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投稿日:2021年08月03日
臣下たちが謁見の間を出ていくと、嵐が過ぎ去った後のように、広間は静かになった。
トワリスは、サイやハインツ、ロンダートに別れを告げると、一人、サミルの元に残った。
シルヴィアのことで、サミルに報告したいことがあったのだ。
サミルは、王座の手摺に肘をつき、手で目を覆ったまま、しばらく沈黙していた。
その細い腕が、微かに震えている。
疲労が滲んだ様子に、いつ声をかけようかと躊躇していると、サミルのほうからトワリスに気づいて、話しかけてきた。
「……ああ、シルヴィア様のことでしたね。すみません、少しぼーっとしていて」
言いながら、サミルは王座から立ち上がると、下座に突っ立っているトワリスの前までやってきた。
先程まで見せていた意思の強さが、まるで嘘だったかのように、サミルの顔には精気がない。
トワリスは、心配そうに尋ねた。
「大丈夫ですか? 顔色が悪いですよ」
サミルは、目尻の皺を寄せて微笑んだ。
「大丈夫ですよ。最近あまり寝ていないので、そのせいでしょう。年を取ると、すぐに疲れてしまっていけませんね」
軽い口調で言って、肩をとんとん、と叩いて見せる。
トワリスはつかの間、返事に困った様子で口ごもっていたが、ややあって、懐から書類を取ると、話を切り出した。
「これ、頼まれていた、シュベルテからの来院者の一覧です。それから、前召喚師様のことは、言われた通り、医務室ではなく東塔の休憩室に案内しました。今はお付きの魔導師と、ダナさんたちが看てくださってます。外傷はなさそうだから、著しい魔力の欠乏で気を失っているだけじゃないかって」
「……そうですか、ありがとう」
返事をしてすぐに、サミルは書類を受け取ったが、直後、その手からばさばさと書類が滑り落ちた。
トワリスが、咄嗟に何枚かを受け止めたが、サミルは、それらを拾い上げようともせずに、驚いた顔つきで自分の手を見つめている。
残りの数枚を拾い、まとめてサミルの手に持たせると、その手は確かに書類を掴んだが、まだ小刻みに震えていた。
トワリスは、眉を下げてサミルの顔を覗き込んだ後、打って変わった、厳しい表情になった。
「サミルさん、やっぱり休んだほうがいいです。疲れてるんですよ。あとのことは、私たちに任せてください」
「え、ええ。そうですね……」
サミルは、戸惑ったように返事をした。
思えば、シュベルテ襲撃の知らせを受けてから、サミルが休んでいる姿を目にしていない。
年齢のせいだとサミルは言うが、昼夜寝ずに働き詰めていては、年齢に関係なく倒れてしまうだろう。
今度こそ、書類をしっかりと握ると、サミルは曖昧な笑みを浮かべた。
「では、お言葉に甘えて、少し休んできます。自室にいますので、何かあったら呼んでください。……ついでに、もう一つ、頼み事をしても良いですか?」
「はい、何でしょう」
トワリスが問い返すと、サミルは、一度目線を動かして、口ごもった。
少しの間、何かを考え込んで黙っていたが、やがて、後悔したように息を吐くと、首を横に振った。
「……すみません、やっぱり何でもありません。忘れて下さい」
そう言われて、トワリスは顔をしかめた。
彼女の勘繰るような目に、サミルは苦笑した。
「ああ、いえ、違いますよ。本当に、重要なことというわけではなくて。……ただ、シルヴィア様のことを、気に掛けておいてほしいのです」
トワリスは、わずかに首を傾げた。
「気に掛ける? でも、ダナさんたちは、命に別状はないだろうって言ってましたよ」
「ええ、そう、そうなのですが……それでも、油断はできませんので。ほら、頭を打った可能性があると言っていたでしょう。そんな状況で、馬車に揺られてアーベリトまで来たわけですし、今は目に見えなくても、脳出血なんかを起こしていたら、一大事ですから」
珍しく、煮え切らない態度のサミルに、トワリスは眉を寄せた。
シルヴィアが目を覚まさない以上、安心できないというのは勿論分かるが、そんなことを言われても、トワリスは医術師ではないので、様子を見るくらいしかできない。
おそらくサミルは、何かを隠しているのだろうと思ったが、わざわざそれを詮索するのも躊躇われた。
トワリスは、一拍おいて頷いた。
「分かりました。お付きの魔導師二人も、明日にはシュベルテに戻ると言っていたので、以降は私が前召喚師様の様子を見ますね。病院のほうには、サイさんがついてますし、ハインツもようやく壊さずに寝台を運べるようになったので、私が多少抜けても、現場は大丈夫だと思います」
冗談っぽく言うと、サミルは、微かに笑んで、トワリスの頭を撫でた。
優しい手つきが、跳ねた癖毛を撫で付けていく。
アーベリトに来てから、この一年で、トワリスの髪は、肩につくほどに伸びた。
髪を伸ばすと、一層癖毛が目立ってくるし、そろそろ結べる長さになってきたので、近々後ろで一つにまとめようと思っていた。
トワリスは、しばらくの間、されるがままに頭を撫でられていたが、ふと、サミルを見上げると、ついでを装って尋ねた。
「……前召喚師様のこと、東塔で治療するんですか? あそこは、基本的に物見役しか出入りしないので、中央の医務室のほうが良いと思いますけど……」
ふと、サミルの手が止まる。
どこか緊張している様子のトワリスを見て、サミルは、あっさりと答えた。
「はい、そのままで。静かなほうが、シルヴィア様も気が休まると思いますから」
遠回しに理由を問うたつもりであったが、サミルは、核心には触れなかった。
穏やかな表情を変えることなく、もう一度だけ、トワリスの頭を撫でると、サミルは、震えの収まった手を下ろしたのであった。
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