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投稿日:2021年02月24日





 背筋にざわめくような寒気を感じながら、ルーフェンはバルコニーから遠ざかった。

 シルヴィアの笑顔は、相変わらず気味が悪い。
人々は彼女を美麗だと讃えるが、なぜその美麗さの奥に恐怖を感じないのか、ルーフェンは不思議でならなかった。

 時間が流れることを知らないかのように、いつまでも若く、変わらぬ姿の女。
瞳には何も映さず、微笑む以外の表情は一切浮かべない女。
まるで、精巧に作られた人形のようじゃないかと、ルーフェンは思う。

 鼓動が速くなり、胸が苦しくなってきた。
今にでもこの広間を抜け出して、自室に戻りたいと思ったが、流石にそういうわけにはいかない。

 後ろを見て、シルヴィアとアレイドの元から十分に距離をとったことを確認したとき。
前を見ていなかったせいで、ルーフェンは、どんっと何かにぶつかった。
その衝撃で我に返って前を向くと、目の前には上品な口髭を蓄えた、中年の男が立っていた。

 そのすぐそばに、先の少女──ロゼッタが寄り添っているのを見て、ルーフェンは、すぐにこの男が彼女の父、ハーフェルンの領主クラーク・マルカンであることを思い出した。

「おお、次期召喚師様ではありませんか」

 葡萄酒の入ったグラスを片手に、クラークは快活な様子で言う。
ルーフェンは、悟られぬ愛想笑いを浮かべると、一歩さがって畏まった。

「……申し訳ございません。私の、前方不注意だったようで」

「いやいや、とんでもない。こうしてお会いすることが出来たのだ、光栄の至りに存じますぞ」

 クラークは、大袈裟に手を広げて、歓迎の意を表した。
すると、彼の声につられるようにして、周りから人が集まってきた。

 皆、各街の領主や貴族というだけあって、それぞれ煌びやかで上品な身なりをしている。
しかし、途端に周囲に充満する香水のきつい匂いが、ルーフェンにとっては不快だった。

「聞きましたぞ、次期召喚師様。なんでも、魔術で大変優秀な成果を残されているのだとか」

「いえいえ、魔術だけでなく、文武共に秀でていらっしゃるとも」

「これで、サーフェリアの未来に憂いはありませんわ」

「何せ、次期召喚師様はたった八歳で召喚術を成功させたのだから」

「次期召喚師様がいれば、サーフェリアはこれからも安泰ね」

 口々に称賛の言葉をかけてくる人々を、まるで蠢く絵のように感じながら、ルーフェンはその一つ一つに笑顔で応えた。
その一方で、胸の中にはどす黒い感情が沸き起こってくる。

──次期召喚師様!
──次期召喚師様!
──次期召喚師様!

──どうか、この国を守って。
──どうか、お願いします。
──どうか、どうか……。

 破れ鐘のように頭を廻る、声。

 思わず耳を塞ぎたくなるようなこの声を、王宮に入ってから、ルーフェンは何度聞かされたことだろう。
全て、世の真実を見ようとしない、無知な愚か者どもの戯言だとしか、思えなかった。

 無意識の内に、ルーフェンの拳に力が入った。

(……サーフェリアなんて、どうでもいい)

 こうして波風立てまいと笑顔で対応しているのは、刹那的に己の居場所を王宮内に作っているだけだ。
今、ここで宮殿を追い出されたら、自分には他に行く宛などないのだから。
別に居場所さえあれば、すぐにでも本音をぶちまいて、こんな牢獄のような場所、出ていってやるのに。
そう心の中で毒づきながら、ルーフェンはただ、下心の滲む人々の言葉に、耳を傾けていた。

 サーフェリアの平和、安定。
それを守るべき召喚師の運命、役割。
そんなものを果たす義理はないし、興味もない。

(俺は、絶対に召喚師になんか、ならない……!)

 シルヴィアを初めて見たときから、心に居座り続けている、この強い思い。
だがそれ以上に、召喚師を縛る鎖が強いことを、ルーフェンはまだ知らなかった。



 自室に戻り次第、倒れこむように眠りについたルーフェンは、明け方に一度目を覚ました。
ふと自分の格好を見てみれば、まだ晩餐会用の正装を着たままでいる。
道理で窮屈なはずだと納得して、ルーフェンは部屋着に着替えた。

 窓を開けると、ひんやりとした空気が部屋に流れ込んできた。
同時に、早朝とは思えぬ喧騒が、微かに耳に入ってくる。

 こんな早くに、何かあったのだろうかと部屋を出ようとすると、扉に手をかける前に、こんこん、と外側から扉を叩く音が聞こえた。

「次期召喚師様、朝早くに申し訳ございません。少々よろしいでしょうか」

 侍女の、アンナの声だった。

 ルーフェンは、返事をする代わりに扉を開くと、眼下で控えるアンナを見た。

「……なに?」

「あの……召喚師様が、お倒れになって……」

 アンナは少し慌てた様子で言ったが、ルーフェンは至って落ち着いていた。
ただ冷静に、だから先程から騒がしいのか、と頭の中で結論付ける。

「今すぐ、離宮の方にお越し下さい。ルイス様方も、既に集まっていらっしゃいますので……」

 ルーフェンは、離宮の方に視線をやった。
召喚師の家系は、本来離宮で寝食しているのだが、ルーフェンだけは、離宮に近い本殿のこの部屋を自室としている。
これは、ルーフェン本人の希望で、最近移したものであった。

 ルーフェンは、小さく溜め息をついた。

「……行かない。俺が行ったって、どうにもならないでしょ」

 淡白に答えると、アンナはすがるようにルーフェンを見た。

「お母上様が、お倒れになったのですよ? 次期召喚師様が傍に居てくだされば、召喚師様もきっとご安心なさいます」

「…………」

 力説するアンナを横目に、再度溜め息をついて、ルーフェンは上着を羽織った。

 ルーフェンが近くにいれば、シルヴィアが安心するなどということは、まずあり得ないだろう。
だが、そんなことをアンナに言っても、仕方がないと思った。

 王宮内には、ルーフェンとシルヴィアの間に深い亀裂があることを、よく理解していない者も多い。
アンナも、ルーフェンの世話をすることが主な侍女だったが、その内の一人だった。

 しかし、だからといって、ルーフェンはこの気持ちを理解してほしいとは思っていなかったし、またシルヴィアも、不仲なことを表に出すつもりはないようだった。

(……どうせ、またいつもの理由だろ)

 シルヴィアは、最近体調を崩すことが多く、こうして呼び出されることは度々あった。
だから、今回もその類いだろう。

 そう淡々と考えながら、アンナを連れて部屋を出る。

 空には、見渡す限りの曇天が広がっており、大気は思ったよりもずっと冷え込んでいた。

 既に来ていたルイスやリュート、アレイドも、不安を隠せない様子で、寝台の脇に立ち尽くしていた。
確かに、今回はいつもよりも体調の崩し方が深刻なようだ。
アンナが必死にルーフェンを呼びに来たのも、頷ける。

 ルーフェンが部屋に入ってくると、気づいたアレイドが近寄ってきて、小声で言った。

「昨晩、晩餐会が終わった時から具合が悪かったみたいなんだけど、今朝侍女が様子を見に来た時から、声をかけても眠ったまま起きないんだ……」

「……そう」

 ルーフェンは、入ってすぐの壁際に寄り掛かると、短く返事をした。

 シルヴィアの腕をとり、脈を確かめている宮廷医師に、リュートが苛立ったように言った。

「おいレック、早く治療をせぬか。先程から、何もしていないではないか!」

 年老いた宮廷医師は、首を横に振った。

「これ以上は、何も……。召喚師様は今、体内の魔力が急激に減少している状態にございます。ちょうど今は、召喚術の才が次期召喚師様に遷っている時期なのかもしれません。とすれば、ただ回復を待つしか……」

 その瞬間、宮廷医師に集中していた視線が、ルーフェンに注がれる。
ルーフェンは、居心地が悪そうに眉を寄せて、低い声で言った。

「……俺のせいだと、言いたいんですか」

 ルーフェンの問いに、返事をする者はいない。
しかし、この不穏な空気を払拭せねばと焦ったのか、宮廷医師が慌てて立ち上がった。

「いっ、いいえ! この現象は必ず、起こるべくして起こることなのです。召喚術の才が遷るということは、召喚師様のお身体に大きな負荷がかかるということ。歴代の召喚師様にも、こういった体調不良は当然ございました。決して、次期召喚師様のせいなどということは──」

「そうだとしても、今回の母上の衰弱ぶりは異常だ。事態の責任の追及など、どうでもいい。今は母上の回復を考えるべきでしょう」

 宮廷医師の言葉を遮って発言したのは、長男のルイスだった。
その鋭い声音に、アレイドやアンナは、思わずびくりと顔をあげる。

 ルイスは、とん、と手を額に当てて目を閉じると、やがて何か思い付いたように口を開いた。

「ルーフェン、母上に魔力を送って差し上げることはできないのか。お前の魔力の波長が、母上のものに一番近い。拒絶反応も起きないだろう」

「…………」

 再び全員の視線を受けて、ルーフェンはぐっと黙りこんだ。

 魔力とは、その発現に得手不得手はあるものの、人間や精霊族ならば誰もが持っている体内のエネルギーのようなものである。
その波長は一人一人違うため、他人に自分の魔力など流し込めば、本来は拒絶反応を起こしかねないのだが、血族間の波長が似た者同士であれば、魔力の貸し借りも出来る場合が多かった。

 そして、シルヴィアとルーフェンの場合でも、それはおそらく可能なことで、もし成功すれば魔力量の増加、回復が望める。
仮に、そのせいで魔力の乱れが生じたとしても、シルヴィアはランシャムの魔石から作られた耳飾り──代々召喚師に伝わる緋色の耳飾りを身に付けているから、問題はないはずであった。
この耳飾りには、魔力量を制御する効力があるのだ。

 シルヴィアに触れることはあまりしたくなかったが、ここで拒否すれば周囲の反応が面倒である。
ルーフェンは、ごくりと唾を飲むと、ゆっくりとシルヴィアの白い手に、腕を伸ばした。
すると、その時。
 
──殺せ……!

 突然、頭に声が響いて、ルーフェンは弾かれたように後ろに飛び退いた。

──我に力を与うる、血肉を捧げよ……。
──殺せ……!
──殺せ……!

 脳内にこだまする恐ろしい声に、耳を塞いでしゃがみこむ。
同時に蘇った六年前の記憶に、ルーフェンの全身から脂汗が噴き出した。

(あの時の……! ヘンリ村で聞こえてきた声……!)

 全てを引き裂く雷鳴と、灰になった村。
それを、ただ呆然と、けれど確かに見ていた自分。
今なお鮮明に思い出される光景に、ルーフェンは浅い呼吸を繰り返しながら、身体を震わせた。

「おい、どうした?」

 声をかけてきたリュートを、蒼白な顔で見上げると、ルーフェンは言った。

「で、できない……」

「……なんだと?」

「触れようとすると、声がするんだ……! この声は聞いちゃいけない! 絶対に悪いことが起こる……!」

 普段物静かなルーフェンの錯乱した様子に、その場にいた全員が、一瞬言葉を失った。
だが、リュートはすぐに眉をしかめると、ルーフェンの胸ぐらを掴んで立たせ、怒鳴った。

「できないってどういうことだよ! まだやってもいないだろ! 早く母上に魔力を──」

「うるさいっ!」

 銀色の眼が、強くリュート睨み付ける。
ルーフェンは、自分より一回り大きなリュートの身体を押し退けると、大声で叫んだ。

「大体、魔力の受け渡しなんて成功する訳ない! 俺は、この人の息子じゃないんだから……!」

「なっ、お前、まだそんなこと言って……!」

 ルーフェンは、横たわるシルヴィアを指差した。

「俺じゃない! この人が言ってんだろ! 息子じゃない、息子じゃないって、馬鹿の一つ覚えみたいに! いっつもこいつが、俺を拒絶してるんだ!」

「────っ!」

 途端、リュートは、怒りに任せてルーフェンを殴り付けた。
だんっ、と音を立てて、ルーフェンが激しく壁に叩きつけられる。
それでも、怯むことなく睨み付けてくる銀色の眼に、リュートの怒りは益々増幅した。

「黙れ! 母上を侮辱するな! お前がそんな風だから、母上だって息子と認めたくないんだろう……! 召喚術の才が歴代に比べて優れてるんだか知らんが、調子に乗るなよ!」

「二人とも、いい加減にしないか」

 落ち着きつつも、静かな迫力が感じられる声に、リュートは押し黙る。
しかし、まだ納得がいかないと言った様子の彼に、ルイスは一つため息をつくと、次いで壁際でうずくまっているルーフェンを見下ろした。

「ルーフェン、声とはなんのことを言っている。分かるように説明してくれ」

「…………」

 ルーフェンは、口の端に滲んだ血を拭うと、リュートを一瞥してから、ルイスを見た。

「知らな……知りません。ただ、何かが私に、殺せ殺せと語りかけてきました。あれは、王宮に来る前にも聞いたことがあります。おそらく……」

「……おそらく?」

「……いえ、なんでもありません」

 ルイスから視線を反らして、ルーフェンは口を固く閉じた。

 おそらく、身の内の悪魔の声です。
こう答えることは、ルーフェンには出来なかった。
否、したくなかった。
あれを悪魔の声だと認めれば、召喚術の才が己の内にあると、認めているようなものだからだ。

 息子ではないと繰り返す母親と、召喚師にはなりたくない自分。
真実がどうであれ、この二つの条件が揃っているなら、いっそ自分は本当にシェイルハート家の子ではないということにして、召喚師を継がなければいいと、ルーフェンは考えていたのだ。

 不意に、「失礼いたします」と外から侍従の声がして、扉が開かれた。
そうして部屋の中に入ってきたのは、国王のエルディオ・カーライルであった。

 一斉に頭を下げた皆に対し、顔をあげるように指示を出すと、エルディオは悠然とシルヴィアの寝台に近づいていく。
筋骨隆々とした大柄な身体に、更に分厚い毛皮のマントを纏ったその姿は、さながら熊を思わせた。

「……シルヴィア」

 エルディオがそう声をかけると、眠っていたシルヴィアが、ゆっくりと瞼を上げた。

 シルヴィアは、まだ夢見心地な様子で、慌てて近寄ってきた息子達や宮廷医師、そして最後にエルディオを瞳に映すと、柔らかく微笑んだ。
 
「ああ、エルディオ様……」

 すっと手を伸ばして、エルディオの頬に触れる。
エルディオは表情を変えず、返答することもなかったが、それでもシルヴィアは、幸せそうな表情をしていた。

 ルーフェンは、それらを遠巻きに見ながら、放心して立っていた。


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