トップページへ
目次選択へ
投稿日:2021年08月03日
シルヴィアが目を覚ましたのは、それから二日後のことであった。
起きた直後は、口数が少なかったが、トワリスが状況を説明すると、次第に意識の混濁がなくなっていったらしい。
その日の内には、はっきりと会話を交わせるようになっていた。
眠っていたときも、目を覚ましてからも、シルヴィアは人形のようであった。
彼女は、既に四十を越えているはずであったが、ルーフェンの母親どころか、姉だと言われてもおかしくないほど若々しく、美しかった。
それ故に、精巧な作り物のように見えるのかと思っていたが、その実、無機質に見える一番の理由は、表情の変化が乏しいことだろう。
彼女は当然話せるし、食事もとるし、立って歩くこともできる。
だが、いつも薄く微笑んでいるだけで、感情の変化が見えづらいのだ。
シルヴィアを盗み見たロンダートが、ぞっとするほどルーフェンに似ていると興奮したように話していたが、纏う空気感は、全く違うとトワリスは思っていた。
様子を見に行けば、シルヴィアは、いつも穏やかな笑みで迎えてくれる。
そんな時間が、トワリスは嫌いではなかったが、彼女と話していると、まるでひっそりと佇む木立と対しているような、不思議な気分になるのであった。
ダナの診断通り、命に別状はなかったので、シルヴィアは、すぐに出歩けるまでに回復した。
回復後も、サミルからは、出来るだけシルヴィアを安静にさせるように、と言いつけられていたが、体力が戻っているのに部屋にこもりきりでは、息が詰まってしまうだろう。
いつの間にか、毎日昼頃に、シルヴィアを城館の中庭に連れ出すことが、トワリスの日課になっていた。
城館内とはいえ、シルヴィアを息抜きに外出させていることを報告すると、サミルは、珍しく芳しくない反応を見せた。
しかし、連れ出したところで、シルヴィアは基本的に、長い間ぼうっと街並みを眺めたり、庭の草木を見つめているだけである。
そうして時折、思い出したようにトワリスを振り返っては、ぽつぽつと言葉を交わすだけだ。
安静は保たれているし、部屋にずっと押し込められている方が具合が悪くなるだろうと返すと、サミルは、渋々納得してくれた様子であった。
城館の中庭は、シュベルテやハーフェルンのものに比べればずっと小さく、特別貴重な草花が植えられているわけでもない。
それでもシルヴィアは、いつも庭の長椅子に座って、物珍しそうに花壇の草花を眺めていた。
他にも、表玄関へと続く庭園や、城館の背後に建つ高台にも連れていこうと思っていたが、日によってシルヴィアは、一人で出歩いてまで、中庭に訪れるようになった。
中庭が気に入ったのか問うと、シルヴィアは、自分でも不思議そうに答えた。
「……そうね。思えば、こうしてちゃんと、花や木を見たことはなかったかもしれないわ」
シルヴィアは目を伏せると、再び足元の花壇へと視線を落としたのだった。
風で薄雲が流れ、秋の乾いた陽射しが、二人の全身に降り注いだ。
強い光に照らされて、シルヴィアの白銀の睫毛が、くっきりと目の下に影を落としている。
腰まで伸びた豊かな銀髪は、風に靡いて揺れる度、日の下できらきらと光っていた。
花壇を見つめたまま、シルヴィアが、不意に呟いた。
「……花は、とても哀れね。生まれてから、ずっと同じ場所に根付いて、そのまま枯れ果てていくなんて」
抑揚のない、平淡な口調。
シルヴィアは、喋っている間も花から視線を外さなかったが、その目には、別のものが映っているように見えた。
言葉の真意が伺えず、トワリスは、戸惑ったように唇を開いた。
「……そうでしょうか。花を見て哀れだとか、あんまり考えたことありませんでした」
「…………」
それきり、シルヴィアが黙ってしまったので、トワリスは焦った。
もしかしたら、嘘でもいいから同調すべきだったのかもしれない。
思ってもないことを言うのは、トワリスにとっては至難の業であったが、なんとか頭を巡らせると、言葉を付け足した。
「あっ……でも、確かにずっと同じ場所に埋まっているのは、退屈かもしれませんね。私の同僚で、ハインツっていう魔導師がいるんですけど、彼は草花が好きみたいで、よく空き時間に庭師の方を手伝って、花の植え替えとかしてるんです。そうやって、時間をかけて向き合っていると、花の気持ちとか、分かるようになるんでしょうか」
慌てて捲し立てていると、シルヴィアが、やっとトワリスの方を見た。
透き通った銀の瞳に射抜かれて、思わずどきりとする。
この数日間、シルヴィアの外出時には、必ずといっていいほどトワリスが付き添っていたが、こんな風にじっと見つめられたのは、初めてであった。
今更になって、ようやくトワリスが獣人混じりであることを認識したのか。
シルヴィアは、トワリスの耳を一瞥すると、静かに言い放った。
「ああ、そう……貴女も哀れね。こんな国に、独りきりで産まれて」
「え……」
予期せぬ言葉を投げつけられて、思わず目を見開く。
シルヴィアの望洋とした瞳には、獣人混じりを揶揄するような、嘲笑の色は浮かんでいない。
ただ純粋に、トワリスの境遇を哀れんでいるだけなのだろうが、それでも、わざわざ口に出して言われると、やるせない気持ちになった。
トワリスは、むっとして返した。
「……お言葉ですが、私はこの国に産まれて、自分が可哀想だとは思ってないですよ。獣人の血が混じってるだけで、私は人間です。まあ、普通の人間だと言い張るには、足が速いし鼻も利くけど、それはもう、自分の特技みたいなものだと思っているので」
言い切ってから、うっかり反論してしまったと、トワリスは、恐る恐るシルヴィアの様子を伺った。
怒られるか、呆れられるか、あるいは相手にされないか。
そのどれかを予想していたが、シルヴィアは、少し驚いたような顔で、トワリスを見つめていた。
動かなかった人形の顔が、初めて表情を浮かべたようであった。
黙ったまま立ち上がると、シルヴィアは、トワリスに向かい合った。
「いいえ、貴女は哀れだわ。今まで、沢山つらい思いをしてきたでしょう。たった独りで、好奇の目に曝され、虐げられ、周囲の人間を恨めしく思ってきたはず。そして、こんな世に自分を産み落とした無責任な母親を、心の底から憎んでいるでしょう」
まるで決めつけるような物言いに、トワリスの表情が曇る。
しかし、胸の内に沸き上がってきたのは、怒りよりも困惑の方が大きかった。
今まで、さしてトワリスに興味を示さなかったシルヴィアが、突然食い下がってきたので、どう対すれば良いか分からなかったのだ。
せり上がってきた言葉を一度飲み込んでから、トワリスは、控えめに言った。
「……あの、何が仰りたいんですか? 私、母を憎んだことなんて、一度もありません。サーフェリアに流れ着いたことも、私を身籠ったことも、きっと事情があってのことだから、無責任だと思ったこともないです」
「その事情を、実際にお母様から聞いたの……?」
痛いところを探られて、トワリスは押し黙った。
シルヴィアは、まるで幼子のように小首を傾げ、トワリスを見つめている。
その仕草や声音から、悪意は感じ取れない。
だが、シルヴィアと会話をしていると、冷たい氷の刃を胸に挿し込まれているような気分になった。
トワリスは、母がどのように自分を産み落としたのか、ほとんど知らない。
人伝に聞いたり、サミルやルーフェンが調べてくれたおかげで、奴隷商に囚われていた獣人だった、ということは分かっていたが、それ以上の情報は何も持っていなかった。
だから、実際に母から経緯を聞いたのか、と尋ねられると、もう何も言い返せない。
もしかしたら、母は本当に無責任な性格で、産まれたトワリスを鬱陶しく思って手放したのかもしれないのだ。
沈黙の末、苛立たしげに首を振ると、トワリスは答えた。
「もう、この話はいいじゃないですか。確かに真実は知りませんし、私と母は死に別れたので、会話した記憶どころか、顔すら分かりません。でも、私が母のことを信じたいから、それでいいんです」
シルヴィアは、目を細めた。
「なぜ? 記憶もないのに、どうして信じようなんて思うの?」
畳み掛けるように問われて、ますます困惑する。
シルヴィアは、トワリスに何を言わせたいのだろう。
無責任な母親が憎い。混血として生まれてつらい、自分は孤独で哀れだ──と悲嘆に暮れれば、満足するのだろうか。
シルヴィアの意図が、全く見えなかった。
トワリスは、困った様子でシルヴィアと向かい合った。
「どうしてって……産まれて初めて、無条件ですがれるのが親じゃないですか。子供は、親を信じていたいし、好きでいたいものでしょう」
言ってから、顔を見つめると、シルヴィアの瞳に、ふっと暗い影が差した。
その沈んだ銀と目が合った瞬間、トワリスは、その場に縫い止められたかの如く、動けなくなった。
感じたのは、身の芯まで凍てつくような恐怖。
白銀の双眸が、トワリスを心の奥まで絡め取らんと、並んで鎮座していた。
- 108 -
🔖しおりを挟む
👏拍手を送る
前ページへ 次ページへ
目次選択へ
(総ページ数148)