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投稿日:2021年08月03日
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アーベリトは元々、戦争難民の受け入れなど、初代領主の時代から続けてきた医療援助や慈善活動の功績が認められ、発展してきた街である。
故に、卓越した医療技術を持ち、その三倍以上の面積を持つ旧王都、シュベルテにも劣らぬ施設数、病床数を誇っていたが、それでも、大量の怪我人が流れ込んできたときには、あまりの急場に、事態は逼迫(ひっぱく)せざるを得なかった。
突如として、セントランスから三街に下された宣戦布告──。
今までも、地方で小規模な内戦が起これば、アーベリトが対応に動くことはあったが、此度の襲撃は、その比ではない。
少なくとも、トワリスがアーベリトに着任したこの一年間で、三街がこれほどまでの混乱状態に陥ったことはなかった。
シュベルテは、サーフェリアの中で、最も大規模な軍を持つ都市だ。
もし詔書の内容に偽りがなく、セントランスが召喚術にも等しい何かしらの魔術を用いて、独力でシュベルテに軍部崩壊をもたらしたのだとすれば──。
次に攻め入られた時、遷都後に築いてきた現在の体制は、呆気なく終焉を迎えるだろう。
今の三街には、セントランスに抗う術がない。
人々の間に蔓延るその不安が、アーベリトに混乱を招いている一因でもあった。
襲撃の知らせを受けて、ルーフェンは、すぐにシュベルテへと向かった。
しかし、いくら召喚師といえど、一度に何百人、何千人単位で移動陣を使用するのは不可能であるため、命に別状はないと判断された怪我人は、輸送用の馬車で随時アーベリトに送られてきた。
一命を取り留めているとはいえ、所狭しと並ぶ寝台が、血と汗にまみれた人々で埋め尽くされる光景は、凄まじいものである。
院内は、たちまち濃い体液の臭いに覆われ、一時も休まず働き詰めている医術師たちが、青い顔をして行き交っている。
表面的な傷だけではなく、心的外傷が深刻な者も多く、軽傷だからと一度治療を保留にされた患者の中には、壁際でしゃがみこみ、ぶつぶつと呟いたり、呻いたりしながら、日がな頭を抱え込んでいる者もいた。
アーベリトの魔導師や自警団員たちは、物資の運搬や、患者の身元確認に奔走していたが、病院側の手が追い付かなくなってくると、止血などの応急処置にも回った。
受け入れを待つ、待機者たちの対応に回っていたトワリスは、不意に、列の後方から呼ばれて、顔をあげた。
「おい、そこの魔導師! まだ治療は受けられぬのか! 早くしろ!」
列から飛び出してきた、シュベルテの魔導師らしき男が、トワリスに大声をかけてくる。
我が身可愛さで横暴な行動に出ているだけならば、無視するところだが、男の蒼白な顔を見て、トワリスは立ち上がった。
その男は、自分ではなく、連れの容態を気にしている様子だったからだ。
「急患ですか?」
駆け寄って尋ねると、男は、トワリスの腕を掴んで、列の中へと戻った。
男が示した先を見れば、床に置かれた担架の上に、人が一人、寝かされている。
薄い敷布が被されていたので、既に死んでいるのかと思ったが、その敷布は、どうやら横たわっている人物の姿を、隠すためのものらしかった。
男は、周囲の目を気にしながら、小声でトワリスに告げた。
「急ぎ医術師を呼び寄せてくれ。前召喚師様が目を覚まさぬのだ!」
前召喚師、という言葉に、トワリスは、思わず目を見張った。
男は、蒼白な顔で脂汗を流しており、担架のそばにいる別の魔導師も、緊張した面持ちでトワリスを見つめている。
道理で、一般人に紛れ、素性を隠して列に並んでいたわけだ。
こんなところに前召喚師がいるとなれば、ちょっとした騒ぎになっていただろう。
トワリスは、担架の近くに屈みこむと、周囲に気取られぬよう、わずかに敷布をめくった。
隙間から、絹糸のような銀髪が見える。
横たわる前召喚師──シルヴィア・シェイルハートの顔は、横から覗きみただけでも分かるほど血の気がなく、微かに呼吸しているという点を除けば、まるで蝋人形のようであった。
(この人……ルーフェンさんの、お母さんってことだよね……?)
半信半疑で男たちの話を聞いていたが、この銀髪を見れば、彼らの言葉が真実であることは一目瞭然だ。
男の一人が、青白い顔で言った。
「襲撃のあった城の庭園で、倒れていらっしゃったのだ。目立った傷はないが、二日経ってもお目覚めにならない。もしかすると、頭を強く打ち付けたのやもしれぬ」
トワリスは、改めてシルヴィアの細い手首をとると、脈があることを確かめた。
衣服が血で汚れてはいるが、男たちの言う通り、シルヴィアに特別な外傷はないし、呼吸も脈も正常である。
重症で意識不明になっているというよりは、深い眠りに落ちているように見えた。
トワリスは、急ぎ自警団員にその場を任せると、立ち上がった。
「街中の病院は一杯で、入院の必要がない軽傷者しか診られないような状態です。移動陣で、城館に向かいましょう。受け入れ可能かどうか、陛下にも伺ってみます」
言いながら、移動陣の描かれた用紙を懐から取り出す。
シュベルテの緊急事態を受けて、一時的にアーベリトを全面解放してはいるが、怪我人に紛れて、不遜な輩が入り込んでくる可能性は十分にある。
現在はルーフェンが不在だし、尚更、不用意に外部の人間を城館に招き入れたくはない。
しかし、倒れているのは、他でもない前召喚師だ。
頭を打っているかもしれない状態で、今更シュベルテの病院に戻れとは言えないし、アーベリトで受け入れる他ないだろう。
移動陣と聞いて、魔導師の男は、動揺を示した。
「お前、移動陣が使えるのか。我々は使用経験がないのだ」
「私一人で大丈夫です。アーベリト内でのみ、召喚師様の魔力を拝借して使えます。あまり行使したくはありませんが、非常時なので、やむを得ません」
早口で答えて、移動陣を床に敷く。
不安げな男二人に、シルヴィアの担架を寄せるように頼むと、トワリスは、移動陣に手を翳したのであった。
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