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投稿日:2021年08月03日
* * *
「──トワリス……!」
焦ったようなハインツの声で、トワリスは、はっと我に返った。
ハインツの頑健な拳が、唸りをあげて、眼前に迫ってくる。
咄嗟に双剣を交差させ、その拳を受けたトワリスであったが、しかし、真っ向から食らった重々しい衝撃に、こらえきれず、背中から草地に倒れた。
弾けとんだ剣が一本、甲高い音を立てながら、頭上に舞い上がる。
痺れたような痛みが骨まで響き、思わず呻き声をあげると、ハインツが、蒼白になって、仰向けのトワリスをのぞきこんだ。
「だっ、大丈夫……?」
おろおろと視線を彷徨わせながら、ハインツが、問いかけてくる。
トワリスは、両腕に異常がないか確かめると、ゆっくり立ち上がった。
「……ごめん、ぼーっとしてた」
「い、いや、俺が、力加減、間違えた、かも……」
胸元でもじもじと指先を絡ませながら、ハインツが項垂れる。
地に突き刺さった双剣の片割れを回収すると、トワリスは、呆れたように肩をすくめた。
「稽古の時は、力加減しなくていいって何度も言ってるじゃないか。今のは、集中してなかった私が悪いんだよ」
「で、でも……最近、トワリス、疲れてる、みたいだし……」
躊躇いがちに俯いて、ハインツが口ごもる。
一瞬、眉を寄せたトワリスであったが、否定はできなかった。
ここのところ、通常の業務に集中できていない自覚はあったのだ。
黙っていると、今までは気にならなかった葉擦れの音や、噴水の水面が揺れる音が、やけに大きく聞こえる。
微かな風が耳元をかすると、脳裏で、豊かな銀髪が翻った。
深くため息をつくと、トワリスは、噴水の石囲に腰かけた。
「……ハインツ。ルーフェンさんが、どうしてシルヴィア様を遠ざけようとするのか、知ってる?」
「…………」
ハインツが、不思議そうに首を傾げる。
この様子では、ルーフェンとシルヴィアの間に溝があることすら、ハインツは知らないようだ。
トワリスは、足を動かしながら目を伏せると、再度嘆息した。
ルーフェンから、シルヴィアに近づくなと警告を受けて、数日が経った。
あれ以来トワリスは、約束通り、シルヴィアと関わらずにいる。
だが、一度だけ、様子が気になって物見の塔に足を向けてみると、彼女は、閉めきった室内で、窓も開けずに過ごしているようであった。
母子の間に、何か特別な事情があったとして、トワリスに口出しをする権利はない。
しかし、たった一人で部屋に閉じ込め、監視をするだけで外部との接触を絶つなんて、療養とは名ばかりの、まるで軟禁ではないか。
そんな思いがわき上がる度に、動けぬ花を哀れんでいたシルヴィアの横顔が、何度も頭の中に蘇るのだ。
黙って俯いていると、返事に困ったハインツが、そっとトワリスの顔色を伺ってきた。
いつもなら、休んでいる暇などないと言い張って、息切れするような厳しさで剣術やら体術やらを教えてくれるトワリスだが、最近はずっと、この調子で萎れている。
数瞬、どうすべきか迷った末に、トワリスの隣にちょこんと座ると、ハインツは口を開いた。
「わ、分からない、けど……あんまり、仲は良くない、のかも。ルーフェンから、お、お母さんの話、聞いたこと、ない……」
「…………」
ふと顔を上げたトワリスが、ハインツを横目で見る。
ややあって、目線を前に向けると、トワリスは、吹き抜けの廊下の方をぼんやりと眺めた。
「毎日でなくてもいいから、シルヴィア様を外に出してあげられないかな。ほら、セントランスがシュベルテを襲撃した時の状況を聞くとか、そういう理由があれば、ルーフェンさんも許してくれるかもしれないし……。あるいは、サミルさんのほうを説得するとか。何にせよ、今のままじゃ、あまりにも──……」
言いかけて、口を閉じる。
トワリスは、しばらくの間、思い詰めた表情で閉口していたが、やがて、考えを振り払うように首を振ると、石囲から立ち上がった。
「……やっぱり、なんでもない。無関係の私が、首を突っ込むことじゃないよね。今はセントランスとの揉め事で、それどころじゃないわけだし、仕事に集中しないと」
自分に言い聞かせるように呟いて、トワリスは、ぐっと拳を握る。
現状、最優先すべきなのは、セントランスへの対抗策を練ることである。
そう意気込んでおかねば、あっという間に、頭の中をシルヴィアに支配されそうであった。
口には出さなかったが、トワリスの抱える懐疑心は、ハインツにも理解できるような気がした。
実際、サミルとルーフェンのシルヴィアに対する反応は、彼ららしからぬ点が多いのだ。
トワリスの話を聞く限り、シルヴィアは、それほど容態が悪いわけでもなさそうだ。
それなのに彼女は、物見の塔で一人、囚人の如く幽閉されている。
最初は、人目に触れると騒ぎになってしまうため、一時的に塔に身柄を移したのかと思っていたが、シュベルテからルーフェンが戻ってきて以降、その厳重な隔離ぶりに拍車がかかった。
この露骨な遠ざけ方を見れば、誰だって、ルーフェンとシルヴィアの間には、何かあるのではないかと勘繰り始めるだろう。
ルーフェンは、掴み所のない性格故に、長年隣にいても、その心の奥深くまでは見せてくれたことがない。
そんな彼が、シルヴィアに対して、周囲にも分かりやすいくらいの嫌悪感を示したことは驚きだったし、塔に閉じ込めるなんていう所業を、サミルが黙認したことも意外であった。
結局ルーフェンは、帰ってきてから一度も、シルヴィアに会いに行っていない。
仮にも母親で、要人であるシルヴィアへの誠意の感じられない扱い方には、疑念を抱かざるを得ないのであった。
立ち上がったトワリスが、誰かに声をかけたので、ハインツは顔をあげた。
吹き抜けの長廊下を、前が見えぬほど大量の魔導書を抱えたサイが、よたよたと歩いている。
手を貸そうと腰をあげたハインツより速く、トワリスが、サイに近づいていった。
「大丈夫ですか? 手伝いますよ」
そう言って、サイが抱える魔導書の半分を、トワリスが取り上げる。
目の前が開けてから、ようやく話しかけられていることを理解したようなサイの顔を見て、トワリスはぎょっとした。
彼の頬はげっそりと痩け、目の下には、色濃い隈が浮き出ていたからだ。
「サイさん……どうしたんですか。ここ最近見ないと思ったら、ひどい顔色してますよ。ちゃんと食べてないでしょう」
トワリスが眉を下げると、サイは、いまいち分かっていないような顔で、へらっと笑った。
「あ……ちょっと、色々と立て込んでしまって。大丈夫、大丈夫ですよ。この間、水は飲んだので」
「この間って……いつの話ですか」
思わず嘆息して、顔をしかめる。
サイの呆けたような態度に、既視感を覚えて、トワリスは肩をすくめた。
サイは、まだ魔導師の訓練生だった頃にも、昼夜問わず魔導書を読み耽って、栄養失調で倒れたことがある。
たまたま訪ねたトワリスが、運良く発見したから良かったものの、あのまま放置されていたら、どうなっていたか分からない。
サイは、一度夢中になって根を詰めると、周りが見えなくなる質なのだ。
自分が持っていた魔導書をハインツに渡し、サイが抱えていた残りまで奪い取ると、トワリスは、厳しい口調で言った。
「これ、どこまで運べばいいんですか? 私たちがやっておくので、サイさんは、ご飯食べて寝てきて下さい」
「……へ!? いや、それは悪いですよ!」
突然目が覚めたように瞠目して、サイが、魔導書を取り返そうと手を伸ばす。
その手を難なく避けると、トワリスは、睨むようにサイを見上げた。
「体調管理も、大事な仕事の内ですよ。倒れる前に、休んできてください。魔導書の運搬くらい、私とハインツでやれば、すぐに終わりますから」
「で、ですが……トワリスさんたちも、午後から病院のほうに巡回にいかないとならないでしょう。忙しいのに、申し訳ないですよ」
「平気です。私、雑念を払うために、今は仕事に集中したい気分なので」
「ざ、雑念……? いや、とにかく、お気持ちは有り難いのですが、これは私がやらないと意味がないんです!」
珍しく、強く主張してきたサイに、トワリスが動きを止める。
訝しげに視線を向けると、サイは、辿々しく口を開いた。
「その……陛下と召喚師様から、セントランスへ親書を届ける役目を仰せつかっているんです。五日後、賭けにはなりますが、宣戦撤回の交渉に応じてもらえるよう、アルヴァン侯を説得……というか、恐喝します。そのために、セントランスがシュベルテの襲撃時に使った魔術について、情報を集めていて……」
サイの言葉に、トワリスとハインツが、顔を見合わせる。
ややあって、大きく目を見開くと、トワリスは驚嘆の声をあげた。
「親書って……えっ、交渉申入の件ですか? 届けるって、サイさんが一人で? 私たち、そんなこと一言も聞いてませんよ!」
声を荒らげて、トワリスが詰め寄ってくる。
サイは、一瞬焦ったような顔になると、及び腰で答えた。
「え、えっと……すみません。隠していたわけではないのですが、あまり言いふらすことでもないかと思いまして……。ほら、アーベリト内でも、開戦すべきだという声が多く上がっているじゃないですか。ですから、現段階では、内密に事を進めた方が、色々と穏便に収まるかな、と……」
言いながら、サイの視線が、すーっと横に反れていく。
トワリスは、そんな彼の顔を疑わしげに見つめていたが、やがて、持っていた魔導書をサイに突き返すと、確信めいた口調で問い質した。
「召喚師様に、私たちには言わない方がいいって言われたんですね?」
「えっ」
サイの眉が、ぎくりと動く。
その反応に確証を得ると、トワリスは、怒り顔で踵を返した。
「ちょっ、ちょっと待ってください、トワリスさん! 違うんです、この件は、私が陛下と召喚師様に頼んで──」
「ハインツは、サイさんのこと手伝ってあげて!」
慌てて引き留めてきたサイを無視して、トワリスは、ハインツに指示を飛ばす。
狼狽える男二人を置いて、トワリスは、ルーフェンの執務室へと向かったのであった。
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