いいよぉ、だってお父さんが、ルーフェンさまには感謝しなさいって、言ってたから!」

「アーベリトの恩人だって、言ってたもん。ねー!」

「…………」

 リオット病の治療法の需要をあげて、アーベリトの資金援助をしたことを言っているのだろうか。
前にサミルが、孤児院の修繕が出来たのだと語っていたことを思い出しながら、ルーフェンは、折り紙を見つめた。

 子供とはいえ、リオット族の一件以降に、アーベリトの町民たちの声を聞くのは、初めてだ。
シュベルテの人間たちはともかく、こうしてサミルやアーベリトの者達が喜んでくれるなら、多少無茶をしてでも、成し遂げられて良かったと心から思った。

 つかの間、黙りこんでいると、今度は男の子が、絵本を持って走り寄ってきた。

「ねえねえ、召喚師さまー! これよんでー!」

 差し出してきた絵本を受け取りつつも、どうするべきか迷って、ルーフェンが口ごもる。
すると、再びユタが割り込んできて、絵本を奪い取った。

「だから、召喚師さまを困らせちゃ駄目だってば! 召喚師さまは、お前たちの相手をしにアーベリトに来たんじゃないんだから!」

「えー、でも、ユタ兄ちゃんじゃよめないじゃんか!」

 不服そうな男の子に、ユタは厳しく言った。

「でも、じゃない! とにかく召喚師様は、こんなこと頼んで良いお方じゃないんだよ! 頼むなら、お父さんに頼め!」

 それだけ言って、男の子に絵本を返す。
まだ物言いたげな男の子を無視して、ユタは、群がっている子供達を追い払った。

「ほら、お前たちも、何かしてほしいならお父さんに頼むんだ! 召喚師様の前で、騒がしくするなよ!」

 渋々といった様子で、子供たちが離れていく。
先程までは好き勝手騒いでいたが、ユタに本気で怒られるのは怖いのだろう。
流石の子供達も、大人しくなった。

 ルーフェンは、微かに笑うと、ユタを見た。

「ユタくん、だっけ。君は偉いな、皆のお兄さんなんだ」

ユタは、少し照れ臭そうな表情になった。

「ここにいるのは、チビばっかりだから、俺がしっかりしないと。まあ大変なことも多いけど、賑やかなのは嫌いじゃないんです。まるで家族が出来たみたいに思えるから……」

「…………」

 十の子供とは思えない、しっかりとした口調で、ユタが言う。
その照れ笑いを、ルーフェンが見つめていると、膝にしがみついていたモリンが、今度はユタの方にすり寄った。

「ねえー、ぼくにも本よんでー」

「だから、お父さんが帰ってきたらな」

「おとーさん、いつ帰ってくるのー?」

 不機嫌そうに眉を曇らせて、モリンが項垂れる。
ユタが、やれやれといった様子で、ため息をついた。

 そんな彼らを眺めながら、ルーフェンは、ふと尋ねた。

「ねえ。その、お父さん、って?」

 ユタや他の子供達が、度々口にする『お父さん』という言葉。
しかし、この孤児院にいる子供達には、親はいないはずである。

 お父さん、というのが誰を指す言葉なのか、気になって尋ねてみると、ユタは、ああ、と頷いて答えた。

「すみません、ご説明していなくて。お父さん、っていうのは、サミル先生のことです」

 ユタは、幼い子供達に聞こえないように、小声で言った。

「ここの子供達には、親がいません。捨てられたとか、戦や病で亡くしたとか、理由は色々ですが、中には、それがまだ理解できていない子もいるんです。特に、まだ小さい連中は……。モリンも一時期、夜になると、お父さん、お母さんって、ずっと泣いていたんですよ」

 ユタは、微かに目を伏せた。

「そうしたらある時、サミル先生が、言ったんです。『私のことを、お父さんだと思えばいい』」

「…………」

 ルーフェンは、黙って聞いていた。

「『血が繋がりなんて、関係ない。私は、君達を本当の子供のように思っている。だから君達も、私のことを、本当のお父さんだと思えばいい。これから、一緒に頑張っていこうね』って」

 どこか嬉しそうに笑って、ユタは言った。

「それ以来、皆、サミル先生のことを、お父さんって呼んでるんです。俺は別に、本当の両親のこととか理解できてますし、恥ずかしいので、先生、って呼んでますけど……」

 そこまで言って、ユタは、言葉を止めた。
慌ててルーフェンに駆け寄ると、ユタは、焦ったような表情になった。

「召喚師様、すみません! 俺、何かお気を悪くされるようなこと、言いましたか……?」

 おろおろと手をさまよわせて、ユタが顔を覗き込んでくる。
その時ルーフェンは、初めて、自分が泣いていることに気づいた。

「…………」

 大丈夫、と答えようとするも、途端、止める間もなく、涙がこぼれ落ちてくる。
意思に反して、どんどんと溢れ始めた涙は、拭っても拭っても、止まらなくなった。

「召喚師さま、せなか、いたいの?」

 心配そうな声で、モリンが話しかけてくる。
しかし、何か言おうにも、嗚咽しかこぼれない。
ルーフェンは、ただ俯いて、首を振ることしかできなかった。

 血の繋がりなんて、という言葉が、不思議なくらい心に響いた。
自分はきっと、召喚師一族の血から逃れられない。
そう無理矢理納得して、言い聞かせて作った強固な壁が、ぐらぐらと揺れているような気がした。

 本当の両親の愛情を受けられずとも、居場所を見つけ、優しく笑っているこの孤児院の子供たちが、ひどく、眩しく見えた。

「──……っ、ぅ」

 腕で顔を覆うと、ルーフェンは声を漏らして泣き始めた。
驚き、心配して寄ってきた子供たちに、何か答えなければ、と思うのだが、喉が震えるばかりだった。

 こんな風に激しく泣いたのは、八歳で王宮入りして以来、初めてのことであった。

 やがて、先程の少女が、サミルを連れ帰ってきても、ルーフェンは、何も言えなかった。

 サミルが、本当は自分の叔父であったこと。
孤児院を、改めてちゃんと見たこと。
シルヴィアや、アランのこと。
話したいこと、言いたいことは沢山あるのに、サミルの温かい手が背中に触れると、余計に涙が溢れてきた。

 サミルは、しばらくそうして、何も聞かず、ルーフェンの背中をさすっていてくれたのだった。


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