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投稿日:2021年08月03日







 普段は荘厳な空気が漂うシュベルテの街並みも、花祭りが開催される三日間は、華やかな雰囲気に包まれる。
石造の家々には、随所に花飾りが提げられ、大通りでは、色鮮やかな祭衣装に身を包んだ道化師たちが、楽器を吹き鳴らしながら踊っている。
所狭しと建ち並ぶ露店では、振る舞い酒が配られ、あちらこちらから、人々の盛んな呼び込みや笑い声が響いていた。

 花祭りとは、その年一年の収穫を感謝し、そして翌年の豊作を願う、サーフェリアの祭りのことである。
元は農村で行われる祭事であったが、無病息災や商売の成功を祈るなど、そういった意味も込められて、シュベルテでは毎年、大々的に祭典が開かれるのだ。

 城外の広大な庭園においても、招待された貴族たちが集まり、城下に劣らぬ賑わいを見せていた。
庭園の奥に設置された御立ち台には、シュベルテの現領主バジレットと、今年七歳を迎えた孫、シャルシスが着席しており、その下座には、前召喚師であるシルヴィアを始め、騎士団長や魔導師団長、宮廷仕えの重役や賓客たちが、それぞれの身分に従って、宴卓を取り囲んでいる。
運ばれてくる馳走に舌鼓を打ち、庭園中央に置かれた他街からの贈り物を眺めながら、貴族たちは、談笑を楽しむのであった。

 やがて、日が傾き、夕刻の鐘が鳴り響くと、祝宴の場は、打って変わった静けさに包まれた。
席を立ったバジレットが、開式の終わりを告げると共に、シュベルテの永き繁栄を願って、祝詞(のりと)を読み上げるのである。
本来であれば、召喚師も同席する祈りの儀であったが、病に臥せりがちなバジレットの意向で、昨今は、他街の有権者たちは招かず、祝宴の規模を縮小させている。
故に、遷都してからの花祭りでは、領主バジレットと召喚師代理のシルヴィアで、祈りを捧げることとなっていた。

 人々が、バジレットに注目する中で、警備に回る魔導師たちだけは、庭園全体に意識を巡らせていた。
浮かれた雰囲気に飲まれれば、それだけ隙も生まれやすくなる。
要人警護に当たる以上、いかなる状況下でも、凪いだ湖面の如く、感覚を研ぎ澄ませなければならないのだ。

 不意に、風が吹いて、庭園を彩る花壇の花弁が、ふわりと舞い上がった。
御立ち台のすぐそばに立っていたジークハルトは、その時、微かに目を細めた。
自分でも、何を感じ取ったのかは分からない。
ただ、得体の知れない何かが、湖面に小さく波紋を起こした気がした。

 祝詞を誦(しょう)するバジレットと、耳を傾ける人々。
吹き上がる風、舞う花弁、揺れる草木。
異変は見当たらないが、突如として沸いた言い知れぬ予感に、ぞわりと鳥肌が立った。

 ふと、庭園を囲む木々の一本から、小鳥が飛び立つのが見えた。
ジークハルトは、魔槍ルマニールを発現させると、反射的に、バジレットの前に飛び出した。
向かい側から、ヴァレイが駆け寄ってくるのと、大気が唸るように震えたのは、ほとんど同時であった。

「──伏せろ……!」

 ヴァレイが結界術を展開し、ジークハルトは、咄嗟にバジレットを抱えこんだ。
瞬間、地の底が抜けるような、凄まじい雷鳴が響いてきたかと思うと、突然、目も開けられぬほどの突風が、四方八方から襲いかかってきた。
自然の風ではない。まるで、意思を持って飛び回る風の刃に、全身を嬲られているようであった。

 大地がはがれ、根ごと引き抜かれた木々が、縦横無尽に宙を飛び交う。
背後に聳える城壁は、巨大な獣の爪にえぐられたかのように削れ、飛び散った瓦礫同士は、ぶつかり合い、砕けて、雨のように庭園に降り注いだ。

 一瞬の出来事に、誰一人、悲鳴すら上げられなかった。
ジークハルトは、バジレットを抱えたまま、ルマニールを地に突き刺して踏ん張っていたが、途中で、足場ごと強風に飛ばされ、ヴァレイの結界外に弾き出された。
しかし、それがむしろ、幸運であった。
次の瞬間、崩れた城壁が、まるで土砂のように庭園を押し流したからだ。

 バジレットをかばいながら、なんとかもう一度ルマニールを地面に突き立てると、ジークハルトの身体は、煽られながらも動きを止めた。
やがて、突風が収まると、ジークハルトは咳き込みながら、気絶したバジレットを支えて、よろよろと立ち上がった。
崩壊した城壁の瓦礫が、杭のように何本もそそり立ち、色とりどりの花が咲き乱れていた庭園は、見る影もなく土砂に埋まっている。
近づいていくと、御立ち台のあった場所だけは、被害が少ないことが分かった。
瞬く間に結界を張った、ヴァレイの一瞬の判断が、シャルシスを守ったのだろう。
七歳の小さな少年が、倒れた椅子にしがみついて、喘鳴しながら泣いている。
そのすぐ近くで、ヴァレイは、瓦礫に上半身を押し潰され、絶命していた。

 ジークハルトが側に来ると、シャルシスは、意識を失っているバジレットの身体に、すがるように抱きついた。
シュベルテの領家、カーライル家の二人が、無事に生きていることが、せめてもの救いであった。

 改めて周囲を見渡すと、ちらほらと、生き残った者達が、唸りながら地面を這いずっていた。
その大半が、ジークハルト同様、運良く庭園から弾き出されたか、ヴァレイの結界術に守られた者達である。
それでも、この場にいた半数以上が、瓦礫の下敷きになって、誰とも判別がつかぬ状態で死んでいる様子であった。

 ジークハルトは、急激な眩暈に襲われて、少しの間、片膝をついてうずくまっていた。
突風に襲われた際に、どこかで頭を打っていたらしい。
こめかみに脈打つような鈍痛が走り、額からは、じわじわと血がにじんでいた。

 目を閉じて、浅い呼吸を繰り返していると、不意に、魔導師の一人が、足を引きずりながら近づいてきた。
腹に、折れた木片が突き刺さっている。
シャルシスの側までやって来ると、魔導師は、崩れ落ちるようにその場に手をついた。

「……カーライル公は、気絶しているだけだ」

 ジークハルトが言うと、魔導師の顔に、安堵の色が浮かぶ。
ジークハルトは、歯を食いしばって立ち上がると、魔導師を見た。

「お前、まだ動けるか」

「……はい」

 弱々しく返事をして、魔導師も、腹を押さえながら立ち上がる。
ジークハルトは、ルマニールを握りこむと、バジレットとシャルシスを目で示した。

「二人をお連れして、この場から逃げろ。城下がどうなっているかも分からん。隠れて、安全が確保できたら、状況を確認しろ」

 魔導師は頷くと、バジレットを抱えて、辿々しく歩き出した。
シャルシスも、祖母の袖を握ったまま、魔導師についていく。
三人を見送ると、ジークハルトは、首を巡らせた。
得体の知れぬ攻撃が、まだ終わっていないことは、辺りに満ち始めた奇妙な魔力から、直感的に分かっていた。

「自力で動ける者は、這ってでも逃げろ! 戦える者は、今すぐに立て! 次が来るぞ……!」

 叫ぶや否や、感じたこともない邪悪な気配が、足元から立ち上ってきた。
ジークハルトの声に反応した者達が、必死の形相で瓦礫をよじ登り、死体を踏み散らかしながら、わらわらと走り去っていく。
ルマニールを構え直すと、ジークハルトは、目の前を睨み付けた。

 生ぬるい風が、背を撫でるように吹いてくる。
ややあって、巨大な影のようなものが、ぼんやりと目の前に現れた。
どこからかやって来たのではない、突然、煙のように、その場に姿を表したのだ。

 “それ”は、細長い脚を持った蜘蛛に似ていたが、生物とも形容し難い、不確かなものであった。
濃密な魔力の塊、という表現が、一番適しているだろう。
無数の蝿が集って、何かを象ろうとしているような──見たこともない、奇怪な存在であった。

 “それ”の脚が伸びてきた、と思った時には、ジークハルトは、ルマニールを突き出していた。
青光りする鋭利な穂先が、確かな手応えを以て、化け物の脚を切り裂く。
しかし、二分したはずの“それ”は、途端に霧散すると、蝿のように飛び回り、そしてまた集まりながら、今度は鞭のような形状になって、ジークハルトの身体を締め上げようと、勢い良くしなった。

「────っ!」

 本能が、“それ”に触れるなと、警鐘を鳴らしていた。
ジークハルトは、咄嗟にルマニールの発現を解くと、屈んで地を蹴った。
ルマニールは、合成魔術によってジークハルトが生み出した、自在な発現、消失が可能な魔槍なのである。

 素早く伸びてくる脚をくぐって、距離を詰めたジークハルトは、再びルマニールを手に握ると、片足を軸に、全身を捻って、大きく穂先を振った。
ビュンッ、と弧を描いた斬撃が、そのまま幾重にも巻き上がり、巨大な竜巻となって、“それ”を散らす。
周辺の瓦礫や、倒木までも喰らい、巻き込んだ全てを木端微塵に刻むと、ようやく、竜巻は消え去った。

 ジークハルトは、警戒を解くことなく、様子を見ていたが、ふと舌打ちをすると、その場から飛び退いた。
完全に霧散したはずの“それ”は、しかし、足元に沈殿する魔力の塵となっただけで、生ぬるい風と共に、再集結を始めたからである。

 みるみる元の蜘蛛のような形に戻っていく化け物を脇目に、ジークハルトは、必死に辺りの気配を探った。
一体“それ”が何なのか、どんな魔術を使っているのか、検討もつかなかった。
だが、実体のないものには、術式を施せない。
術式の刻印は、魔術の遠隔行使を可能にする、唯一の手段だ。
それが不可能、ということは、この化け物を操る術者が、すぐ近くにいるということであった。

 視界の端で、何かが光った。
倒木が重なってできた茂みに、何者かが隠れている。
それが、見慣れぬ顔の魔導師であると気づいたとき、ジークハルトは、身を翻して、一直線にそちらへと駆けた。

 男が、茂みから飛び出して、逃げようと踵を返す。
光ったのは、男が腕につけていた腕章であった。

「待て……!」

 背を向けた男に声を張り上げ、ルマニールを振りかぶる。
だがその時、背後まで迫っていた魔力が消えて、ジークハルトは、違和感に振り返った。
先程まで、ジークハルトを狙っていた化け物が、いつの間にか、進行方向を変えていたのだ。

(生存者が残っていたのか……!)

 慌てて身を戻そうとして、しかし、無数の脚が伸びた先に立っている人物を見ると、ジークハルトは、はっと目を見張った。
迫る化け物に、怯える様子もなく、一人の女が立っている。
前召喚師、シルヴィア・シェイルハートであった。

「──……」

 一瞬、本当に一瞬だけ──。
敵の魔導師を討つことと、シルヴィアの命を、天秤にかけた自分がいた。
この機を見送れば、敵の魔導師は、逃げるか自害するだろう。
そうなれば、この得体の知れない化け物の正体も、この襲撃の真相も、掴めなくなるかもしれない。

 シルヴィアは、召喚師ではない。
言ってしまえば、もうこの国には、不要な存在だ。
ジークハルトの父の片腕を奪い、王位継承者を殺害し、シュベルテを貶めた、魔性の女──。

「──くそ……っ!」

 唸るように叫ぶと、ジークハルトは、魔力を込めて、矢を放つようにルマニールを投げた。
飛来したルマニールから、再度竜巻が起こり、それに巻き込まれるような形で、化け物の身体が再度霧散する。
その衝撃で、宙に投げ出されたシルヴィアの身体を、跳ねあがって受け止めると、二人は、もつれるようにして地面に転がった。

「おい! 意識があるならさっさと逃げろ!」

 シルヴィアを抱き起こし、揺らしながら声をかける。
しかし彼女は、先程まで立っていたにも拘わらず、ぴくりとも反応しなかった。
最初に瓦礫が降り注いだ際に、背を打ったのか。
右肩から腰にかけて、べったりと血が付着している。
だが、出血量の割に、傷らしい傷は見当たらない。
それでもシルヴィアは、まるで糸の切れた操り人形の如く、ぐったりとしていて、動かなかった。


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