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投稿日:2022年01月03日






「……兄さん?」

 不意にそう呼ばれて、ルーフェンは、窓掛けを閉じようとした手を止めた。
静かな夜。暖炉の炎以外、光源のない薄暗い部屋で、寝台に横たわったサミルが、ぼんやりとこちらを見ている。
半分寝ぼけているのだろう。
微睡みから覚めたばかりの目は、ルーフェンの姿を、はっきりと認識できていないようであった。

「……起こしちゃいましたか。すみません、ちょっと様子を見に来ただけなんですが」

 言いながら、寝台に腰かけると、ルーフェンは、サミルの額に触れた。
薬を飲むようになってから、頻繁に熱を出すようになったと聞いていたが、今のサミルの体温は、それほど高くないように思える。
あるいは、先程まで暖炉の前にいたので、ルーフェンの手が熱くなっているのかもしれなかった。

 ようやくルーフェンだと分かったのか、細まっていた目が開いて、その瞳に光が映った。
ゆっくりとした所作で羽織を手繰り寄せ、上体を起こす。
寝台に座って、ルーフェンに向き直ると、サミルは、目尻に皺を寄せて破顔した。

「ルーフェン。なんだか、久しぶりですね」

「……はい。……すみません」

 罰が悪そうに目をそらすと、サミルは、ふふっと笑った。
ルーフェンの考えていることは、なんとなく察しがついていたのだろう。
それ以上は触れずに、窓のほうに視線をやると、サミルは、ほうっと吐息を溢した。

「……ああ、今日は冷えると思ったら、雪が降っていたんですね」

 窓の縁にうっすらと積もった、仄白い雪を見つめる。
立ち上がって、先程閉め損ねた窓掛けを今度こそ引くと、ルーフェンは答えた。

「ついさっき、降り始めたんですよ。明日は一日、止まないかもしれませんね」

 サミルは、ふふっと笑った。

「そうですか……積もるといいですね」

「ええ? 寒いし、雪掻きが面倒ですよ」

「でも、孤児院の子供たちが喜びますよ。積もった翌日は、皆で飛び出して、雪合戦するのがお決まりでしょう」

 怪訝そうに眉を寄せたルーフェンをみて、サミルは、楽しそうに言った。
確かに、雪が積もると、子供たちは異様な盛り上がりを見せて、我先にと部屋を飛び出していく。
王座についてからは、ほとんど顔を出さなくなったが、昔は、ルーフェンがアーベリトに忍んで行くと、雪にまみれて鼻頭を真っ赤にした孤児たちが、きゃあきゃあと騒ぎながら、サミルに纏(まと)わりついていたものだ。

 目を伏せると、サミルは、独り言のように言った。

「懐かしいですね……。孤児院を出た子達は、皆、どうしているでしょうか」

「…………」

 暖炉の炎がぱちっと弾けて、薪が音を立てる。
ルーフェンは、手をかざして炎を強めると、少し間を置いてから、淡々と返事をした。

「……気になるなら、手紙でも出してみたらいいんじゃないですか。アーベリトに残ってる人も、それなりにいるだろうし、もしかしたら、城館まで会いに来るかもしれませんよ」

 サミルは、困ったように眉を下げた。

「そうですね。……でも、最近手の痺れが取れなくて……もう、字が書けないんです」

「じゃあ、俺が代筆しますよ」

「ふふ、嫌ですよ。手紙の内容を、君に伝えて書いてもらうなんて、なんだか恥ずかしいです」

「…………」

 ルーフェンが肩をすくめると、サミルは笑った。
次いで、どこか遠くを見るような目になると、サミルは続けた。

「いいんですよ。……皆、賢い子達でしたから、きっとどこかで、元気に暮らしているでしょう。若い内の時間は貴重ですから、私のような老いぼれに会うために、時間を割く必要はありません。顔が見れなくても、幸せに生きてくれているなら……私は、それで十分なんです」

 そう言ったサミルの言葉に、卑屈な響きは感じられない。
ルーフェンが、「そんなものなんですか」と尋ねると、サミルは朗らかに微笑んで、「君もいつか、分かりますよ」と、そう答えた。



 窓の外で、しんしんと雪が降っている。
何かに耳を澄ませながら、サミルが、不意に手招きをした。

「……ルーフェン、折角来たのですから、少し、今後の話しませんか」

「…………」

 ルーフェンは、躊躇ったように、横目でサミルの顔を見た。

「……もう、真夜中ですよ。明日また来ますから、今夜は寝た方が良いんじゃないですか?」

「大丈夫ですよ。日中、ずっと寝ていたので、今は眠くありません」

 柔らかな口調ながら、譲ろうとしないサミルの態度に、ルーフェンは、一つ嘆息する。
ルーフェンが再び寝台に腰かけると、一拍置いて、サミルは口を開いた。

「……シャルシス殿下が、十五で成人するまで、あと七年。私が死んでから、その七年の間は……シルヴィア様に、王位をお譲りしようと思うんです」

 ルーフェンの目が、微かに動く。
何も言わないルーフェンに、サミルは、静かな口調で言い募った。

「セントランスの襲撃により、魔導師団は、大打撃を受けました。シュベルテでは今、旧王家による統治を拒む、反召喚師派のイシュカル教会と、新興騎士団の動きが活発化しています。その動きを沈静化させるためにも、魔導師団の権威を復活させるためにも、君たち召喚師一族の力が必要です。シルヴィア様は、前召喚師であり、前王エルディオ様の第三妃にも当たる方です。王位継承の資格は、十分にあると言えましょう。シルヴィア様が王座に座り、君が召喚師として立ち続ける。そうすれば、来たる王位返還の時までに、シュベルテの傾いた統治体制を、建て直すことができるかもしれません」

「…………」

 ルーフェンは、しばらく俯いたままでいた。
だが、やがて皮肉るような笑みを溢すと、サミルのほうを見ずに言った。

「……なるほど。だから、あの女をアーベリトに置いて、仲直りするように、なんて言い出したんですね?」

 サミルは、首を左右に振った。

「いいえ、逆です。襲撃にて傷を負い、アーベリトに運ばれてきたシルヴィア様のご様子を見て、彼女を次期国王に指名しようと思い付きました。召喚師としての力を失い、シュベルテでの居場所も無くした彼女は、一人、アーベリトの東塔で、静かに過ごしています。……それこそ、今の私のようにね」

「…………」

「以前も言った通り、彼女には、もう何も残っていません。王座についても、実権を握っているのが君であれば、策謀さくぼうすることなどできないでしょう。……あと七年です。たった七年、シルヴィア様のお名前を、お借りするだけで良い」

 振り向くと、ルーフェンは、サミルのことをきつく睨み付けた。
二人はそうして、しばらく見つめ合っていたが、やがてルーフェンは、その顔つきを崩すと、掠れた声を出した。

「……ひどいですよ、サミルさん。七年前、あの女が息子たちを殺してまで王座につこうとしていたこと、忘れたんですか? シュベルテの王宮から、俺を連れ出してくれたのは、他でもないサミルさんじゃないですか。その貴方が、俺に、もう一度あの日々に戻れと言うんですか……?」

 紡ぎだした語尾が、か細く震える。
懇願するように、ルーフェンがしなだれると、サミルは、囁くように問うた。

「……そんなにも嫌ですか? 自分の、母君の隣に立つことが」

「嫌です。あの人は、俺の母親じゃありません」

「…………」

 サミルは、深くため息をつく。
それから、一転して口調を和らげると、なだめるように告げた。

「……では、この件は、シルヴィア様と話し合って決めるといいですよ。じっくり話してみて、シルヴィア様と君が、王と召喚師という関係を築けそうだと思ったら、実際に試してみると良いでしょう」

 ルーフェンは、乾いた笑みをこぼした。

「なに言ってるんですか……。話し合いなんてしたところで、俺達には、決定権がありません。現国王の貴方が言うなら、拒否することは出来ないんですよ」

 投げやりな言い方をして、ルーフェンはもう一度首を振る。
一呼吸分、間を置いてから、サミルは、あっけらかんと答えた。

「問題ありませんよ。私、トワリスに渡した遺書には、次期国王はシルヴィア様にします、なんて、一言も書いていませんから」

「…………は?」

 がばっと顔をあげたルーフェンが、ぱちぱちと瞬く。
滅多に見ない、ルーフェンの面食らった表情に、サミルは、ぷっと吹き出した。

「遺書には、三街分権さんがいぶんけんの意を記しておきました。要は、今までの協力関係を一度解消して、私が王座につく前の、元の統治体制に戻す、ということですね。……ハーフェルンは問題ないでしょうし、アーベリトも、この数年で随分整ったので、もう私がいなくても大丈夫でしょう。シュベルテは、このままだと新興騎士団が台頭して、反召喚師派の動きが一層強まるでしょうが……そうなったらそうなったで、君はずっと、アーベリトに住めばいい。召喚師一族を排除しようと言うなら、そんな街には、帰らなければいい話です。まあ、そうなると、カーライル王家を裏切ったことになるので、私は最低最悪の愚王として、歴史書に名を残すことになるでしょうが……」

 とんでもないことを、あっさりと口にするサミルを、ルーフェンは、ぽかんと見つめていた。
理解が追い付かない。ただ、上手くはめられた気がする。
まさに、そんな顔つきである。

 ルーフェンは、詰めていた息を、長々と吐き出した。

「……サミルさんって、爽やかな顔して、たまに大胆なことを言い始めますよね。それ、心臓に悪いので、やめてください。由緒あるカーライル一族が没したら、それこそ、サーフェリア全体が立ち行かなくなりますよ」

 サミルは、泰然たいぜんと微笑んだ。

「君に言われたくありませんね。……なに、そうなったら、その時はその時ですよ。知ったこっちゃありません。私、これでも結構怒ってるんです。アーベリトのことを追い詰めたカーライル一族にも、兄を殺したシルヴィア様にも。今後絶対に、許す気はないと決めています。……でも、君はそうじゃないのでしょう? 言ったはずです。君は、ずっとシルヴィア様のことを気に掛けている」

「…………」

 銀の瞳の奥で、不安定な光が揺れている。
サミルをじっと見つめ、一度目を閉じると、ルーフェンは、再び下を向いた。

「……そんなこと言われても……今更どうやって話しかければいいのか、分からないんです。俺はもう……あの女に関わりたくない」

 サミルは、ルーフェンの肩に手を置いた。

「だから、王位継承の件を理由に、一度訪ねてみれば良いんですよ。君はずっと、シルヴィア様に囚われて、その影に怯えている。もう、時間は十分空けました。関わりたくないからといって、逃げ続ければ、永遠にこのままです」

 ルーフェンは、ぴくりと片眉を動かした。

「……もしかして、さっきあの女を次期国王に、とかなんとか言ったのは、話題提供のための冗談ですか?」

「いえ、半分は本気ですよ。実際、シルヴィア様が次期国王になったら、シュベルテの建て直しが上手くいきそうですし。……でも、そうですね。もう半分は、話題提供です。だって君、今日はいい天気ですねって笑いながら、シルヴィア様に話しかけられないでしょう」

「……随分と規模の大きい洒落ですね」

 低めた声で突っ込みを入れて、ルーフェンは、半目になった。
サミルは、にこにこと力の抜けるような笑みを浮かべている。
感化されて、肩の力を抜いていくと、ルーフェンは、ぽつりと呟いた。

「……多分、話したら……分かり合えてしまうんです。俺たちは唯一、同じ境遇に生まれた、親子だから……」

「はい」

 落ち着いた声で返事をして、サミルが頷く。
ルーフェンは、同じ言葉を繰り返した。

「きっと、痛いほど、気持ちが分かってしまうんです。……でも、分かっちゃいけない。あの女がしてきたことを、許すわけにはいきません。俺は、ずっと、あの女を憎んでいたいんです……」

 サミルは、どこか悲しげに、口元を綻ばせた。

「それならそれで、良いんですよ。今になって、無理に親子らしくしろと言っているわけではありません。ですが、嫌いだ、嫌いだと言っているだけでは、何も変わりません。話してみて、やっぱり無理だと再認識したら、今度こそ、はっきりと決別すればいい。そうしたら、今よりも胸の内が軽くなるはずです」

「…………」

 サミルは、ルーフェンの頭に手を伸ばした。
弱々しい力だったので、ルーフェンが自分から身体を傾けると、サミルは、嬉しそうに目元を緩ませて、その頭を肩口に引き寄せた。

「……大丈夫、ルーフェンならできますよ。今まで、いろんなことがありましたが、なんだかんだで、君の心根は優しいままです。……真っ直ぐ生きてください。私はいつでも、君の味方ですよ」

「…………」

 胸が、詰まった。
それは、ルーフェンが八歳の頃、初めてサミルと出会い、そして、別れた時にかけられた言葉であった。

 サミルの手が、優しく、ルーフェンの頭を撫でつける。
込み上げてきたものを、懸命に堪えて、ルーフェンは何度も瞬いていた。


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