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投稿日:2021年02月24日






 いつの間に眠っていたのだろうか。
座った姿勢のまま、寝台の上でびくりと顔をあげると、トワリスは辺りを見回した。

 瞼が腫れたように重くて、頭の中もぼんやりしている。
先程散々泣きじゃくったせいで、涙を擦った跡が、ひりひりと痛んだ。

(……お母さん……)

 顔さえ浮かばない母を思って、ぎゅっと唇を噛む。

 幼い頃に引き離されてしまったから、母のことは、ほとんど覚えていない。
ミストリアから渡ってきた、人狼族であったことも、どんな言葉を残していなくなったのかということも、全て人伝に聞いた話だ。
それでも、母と再会することだけが、トワリスにとっての生きる糧だった。

 獣人の血が入っていると聞けば、皆、奇異の目を向けてくる。
腕をきつく縛られ、強固な足枷を嵌められれば、もう抵抗することもできない。

 ここは人間の国、サーフェリアだ。
獣人の居場所などないこの国で、きっと、母も同じ目に遭っている。
だからこそ、再会すれば、この痛みが分かち合えると思った。
身を寄せあって、二人、どこか遠くに逃げられないか──そう夢を見たこともある。

 そんな夢物語は、ルーフェンと名乗るあの少年の言葉で、打ち消されてしまったけれど。

(……あの人、また来るのかな……)

 宮棚に置いてある手燭の炎を眺めながら、ふと、先程までこの場にいた銀髪の少年を思い出す。
身なりや、周囲からの敬われ方からして、恐らく身分の高い人間なのだろうが、なんとも不思議な雰囲気の少年であった。

 最初は、全てを見透かすようなあの銀の瞳が、怖いと思った。
彼だけではない。
寝台を取り囲んで、見下ろしてくるこの屋敷の者達全員が、恐ろしくて仕方がなかった。

 しかし、この屋敷の人間たちには、トワリスに暴力を振るったり、鎖で繋ぎ止めようとする者は、誰一人としていない。
それどころか、傷の手当てをしたり、温かい食事を与えようとしてくる。

──周り、見て。……ここには、君を助けようとしてる人が、沢山いるよ。

 あの銀髪の少年が、はっきりとそう言っていた。
単に物珍しいから捕まえた、というわけではなく、本当に助けようとしてくれているのだろうか。

(私、を……?)

 手首の包帯や、薄くなってきた脚のあざを擦りながら、トワリスは、小さく息を吐いた。
そういえば、身体を蝕むような鈍い痛みも、腹にあった重石のような違和感も、今はほとんど感じない。
ここ何日も眠ってばかりいたから、気づかなかったが、確かに、全身の傷が治り始めている。

(──何日、も……?)

 その時、ふとそんなことを思って、トワリスは顔を強張らせた。
はっと窓の外を見て、硬直する。
トワリスは、徐々に明るみを帯びてきた夜空を見て、自分が何回目の夜を迎えたのか、必死に思い出そうとした。

(私、何日ここにいるんだろう……?)
 
 錆びた足枷を叩き壊して、その隙に、“あの場所”から逃げ出してきた。
けれど、それから一体、何日経ったのだろうか。

 逃げて、雨の中を走って、走って。
あまりの寒さに、脚が動かなくなったから、人気のない骨組みばかりの建物に隠れて、震えていた。
だけど、あの夜は風が強かったから、煽られた建物が急に傾いて、崩れてきて──。
──目を開けたら、あの銀髪の少年がいた。

 そう、あれから、どれくらいの時間が流れたのか。
“あの男”は、今頃怒り狂いながら、自分を探しているかもしれない。
そう思うと、息苦しいほどの恐怖が襲ってきた。

(どうしよう、帰らなきゃ……!)

 無断で逃げ出した上、何日も行方をくらましたのだ。
早く戻らなければ、どんなきつい仕置きをされるか分からない。

 トワリスは、慌ててルーフェンが巻いてくれた手首の包帯を引き剥がすと、それを寝台の上に捨てた。
こんな綺麗な屋敷に匿われて、手当てをされていたなんて知られたら、きっと余計に怒られてしまうからだ。

 焦りと混乱で、呼吸が荒くなる。
激しく喘鳴しながら、トワリスは手首の傷をかきむしると、思いっきり、噛みついた。

「……っ」

 鋭い痛みと共に、温かい液体が流れ出て、血臭が鼻をつく。
同時に、濃い顔料の匂いが蘇って、トワリスは、込み上げてきた吐き気に顔を歪めた。

(帰らなきゃ、帰らなきゃ……!)

 転がるようにして寝台から降り、部屋を見回す。
扉に近づこうとして、けれど、外に誰かの気配を感じると、トワリスは踏みとどまった。

 確か、眠る前にルーフェンが、この部屋の近くに必ず誰かいるようにする、と言っていた。
きっと、その言葉通り、扉の外には誰かがいて、トワリスが部屋から出ないか見張っているのだろう。

(見つかったら、捕まる……)

 物音を立てぬよう、そっと踵を返して、窓に手をかける。
窓を開ければ、冷たい夜明けの風がすうっと部屋に入り込んできて、トワリスはぶるりと身震いした。

 窓から顔を出し、広がる庭園を見回してみる。
今のところ、誰かが動く物音はしない。
耳を澄ませ、注意深く周囲を探りながら、トワリスは、しばらく外の薄闇を凝視していた。
だが、やがて窓から下を覗きこみ、地面までの距離を目測すると、身を乗り出した。

(二階……そんなに、高くない)

 ふっと息を吸って、窓枠に足をかける。
トワリスは、最後に振り返って、寝台の宮棚に置かれた手燭を一瞥すると、窓枠を蹴ったのだった。


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