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投稿日:2021年08月03日
シルヴィアを担ごうとしたとき、今まで、脚を伸ばして攻撃していた化け物が、突然、全身をバネのように使って、ジークハルトの方へ突進してきた。
瞬時に地面に刺さっていたルマニールを呼び、化け物を突こうとするも、体勢を整える前に、腕に無数の触手が絡み付いてくる。
触手は、自在に形を変え、やがて人の手の形になると、まるでジークハルトの身体を飲み込もうとするかのように、中心部へと引きずり込んできた。
肉の焼ける、耳障りな音がして、掴まれたジークハルトの右腕から、ぶすぶすの燻るような煙が上がった。
触れられたところから、皮膚が焼け、腐っていく。
そのことに気づいて、力任せに腕を振ろうとしたが、次々と掴みかかってくる黒い手に、身動きが取れなかった。
不意に、耳元で、誰かがジークハルトの名を呼んだ。
横を向いたジークハルトは、その声の主を見て、震撼した。
伸びてきた手の一本が、ヴァレイの顔を象って、話しかけてきたのだ。
『殺せ、殺せ』
蝿に覆われたような顔面で、ヴァレイは、うわ言のように呟く。
気づけば、目の前に、大勢の見知った顔が形を成し、殺せ、殺せと唱えていた。
全員、祝宴の場にいて、命を落としたであろう、貴族や魔導師たちの顔であった。
泡立つような恐怖が、内から這い上がってきた。
苦痛に歪んだ人々の目が、まるで助けを求めるように、じっとこちらを見つめている。
こんなものは幻だと、頭では分かっていたが、抗えぬ力で闇の中に引き込まれ、全身が怯んで、動けなかった。
ついに、抵抗しようという気すら失いかけていた、その時。
背後から、白い手が伸びてきたかと思うと、その手が、ヴァレイの顔面を掴む。
──刹那、ジークハルトの目の前で、凝縮した光弾が破裂した。
「────っ!?」
金を切るような断末魔を上げ、化け物が、ジークハルトから距離をとる。
解放され、地面に叩きつけられたジークハルトは、何事かと顔を上げて、思わず瞠目した。
傍らで、陶器のような白い手を翳したシルヴィアが、ゆらりと立ち上がったからだ。
シルヴィアは、横目にジークハルトを一瞥してから、細い指先を二度、三度と、空を切るように動かした。
瞬間、強烈な爆音を伴いながら、実体のない化け物の身体が、光を孕み、立て続けに爆発した。
例の如く、霧散すれば、それを逃がすまいと、シルヴィアが腕を動かす。
すると今度は、飛散していた化け物の身体が、まるで小さな箱の中に押し込められたかのように圧縮され、空中に留まった。
彼女の指先は、大気に漂う魔力の流れを、操っているようであった。
とどめとばかりに、シルヴィアが腕を振り上げると、巨大な火柱が大気を貫いて、化け物を包み込んだ。
直視できないほどの熱線に、ジークハルトは、思わず顔を背ける。
術者が死んだのか、それとも、二度と再生できぬまでに灼き尽くされたのか。
再び目を上げたときには、化け物の姿は、塵すら残さず消えていた。
辺りが静まり返ると、ジークハルトは、点々と転がる人々の死体を見回した。
それから、ゆっくりと、シルヴィアの方へと視線を移した。
シルヴィアは、恍惚とした笑みを浮かべていた。
彼女は普段から、薄い笑みを貼り付けて、人形の如く旧王家の側に控えている印象があったが、今浮かべているのは、そんな笑みとは全く違う。
待ち望んでいたものを、ようやく目の当たりにしたような、満ち足りた笑みであった。
「……あれが何か、知っているのか」
問いかけると、シルヴィアが、ジークハルトの方に振り返った。
銀の瞳の底に、爛々とした光が、輝いている。
皮膚が爛れ、まだぷすぷすと煙を上げている右腕を押さえながら、ジークハルトは、緩慢な動きで立ち上がった。
シルヴィアは、にんまりと唇で弧を描いた。
「……私も、初めて見たわ。悪魔の成り損ない」
「悪魔の、成り損ない……?」
思わず目を見開いて、聞き返す。
シルヴィアの言葉は、信じられぬ一方で、妙に腑に落ちた答えでもあった。
あのような醜悪な化け物を産み出す魔術なんて、召喚師一族が用いる悪魔召喚術以外に、考えられなかったからだ。
ルマニールでの攻撃が一切効かず、ヴァレイの結界術すら物ともしない、あんな化け物は、見たことがなかった。
祭典に備え、この祝宴の場には、宮廷魔導師を始め、幾人もの精鋭魔導師を配置していた。
それにも拘わらず、この有り様である。
自分達が敗北したのは、抗いようのない、召喚師一族絡みの力だったのだと。
そう思って無理矢理納得せねば、気がおかしくなりそうであった。
ジークハルトは、顔をしかめた。
「……お前、また何か企んでいるんじゃないだろうな」
「…………」
笑みを深めただけで、シルヴィアは、何も言わなかった。
しかし、その表情を見ただけで、彼女の仕業ではないということは、なんとなく分かった。
そもそも、今回の襲撃にシルヴィアが関与していたなら、彼女まで襲われて、死にかけた理由が分からない。
それに召喚術は、召喚師にしか使えないはずである。
シルヴィアは、ルーフェンに最も近い存在ではあるが、今はもう、召喚師ではないのだ。
しかし、だからといってルーフェンを疑うのも、筋違いだ。
彼は、シュベルテを良く思ってはいないだろうし、シルヴィアに対して個人的な恨みもあるはずだが、それで襲撃を企てるほど、粗暴で冷静さに欠いた人間ではない。
第一、ルーフェンが召喚術らしき力を使ってシュベルテを襲えば、自分が犯人だと名乗り出ているようなものだ。
考えるならば、召喚師の仕業だと見せかけたい何者か。
もしくは、単純に力を誇示したい何者かの関与を疑うのが妥当だろう。
どちらにせよ、今回の件に、召喚師一族は無関係なように思えた。
ジークハルトは、息を吐き出すと、シルヴィアに向き直った。
「おい、さっき言っていた、悪魔の成り損ないとか言うのは──」
なんだ、と尋ねようとしたとき。
不意に、シルヴィアの身体が、ぐらりと傾いた。
咄嗟に左腕を伸ばして、シルヴィアの肩を支えたが、その瞬間、腕にしびれるような痛みが走って、ジークハルトも、がくりと地に膝をついた。
一人分の体重も支えられぬほど、ジークハルトの身体も、疲弊しきっていたのである。
再び気絶したのか、目を閉じているシルヴィアを横たえると、ジークハルトは、その場に片膝をついたまま、しばらく目眩に耐えていた。
手をついて、何度か立ち上がろうとするも、左腕は細かく震えていて、力が入らない。
右腕に至っては、化け物に触れられた部分から腐敗が進んだのか、全く使い物にならず、少しでも動かすと、肉が崩れ落ちてしまいそうな気がした。
目の前が、徐々に暗くなっていく。
必死に意識を保とうとしたが、身体が、限界を越えていることを訴えていた。
バジレットとシャルシスは、無事に逃げられただろうか。
城下にも襲撃が及んでいるならば、今すぐ増援に向かって、被害状況を確かめなければならない。
崩壊した城壁も、すぐに撤去して、庭園に生存者がいないかどうか、改めて確認する必要がある。
動ける者は既に逃げただろうが、瓦礫の下敷きになって動けない者は、まだ必死に息をしながら、助けを待っているかもしれない。
そうでなくても、早く救いだして弔ってやらねば、浮かばれないだろう。
倒れている暇などない。やるべきことは、沢山あるのだ。
(──……)
どこからか、風に乗って、馬蹄の音が響いてきた。
その音を聞きながら、ジークハルトの意識は、闇の中へと落ちていったのであった。
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