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投稿日:2022年01月03日






 ゆっくりと、しかし着実に、時間は流れていった。

 やがて、自力で寝台から起き上がれなくなると、サミルは、自分の死期が近いことを、城館仕えの者たちに告げた。
王の私室には、相変わらず、入れ替わり立ち替わりで人が訪れる。
しかしサミルは、以前のように話せなくなり、日を追うごとに、口数も少なくなっていった。
来客たちは、眠る時間が長くなったサミルの顔を見ると、話はせずに、寂しそうに挨拶だけをして、帰っていくのであった。

 降ったり、止んだりを繰り返していた灰雪はいゆきは、年が明ける頃に、三日三晩降り続けた。
ふわり、ふわりと雪が舞って、世界を白銀に染め上げていく。
日中は、はしゃぐ子供たちの声で賑わうアーベリトの街も、夜になると、深々しんしんと静まり返る。
まるで、雪が街の喧騒を吸い込んだかのようなその静寂は、どこか不気味で、心にしまいこんでいた不安を、沸々と過らせるのであった。



『──大丈夫、夢ですよ。怖いことはありません』

 不意に、温かな手に頭を撫でられたような気がして、ルーフェンは、微睡みから浮上した。
目を開けると、暗闇で揺れる暖炉の炎が、ぼんやりと視界に入る。

(……夢、か)

 固い椅子の上で身動ぐと、ルーフェンは、傍らで眠るサミルを見つめた。
ここ最近、仕事を終えると、サミルの寝台の側に座って、朝まで微睡むのが、ルーフェンの日課になっていた。
サミルは大抵眠っていたが、それで良かった。
言葉を交せば、サミルが満足して、どこかへ去っていってしまいそうな気がしていたからだ。

 立ち上がると、ルーフェンは、白く曇った窓へと手を伸ばした。
夜明けが近いのだろう。
闇色一色だった窓の外が、わずかに薄明はくめいを帯びている。
窓を開けると、澄んだ冬の空気が流れ込んできて、枠に積もっていた雪が、ぱさぱさと階下に落ちていった。

『──眠ってください。次に起きたときは、きっと楽になれましょう』

 夢の中で聴こえていた、低くて、穏やかな声。
その声が、数々の記憶を呼び起こして、ルーフェンは、そっと目を伏せた。
先程まで見ていたのは、随分と懐かしい夢だ。
サミルと、ルーフェンの間にある、数え切れないほどの思い出であった。

『それでも私は、本当に貴方様の幸せを願っています』

 思えば、いつも雪が降っていた。

『ヘンリ村で見つかった貴方様が、アーベリトに来たとき、まるで、兄の生きた証を見ているようで……』

 サミルと出会った時も、その後も。
アーベリトが、王都になった時も──。

『貴方様がそう望んで下さるならば、是非、ルーフェン様に。アーベリトは、いつでも貴方様を、お迎えします』

──寒い寒い、真っ白な冬のことであった。

「……はい、サミルさん」

 ぽつりと呟いて、苦笑する。
吹き込んだ雪の粒が、肌に触れて、じんわりと溶けていった。

 最初は、ルーフェンが眠っていた。
寝台の上で、衰弱しきったところを助け出され、ただ、どうして良いのか分からず、サミルのことを見上げていた。
それが今は、サミルのほうが臥せって、ルーフェンを見上げている。
そう思うと、息が苦しくて、呼吸もままならなくなった。

 ふと、振り返ると、サミルがこちらを見ていた。
自分も外の景色を見たい、とでも言うように、サミルは、ルーフェンに手を伸ばしてくる。
窓を閉じてから、その手を掴むと、ルーフェンは、骨と皮だけの身体に手を差し入れ、ゆっくりと抱き起こした。

 くるんだ毛布を背もたれに、宮棚との間に挟みこむ。
すると、サミルはそれに寄りかかって、眩しそうに窓の外を見た。

「……もうすぐ、夜が明けますね」

 耳を澄ませて、ようやく聴こえる小さな声。
ルーフェンが、そうですね、と返事をすると、サミルは、途切れ途切れに言った。

「最近は、眠たくて、早起きができなかったので……。今朝は、久々に朝日を拝めそうです」

 ルーフェンは、寝台に腰を下ろした。

「……そんなに見たいものですか? 眠いし、拝んだって眩しいだけでしょう」

 感情を抑えたような声で言うと、サミルは、微苦笑を浮かべた。

「そういえば、兄も……君のお父さんも、昔、似たようなことを言っていましたね」

 一度、そこで言葉を止めて、懐かしそうに目を細める。
まだ、夢の中にいるような朧気な瞳で、サミルは、ぽつぽつと続けた。

「さっき、兄に呼ばれたような気がします。……昨晩は、いい夢を見ました。幼かった頃の君も、出てきましたよ」

「…………」

 ルーフェンは、サミルの方を向いた。
よほどひどい顔をしていたのだろう。
サミルは、ルーフェンを見つめ返すと、微かに目を大きくした。

 その肩口に額をつけると、ルーフェンは、願うように言った。

「サミルさん、逝かないで下さい……」

 目をつぶって、頭を押し付ける。
サミルは、ルーフェンの背に手を回すと、眉を下げて笑った。

「……君は、一人でいたがる割に、案外寂しがり屋ですね」

 柔らかな銀髪に、すりっと頬を寄せる。
サミルは、ほんの少し腕に力を込めると、優しい声で呟いた。

「ルーフェン。きっと、幸せになるんですよ……」

 細い手が、ゆっくりと背をさする。

「幸せの形は、人それぞれですが……。君は、寂しがり屋だから、素敵なお嫁さんを見つけると、いいですよ」

 あやすように、何度も、何度も。

「家族を作って、もし、子供ができたら、沢山その子と遊んで、成長を見守って……。そうしたら、寂しいと思う間もなく、年をとります。……実子はいませんが、私が、そういう人生でした」

 そう囁いて、幸せを噛み締める。
ルーフェンは、引き留めるように、サミルの背を掴んだ。

「……今更、普通の生活なんて、俺には無理ですよ」

 サミルは、ぽんぽんと、ルーフェンの頭を撫でた。

「ふふ、人生、何が起こるかなんて、誰にも分かりません。五十半ばにもなって、王位についた私が、そう言っているのですから……」

 どこかおかしそうに言って、サミルは吐息をつく。
その弱々しい呼吸音と共に、何かが、こぼれ落ちていく音がした。

 腕が疲れたのか、頭を撫でていた手が、ゆるゆると下がっていく。
ついに、寝台の上に落ちてしまった手を握ると、ルーフェンは顔をあげた。

「……まだですよ。サミルさん」

「…………」

「まだ、夜が明けてません。……さっき、朝日を拝めるって、そう言ってたじゃないですか」

 ゆっくりと、サミルのまぶたが落ちていく。
待って、と追いすがって、ルーフェンは首を振った。

「サミルさん、明日、また迎えに来ますから、外に、朝日を見に行きましょう。俺が背負っていきますよ。窓から見るより、外に出て実際に見る夜明けの方が、きっと綺麗です」

 閉じられた瞼の奥で、微かに瞳が動く。
サミルは、またふふっと笑うと、それは楽しみですね、と呟いた。

 窓の外で、羽毛のような雪が、ふわり、ふわりと舞っている。
微かに唇を動かして、サミルが、ルーフェンの名前を呼んだ。

「──……」

「はい、なんですか」

 静かな夜が、明けていく。
東の空から、金色におぼめく朝の光が昇ってきて、白銀の世界は、きらきらと照り輝いた。

「……サミルさん。なんですか」

 呼び掛けた声に、もう、返事はなかった。

 もう一度、問いかけようとして、ルーフェンは、唇を引き結んだ。
震える喉で、懸命に息を吸う。
それからルーフェンは、握っていた手を、そっと寝台の上に戻した。

 窓から、淡い光が射し込んで、夜の薄闇が、徐々に後退していく。

 背もたれに使っていた毛布を抜き取り、腕でその身体を支えると、ルーフェンは、サミルを寝台に横たえた。
両手をとって、薄い腹の上で重ねる。
朝日に照らされて、くっきりと陰影のついたサミルの顔は、まるで、眠っているかのように安らかで、ルーフェンは、小さく微笑んだ。

「……サミルさん」

 答えがないことを、確かめる。
寝台近くの椅子に座り直すと、ルーフェンは、明るくなった窓の外を見た。

「きっと、サミルさんにとっての俺は、どこまでいっても、“お兄さんの息子”なんでしょうけど……。でも、俺にとっては、貴方が父親でしたよ」

 もう二度と、返事はない。
冷たい額に触れて、その穏やかな寝顔を覗き込むと、ルーフェンは、そっと呟いた。

「……おやすみなさい、お父さん」






──享年六十歳。
人々の安寧を願った、サミル・レーシアスの治世は、わずか七年で、その歴史に幕を閉じることとなった。

 召喚師一族を囲いながら、非戦論を掲げたサミルの政策は、その後、幾度となく批判の的となる。
しかし、彼の時代が、飛躍的な医学発展のいしずえとなり、また、慈善事業の普及と身分格差撤廃の精神を全土に広げ、国の水準を向上させる基因になったと、そう語る者がいたことも確かであった。

 元は没落貴族の出でありながら、異例の即位を果たしたサミル・レーシアス。
その在位期間の短さと、特殊な経歴故か、彼の名前が、歴史書に大きく載ることはなかった。
だが、後にサーフェリア最後の召喚師となるルーフェンと、サミルが治めたこの時代こそが、世の変貌の先駆けになったと、末代、バジレット・カーライルは手記に遺したと言う。



To be continued....


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