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投稿日:2021年08月03日
「サイさんを一人でセントランスに行かせようなんて、一体どういうつもりなんですか!」
執務室に突撃し、ルーフェンの真正面に座ると、トワリスは、開口一番にそう告げた。
ルーフェンは、広々とした長椅子で寛ぎながら、何やら手紙の封を切って、中身を眺めている。
目前の長机には、書類が広げられていたが、それらは単なる古い報告書の束のようで、セントランスと関係があるようには思えない。
サイに危険な任を押し付けたくせに、ルーフェン自身は、全くもって緊張感のない様子である。
「どういうつもりって? 親書は近々届ける予定だったし、その役目をサイくんが買って出てくれたから、お願いしただけだよ」
トワリスのほうには目もくれず、手紙をいじりながら、ルーフェンが答える。
あまりにも気のない返事に、トワリスは、思わず身を乗り出した。
「だからって……! どうして私やハインツに、事前に知らせてくれなかったんですか? まだ開戦には至っていないというだけで、セントランスとは、実質敵対関係なんですよ。それなのに一人で向かわせるなんて、考えられません」
勢いよく顔を近づけると、ようやくルーフェンが、トワリスの方を見た。
しかし、一瞥をくれただけで、すぐに手紙へと視線を戻してしまう。
何がおかしいのか、くすくす笑うと、ルーフェンは肩をすくめた。
「そうは言っても、大人数で押し掛けたって、警戒されるだけだよ。争う気はないっていう意思表示に行くんだから、なるべく無防備な状態で行かないと」
「無防備にも程がありますよ! サイさんを一人で行かせるなら、私も着いていきます。二人くらいだったら、敵意があるようには見えないでしょう?」
「えー、でもトワって馬鹿正直だから、交渉とか向いてなさそうだしなぁ」
「ぅ……」
ぐっと言葉を詰まらせて、トワリスが押し黙る。
確かに、アーベリトの命運を賭けた交渉取付の場で、確かな爪痕を残せるほど、トワリスは弁が立たない。
そういう意味では、頭の切れるサイを使者として選んだのは、英断と言えよう。
それでも、納得できない様子で顔をしかめると、トワリスは言い募った。
「だったら……私でなくてもいいです。とにかく、誰かしら付き添わせてください。短期間で交渉材料を集めて、敵地に乗り込むんですよ。サイさん一人に押し付けるのは、どう考えても危険だし、無理があるじゃないですか。サイさん、さっきだって、何日も寝ていないような顔で、ふらふらしながら魔導書運んでたんです」
「うーん……とはいっても、アーベリトのほうを手薄にするわけにはいかないしなぁ」
トワリスの必死の説得も虚しく、ルーフェンは、尚も生返事を寄越してくる。
我慢できなくなって、更に前のめりになると、トワリスは声を荒らげた。
「もう! ちゃんと話を聞いてください! こっちは真剣なんですよ! なんなんですか、手紙ばっか見てへらへらと……!」
言いながら、ルーフェンが持っている手紙を、強引に取り上げる。
すると、嗅いだことのある薔薇の香りが、ふわりと鼻腔をくすぐった。
手紙に染み込んでいたらしい、その甘やかな香りは、かつて、トワリスが仕えていたハーフェルン領主の一人娘、ロゼッタ・マルカンの香水の匂いである。
執筆中の移り香というよりは、あえて手紙に香り付けしたような、濃厚な匂いであった。
つかの間、動きを止め、手紙とルーフェンを交互に見ると、トワリスは、訝しげに目を細めた。
「……これ、ロゼッタ様からの手紙ですよね?」
ルーフェンが、眉をあげる。
「うん、よく分かったね」
「匂いで分かります」
感心した様子のルーフェンに対し、トワリスは、冷ややかな口調で答える。
一度落ち着こうと、ゆっくり息を吐くと、トワリスは、身を戻して長椅子に座り直した。
「……良いご身分ですね。王都の緊急時に、婚約者からの手紙を読んで、呑気ににやついていたわけですか」
刺々しいトワリスの言葉に、ルーフェンは苦笑した。
「やだなぁ、そんな楽しい内容の手紙じゃないよ。今、シュベルテの魔導師団が動ける状態じゃないから、ハーフェルンの守りをどうするか、って話」
「ふーん……」
「……妬いてるの?」
「そう見えるんだとしたら、ルーフェンさんの頭は手遅れだと思います」
「辛辣だね」
言いながら、ルーフェンはからからと笑う。
トワリスは、じっとりとした視線を投げ掛けながら、次いで、机の上の書類を手に取った。
「これは、魔導師団からの報告書ですか?」
見慣れた魔導師団の印を確認してから、ぱらぱらと何枚か捲ってみる。
ルーフェンは、あっけらかんと答えた。
「そうそう、ちょっと古いけどね。俺のことが書いてあるんだよ」
内容に目を通すと、ルーフェンの言う通り、書類は全て、召喚師に関する記録であった。
史実に残っている歴代の召喚師の名前から、現職のルーフェンが行ってきた施策まで、事細かに記載されている。
中には、ルーフェンが急進派のイシュカル教徒集団を陥落させた時のことや、南方のノーラデュースへ行き、リオット族を引き入れた時のことなど、現役の魔導師でも、その場にいなければ知り得ないようなことまで記されていた。
トワリスはしばらく、静かに報告書を読んでいたが、やがて、目をあげると、胡散臭そうに尋ねた。
「……で、大事な報告書であることには間違いないですが、これは、セントランスの件と何か関係があるんですか?」
「いや? 直接は関係ないよ。ただ、俺かっこいいなぁと思って見返してただけ」
「…………」
もはや言葉も出ない、といった様子で、トワリスが呆れ顔になる。
無言で書類と手紙を机に戻すと、トワリスは、すっと席を立った。
「もういいです。サミルさんに、直接言いに行きます」
「ちょっと待って。冗談だよ、本気にしないで」
そのまま執務室を出ていこうとすると、ルーフェンが、間髪入れずに呼び止めてくる。
笑いを噛み殺したような、真剣味のない彼の表情には、反省の色など全く見えない。
それでも、目が合うと手招きをしてきたルーフェンに、大きく嘆息すると、トワリスは再び長椅子に腰を下ろした。
「……で、何の話だっけ?」
「サイさん一人をセントランスに送り込むのは反対だって話です!」
能天気なルーフェンの問いに、トワリスが、食い気味に答える。
いよいよ殴りかかってきそうなトワリスに、ルーフェンは、ようやく姿勢を正した。
「そんなに怒らないで。まあ、トワの言うことも分かるよ。敵地に単身乗り込むわけだから、身の安全は保証できない。でもそんなことは、いつ攻め込まれるか分からないアーベリトにいたって同じことだろう? なんにせよ、交戦を避けるために、交渉申入の親書は誰かが届けなきゃいけない。俺は、サイくんが適役かなーと思ったけど、トワはそう思わない?」
「それは……」
意地の悪い聞き方をされて、トワリスは、思わず言い淀んだ。
ここで頷けば、意図せずサイを貶すことになってしまう。
トワリスは、しかめっ面で首を振った。
「……私だって、サイさんが適役だとは思います。サイさんは、すごい魔導師です。訓練生だった頃から、誰よりも頭が良くて……。分厚い魔導書の内容も、一回読んだだけで隅々まで覚えちゃうし、洞察力とか、判断力も的確です。それでいて、傲らないので、皆が彼は才能のある人だって認めていました。でも、だからこそ──……」
そこまで言って、トワリスは口をつぐんだ。
うっかり、ルーフェンに言うつもりではなかったことまで、こぼしてしまいそうになったからだ。
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