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投稿日:2021年08月03日
中庭でトワリスと別れると、ルーフェンは、サミルのいる書庫へと向かった。
シルヴィアとトワリスのことを見かけたのは、シュベルテから帰還し、その報告に上がる道中での出来事だったのだ。
書庫に足を踏み入れると、古い紙とインクの匂いが鼻をつく。
本棚が延々と連なる光景は、帰還後久々に見る懐かしいものであったが、今日ばかりはまるで目に入らない。
ルーフェンは、奥まった場所に位置する文机で、書類に埋もれているサミルを見つけると、足早に近づいていった。
「──ああ、ルーフェン。良かった、無事に帰って来られたみたいで……」
接近するルーフェンに気づくと、サミルが席を立ち、和やかに微笑む。
しかし、出迎えの言葉には一切反応せず、乱暴な所作で机に手をつくと、ルーフェンは口を開いた。
「なんであの人をアーベリトに入れたんですか」
抑揚のない、怒りを抑え込んだ口調で言って、ルーフェンがサミルを見る。
サミルは一瞬、目を見開いて硬直したが、“あの人”がシルヴィアのことを指すのだと気づくと、真剣な表情になった。
「……療養のためです。シルヴィア様は、先の襲撃が原因で、何日も気を失っておられたのですよ」
「シュベルテで治療しろと、突き返せば良かったじゃないですか」
吐き捨てるように言ったルーフェンに、サミルは眉を下げた。
「突き返すだなんて……そういうわけにはいかないでしょう。魔導師団の方が、シルヴィア様の身を案じて、遥々連れてきて下さったんです。シュベルテでは、イシュカル教会の動きが活発化しているために、身体を休めるならば、アーベリトのほうが安全だろうと。……君も、シュベルテの現状を見てきたのではありませんか?」
「そんなこと、俺の知ったことじゃありません。前召喚師の身の安全なんて、もうどうだっていいでしょう。今の召喚師は、俺なんですよ!」
横目にサミルを睨み付けると、ルーフェンが声を荒らげる。
サミルはたじろいだ様子で、つかの間沈黙していたが、やがて、ルーフェンの肩に手を置くと、静かな声で言った。
「……ええ、そうです。今の召喚師は、ルーフェン、君なんですよ。それなのに、何を怯える必要があると言うのですか。シルヴィア様には、もう何も出来ないでしょう」
「…………」
微かに睫毛を震わせて、ルーフェンがサミルを見つめる。
そのまま、ゆるゆると息を吐き出すと、ルーフェンは文机にもたれかかった。
「……分かってますよ。分かってますけど、理解できません。サミルさんは、自分の兄を殺した女と、このアーベリト、どっちが大切なんですか」
感情を押し殺したような声で、ルーフェンが問いかける。
サミルは、うつむくルーフェンの背に手を移すと、穏やかに答えた。
「立場を考えずに言ってしまえば、私は、アーベリトが一番大切ですよ。その中に、勿論君も入っています。だからこそ、本当は後悔していたのです。……七年前、遷都が決まった際に、君とシルヴィア様を引き離してしまったことを」
「は……?」
驚いたように顔をあげて、ルーフェンが目を見張る。
サミルは、微かに目を伏せた。
「シルヴィア様のなさってきたことを、許すつもりはありません。ただ、シュベルテに彼女を一人で残してしまったこと……本当は、君も気がかりだったのではありませんか? シルヴィア様は、君にとって、血の繋がったたった一人の家族でしょう」
シュベルテを去った七年前、サミルがシルヴィアに、共にアーベリトに来ないか、と声をかけていた時のことを思い出す。
サミルは、孤独なシルヴィアに手を差し伸べるつもりで、あんなことを言ったのかと思っていた。
しかしあれは、母を想っているであろう、ルーフェンのためにとった行動だったというのだろうか。
ルーフェンは、不快そうに眉を歪めた。
「血が繋がっているから、なんだって言うんです? 俺が、今でもあの女に家族らしい絆を求めていて、心の底では、ずっと気に掛けていたと……本気でそう思っているんですか?」
意図せず、責めるような口調になったが、サミルは否定しなかった。
「君が、シルヴィア様に対して抱いている気持ちが、家族に対する情なのか、哀れみなのか……はたまた、別の何かなのか。それは、私の口から出しては、単なる押し付けになってしまうでしょう」
ルーフェンの背を、ゆっくりとさすっていた手を止めると、サミルは、悲しげに答えた。
「……けれど、どんな想いであれ、君はずっと、お母様のことを気に掛けているように見えていましたよ」
「…………」
開きかけた口を閉じて、ルーフェンが押し黙る。
サミルの言葉を反芻していると、かつて、シルヴィアとその侍女、アリアの手紙を見てしまった時の記憶が、脳裏に蘇った。
当時、十四だったルーフェンは、王座を狙うシルヴィアの没落を、一心に願っていた。
しかし、親交のあった元宮廷魔導師、オーラントが偶然見つけてきた母と侍女の手紙を見て、ひどく衝撃を受けた。
感情など持ち合わせていないのだろうと思っていた母が、もらった手紙を後生大事に保存しているなんて、予想外だったからだ。
思えば、ルーフェンのシルヴィアに対する見方が変わったのは、あの時だったのだろう。
忌み嫌っていた母の本来の姿を、初めて直視したような気分になった。
あと一歩踏み込めば、シルヴィアとの関係に、なにかしら変化が起きていたかもしれない。
だが、ルーフェンはあえて踵を返した。
母の真意など考えたところで、現在のシルヴィア・シェイルハートが、何人もの命を貶めた人間であることに変わりはないからだ。
最終的に、ルーフェンはアーベリトを選んで、サミルもまた、ルーフェンを選んだ。
ルーフェンは、自分の母を嫌忌し、関わりを持たぬままで在りたかったのだ。
ルーフェンは、乾いた笑みをこぼした。
「……あるとすれば、同情ですよ。確かに、可哀想な人だとは思います。でも、それだけです。俺は、あの女がどうなるかよりも、アーベリトの方が大事です。サミルさんたちがいてくれれば、それで……」
呟くように言うと、サミルの顔が、ますます悲しげに歪む。
サミルは、弱々しい声で告げた。
「……ルーフェン。君が昔から、アーベリトを守ろうと頑張ってくれていることは、よく知っています。……でも、永遠に続く時間は、ないんですよ」
ルーフェンの瞳が、微かに揺れる。
言葉を続けようとしたサミルを、ルーフェンは遮った。
「──つまり、あと数年もすれば、アーベリトは王権を手放して、俺もシュベルテに戻らなくちゃいけない。だから、今の内に母親と仲直りでもしておけ……ってことですか?」
サミルの顔が、さっと青ざめる。
慌てて首を振ると、サミルは否定した。
「違います、そういう意味ではなくて──」
「何が違うんです? 事実でしょう。カーライル王家が復興したら、召喚師一族も王都に戻ることになる」
「それは……そうですが、私が言いたいのは、そういうことでは──」
その時、不意に、書庫の引戸が叩かれた。
お互いに、口を開こうとしていたサミルとルーフェンは、同時に口をつぐむ。
しん、と静まり返った書庫の中で、一拍置いて、どうぞ、とサミルが声をかけると、扉を開けて入室してきたのは、サイであった。
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