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投稿日:2021年08月03日
歯を食い縛って、トワリスは、刃先をサイに向けた。
彼の表情に、緊張が走る。
サイは、地を這ってでも、攻撃を避けねばと思ったが、その度に身体に激痛が走って、尚も動けずにいた。
垂直に振り下ろされた刃先を、サイは、眦を割いて見ていた。
何かしらの爪痕を残さねばと、血液が、脳内を急速に駆け巡っている。
その一方で、諦めに近い疲労感が、重い鎖のように全身に絡み付いていた。
(死ぬのか、このまま……)
ふと、そんな思いが込み上げてくる。
まだ自分は、何も成し遂げていない。成し遂げたいと思う、“何か”すら見つかっていない。
ただ、バスカに従い、言われるままに生きてきた。
そんな中身のない、木偶のような人生が、本当にこのまま、何事もなかったかのように終わるのか──。
(……死にたくない)
背筋を、ざわめきが走った。
それは、理屈と言うより本能に近い、純粋な、生への渇望であった。
(死にたくない……!)
胸に刃先が食い込んで、サイが、思わず目を閉じたとき──。
不意に、奇妙なことが起きた。
覚悟していた痛みが来ず、ゆっくりと目を開けると、剣を振り下ろしたトワリスが、石像のように硬直している。
トワリスだけではない。
ルーフェンも、ハインツも、この場にいる全てのものが、時を吸い取られたかの如く、動きを止めていた。
『……何がしたい?』
耳元で、何かが呟いて、サイは、はっと身を強張らせた。
動かないトワリスの下から這い出て、手足の感覚を確かめるように、よろよろと立ち上がる。
衣服についた血の染みはそのままであったが、気づけば、腕に負っていた傷は、跡形もなく消え去っていた。
「だ、誰だ……」
警戒したように問いかけながら、辺りを見回すと、背後に、もう一人自分が立っていた。
サイの顔から、さぁっと血の気が引いていく。
向かい合って立つ自分は、薄い笑みを唇に浮かべて、じっとこちらを見つめていた。
『……お前は、何がしたいんだ』
「…………」
再度尋ねられて、思わず一歩、後ずさる。
しかし、不思議と恐怖は感じていなかった。
目の前で起きていることが理解できず、混乱してはいたが、やがて、沸き上がってきたのは、未知への好奇心と、浮き足立った興奮。
そして、血の滾るような、一つの予感であった。
手を伸ばすと、その手をとったもう一人のサイは、大気に溶けるようにして消えていった。
同時に、見たことのない文字が、白熱した脳内に浮び上がる。
それが何なのか、認識した瞬間、サイの予感は、確信に変わった。
濃厚な死の匂いが、足元から立ち上ってくる。
血だまりに沈む養父、そして、積み重なった魔導師たちの身体から発せられるその匂いは、鼻腔から全身に沁しみ渡って、サイの飢えを満たしていった。
大きく息を吸うと、サイは、頭に浮かんだ“魔語”を唱えた。
「──汝、嫉妬と猜疑を司る地獄の総統よ。従順として求めに応じ、我が身に宿れ……!」
弾けるような、甘美な高まりが、サイの身体を突き抜けた。
刹那、時間が動き出すと共に、耳が痛むほどの静けさが掻き消え、広間に音が戻った。
サイが、ふっと天を仰ぐ。
──瞬間。傍らを熱波が擦り抜けた、と感じるや否や、ハインツのすぐ後ろの石壁が切り裂かれ、轟音を立てて、広間の天井が傾いた。
「────!?」
ぱらぱらと天井から石材の欠片が降り注ぎ、続け様に放たれた熱が、一波、二波と辺りを灼いていく。
サイが放った熱波は、養父を裂き、ついに息耐えた魔導師たちをも微塵にして、飛び散った血肉さえ、一瞬で焼き焦がした。
はっと顔を上げたルーフェンとトワリスは、突如迫ってきた熱波を、考えるより先に、左右に跳んで避けた。
状況が読めない、理解できない。
一突き入れたはずのサイが、いつの間にか、傷の治癒した状態で立ち上がり、奇妙な攻撃を繰り出しているのだ。
断続的に襲い来る熱の刃は、火の粉を散らし、白煙を巻き上げながら、広間を縦横無尽に滑空していく。
厄介なのは、避ければ避けるほど、その熱波が広間を破壊していくことであった。
広間自体が倒壊すれば、ルーフェンもトワリスもハインツも、サイだって、無事では済まされないだろう。
無茶苦茶な攻撃を繰り返すサイは、そんなことも分からないほど、我を忘れているようであった。
一転して避け、片足を軸に力強く踏み込むと、トワリスは、大剣を握り直した。
迫ってくる熱の刃に向かって、間合いを詰めると、下から一気に斬り上げる。
斬った──と確信したのも束の間、手の皮が焼けるような痛みを感じて、トワリスは、慌てて大剣を捨てた。
凄まじい熱量が、刃から手に直接伝わってきたのだ。
分裂し、軌道の反れた熱波が、トワリスの頬を掠かすって、石壁に激突する。
取り落とした大剣は、うっすらと赤みを帯び、高熱を孕んでいて、とてもではないが、握れる状態ではなかった。
サイは笑った。おかしくておかしくて、仕方がなかった。
今まで、己を組み強いてきた者たちが、傷つき、疲弊しながら逃げ惑っている。
その様を見ていると、愉快で、滑稽で、笑いが止まらなくなった。
まるで、自分ではない何かに、身体の主導権を握られているような感覚。
もはや、まともな思考は回っていない。
それでも、絶対的、圧倒的な力を手に入れたこの快楽の波に、サイは、何の躊躇いもなく身を委ねていた。
ハインツの肩口から、血が飛び散るのを見ると、ルーフェンは小さく舌打ちをした。
傷は浅いが、ハインツは攻撃の速さに反応できてない。
トワリスは上手く回避しているが、いずれ体力の限界は来るだろう。
サイの狂気じみた笑い声が、広間を震わせている。
一体サイに何があったのか、見極める必要があった。
人が変わったような愉悦の表情と、抑えきれない殺戮衝動。
その既視感のあるサイの言動に、一つの最悪な可能性が浮上してくる。
そう、何の予備動作もなく傷を回復させたことも、詠唱なしに強烈な熱魔法を撃ち続けていることも、普通の魔術では、到底成し得ない業なのだ。
ただ一つ──本物の召喚術を除いては。
ルーフェンは、凍てつく氷の障壁で、複数の熱波をまとめて防ぎ切ると、その僅かな隙に、サイの方へと駆け出した。
セントランスに、召喚術と見せかけた呪詛を行使させるため、ルーフェンは、サイにあらゆる情報を吹き込んでいる。
そして、“魔語への翻訳”と“多量の魔力”をそろえることで、召喚術を行使できる、という偽の真実を、自ら導き出させることでサイを誘導し、結果、セントランスを貶めた。
だが、それらの情報全ての真相を、ルーフェンは知っているわけではない。
そもそも、召喚術や悪魔といったものは、かなり不確定な要素が多く、謎だらけの存在だ。
魔語の解読、多量の魔力行使、悪魔という存在への干渉──これらの条件を満たせるのが、召喚師一族のみであるが故に、“召喚術は召喚師にしか使えない”と結論付けているだけに過ぎない。
とはいえ、それが真実だ。
実際、召喚術は召喚師にしか使えない。
揺るがない事実があって、その歴史を背景に、人々は皆、“そういう認識”でいる。
だが、今のサイを見ていると、これは“確固たる先入観”に過ぎないのではないか、という疑問が、ふとルーフェンの中に湧いてきたのであった。
サイの目が、ルーフェンを捉える。
憎々しげに顔を歪めたサイが、再び熱波を放つより速く、ルーフェンは、魔力を練り上げた。
一瞬、視界が暗転して、サイは人事不省に陥る。
ややあって、四方で仄白い閃光が駆け抜けたかと思うと、雷轟が響いて、凄まじい衝撃がサイを襲った。
「────……っ!」
迸(ほとばし)った雷撃が、咄嗟に張った結界をも破壊して、サイを縛り上げ、破裂した。
黒煙を吐き出しながらもんどり打ったサイが、声にならない絶叫をあげ、びくびくと痙攣して倒れ伏す。
その光景を、トワリスとハインツは、愕然と見つめていた。
あの雷撃を食らっておいて、まだ形を保っているサイが、人間とは思えなかったのだ。
サイと一定の距離を保ったまま、ルーフェンは、訝しげに尋ねた。
「……君は誰だ? サイ・ロザリエスじゃないだろう」
頭を巡らせたサイが、ルーフェンを見上げる。
まだ痙攣の治まらない手足を動かし、ゆっくりと立ち上がると、サイは、眉根を寄せた。
「……はっ、何を言っているんですか。私は、サイ・ロザリエスですよ」
「…………」
ルーフェンの目が、探るように細まる。
その目を見ている内に、浮かれた興奮が冷めてきて、サイは、不快そうに鼻に皺しわを寄せた。
この召喚師は、一体何を言っているのだろうか。
先程までルーフェンたちを追い込み、ねじ伏せていたのは、他ならないサイ自身だ。
誰だ、なんて、問うてくる意味が分からない。
いつもの調子でふざけているのかと思ったが、ルーフェンは、尚も真剣な目つきでこちらを見つめている。
その白銀の瞳が、月明かりのように心に入り込むと、不意に、記憶の底に眠っていた忌々しい光景が、脳裏に蘇ったような気がした。
目前に立つ、正統な《召喚師》の一族。
冴え冴えとした銀の髪、全てを見通すような瞳。
月光を透かす白皙()と、対して鮮やかな緋色の耳飾り──。
それらを見ていると、身を貫くような憤怒が、腹の底から突き上げてくる。
唐突に呼び起こされたその怒りの記憶は、サイにとって、身に覚えのないものであった。
サイが、苛立たしげに歯軋りを始めると、ルーフェンは表情を変えた。
そして、一拍置いてから、わずかに唇を歪めると、何かを試すような口ぶりで言った。
「……そう。まあ、答えたくないなら、それで構わないよ。それにしたって、随分と悔しそうじゃないか。……それもそうか。あれだけ攻撃して、俺たち三人、一人も殺せなかったわけだから。あの程度じゃ、俺たちは殺せないよ」
途端、サイの瞳孔が、牙を剥く獣のように縮まる。
目をぎろぎろと動かし、サイは、ハインツとトワリス、そして最後に、ルーフェンを睨んだ。
「なんだと? 無様に逃げ惑って、怯えていたくせに……!」
サイのものとは思えない、地を這うような低い声。
その怒り様を見て、ルーフェンは、内心ほくそ笑んだ。
「怯える? まさか。君が考えなしに魔術を使うから、この広間が崩れるんじゃないかと心配になっただけだよ。見くびるな。こっちはまだ、召喚術すら使っていない」
「この……っ!」
異様に光る目をルーフェンに向けると、サイは、苛立たしげに頭を掻きむしり、絶叫した。
見たこともないサイの姿に、トワリスが、思わず身を乗り出す。
それを手で制すると、ルーフェンは、見守るように目で示した。
(殺す、殺す殺す、殺す……っ!)
強い怒りが、腹の底からせり上がってきて、サイは、無茶苦茶に髪をかき混ぜた。
感情的になればなるほど、身を食われるような痛みが走り、皮膚の色が、浅黒く変色していく。
それと同時に、得たことのない絶大な魔力が漲()ってきて、サイは、全身をぶるぶると震わせた。
やがて、張り詰めた怒りが、頂点に達した時──。
膨らみ切ったものが、音を立てて弾けた。
鮮血が耳まで詰まり、鼻の奥に、鉄の臭いが迫ってくる。
眼球が押し出されるような内圧に、思わず口を開けると、喉元まで逆流してきた血液が、ごぷりと吐き出された。
「────……かはっ!」
膨張しきった魔力が弾けて、静かに引いていく。
地面に崩れ落ち、微動だにしなくなったサイは、もう、息をしていなかった。
死が統すべる静寂の中で、何かが、ルーフェンの耳元で囁いた。
固く閉ざされていた扉の隙間から、手招きをして、ルーフェンを此方へと誘(いざな)っている。
何か物思いをしているルーフェンを一瞥してから、トワリスは、魂の抜けたサイの遺体を見つめた。
強烈な死の臭いが鼻にこびりついて、頭の中が、ぼんやりとしている。
寄ってきたハインツが、手の火傷は大丈夫かと心配そうに尋ねてきたが、そう問われるまで、トワリスは、手の痛みすら感じていなかった。
To be continued....
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