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投稿日:2021年02月24日




 

  *  *  *


「は? あの子がいなくなった?」

 ロンダートの報告を受けて、ルーフェンは眉を寄せた。
ロンダートは、青ざめた顔で深々と頭を下げると、早口で言った。

「いやっ、その、さっき目が覚めて、なんとなーく部屋を覗いたら、もういなくなってて! 俺、ずっと扉の前にいたんですよ!? 召喚師様に言いつけられた時間から、片時も離れなかったんです! 本当に!」

「さっき目が覚めて、って……ロンダートさん、どうせ居眠りしてたんでしょう」

 ルーフェンの指摘に、ロンダートがはっと口をつぐむ。
ルーフェンは、呆れた様子でため息をつくと、ロンダートの横をすり抜けて、トワリスを寝かせていた自室に向かった。

 昨夜、トワリスと話した後、ルーフェンは、仕事のことでサミルを訪ねなければならなかった。
だから、何かあった時のためにと、夜番で屋敷を警備をしていたロンダートに、トワリスの部屋の近くにいるようにと申し付けたのだ。

 しかし、当のロンダートは、警備中に朝まで居眠りをしていて、トワリスが部屋から抜け出したことに気づかなかったのだという。
元来抜けた男だと思ってはいたが、まさか、ロンダートのうっかりとトワリスの逃亡が、運悪く重なるとは思わなかった。

 自室の扉を開けると、ロンダートの言う通り、トワリスはいなくなっていた。
寝台は荒れ、床には点々と乾いた血が散っており、部屋の窓は全開になっている。
彼女が窓から抜け出したのだろうというのは、火を見るより明らかであった。

(……ロンダートさんに警備を頼んでから、二刻が経ってる。まだ怪我も完治していないし、そんなに遠くまでは行ってない、と思いたいけど……)

 悩ましげに目を伏せて、寝台を見つめる。

 そう思いたいが、何しろトワリスは、獣人混じりだ。
初めて出会ったときも、傷だらけの状態でルーフェンより速く走っていたし、ひとっ跳びで民家の屋根まで駆け上がっていた。
遠くまでは行っていないだろうと高を括って、手当たり次第に周囲を探しても、トワリスを見つけられる気がしない。

 燃え尽きた手燭や、昨夜ルーフェンが渡した、魔法陣の描かれた用紙。
そして、寝台に放置されている、血のついた包帯。
それらを眺めながら、トワリスの行方を考えていると、後ろから着いてきたらしいロンダートが、今にも泣きそうな声で言った。

「うぅ……本っ当にすみませんでした! だってだって、逃げるにしても、あんな小さな女の子が、窓から飛び降りるとは思わなかったんですよぉ。ここ、二階ですし! 確かに居眠りしちゃってたのは認めますけど、扉の前にはいたし、その、トワリスちゃん? でしたっけ。あの子に何かあったら、すぐに動けるはずだったんです!」

「…………」

 弁明を無視して、ルーフェンが物思いしていると、ロンダートがみるみる絶望したような表情になった。

「しょ、召喚師様ぁ……お、俺、首ですか? シュベルテで聞いたんです……召喚師様のご機嫌損ねたら、職を追われるって。そ、それとももっと重い……まさか、ざ、斬首とか!?」

 一人で縮み上がっているロンダートに、ルーフェンは、煩わしそうに答えた。

「ロンダートさん、うるさい。そんなことしないから、さっさと探すの手伝って」

「はっ、はひ!」

 裏返った声で、ロンダートが敬礼する。
ルーフェンは、そんなロンダートを横目に見てから、窓の外を見下ろした。

 ルーフェンの自室は二階だから、普通の少女なら、飛び降りようなんてことは考えないだろう。
縄や布を使った形跡もないし、地面まで伝っていけるような木もない。
だがトワリスなら、これくらいの高さ、簡単に飛び降りることができるはずだ。

(窓から飛び出したとして、問題は、どこに行ったか……だな)

 トワリスが手首に巻いていたはずの包帯を見つめながら、ルーフェンは、微かに目を細めた。
昨夜の様子からして、トワリスは、母親の死にかなり衝撃を受けていた。
他に行く宛なんてないだろうし、もしかしたら彼女は、母親を探しに行ったのかもしれない。

 ルーフェンは、早足に部屋を出ると、屋敷の正門へと続く長廊下を歩き出した。

「とりあえず俺は、シュベルテに行って、報告書にあった奴隷商について、詳しく聞いてみます。トワリスちゃん、もしかしたら母親を探しに出たのかもしれない。あの子が、母親を捕らえていた奴隷商の拠点なんて把握しているか分からないけど、知っていたとしたら、そこに向かっている可能性が高い。ロンダートさんは、自警団員何人か連れて、周囲を探してください。……獣人混じりの子供なんて、見つかったら大騒ぎになる」

「わ、わかりました……!」

 ルーフェンの真剣な顔つきに、思わず息を飲んで、ロンダートが頷く。
そうして、お互い別れようとした、その時だった。

 屋敷の正門から、傴僂せむしの男が入ってきたかと思うと、男は、ルーフェンを見や否や、ぱあっと表情を明るくした。

「しょ、召喚師様! おはようございます……!」

 一礼し、キャンバスの沢山入った袋を引きずるようにして、男が近づいてくる。
それが、残酷絵師、オルタ・クレバスであることに気づくと、ルーフェンは内心ため息をついた。
どうせまた、宮廷絵師として雇ってほしいと懇願しに来たのだろう。

「クレバスさん、すみません。今ちょっと忙しいので」

 冷たく言い放って、ロンダートに早く捜索に行くようにと指示を出す。
ロンダートが駆け足で自警団の召集に行くところを見送ると、ルーフェンも、オルタを置いて正門を出ようとした。
しかし、その手を掴んで、オルタが話しかけてくる。

「お待ちください。ほんの、ほんの少しの時間で良いのです。どうか、私の絵を見て頂けませんか。今回は、召喚師様のご希望に沿うような絵を描いてきたのです……!」

 そう言ってオルタが取り出したのは、アーベリトの街並みが描かれたキャンバスであった。
質素だが、清潔感のある白亜の家々も、楽しげに走り回る街の子供達も、その一つ一つが緻密に、丁寧に描かれている。
おそらく、前回会ったときに、残酷絵は好みではないとルーフェンが言ったので、オルタはそれを気にして、わざわざ画風を変えてきたのだろう。

 期待の眼差しを向けてくるオルタに、しかし、ルーフェンは首を横に振った。

「……悪いけど、何度も言う通り、こっちには芸術家を雇う余裕がないんです。貴方の絵なら評価してる人が沢山いるでしょうし、よそに行ってください。それじゃあ、本当に時間がないので」

「そ、そんな、待ってください!」

 早口で立ち去るように告げるも、オルタはしがみついてきて、なかなか離れない。
苛立ったルーフェンが、咄嗟に腕を強く振り払うと、しまった、と思う間もなく、オルタはよろけて地面に手をついた。

 転んだ拍子に、オルタの持っていた荷物から、キャンバスや画用紙が滑り出る。
流石に突き飛ばすのはまずかったかと、広がってしまった画用紙を集めようと屈んだ、その時──。
地面に散らばった素描に目を止めると、ルーフェンは、目を見開いたまま硬直した。

 沢山の画用紙に描かれた、残酷絵の素描。
鎖で縛られ、杭で打たれ、身動き一つできぬ状態で苦悶の表情を浮かべる、子供たちの絵。
その中に、トワリスと瓜二つの子供が描かれた絵が、無数にあったのである。

 ルーフェンが、残酷絵を手に取り凝視していると、ふいに、オルタが口端をあげた。

「その絵に、興味がおありですか?」

「…………」

 嬉々として立ちあがり、ルーフェンの顔を覗きこんでくる。
だがルーフェンは、眉をしかめると、静かに尋ねた。

「……これ、いつ描いたんですか」

 冷たい声音で言って、オルタを睨む。

 ルーフェンが、絵に関心を抱いたわけではないと気づいたのだろう。
オルタは、少し困惑したように答えた。

「それは……つい最近起きた、北方ネールの内戦で──」

「──本当に?」

 オルタの言葉を遮って、問い詰める。
ルーフェンは、すっと目を細めると、低い声で言った。

「あんた、奴隷買いだろう」

 オルタの腫れぼったい目が、くっと見開かれる。
ルーフェンは、きつい口調で続けた。

「前に戦場で素描するのが趣味だとか言っていたけど……あんたはそれ以外にも、買った奴隷を痛め付けては、その子達を描いている。違うか?」

 ルーフェンの怒りを買ったことに動揺したのか、オルタは何も言えず、しきりに唇だけを動かしている。
ルーフェンは、再度大きく息を吐くと、持っていたトワリスの素描を、オルタの前に突きつけた。

「まさか、こんなところで手がかりが見つかるとはね。……俺は、この子を知っている。彼女はネールにはいないはずだし、奴隷の焼印も、誰かに負わされたであろう全身の傷も見た」

「…………」

 よろよろと後ろに下がると、事の重大さに気づいたらしいオルタが、顔を強張らせる。

 自分の残酷絵を気に入ってほしい一心で、素描を持ち込んだのであろうし、それについては、ルーフェンも何も言えない。
奴隷をいたぶり、その様を絵として残している画家だって、国中を探せば、オルタ以外にも存在するだろう。
残酷絵の風潮や、奴隷制が国全体で禁止されない限り、それらに関しては、咎められることではないのだ。

 しかし、アーベリトにトワリスのような奴隷を持ち込んだとなれば、話は別である。
アーベリトは、奴隷制を認めていない街だ。
そこに所有している奴隷をつれてきたとなれば、立派な罪になる。

 オルタは、ようやく口を開くと、慌てた様子で言った。

「どっ、奴隷買い、といっても、今はほとんど手放しているんです! ほら、よく見てください! 実はその絵に描いてある子も、人間の奴隷ではなくて、珍しい獣人の血が入った子供で……!」

 ルーフェンから素描を取り上げると、オルタは、大切そうにそれを抱え込んだ。

「しょ、召喚師様はお優しいから、たとえ奴隷であろうと、人間を物扱いするなと仰りたいんですよね……? でしたら、問題ありません。この子供は、人間ではないのです。獣人混じりで、痛覚も鈍いのか頑丈ですし、ほとんど弱らなくて……!」

 余計に表情を険しくしたルーフェンに構わず、オルタは、どこか自慢げに言い募った。

「それに、この子自身、他に行く場所もないのですよ。ですから……そう、私が親代わりに引き取ったようなもので。ちゃんと、自分から私の元に帰ってきますし、今朝だって、教えた通り、私の仕事場に戻ってきて……!」

 微塵も罪悪感など感じていないような口振りで、オルタが捲し立てる。
おそらく、根本的な価値観と言うものが、ルーフェンとオルタでは違うのだろう。
奴隷の扱いに慣れた者は、奴隷を人として見ようとはしないし、まして、それが獣人混じりなどという異質な存在であるなら、尚更だ。

 ルーフェンは、ぐっとオルタの胸ぐらを掴むと、顔を近づけた。

「御託はいらない。今すぐ、その仕事場とやらに案内しろ」


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