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投稿日:2021年08月03日
サイがいくら有能でも、敵地に一人で向かうのは危険である。
一人よりは、二人で行った方が生きて帰れる可能性は高まるわけだから、親書を届けるならば、トワリスも同行したい。
この言い分も、確かに本心であった。
だが、トワリスには、それ以上に懸念していることがあったのだ。
サイは、セントランスが用いた異形の召喚術を暴き、親書を届ける役目を、自ら買って出たと言う。
そうして今、寝食も忘れ、窶やつれるまで魔導書を読み耽っている。
そこまでする彼の原動力が、アーベリトを想う心ならば良いのだが、なんとなく、トワリスはそう思えなかった。
おそらく、彼を動かしているのは、召喚術という未知への探求心──。
勉強熱心で根気強い、なんて言えば聞こえは良いが、その異様な執着心は、数年前のサイの姿を彷彿とさせるのであった。
以前にもサイは、死体を継ぎ接いで作られた魔導人形、ラフェリオンを構成する禁忌魔術に魅入られて、同じように魔導書を読み耽っていたことがある。
トワリスは、自分たちが手を出して良いことではないと止めたが、サイは耳を傾けず、それどころか、禁忌魔術は素晴らしい、色々な可能性を秘めているのだと訴えてきた。
アーベリトでサイと再会してから、約一年。
サイは変わらず優しく、頼りになる同輩で、あれ以来、禁忌魔術に固執しているような姿は、一度も見ていなかった。
故に今回、サイがどういうつもりで、親書を届ける役目を引き受けたのかは分からないし、確かな根拠がない以上、この疑念を、サミルやルーフェンに打ち明ける気はない。
それでもトワリスは、身の内にある不信感を、完全に拭い去ることはできなかった。
禁忌魔術の次は、召喚術に執着し始めたのではないか、とか、だとすれば、サイを止められる人間が側にいた方が良いのではないか、とか、そんな不安が全て、トワリスの杞憂であったなら、それで良いだろう。
ただ、今でも狂気を孕んだサイの瞳が、ふとした拍子に脳裏によみがえる。
禁忌魔術に魅了されたサイの姿は、トワリスにとって、それだけ衝撃的で、恐ろしかったのだ。
「──だからこそ、嫌な予感がする?」
ふと、ルーフェンに問われて、トワリスは瞠目した。
まるで、心を見透かされたような質問だったからだ。
トワリスは、努めて平静を装いながら、口を開いた。
「……心配なんです。セントランスに行くことも、例の術に関して調べることも、一人じゃ荷が重いでしょう。誰かがやらなきゃいけないっていうのは分かりますが、サイさん一人に押し付けるべきじゃありません。人殺しの異形を召喚する術なんて、明らかに危険な魔術じゃないですか。……もし、禁忌魔術だったりしたら、どうするんですか」
はっきりとした口調で述べて、ルーフェンをまっすぐに見つめる。
あくまでトワリスは、サイの身を案じているだけだと言い張ったつもりであったが、それでルーフェンを欺ける気はしなかった。
ルーフェンの探るような視線に、思わず肩に力が入る。
顔を背ければ、それこそ心中を見通されてしまいそうだったので、トワリスは、ルーフェンから目をそらさなかった。
しばらくの間、二人は無言で見つめていたが、ややあって、ルーフェンは目を伏せると、口元に薄い笑みを浮かべた。
「……禁忌魔術って、なんなんだろうね。危険な魔術と、そうじゃない魔術の境って何?」
「え……」
虚をつかれて、トワリスが瞬く。
一拍置いてから、微かにうつむくと、トワリスは眉を寄せた。
「禁忌魔術は……『時を操る魔術』と、『命を操る魔術』です。大規模な術故に使ったときの代償が大きいから、最悪、術者が死に至ることもあり得る、危険な魔術だと……」
咄嗟のことに、教本通りの解答しか出てこない。
他にどう答えれば良いのか、考えていると、矢庭にルーフェンが、掌をトワリスの前に出した。
すると、光の帯が手中で魔法陣を描き、次いで、弾かれたような勢いで、水の塊が形成されていく。
水塊は震え、やがて、冷気を纏って氷の結晶と化すと、ルーフェンの掌上に鎮座した。
「……例えば、空気中の水を凍らせたとして、その氷を溶かす方法は、幾通りもあるだろう。熱魔法で溶かしてもいいし、あまり知られたやり方ではないけれど、魔法陣自体を反転させて逆の作用をさせてもいい。……あるいは、時間を巻き戻したって、氷は水に戻る」
言いながら、掌を返して魔法陣を反転させると、途端に氷は水となり、机上にこぼれ落ちる前に、泡立って蒸発した。
舞い上がった水蒸気が、ルーフェンの指の隙間を抜けて、大気に溶けていく。
見ているだけでは、ルーフェンがどの方法で氷を溶かしたのか、分からなかった。
腕を戻し、長椅子に背を預けると、ルーフェンは言った。
「少量の氷を溶かすくらい、魔術をかじった人間なら、誰でも簡単に出来る。その方法が、熱魔法でも、禁忌魔術でも、ね。……多分、その魔術が危険か否かなんて、明確な線引きは存在しないんだ。魔術は、扱い方さえ知っていれば、どれも簡単に使えてしまう。けれど裏を返せば、どれも危険になり得る。場合によっては、大きな代償が必要なものも、簡単に使えるから怖いんだろう」
「…………」
簡単だから、怖い──。
その言葉には、核心をつく響きがあった。
トワリスも、まだ孤児院にいた頃、リリアナの脚を治したい一心で、禁忌魔術を使ってしまったことがある。
当時は、魔導師団に入ってもいなかったので、禁忌魔術だなんて言葉すら知らないような、ただの無知な子供であった。
それにも拘わらず、無意識に、禁忌魔術を使えてしまったのだ。
禁忌魔術は、その危険性から、関与する一切が禁止された特別なものだという認識が強い。
日常では触れることのない、古の時代の禁術。
世間一般では耳にもしないような、幻の存在とすら思われがちである。
しかし、実際のところはどうだろう。
触れまいと遠ざけてきた結果、魔導師であるトワリスですら、禁忌魔術についてはほとんど知らない。
ただ、本能的に危険な匂いがするから、目をそらしてきたようなものなのだ。
ルーフェンの言葉の意味を考えているうちに、首を細い糸で絞められているような、妙な息苦しさが襲ってきた。
もしかしたら、禁忌魔術と一般の魔術に、明確な差などないのだろうか。
氷を水にするのも、瞬間的に別の場所に移動するのも、時間を巻き戻す、時間を縮めると捉えれば、どちらも禁忌魔術である。
案外、禁忌魔術というものは、身近に佇む影のような存在なのかもしれない。
それこそ、獣人混じり故に魔力が少なく、知識もない十二のトワリスが、無意識に手を出してしまえるような──。
そう思うと、今まで見ていたものが、形を変えて見えるようになった気がした。
ルーフェンは何故、こんな話をしたのか。
現時点で、一体どこまで知っているのか。
問うように視線を投げ掛けると、ルーフェンは、あ、と声をこぼした。
「そんなことより、さっき匂いでロゼッタちゃんの手紙だって気づいたんだよね? トワの鼻って、どれくらいまでかぎ分けられるの?」
「……はい?」
突然の話題転換に、ぴくりと片眉を上げる。
ルーフェンは、何事もなかったかのような飄々とした態度で、言い募った。
「ほら、手紙の練香なんて、時間が経てばほとんど分からないでしょ。でも、トワなら分かるのかなぁって思って」
ルーフェンが、ロゼッタからの手紙をひらひらと振って見せる。
トワリスは、怪訝そうに眉を潜めてから、諦めた様子で肩をすくめた。
「……さあ。普通の人間の嗅覚が分からないので、私の鼻がどれくらい利くのかも、なんとも言えませんが。とりあえず、その手紙からは、だいぶきつい匂いがしますよ」
「へえ、そうなんだー」
間の抜けたような返事をして、ルーフェンは、ロゼッタからの手紙を見つめている。
苛々した顔つきでルーフェンを睨むと、トワリスは話の先を促した。
「あの、手紙の匂いと先程の禁忌魔術の話に、何の関係があるんですか? こんなところで、意味のない雑談に花を咲かせている時間はないのですが」
怒気を含んだ声で言うと、ルーフェンは、困ったように眉を下げた。
「まあ、そんなにピリピリしないで。関係はないけど、意味がないわけじゃない。場合によっては、やっぱりサイくんに着いていってもらおうと思って」
その言葉に、トワリスの顔色が変わる。
背筋を伸ばしたトワリスに、くすくす笑うと、ルーフェンは目を細めた。
「トワの勘と鼻の良さを見込んで、ちょっと頼みたいことがあるんだけど」
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