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投稿日:2021年08月03日
トワリスに立たされ、進むように促されると、バスカは、荒く息を吐きながら歩き出した。
ルーフェンたちの目前までやって来ると、バスカの肩越しに、サイとトワリスと目が合う。
サイは、トワリスを見つめて、顔を歪めた。
「トワリスさん……」
か細く名を呼べば、一瞬、トワリスの目に躊躇いの色が走る。
バスカに剣を突きつけたまま、トワリスはしばらく黙っていたが、ややあって、深呼吸すると、ゆるゆると首を振った。
「ごめんなさい……サイさん。でも、貴方の他に考えられないんです。以前、ご自分で言っていましたよね? セントランスに内通する裏切り者がいるなら、それは、シュベルテの内部事情もよく知っている人間だろう、って」
サイは、勢いよく否定した。
「ちがっ、違いますよ! シュベルテの内情に詳しい人間なら、他にも、沢山いるじゃないですか……! 何故、私だと──」
「では、セントランスに到着した日、門衛に何を渡したんですか? あれは、サミルさんから預かった親書ではありませんよね?」
「──!」
口調を強めたトワリスに、サイの目が、大きく見開かれる。
硬直したサイから視線をそらさず、トワリスは、悲しみと怒りが混ざったような、複雑な表情を浮かべていた。
訪れた沈黙に、ルーフェンが口を挟んだ。
「彼女は鼻が利くんだよ。本物の親書には、微かに匂い付けしてたんだ。中身をすり換えたり、加えたりしていればすぐに分かる。……召喚術の真似事だけでは限界を感じて、俺に探りを入れていただろう。大方、親書と偽って君が渡したのは、より精度の高い召喚術の真似の仕方ってところかな」
「…………」
唇をはくはくと開閉させながら、サイは、すがるようにバスカを見た。
バスカは、今までにないほどの厳しい顔つきで、サイを睨み付けている。
怯えたように下を向いたサイが、尚も繰り返した言葉は、聞き取れぬほどに弱々しいものであった。
「ち……違います。信じてください……」
譫言のようなそれには、もはや論駁の意思すら感じられない。
拍子抜けした様子で肩をすくめると、ルーフェンは、やれやれと嘆息した。
「往生際が悪いなぁ。第一、信じていないのは君の方だろう? 君は、最初からずーっと、俺のことを疑っていた。俺が『召喚術は召喚師一族しか使えない』と言えば、一般の魔導師でも使える方法を見出だそうとしていたし、『召喚術は悪魔を身に宿す方法しかない』と言えば、大勢の魔導師を使って、異形を具現化させる方法を探した。その結果が、これだよ」
改めて室内を見回して、ルーフェンは、広がる惨状を指し示す。
もはや、顔をあげようともしなくなったサイに、ルーフェンは構わず言い募った。
「俺のどの言葉が嘘で、どの言葉が本当だったかは、ある程度調べれば分かっただろう? 何年か前の魔導師団の報告書を遡れば、俺がノーラデュースでフォルネウスを可視化させた記録なんて簡単に見つかる。『召喚術は悪魔を身に宿す方法しかない』なんていうのは、真っ赤な嘘だ」
「…………」
「俺の嘘を暴けば暴くほど、召喚術を使える可能性に近づいていく。君は嬉々として、俺の発言の矛盾点を探り、糸口を掴みとったわけだ。いやぁ、すごいよね。俺が提示した魔語を一瞬で記憶して、その法則性まで導いちゃったんだから。びっくりしたよ、サイくんって本当に賢いみたい」
魔語、という単語に反応して、サイが、ようやく頭をあげる。
微かな光を目に浮かべると、サイは、震えた声で言った。
「そう……そうです。魔語は、私が……私自身の力で導き出したんです。莫大な魔力を元に、術式を魔語に置換し出力、発現する。それが、召喚術でしょう? 私の推論は正しい。使えるはずなんです。これだけの魔導師がいて、魔語による言語化が出来ているなら、使えるはずです。……私は、間違っていない」
その言葉こそが、自白になっているというのに、サイは、繰り返し繰り返し、自分は間違っていないのだと呟いた。
誰に対して反論するでもなく、ただ、脳内に構築した術式を再計算しながら、他ならぬ自分自身と葛藤している。
ルーフェンは屈みこんで、視線の定まっていない、虚ろなサイの目を覗き込んだ。
「だからさ、そこが甘かったって言ってるんだよ」
サイの瞳が、大きく揺れる。
ルーフェンは、目を細めて、淡々と続けた。
「頭の良いサイくんは、俺のことは疑っても、自分の優秀さは信じていたわけだ。俺の嘘を見破ることで、召喚術の発動条件を調べあげ、俺が提示した魔語からその法則性まで理解して、短期間で習得した。そうして“自力”でたどり着いた真実には、流石に疑いの余地がない。自分で探り出した答えなのだから、疑おうという思考にすらならない。誰だってそうだろう?」
「…………」
「君が独自で大成させた召喚術は、シュベルテで使ったような、単なる思念の集合体を操るだけの擬物じゃない。限りなく本物に近い、実体の悪魔を召喚できる“はず”だった。それをさっき、初めて披露しようとしたんだろう。召喚術で召喚師を殺そうなんて、なかなかに皮肉の利いた洒落だね。わざわざ召喚術の存在を仄めかせて、意地悪く宣戦布告してきただけあるよ。アルヴァン侯に悪知恵を吹き込んだのも、全部君なんじゃない?」
サイのことを皮肉だと揶揄しながら、それ以上の当てこすりを口にして、ルーフェンの唇は弧を描く。
そんな彼の顔を見つめたまま、サイは、回らなくなった頭で、必死に現状を打破できる糸口を探していた。
今、ここで思考を放棄してはならない。
考えることをやめれば、それこそルーフェンの思う壺だ。
この召喚師は、あえて嬲るような言い方をして、サイを追い詰め、動揺させて、話の主導権を掴み取ろうとしているのだ。
ふと、サイの耳元に顔を寄せると、ルーフェンは囁いた。
「……いいかい? 召喚術なんてものに、軽々しく手を出すな。君が手繰り寄せた糸に、その先はない。俺が見せて、君が習得したと思っていた魔語は、ただの鏡文字だ。本物に似せただけの、偽物にすぎないんだよ」
張っていた糸が、ぷつりと切れる音がした。
青ざめていくサイの顔を、ルーフェンが、細めた目の端で見る。
「……術式の逆展開。言っている意味が、分かるだろう? 魔法陣を反転させれば、効果が逆転するのと同じように、魔語も反転させれば、反対の効力を持つようになる。君が知らずに腕に刻んだ魔語は、君の意図とは全く逆の働きをしたんだよ、サイくん」
忘れていた腕の痛みが、じくじくと這い上がってくる。
皮膚に焼き付き、根を生やして食い破った宿り木のようなその紋を、ルーフェンは、一つ一つ、時間をかけて示していった。
「多量の魔力を集め、異形を実体化させるために、君が魔導師たちの腕に刻むよう指示した魔語は、見たところ三文字──翻訳すると、『集結』『形成』『奉奠』。つまり、君が実際に刻印したのは、それと逆の意味を持つ『四散』『破壊』『搾取』……といったところかな」
「……は、……っ」
吐息混じりの声が、震える。
ルーフェンは、ふ、と口元を綻ばせた。
「──そう、『破壊』。文字通り、君たちの腕は四散し、破壊され、そして搾取された。これは、召喚術なんかじゃない、ただの“呪詛”だ。魔語擬きを用いた呪詛なんて、俺も使ったことはないけれど、一般では解読不能な文字を使っているだけに、解除は難しいんじゃないかな。このまま放置すれば、みんな死ぬ。……君がやったんだよ。シュベルテの人間だけじゃない。君を信頼し、尽力したセントランスの魔導師たち、その全員を。……他でもない、君が、殺したんだ」
ひゅ、と喉の奥が鳴って、濃い死臭が、胃の中からせり上がってくる。
焦点の合わない目を見開き、いよいよ蒼白になったサイの顔を一瞥すると、ルーフェンは、立ち上がって、バスカのほうに向き直った。
「──さて、状況が変わったので、改めて話し合いましょうか。アルヴァン侯」
トワリスに大剣を突きつけられたまま、バスカが、ぎくりと表情を強張らせる。
ルーフェンは、美麗に微笑むと、冷ややかな眼差しを向けた。
「ああ、失礼。言い方を間違えました。これは交渉などではなく、一方的な蹂躙、そして脅迫です。……勘違いしないでくださいね?」
バスカは、血走った目で、ルーフェンを凝視した。
怒りとも憎しみともつかぬ、制御しきれない激情が、その瞳の奥で煮えたぎっている。
バスカは、一呼吸置くと、ルーフェンではなく、サイのほうを睥睨した。
「……っ、本っ当に役に立たないな! お前はぁっ!!」
サイは俯いたまま、ぴくりとも動かない。
糸の切れた操り人形に向かって、バスカは、喉が裂けんばかりの大声で怒鳴った。
「この馬鹿め! 恩知らずが! お前は私の言う通りに、黙って従っておれば良かったのだ……! 出来損ないのクズ、ゴミめが……っ!!」
「…………」
まるで理性を失った獣の如く、ふうふうと息を荒らげながら、バスカはサイに殴りかかろうと動く。
トワリスが、咄嗟に脇に腕を差し入れ、大剣を突きつけて止めたが、バスカの勢いは、全く留まらなかった。
刃が首の皮に食い込んでいくのも構わず、バスカは、サイの方へと身を乗り出していく。
見かねたルーフェンが、皮一枚、傷の入った首に手を添えると、バスカは、ようやく罵倒を止めた。
「少し落ち着いて下さい。この場で首が落ちても良いんですか? 今、アルヴァン侯と話しているのは、この私ですよ」
「……っ」
狂暴な眼差しをルーフェンに移して、苛立たしげに、ぎりぎりと歯を食い縛る。
バスカは、しばらく憤怒の形相で黙っていたが、束の間目を閉じ、息を吸うと、幾分か呼吸を整えた。
「……貴様らの望みは、なんだ。セントランスの降伏か」
ルーフェンは手を下ろすと、満足げに眉をあげた。
「まあ、平たく言えばそうですね。まずはセントランスの軍部解体と、三街への不干渉を誓ってもらいましょうか。……それからアルヴァン侯、貴方には、シュベルテに来て頂きます。……ああ、逃げようとか考えないで下さいね。屋敷の兵にも、そのまま待機命令を出しておいてください。この場に大勢押し掛けられても面倒ですから、呼ぼうとした時点で、貴方諸共全員殺します」
背後で、サイが息を飲む気配があったが、ルーフェンは振り返らなかった。
バスカがシュベルテに送られること──それはすなわち、“見せしめ”を意味している。
その末路など、言わずとも全員が理解していた。
ぎらぎらと光っていたバスカの目から、ふと、感情が消えた。
代わりに、底冷えするような、研ぎ澄まされた武人の双眸が、ルーフェンを見据える。
──その、次の瞬間。
突然、突き付けられた刃を片手で掴むと、バスカが、振り向き様に、トワリスの顔面めがけて殴りかかった。
咄嗟に上体を反らして拳を避け、トワリスは、掴まれた大剣を振り抜こうとする。
しかし、刃の食い込んだ肉厚な手からは、血が飛び散るだけで、斬り捨てることは叶わない。
まるで、痛みを感じていないような、凄まじい握力であった。
「──トワ!」
再び拳を振り上げたバスカに、応戦しようと身を低くしたトワリスであったが、ルーフェンに名を呼ばれると、すぐさま大剣から手を引いた。
後方へ二転し距離をとって、トワリスは、ルーフェンの側へと着地する。
大剣を取り戻したバスカは、血の滴る右手を使って、難なく体勢を整えた。
ルーフェンは、小さくため息をついた。
「……これは、交渉決裂ってことですかね。といっても、貴方に拒否権はないので、頷かないなら実力行使に出ますが」
「……──するな」
バスカが、何かを呟く。
ルーフェンが眉をひそめると、バスカは、頬の筋肉を引き攣らせ、声を張り上げた。
「──私を愚弄するな! 我がセントランスを、愚弄するな……!!」
言うや、バスカは、自身の腹に大剣を突き立てた。
一気に傷口を横に広げれば、鉄鎧の隙間から、大量の鮮血が噴き出す。
瞠目したルーフェンたちを睨むと、膝をついたバスカは、途切れ途切れに言葉を紡いだ。
「……私は、誇り高き、西方の……っ。穢れ、呪われた、貴様ら一族に、下るつもりなど、ない。五百年前、王権を、奪われた、あの時から……我らの道は、別たれ、た……っ」
ごぼっ、と嫌な咳をすると、バスカは吐血し、そのまま崩れ落ちた。
滾々(こんこん)として広がる血だまりが、石床を浸食していく。
訪れた静寂に、鉄鎧が激突する金属音だけが、虚しく響き渡った。
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