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投稿日:2022年01月03日
第五章──淋漓たる終焉
第三話『永訣』
サーフェリア歴、一四九五年。
木枯らしが窓を叩き、冬の到来を知らせる頃に、軍事都市セントランスは、レーシアス王政の傘下に入った。
独立自治は認められたが、軍部は解体され、長年領家として栄えてきたアルヴァン侯爵家は失脚。
新たに領主として据えられたのは、シュベルテの有力貴族であった。
世間を震撼させた、セントランスによる宣戦布告の撤回を、人々は粛々と受け入れた。
シュベルテへの襲撃がもたらした怨恨と恐怖は、それほどに根深い。
再び訪れた平穏に歓喜するには、払った犠牲が、大きすぎたのであった。
サミルは、セントランスが没落した事実と、開戦には至らなかったという簡単な経緯だけを発表して、それ以上は語らなかった。
アルヴァン家が召喚術の行使を試行していたことや、サイ・ロザリエスの存在などは、公表するべきではないと、ルーフェンが判断したのである。
特に、サイの身に何があったのかは、同行していたトワリスとハインツも気になっていたが、ルーフェンは、二人に対しても一切口を割らなかった。
ルーフェンだけが、何かに勘づき、以来、物思いする時間が増えている。
しかし、彼はそのことに関して、誰にも明かす気はないようで、それどころか、セントランスでの出来事は、このまま闇に葬るつもりなのだろう。
シュベルテでは、バスカ・アルヴァンの死だけが、煢然と曝されたのであった。
* * *
「……トワリス、ここにいたんですね」
サミルに声をかけられて、トワリスは、はっと顔をあげた。
開け放たれた窓から、冷たい夜風が書庫に入り込んでくる。
持参した手燭の炎が、頼りなく縮むのを見て、サミルはそっと窓を閉めた。
トワリスが、慌ててペンを机に置き、立ち上がって礼をしようとすると、サミルはそれを制して、向かい側に座った。
窓際に置いた手燭の炎が、隙間風で微かに揺れている。
分厚い毛織の羽織を引き寄せると、サミルは、穏やかな声で言った。
「こんな夜中に、窓も開けっぱなしでいては、風邪を引いてしまいますよ。最近、特に冷え込んできましたからね。……眠れないんですか?」
「…………」
ぱちぱちと瞬いて、サミルを見つめる。
逡巡の後、誤魔化すように笑むと、トワリスは俯いた。
「……はい。なんだか、上手く寝付けなくて……」
吹き付けた夜風が、窓をガタガタと鳴らす。
サミルは、少しの間、暗い窓の外を眺めていたが、やがて、小さく息を吐き出すと、トワリスに視線を戻した。
「……残念でしたね。サイくんのこと」
ぴくりと耳を動かして、トワリスが瞠目する。
眉を下げると、サミルは続けた。
「ハインツが、心配していましたよ。セントランスから帰ってきて以来、トワリスの元気がないと。……サイくんは、君の同期だったそうですね。友人を失うというのは、とてもつらいことです」
「…………」
トワリスは、答えなかった。
長い間、目線を落としたまま黙っていたが、ややあって、ゆるゆると首を振ると、唇を震わせた。
「……つらくはありません。つらいとか、私が言えたことじゃないんです。……サイさんをルーフェンさんに売ったのは、私ですから」
俯いていたので、サミルがどんな表情をしているのかは、分からなかった。
ただ、真剣に耳を傾けて、聞いてくれている。
それだけは確信できて、気づけばトワリスは、溜め込んでいたものを、ぽろぽろと溢していた。
「サイさんのことは、尊敬していました。でも、禁忌魔術への異常な執着心とか、少し怖いと思う部分もあって……。特に、アーベリトで再会してからは、何かを隠しているんじゃないかって、なんとなく感じていたんです。だけど、証拠があるわけじゃないし、疑いたくなかったので、何も言えませんでした。一方で、いざという時は、アーベリトの中で一番付き合いの長い私が、彼を止めなくちゃならない、とも思っていました」
トワリスは、膝上に置いた拳を、ぎゅっと握った。
「……親書を届けに行くサイさんに、同行する許可をもらった際、ルーフェンさんが、サイさんのことを疑っているんだって、打ち明けてきました。その時……私、すごく安心してしまったんです。私以外にも、サイさんのことを怪しんでいる人がいる。それがルーフェンさんなら、きっとなんとかしてくれるだろうって……転嫁したんです。訓練生時代に見てきた、サイさんの性格とか、魔術の癖とか、役に立ちそうな情報を、全てルーフェンさんに伝えました。セントランスに着いてからは、サイさんのことも欺いて……最終的に、死なせてしまいました」
ようやく顔をあげると、トワリスは、サミルの顔をまっすぐに見つめた。
「後悔はしていません。何かを守るためには、非情な選択も必要です。サイさんは裏切り者で、私達はそれを罰した……これは、アーベリトのためになる行為だったと、頭では理解しています。けれど、こんなやり方で良かったのかと、ふと思う時があるんです。……私は、人として卑怯です。サイさんのことを、疑いたくない、なんて思いながら、本当は、誰よりも疑っていました。それならそれで、私が手を下すべきだったのに、目を反らして、ルーフェンさんに汚い役を押し付けました。……自分が情けなくて、悔しいです」
「…………」
沈鬱(ちんうつ)な顔で下を向き、トワリスは唇を噛む。
サミルは、寂しそうな表情を浮かべると、静かな口調で尋ねた。
「……貴女に、そんな顔をさせているのは、私ですか?」
「え……」
トワリスが、顔をあげる。
サミルは、目を伏せて言い募った。
「何かを守るためには、非情な選択が必要……ええ、確かにそうかもしれません。ですが、そんなことを、貴女のような若い子達たちに理解させているなんて、それこそ非情なことです。いかなる理由があろうとも、殺しを良しとすることがあってはいけません。開戦を阻止するためとはいえ、セントランスを欺き、没落させたことは、決して正しいことだとは言えない。しかし、だからといって、貴女たちを責める道理はありません。……そうすることを貴女たちに強いたのは、他ならない、私なのですから……」
思わず身を乗り出すと、トワリスは、力強く否定した。
「そんな、強いられただなんて思ってません! ごめんなさい、私、そういうつもりで言ったんじゃなくて……! サミルさんの仰る通り、人殺しを正当化できる理由なんてないでしょう。それでも、アーベリトのことは、どんな手段を使ったって守りたいんです。きっと、皆そう思ってますよ。サミルさんのせいで、なんて思ってません。むしろ、アーベリトには沢山恩があるから、自らの意思で、手を汚しているんです」
思いがけず、熱の入ったトワリスの主張に、サミルは一度、言葉を止めた。
我に返ったトワリスが、頬を紅潮させて、椅子に座り直す。
束の間、サミルは沈黙していたが、しばらくして、苦しげに眉を寄せると、弱々しい声で返した。
「……皆、そう言ってくれるのです。でも私は、アーベリトを、居場所を失くした子供たちが、安心して暮らせるような街にしたかった。あわよくば、この国全体を、ね。それなのに、目指すべき安寧のために、肝心の子供たちが犠牲になっている。心優しい、まっすぐな子達ほど、アーベリトのためだからと言って、薄暗い道を選ぶのです」
サミルは、悲しげに微笑んだ。
「治世とは……人とは、難しいものですね。幸せが当たり前の世の中を、皆が望んでいるはずなのに、なかなか実現しない。……私が力及ばないばかりに、ルーフェンにも、君にも……申し訳ないことをしました」
珍しく、弱音を口にしたサミルに、トワリスは、どう答えて良いか分からなかった。
トワリスは、サミルのせいで、道を違ったとは思っていない。
それは、ルーフェンやハインツとて同じことだ。
闇へと続く、死臭の漂う道だったとしても、ルーフェンはきっと、迷わずに進んでいくだろう。
トワリスとハインツもまた、そんな彼が一人きりにならないよう、同じ道を寄り添って進むことを心に決めている。
結果的に、血に塗れることになっても構わない。
これが自分達の選んだ道だと、そう言い張れるくらいの覚悟はしているつもりだ。
トワリスは、頑なな顔つきになった。
「……謝らないでください。サミルさんの想いは、ちゃんと伝わっていると思います。確かに、理想とは違うのかもしれませんが、その理想を叶えるための糧になろうと、皆、必死に走っているんです。これは、必要な犠牲です。それが分からないほど、私達は子供じゃありません」
「…………」
そう断言したトワリスを、サミルは、少し驚いたように見つめていた。
ややあって、その目元に皺が寄り、安堵したような表情が浮かぶ。
線の細い顔(かんばせ)が綻び、細められた薄青の瞳と目が合うと、ふと、サミルも年をとったなと、そんな思いが頭をよぎった。
「……トワリスは、しっかりしていますね。子供扱いをして、すみません。過保護で世話焼きなのは、私の悪い癖なのです。……許してください」
冗談らしい響きも織り混ぜて、サミルは呟く。
次いで、懐から丁寧に折り畳まれた書簡を取り出すと、サミルは、それをトワリスの前に出した。
「……これは?」
「私の遺書です」
弾かれたように瞠目し、サミルの顔を見る。
頷いたサミルを、トワリスは、信じられぬものを見るように、じっと凝視していた。
「……う、嘘、ですよね……?」
「……いいえ」
サミルは、なだめるような声で言った。
「ここには、私の死んだ後の事が書いてあります。どうか、これを預かっておいてくれませんか? ……多分ルーフェンは、今渡しても受け取ってくれないので……」
サミルの言葉を遮るように、トワリスは、声を荒げた。
「私だって、受け取りたくありません! どうして急に、そんなこと言うんですか? い、遺書って……ずっと、先の話ですよね……?」
言いながら、遺書を差し出してきたサミルの手を、拒むように掴んで押し返す。
そして、その枯れ枝の如き細さに、トワリスは驚いた。
年を取って、痩せただけではない。
分厚い羽織で隠されていた、病的な細さであった。
「…………」
不意に、涙の膜が盛り上がる。
サミルの腕を離し、戸惑ったように手を彷徨わせてから、トワリスは尋ねた。
「サミルさん、死んじゃうんですか……?」
サミルは、困ったように微笑んだ。
「人は、いつか死にますよ。私も、もう六十です。前々から、内腑を患っていたんですが、それが、思ったよりも早くに進行してしまいました」
「……治せないんですか?」
「症状を遅らせることはできます。でも、その場しのぎにしかなりません。……せめて、シュベルテに王位を返還するまでは、生きていなければと思っていたのですが……。皆に、謝らなければなりませんね」
サミルはそう言って、寒そうに羽織を手繰り寄せた。
手燭の炎が、揺れている。
サミルの小さな影法師も、床で儚げに揺れている。
穏やかな顔つきで、ひっそりと椅子に座っているサミルを見ていると、途方もない寂しさと切なさが、胸の底から込み上がってきた。
こぼれ落ちた涙が、ぽつりと頬を伝う。
トワリスは、ごしごしと目を拭った。
「……他の皆は、知っているんですか?」
サミルは、首を横に振った。
「一部の医術師と、トワリス以外には、まだ知らせていません。私が動けなくなるまでは、伝えないつもりです。……といっても、聡い人は、じきに勘づくでしょうが……」
言葉を切って、サミルは、トワリスに向き直った。
「……君は、ルーフェンのことを、どう思いますか?」
唐突な問いかけに、顔をあげる。
すん、と鼻をすすると、トワリスは答えた。
「……ちょっとだらしないけど、優しくて、強い人だと思います」
サミルは、微苦笑を浮かべた。
「そうですね。でも、立場上そう思われやすいだけで、存外に彼は脆くて、まだまだ子供っぽいところがあります。……君とハインツで、支えてあげてくださいね」
「…………」
遺書を手に取って、サミルが、再び差し出してくる。
いりません、と答えようとして、トワリスは、ぐっと唇を引き結んだ。
書庫は冷え冷えとしているのに、濡れた目元だけが、異様に熱く感じる。
トワリスは、呼吸を整えてから、「……はい」と返事をすると、その遺書を、受け取ったのであった。
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