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投稿日:2021年08月03日




 上等な敷物が、熱気で焦げ、元の深青色など跡形もなく変色して、足下で燻っている。
狙ったはずのルーフェンとハインツが、傷一つなく立っていることが分かると、バスカは、忌々しげに顔をしかめた。

 煙たそうに咳をすると、ルーフェンは、呆れたように口を開いた。

「室内ではやめましょうよ、屋敷ごと吹っ飛ばすつもりですか? 言っておきますが、こちらにも勝算はあるんです。のこのこと二人で来たのは、まあ、二人でも大丈夫だろうと思ったからですよ」

 ルーフェンの言葉に、バスカの顔色が赤くなる。
まだ年若い召喚師の、人を食ったような視線と物言いが、バスカは、昔から腹立たしくて仕方なかった。

 一瞬、七年前の王都選定の場で、サミル・レーシアスが王権を勝ち取った時の記憶が、バスカの脳裏に蘇った。
耄碌もうろくした王太妃、バジレットの無機質な声と、誇りなど微塵も感じられぬハーフェルンの領主、クラークの媚びて上擦った声。
無害な聖人を気取りながら、狡猾にも王座を奪ったサミルの穏やかな表情も気に食わなかったが、それ以上に脳裏にこびりついているのは、年端もいかない召喚師の、人を見透かしたような眼差しであった。

 まるで盤上の駒こまでも見下ろしているかのような、昔と変わらぬ銀色の瞳。
その目を見ただけで、バスカの中に、狂暴な怒りが噴き上がってきた。

「黙れ、黙れ黙れ──っ!」

 怒鳴り散らして、周囲に控える全ての魔導師に指示を飛ばすと、一糸乱れぬ動きで、再び長杖が動き出す。
統制のとれた魔導師たちが、同時に詠唱を始めると、一定の調子で紡がれていた呪文は、やがて歌のように波立つ音となり、広間に反響した。

 ややあって、足下に巨大な魔法陣が展開すると、サイは目を見張った。
ただの魔法陣ではない──それは、召喚師一族しか解読できないはずの、魔語が刻まれた魔法陣だった。

「召喚師様、お下がりください! この陣──侯はシュベルテで使った異形の術を使うつもりです!」

 咄嗟にルーフェンの腕を掴むと、サイは叫んだ。

 元々セントランスは、大規模な騎馬隊を持つことで恐れられる軍事都市である。
少人数で詠唱が必要な分、機動力に欠ける魔術戦よりも、訓練された騎兵による陸上戦を得意とするはずだ。
そのバスカが、わざわざ魔導師だけを並べて待ち構えていた時点で、嫌な予感はしていたのだ。

 禍々しい魔力が、陽炎のようにゆらゆらと沸き上がり、退路を塞いでいく。
徐々に鈍く光り出した魔法陣を見て、ハインツは戸惑ったようにルーフェンを見たが、二人とも、その場から動こうとはしなかった。

 なぜ逃げないのかと、問う時間もない。
焦ったサイが、せめて魔法陣の上からは退かねばと、ルーフェンの腕を強く引く。
しかし、悠然たる召喚師は、横目にサイを見ただけで、やはり微動だにしない。
──否、サイは、人一人を動かせるほどの力で、腕を引くことが出来なかったのだ。

「──……!」

 不意に、全身から力が抜ける。
突如、血飛沫(ちしぶき)をあげた自分の両腕が、熟れ切った果肉の如く崩れ落ちていくのを、サイは、呆然と見ていた。

 視界が揺らいで、気づけばサイは、冷たい石床に倒れ込んでいた。
もはや原型を留めていない前腕が、かろうじて肘にぶら下がった状態で、目の前に落ちている。
腕に自ら描いた魔語が、火傷のように皮膚にこびりついて、そこから、のろのろと血がにじみ出ていた。

 床に展開していた魔法陣が、その効力を失って消える。
刹那、紡がれていた詠唱が途絶え、代わりに、押し寄せるような断末魔が響き渡った。
術を発動させるため、長杖を翳していた魔導師たちが、一斉にその陣形を崩す。
必死に腕をまくり、そこに描かれた、焼き付くような魔語を削り取ろうと、彼らは皮膚を掻きむしり、激痛を訴えながら、次々と倒れていく。

 サイと同様、原型を保てなくなった血まみれの腕を押さえながら、魔導師たちは、身を蝕む恐怖に慄(おのの)いた。
突如起きた身体の異変に、喚き、逃げ惑いながら、やがて、走り回る力さえも失うと、地面に突っ伏す。
びくびくとのたうつ魔導師たちの肢体が、山のように積み重なっていく光景を、バスカも、サイも、ただ見つめていることしかできなかった。

 ついに、辺りが静かになったとき。
頭上から、くすくすと笑い声が落ちてきた。
我に返ったサイが目を動せば、ぞっとするほど澄んだ銀色と、視線が交差する。

「……残念、少し詰めが甘かったかな、サイくん」

「え……」

 濃い血の塊と共に、微かな呟きが、サイの口から溢れ出す。
ルーフェンは、静かに嗤って、サイを見下ろしていた。

「な……なにを、言って──」

 咄嗟に反論しようとすると、背中に重い衝撃がのし掛かってきて、サイは、ぐっと息を詰まらせた。
肋骨が、ぎしぎしと嫌な音を立てる。
ハインツが、サイの動きを封じようと、肩と背に手を置き、体重をかけてきたのだ。

 悲痛なうめき声をあげると、ハインツは慌てて力を緩めたが、その場から退こうとはしない。
ルーフェンは、ハインツにそのままでいるよう告げてから、場に似合わぬ爽やかな口調で続けた。

「今更すっとぼけなくていいよ。君のせいで、何万人も死んでる。シュベルテを売り、召喚術の情報をセントランスに流した間者は君だろう。サイ・ロザリエス」

「……ち、違います! 何を、仰っているんですか……!」

 上体を反って声を絞り出せば、再びハインツに体重をかけられて、サイは苦しげに声を漏らす。
ルーフェンは、魔語が刻まれたサイの腕を、ゆっくりとなぞるように見た。

「違う? その腕を見れば、一目瞭然だろう。君だけが解放されて、俺たちに近づいてきた辺り、他ならぬサイくん自身も発動条件の一人だったわけだ。セントランスご自慢のエセ召喚術には、どうも発動場所に“核”となる魔導師が必要らしいからね。シュベルテが襲撃された時も、魔力供給に必要な魔導師の他に、現場に一人、それらしき魔導師が目撃されている。……ね、どうです、アルヴァン侯。私の読み、当たってます?」

 言いながら振り返ると、ルーフェンは、今度はバスカのほうに視線を移した。
バスカは、倒れ伏す魔導師たちに囲まれて、言葉もなく立ち尽くしている。
石床の上で血を吐き、懸命に呼吸する魔導師たちは、まだ絶命していないようであったが、予想外の反撃を受けた動揺は、思考が回らぬほどに激しかった。

「…………」

 “あの術”が、必ずしも成功するとは、バスカも思っていなかった。
それに、魔導師たちが生きているならば、まだ敗北したわけではない。
広間の外にも、まだ多くの兵たちが控えている。
それでも、得体の知れぬ策に嵌められた恐怖は、バスカを地に縛り、動けないように縫い止めていた。

 バスカが答えずにいると、ルーフェンが、白々しく問い質してきた。

「んー、声がよく聞こえませんね。少し遠いので、もっと近くでお話しましょうか」

「……っ」

 にっこりと笑って、ルーフェンが首を傾ける。
歯を食い縛ったバスカは、兵を呼ぼうと口を開いたが、すんでのところで、思い止まった。

 ルーフェンが、一体どんな罠を巡らせているのか、まだ分からないままである。
召喚術を使ったようには見えなかったが、サイを含めた大勢の魔導師を、一瞬で血の海に沈めたのだ。
この広間全体に、何かしらの魔術をかけているのだとすれば、兵を呼んだところで、先程の二の舞になるだろう。

 次の動きをルーフェンに悟られぬよう、素早く大剣を引き抜くと、バスカは身を翻した。
打つ手は、他にも残っている。
歯を剥き出して笑い、もう一人の人質──トワリスに剣を突きつけようとしたバスカは、しかし、その場で標的を失って、たたらを踏んだ。
すぐ傍で拘束していたはずのトワリスが、いつの間にか、忽然と姿を消していたのだ。

 彼女を捕らえていた兵が、兜の外れた状態で倒れ、白目を剥いて気絶している。

──しまった、と思ったときには、もう遅い。
横合いから、懐に飛び込んできたトワリスの速さに反応できず、バスカが咄嗟に振った大剣は、虚しく空を斬った。
斬りかかった勢いで、前屈みになる。
その一瞬の隙に、鋭く突き上がってきたトワリスの蹴りが、バスカの顎に入った。

 ガチンッ、と噛み合った歯が折れて、バスカが後ろに仰け反る。
衝撃で大剣を取り落としたバスカは、口を押さえて、思わず踞った。
鼻と口から溢れた鮮血が、指の間から、ぽたぽたと滴り落ちてくる。
すぐに体勢を整えようとしたバスカであったが、背後から大剣を突きつけられると、やむを得ず動きを止めた。

「──従ってください。抵抗すれば、首を落とします」

 バスカから奪った大剣を、喉元にぐっと押し付けると、トワリスは短く囁いた。
兵から鍵を奪って、自力で手枷を外したのだろう。
トワリスの両腕は、既に拘束が解かれていた。


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