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投稿日:2022年01月03日
遺書なんてものを渡してきたのに、サミルの城館内での振る舞いは、何も変わらなかった。
朝起きて、国王としての執務にあたり、皆が寝静まった頃になって、ようやく自分も席を立つ。
病のことなど尾首にも出さず、不調な素振りすら見せない。
あまりにもいつもと変わらないから、サミルの死期が近いことに気づく者など、誰一人いないのでないか、とすら思えた。
それでも確実に、病はサミルの身体を蝕んでいく。
日が経つにつれ、肌が青白くなり、着込むだけでは誤魔化せないほどに痩せて、サミルは、また一回り小さくなった。
やがて、起きていられる時間が短くなっていくと、その頃には、サミルを心配する声も上がるようになっていた。
事情を知っているトワリスは、自然とサミルの周りにいることが多くなっていたが、国王が罹患した、という話は、意外にも聞かなかった。
目に見えて弱っていくサミルに、そういう噂が立つのも時間の問題かと思っていたが、不思議なほど、サミルの衰弱ぶりに触れる者はいない。
杞憂であってほしい、嘘であってほしいと、皆が願っていたのだろう。
箝口令を敷いたわけでもないのに、サミルの元に医術師が頻繁に通うようになっても、誰も、何も言わなかった。
サミルが執務室や謁見の間に出られなくなると、城館仕えの者たちが、代わりに私室を訪れるようになった。
最初は、政務絡みの話をしにくる文官がほとんどであったが、サミルが拒まないのを良いことに、侍従や自警団の者たちが、仕事終わりに世間話をして帰ることも増えていった。
朝から晩まで、ひっきりなしに訪れる人々の話を、サミルは、寝台に腰かけて、頷きながら聞いている。
終いには、城下の顔馴染みたちが、果物を片手に雑談をしに来るようになったので、流石に無遠慮すぎるとトワリスは怒ったが、サミルは、どことなく嬉しそうであった。
目を周りが落ちくぼみ、肋が浮いて背が曲がっても、サミルの心持ちだけは、全く変わらなかった。
出来ないことが増えて、度々申し訳なさそうに謝ることはあったが、それでもサミルは、ようやく出来た長い休暇でも楽しむかのように、ゆったりと、穏やかな時を過ごしている。
近づいてくる死の足音に、悲嘆するでもなく、怯えるでもない──。
サミルはただ、その音に耳を澄ませて、静かにその瞬間を待っている。
トワリスから見た今のサミルは、むしろ、とても幸せそうで、きっと彼は、全てを受け入れているのだろうと思った。
人々がサミルを訪ねるようになってから、半月ほど経ったが、ルーフェンだけは、一向に顔を出さなかった。
セントランスでの一件があってから、彼は、一人で調べものをしたり、執務室に引きこもっていることが増えた。
これまでも、何か気になることが出来ると、ルーフェンは一人で耽ることが多かったので、今回もそうなのだろう。
しかし、いくら調べたいことがあるからといっても、病床につくサミルを放置するなんて、彼らしくない。
何気ない風を装って、トワリスが「最近ルーフェンさんを見ませんね」と言うと、サミルは、「彼にはまだ、病のことを伝えてませんからね」と苦笑混じりに答えた。
確かに、サミルの身体のことは、まだ一部の人間にしか知らせていない。
しかし、もう大体の者は勘づいていたし、ハインツですら、なんとなく察しがついている様子であった。
この状況で、あのルーフェンだけが気づいていないなんて、そんなはずはないだろう。
病のことを、周囲にどう打ち明けたら良いのかは、サミル自身も、まだ迷っているようであった。
故に、トワリスも黙っていたが、ふと、それで良いのかと、焦燥感に駆られることもあった。
ルーフェンが、一体どういうつもりで会いに来ないのかは分からない。
けれど、もしこのままサミルが死んだら、ルーフェンはきっと後悔するだろう。
大切な人の最期が分かっているのに、ろくに顔も見せず、会話することも出来ないままなんて、これほど悲しいことはない。
そう思うと、ただ沈黙していることが、正しいとは思えなくなっていた。
日没が早くなると、一層冷え込む黄昏時には、人々は家路を急ぐ。
人気のない、裏手の庭に佇む大木の近くで、ルーフェンは、冬枯れの落葉と共にいた。
「ルーフェンさん」
やっと見つけた、とため息混じりにぼやけば、歩み寄ってきたトワリスを見て、ルーフェンが眉をあげる。
隣に立って、同じように木に寄りかかると、トワリスは、ふうと白い息を吐いた。
「書庫にも、執務室にもいないので、屋敷中を探し回りましたよ。忙しい時に、仕事さぼらないでください」
厳しい声で言うと、ルーフェンは、くすくす笑った。
「さぼってないよ。ちょっと休憩してただけ。……こんなところまで来て、何かあった?」
「……ルーフェンさんこそ、何かあったんですか?」
問い返すと、ルーフェンが口を閉じる。
何を考えているのか、ぼんやりと裸の樹枝を見上げて、彼は、呟くように言った。
「……なんにも。ただ、考え事をしてただけだよ」
「……考え事?」
「うん。……セントランスのこととか、あとは……サミルさんのこととか」
わざとらしい口調で言うと、ルーフェンは、トワリスに視線を投げ掛けた。
トワリスが、サミルのことを伝えに来たことは、なんとなく分かっていたのだろう。
トワリスが眉を寄せると、ルーフェンは、事も無げに尋ねた。
「サミルさんのこと、どこまで知ってるの?」
トワリスは、わざとぶっきらぼうに答えた。
「……全部知ってます。ご本人から、直接聞いたので」
「……そう」
ルーフェンは、案外すんなりと返事をした。
「……ルーフェンさん、やっぱり気づいてたんですね」
トワリスが言うと、ルーフェンは、肩をすくめた。
「そりゃあ、気づくよ。サミルさん、見る度に縮んでるんだもん。もう、俺の胸あたりまでしかないんじゃないかなぁ。……昔は、俺の方が見上げてたのに」
ふざけた調子で言って、それでも、懐かしそうに目を細めると、ルーフェンは、再び樹枝を見上げる。
この分だと、もしかしたら、トワリスが知るよりも前に勘づいていたのかもしれない。
トワリスは、睨むようにルーフェンを見た。
「分かってるのに、どうして顔を出さないんですか? サミルさん、多分寂しがってますよ」
「…………」
薄暗い視界の先で、緋色に光るルーフェンの耳飾りが、ちらりと揺れる。
ルーフェンは、束の間沈黙していたが、少し間を置くと、トワリスのほうを見ないまま答えた。
「俺は、サミルさんから何も知らされてないから……しばらくは、気づいていない振りをしていたほうがいいのかと思って。大体、会いに行ったところで、意味はないだろう。会って話せば、身体が良くなるわけじゃない。……サミルさんのことは助けたいけど、治る見込みのない病気が原因だなんて言われたら、俺だって、どうしようもないよ」
「意味はない、って……」
トワリスは、思わず顔をしかめた。
意味はないだなんて、本気で言っているのだろうか。
この期に及んでふざけているなら、笑えない冗談である。
トワリスは、ルーフェンに詰め寄った。
「なんでそんなこと言うんですか。確かに、病状が改善することはないかもしれませんが、意味がないなんて言わないで下さい。ルーフェンさんだって、サミルさんに伝えておきたいこととか、話したいこととか、沢山あるでしょう」
「…………」
ルーフェンは、何も言わなかった。
ただ、少し戸惑ったような表情になると、開きかけた口を閉じ、そして、小さく首を振った。
「……そんなの、分かんないよ。こういう時って、どうすればいい?」
わずかに声の調子を落としてから、ルーフェンは、眉を下げて微笑む。
その様子を見て、今度は、トワリスが戸惑う番であった。
ルーフェンは、冗談を言っているわけではない。
本当に、どうすれば良いのか分からず、途方にくれていたのだ。
トワリスは、目を見開いた。
(そうか、ルーフェンさんは……)
アーベリトが王都になってから、ずっと、サミルを守ってきた人だ。
召喚師として、多くの死に触れてきたはずだが、一方で、自分が心から慕う人の死には、触れたことがなかったのかもしれない。
ルーフェンが、シュベルテの王宮で暮らしていた時のことを、トワリスはほとんど知らない。
けれど、シルヴィアとの関係を見る限り、本当の親兄弟とは、疎遠だったのだろう。
おそらく、サミルだけなのだ。ルーフェンとって、親類と呼べるものは。
何を犠牲にしても、どんな手段に手を出しても、アーベリトと、その主であるサミルのことだけは、大切に守ってきた人。
しかし今、抗う術のないものが、そのサミルの命を蝕んでいる。
一見分かりづらいが、これでもルーフェンは、本気で動揺して、一人で悩んでいたのかもしれない。
トワリスは、発言に迷った様子で口ごもったが、逡巡の末、ルーフェンに一歩近づいた。
「どうすれば良いのか、正解は分かりませんが……。私は、母が死んだと知ったとき、もっと傍で話したかったなぁと思いました。きっと、母もそうだったんじゃないかと思います。……だから、ルーフェンさんも傍に行って、話せばいいと思います」
「…………」
肩口が、ルーフェンの腕に軽く触れる。
一体いつから、彼は外に出ていたのだろう。
服越しでも分かるほど、ルーフェンの身体は、冷えきっていた。
ルーフェンは、再度首を振った。
「それは、血の繋がった家族の話だろう。……俺は、サミルさんの実子ってわけじゃない」
ぽつりと、平坦な声で呟く。
その顔を、横から覗き込んだ時。
サミルが、ルーフェンのことを“存外に脆くて、まだまだ子供っぽいところがある”と称していた意味が、なんとなく分かったような気がした。
声音こそ落ち着いているものの、彼の表情には、いじけたような色が浮かんでいたのだ。
普段の綽々とした態度からは、まるで想像がつかない姿である。
昔、トワリスがまだ孤児として、レーシアス邸に住んでいた頃。
ロンダートや、当時屋敷の家政婦をしていたミュゼが、ルーフェンのことを「私達とは住んでる世界が違う」と称賛していたことがあった。
彼らは良い意味で言ったのだろうし、立場の違い故にそう表現してしまう気持ちも分かるのだが、トワリスは、なんとなくその言い方に違和感を覚えていた。
ルーフェンは、確かに隙のない印象があるが、それでも、同じ人間である。
取り繕うのが上手いだけで、時には、世間が望む『召喚師様』でいられないこともあるだろう。
辛いことや、苦しいことがあれば、落ち込むこともあるだろうし、いつも見せている腹立たしいくらいの余裕が、保てない時だってあるはずだ。
トワリスは、ルーフェンの強い面ばかりを見てきた。
というより、“その面”ばかりを見せられてきた。
ルーフェンは、きっとそういう人なのだ。
特殊な立場に生まれたが故に、虚勢を張ることに、慣れてしまっている。
人より多くのものを持っている代わりに、普通は持っているものを手放してしまったような──そんな、孤独な人なのだ。
サミルが言っていたのは、きっと、こういう意味なのだろう。
トワリスは、呆れたように嘆息した。
「意外と細かいことを気にするんですね。家族なんて、そもそも血の繋がりがないところから生まれるわけじゃないですか。……というか、そういう話をしてるんじゃありませんよ。実子だとか、実子じゃないとか、そんなこと、今はどうだっていいでしょう」
ルーフェンの瞳が、はっきりとトワリスを映す。
しかし、すぐに目を伏せると、ルーフェンは返した。
「……それはまあ、そうだけど」
尚も煮え切らないルーフェンの態度に、トワリスが眉をひそめる。
そのまま、じっとルーフェンを睨んでいたが、しばらくして、やれやれと吐息をつくと、トワリスは、穏やかな口調で言った。
「少なくとも、サミルさんはそんなこと、気にしないと思います。……それは、ルーフェンさんが一番よく知ってるんじゃないですか?」
「…………」
伏せられていたルーフェンの目が、微かに動く。
少しの間を空けて、目を閉じると、ルーフェンは「そうだね」と呟いたのであった。
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