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投稿日:2021年08月03日
闇の中から、ゆっくりと意識を浮上させたジークハルトは、聞き覚えのある女の声で、重い目蓋を持ち上げた。
霞む視界の先で、覗き込んでくる夜色の双眸が、やけに鮮やかに見える。
声を出そうとしたが、喉が貼り付くように痛んで、ジークハルトは、大きく咳き込んだ。
蒼目蒼髪の女、アレクシアは、小卓に腰掛け、寝台の上で呻いているジークハルトのことを、しばらくじっと眺めていた。
やがて、手元にあった水筒を持って立ち上がると、アレクシアは、その水をジークハルトに飲ませる──のではなく、頭からぶっかけた。
途端、噎せ返ったジークハルトが、頭を動かして、アレクシアを睨む。
アレクシアは、けらけらと笑いながら、再び小卓に座った。
「虫けらみたいにうぞうぞ動いてるから、まさかと思ったけれど、本当に生きていたのね。ついに死んだかと思ってたわ」
「…………」
一発殴ってやろうかと、上体を起こそうとしたジークハルトであったが、瞬間、胸に鋭い痛みが走って、諦めたように寝台に身を預けた。
処置は既にされていたが、肋骨が何本か折れているのだろう。
呼吸をする度、強ばるような痛みが、身体中を駆け巡った。
「……俺は、どのくらい寝てた」
掠れた声を、ようやく絞り出す。
アレクシアは、すらりと脚を組んだ。
「三日くらいよ。運が良かったわね。貴方の右腕、壊疽しかかってたのよ。昨日まで、切り落とそうかって話も挙がってたんだから」
そう言われて、ふと、右腕に視線を動かす。
右腕は、分厚く包帯で固定されているのか、力を入れようとしても、指一本動かない。
己の全身から漂う、濃い消毒液の匂いに、ジークハルトは、暗澹とした気分になった。
視線を動かせば、見慣れた錦織の壁掛けが目に入る。
どうやら、ジークハルトが寝かされているのは、宮殿内の一室らしい。
他にも、簡易的な寝台に寝かされた男たちが、時折うなされながら、何人も並んで横たわっていた。
ジークハルトは、目を瞑り、アレクシアに尋ねた。
「……公やシャルシス様は、ご無事か。状況は?」
アレクシアは、肩をすくめた。
「無事よ、孫のほうはね。バジレットも、年寄りだからどうなるか分からないけれど、昨日、意識を取り戻したらしいわ」
「……そうか」
ジークハルトが、安堵したように息を吐く。
アレクシアは、細い眉を寄せた。
「祝宴の場で、一体何があったの? 宮廷魔導師団はほぼ壊滅状態、騎士団長レオン・イージウスも、政務次官ガラド・アシュリーも、国内の有力者たちの大半が死んでるわ。出席者の内、生存が確認されているのは、貴方を含めて六人だけよ」
ジークハルトが、大きく目を見開く。
ひどく動揺した様子で、軋む上体を無理に起き上がらせると、ジークハルトは口調を荒げた。
「馬鹿な! 少なくとも、十数名は逃がしたはずだ! 自力で走れる奴だっていたんだぞ。瓦礫の中をよく探せ、まだ生き残っている奴が──」
「うるさいわね、でかい声で騒がないでちょうだい」
寝台から身を乗り出そうとしたジークハルトの顔に、アレクシアが、再び水筒の水をかける。
やれやれと首を振ると、アレクシアは腕を組んだ。
「言ったでしょう、“生存が確認されている”のが六人よ。他にも何人か生き残っているかもしれないし、本当に六人だけかもしれない。今、シュベルテ中が大混乱で、正確な情報なんて何も分からないのよ。開式の儀を狙われたのと同時に、城下も襲撃を受けたの。目撃者は全員、口を揃えて、化物に襲われたって証言しているわ。北区がほぼ壊滅、魔導師団の駐屯地と、公立の大病院もやられたわ。おかげで怪我人があぶれてるから、移動が可能な怪我人は、随時アーベリトに送っているの。貴方みたいに死にかけて、移動すら困難な人間は、城を一部解放して作った、仮設の救護室で治療しているわ。それが、この広間よ」
「…………」
前髪から滴る水滴を払いもせずに、ジークハルトは、呆然と床の一点を見つめていた。
説明を聞いても尚、不可解な点が多すぎて、理解が追い付かなかった。
城下に現れた“化物”は、おそらく、宮殿の庭園に現れたものと同じだ。
花祭りの最中は、城下の警備体制も、平素より強化している。
そもそも、並の軍が近づいて来るようなことがあれば、襲撃を受ける以前に気づいて迎え討てたであろうが、仮に、千の敵兵が街中に降って湧いたとしても、シュベルテの訓練された魔導師団と騎士団ならば、即座に対応できただろう。
少なくとも、城下の四分の一と有力者たちを、みすみす失うような結果にはならなかったはずだ。
それだけ、シュベルテの軍部は抜きん出て優秀だし、祭典中の警備体制は厳戒だったと、ジークハルトは自負していた。
しかし、攻撃も通らぬ化物が、突如現れたとなれば、話は別である。
あの祝宴の場には、シュベルテでも有数の精鋭魔導師が揃っていたが、それでも、守り通せなかった。
本当に一瞬の出来事で、何か一つでも状況が違えば、ジークハルトも生きて目覚めることができなかったかもしれないのだ。
(死んでいたかもしれない、俺が……?)
ふと、動かぬ右腕を一瞥して、息を飲む。
あの場で瓦礫の下敷きになったり、化物に飲み込まれていれば、死んでいた可能性は十分高かっただろう。
だが、実際はそうならなかった。
ヴァレイとシルヴィアによって、守られたからである。
化物に腕を焼かれ、他にも怪我はしていたが、致命傷を負った感覚はなかった。
しかし、アレクシアの話を聞く限り、重傷者しか運ばれない仮設の救護室で、三日も寝ていたということは、自分は今まで、生死を彷徨うような重体だったのだろう。
そのことが、ジークハルトの中で、妙に引っ掛かった。
自分一人の話ならば、戦いの中で己の状態を見誤ったのだろうと、そう思い直して完結していた。
だが、あの祝宴の場には、他にも軽傷者がいたはずなのだ。
正確な死亡者数が明らかになっていないとはいえ、もし、本当に六人しか生き残らなかったというなら、あの場で逃げた軽傷者たちも、後に死んだということになる。
軽傷に見えたのが、単なる勘違いだったのか。
それとも、あの化物は、外傷を与える以外の力も持っていたのか。
今、改めて考えてみても、あの化物の正体が分からないし、あんなものが存在して良いのかと、思い出すだけで恐怖が込み上がってきた。
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