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投稿日:2021年08月03日
そう都合よく、セントランスとの交渉に持ち込めるとは端から思っていなかったが、屋敷に踏み入って早々、地下牢に案内された時は、サイもトワリスも、流石にため息をつかざるを得なかった。
拘束されることは覚悟していたし、むしろ、手枷を嵌められただけで、それ以上の危害は加えられなかったので、状況としては良い方だろう。
だが、サミルの名を出しても、領主であるバスカ・アルヴァンに目通りできなかったのは、予想外であった。
想定では、すぐに追い返されてアーベリトに帰るか、目通りが叶えばバスカに交渉の約束を取り付けられるか、その二択だったのだ。
追い返されるわけでもなく、かといって、バスカに会えるわけでもない。
ただただ、地下牢で時間を浪費することになったのは、正直痛手であった。
石壁に囲まれた地下牢は薄暗く、唯一の光源は、壁に掛けられた松明の灯りのみである。
普段はあまり使われていない場所なのか、時折巡回に来る番兵の足音よりも、闇の中で蠢く鼠や、虫たちの気配のほうが濃い。
鉄格子の向こうに浮かぶ、ぼんやりとした松明の火影も、冷たい鉄錆の匂いも、トワリスには、嫌なほど懐かしいものであった。
「……すみません、うまく取り入ることができなくて。アルヴァン侯にお会いすることはできると思っていたのですが、まさか、こうも聞く耳持たずの状態だとは……」
固い石畳に座り、サイは、項垂れた様子で呟く。
少し離れた位置に座って、手枷を見つめていたトワリスは、サイに視線を移すと、ゆるゆると首を振った。
「仕方ないです。私は、むしろうまくいった方だと思いますよ。場合によっては、すぐに斬り捨てられていてもおかしくなかったですし、捕まるにしても、手足の一本や二本、使い物にならなくなっていたかもしれません。こうして無傷で保護されているということは、きっと、サイさんの言葉が何かしら“突っかかり”になったんだと思います。それだけでも、私たちが遣わされた意味はあると言えるんじゃないでしょうか。本当にセントランスが開戦一辺倒の考えなら、私たちを生かして受け入れる理由なんて、全くありませんからね」
「それは、そうですが……」
辿々しく答えたサイの顔には、分かりやすいほどの落胆の色が浮かんでいた。
セントランスが使った“召喚術もどき”を、寝る間も惜しんで調べあげていた彼には、バスカ・アルヴァンを丸め込むための切り札が、まだまだ沢山あったはずだ。
しかし、肝心のバスカに謁見できないのであれば、それも無駄になってしまう。
門衛は、待てばバスカに会えるようなことを言っていたが、それが真実かどうかは定かではない。
今、こうして無為な時間を過ごしていることは、サイにしてみれば、努力が全て水の泡になったような結果なのだろう。
サイは、弱々しく嘆息した。
「……今は、門衛の言葉が真実であることを祈って、アルヴァン侯への謁見の機会を待つしかありませんね。あの場で引き返していれば、それこそ侯に会えることはなかったでしょうし、私達の選択が正しかったと信じて、賭けるしかありません。いきなり地下牢にぶちこまれた時点で、望みは薄いかもしれませんが……」
萎れた花のように俯いて、サイは、ぶつぶつと独り言をこぼす。
対してトワリスは、慌てる様子もなく、淡々とした口調で返した。
「捕まってから、もう半日以上は経っていますから、今更、私達だけで侯に謁見できることはないと思います。ただ拘束されているだけの現状を鑑みるに、私達は、セントランスにとっての大事な人質、捕虜といったところでしょう。もしかしたらアルヴァン侯は、私達を捕らえたことを出しに、アーベリトに揺さぶりをかけるつもりなのかもしれません。……そうなったらそうなったで、交渉に持ち込めたようなものですから、結果的にはいいんじゃないでしょうか」
「い、いい……?」
サイは、表情をひきつらせた。
「いや、全然良くないですよ。私達の役目は、陛下からの親書を届けて、停戦交渉の場を取り付けてもらえるよう、アルヴァン侯を説得、ないし脅すことだったんです。それなのに、逆に揺さぶりをかけられるようじゃ、私達、ただ足手まといじゃないですか。せめて、荷物を取り上げられていなければ、脱出用の移動陣も使えたんですが……」
トワリスは、冷静に答えた。
「確かに、穏便に交渉の場を取り付けることが一番の目的ではありましたが、そう簡単に行くだなんて、誰も思っていませんよ。説得が叶わない今、私達に出来ることは、開戦日まで籠城するつもりであろう、アルヴァン侯を召喚師様の前に引きずり出すことです。たとえ恐喝されることになっても、アルヴァン侯と召喚師様が対峙できれば、結果的に話し合いの場が成立します。まあ、平和的なものにはならないと思いますが……それでも、セントランスの真意が分からないまま、軍を率いて争い、被害が拡大するような事態は防げるかもしれません。サイさんも、そのための人質になることを覚悟して、この屋敷に入ったんじゃないんですか?」
「ぅ……」
罰が悪そうに目を反らして、サイは、言葉を詰まらせる。
ややあって、諦めたように肩を落とすと、サイは口を開いた。
「……ええ、そうですね。端から失敗が想定されていたのは、なんとなく感じていましたよ。ある意味、予定通りの展開です。……それでも、不安なものは不安なんです。あの門衛たちが、私達の訪問を、どう湾曲してアルヴァン侯に伝えているか分かりません。伝わった情報次第で、アルヴァン侯が、陛下や召喚師様にどんな脅しを突きつけるのかも、全く想像がつきません。セントランスは、争うことで権威を保ってきたような街です。そんな街と相対するには、アーベリトは優しすぎる。陛下も召喚師様も、聡明な方々ですから、一対一で向き合える場さえ作れれば、脅しになど屈しないと信じています。……ですが、出来ることなら、この私が、アーベリトの守り手として、大きく貢献したかったんです」
──なんて、出過ぎた真似でしょうか。
そう付け加えて、サイは眉を下げる。
トワリスは、黙々とサイの話を聞いていたが、やがて、目を伏せると、覇気のない声で尋ねた。
「……サイさんは、どうしてアーベリトのために、そんなに頑張っているんですか」
「え……?」
意図の読めない質問に、サイがぱちぱちと瞬く。
目を合わせようとしないトワリスに、サイは、不思議そうに首をかしげた。
「どうしてって……そんなの、アーベリトに仕える魔導師だからですよ。確かに、トワリスさんやハインツさんに比べれば、アーベリトに対する思い入れみたいなものが、私には少ないのかもしれません。でも、アーベリトに住む皆さんの優しさとか、穏やかな雰囲気が好きですし、それらが脅かされるというなら、この命に代えても、守りたいと思っています。……トワリスさんだって、そうでしょう?」
問い返せば、トワリスの睫毛が、微かに震える。
周囲が薄暗いので、はっきりとした表情の機微までは伺えない。
だが、見てとれるトワリスの動揺に気づくと、サイは、狼狽えたように身を乗り出した。
「え、トワリスさん、大丈夫ですか……? いや、こんな状況ですから、大丈夫ではないと思うんですけど……」
「…………」
トワリスが、すん、と鼻をすする音が響く。
硬直すると、サイは、慌てた様子で捲し立てた。
「え、あの、すみません。さっきから、私ばかり取り乱してしまって……。不安がったってしょうがないですし、人質である以上は命の保証をされているわけですから、トワリスさんの言う通り、これで良しとするべきですよね。一旦落ち着いて、セントランスの出方を見ましょう」
柔らかい口調で言い聞かせながら、サイは、気遣わしげにトワリスの顔を覗き込む。
トワリスは、返事をしなかった。
だが、しばらくして、何かをこらえるように口元を歪めると、サイに向き直った。
「……こうやって二人で話していると、訓練生だった頃のことを思い出しますね。どちらかというと、いつも突っ走ってしまうのは私の方で、サイさんは、どんな時も落ち着いていて、冷静で、的確でした。……だから、慌てるなんて、サイさんらしくありません。なんだか、わざと焦っているようにも見えます」
脈絡のない話題に、サイが、大きく目を見開く。
トワリスの顔をじっと見てから、サイは、戸惑ったように目を反らした。
「あ、はは……そんな、買いかぶりすぎですよ。私は、トワリスさんが思うほど、出来る魔導師じゃありません。本当はいつだって、失敗したらどうしようとか、焦って見誤ったらどうしようとか、不安で一杯ですよ。人間ですから」
「…………」
肩をすくめたサイに、トワリスも、曖昧な笑みを返す。
小さく吐息をつくと、トワリスは、昔を懐かしむように目を細めた。
「……サイさん、初めて話した時のこと、覚えてますか。卒業試験で、アレクシアとサイさんと、私で組もうってことになって。でも、最初は全然上手くいきませんでしたよね。寮部屋でアレクシアにアーベリトのことを貶されて、私が怒って、組むのやめるって口論になって……。見かねたサイさんが仲裁してくれなかったら、私、卒業試験をちゃんと受けられたかどうかすら分かりません」
思いがけない言葉だったのか、サイが、再び目を瞬かせる。
しかし、すぐに表情を緩めると、深く頷いた。
「もちろん、覚えていますよ。なんというか……アレクシアさんは色々と強烈な方でしたから、私も終始振り回されっぱなしでした。あれから、もう一年以上経つんですね。懐かしいです。……でも、なぜ今その話を?」
不意に尋ねると、トワリスは顔をあげた。
つかの間、言葉に迷った様子であったが、やがて、伏せた目で遠くを見つめると、静かに答えた。
「……いいえ。ただ、感謝を伝えておきたかったんです。サイさんが、努力家だって褒めてくれたとき、私、とても嬉しかったんですよ。訓練生の頃の私は、それこそ焦ってばかりで、沢山空回って、同期の中でも一際浮いた存在だったので……。サイさんが、私のことを見て、ずっと話してみたかったんだって言ってくれたとき、自分のやってきたことを、対等な相手に認めてもらえたような気持ちになりました。だから、あの時は、恥ずかしくてお礼も言えなかったんですけど……私ならアーベリトに行けるって、サイさんがそう言ってくれて、本当に、本当に嬉しかったんです」
それだけ言うと、トワリスはサイに視線を移して、笑みを浮かべた。
今にも泣き出してしまいそうな、ひどく寂しげな笑みであった。
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