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投稿日:2025年12月31日
第五章──淋漓たる終焉
第四話『瓦解』
サミルの葬儀には、本人の希望で、親交の深かった者たちだけが集められた。
棺に入れられ、別れ花に囲まれたサミルを見ても、ルーフェンは、不思議と穏やかな気分であった。
分かりやすく“さりげない”風を装って、様子を伺ってくるトワリスとハインツや、揃いも揃って、鼻水を垂らしながら号泣する自警団の者たちを見ている内に、気持ちに整理がついていたのだろう。
トワリスから受け取った、サミルの遺書を読み終わったときも、過ったのは、少しの寂しさくらいであった。
葬儀が終わると、ルーフェンは、他街に宛てて文を書いた。
国王サミル・レーシアスが、病により崩御したこと。
已むを得ず、約定を破ることになってしまうが、取り急ぎ、シャルシスが成人する王位返還の時までは、分権体制に戻したいということ。
そして──。
そこまで書いて、ルーフェンは筆を置いた。
文を締めくくる前に、ルーフェンには、まだやらなければならないことがあったのだ。
執務室を出ると、外は相変わらずの銀世界であったが、散々降った雪は、もうすっかり止んでいた。
溶け出した雪が、ぽたぽたと屋根から落ちていく。
その音を聞きながら、ルーフェンが向かったのは、物見の東塔であった。
物見役の一時休息の場として用意されたその部屋は、元々シルヴィアが暮らしていたシュベルテの離宮に比べれば、あまりにも粗末で質素な造りをしていた。
急遽、前召喚師が療養のために住むというので、サミルは、必要なものがあれば用意すると打診したようだったが、結局シルヴィアは、最低限のもの以外何も欲しがらなかったのだろう。
がらんどうの木造の室内には、寝食するための寝台と食卓があるだけだ。
見晴らしの良い窓の外と、揺れる暖炉の炎以外には、変化するものが何もない。
トワリスが訪れなくなってから、シルヴィアは、そんな退屈な部屋で、日がな一日過ごしているようであった。
「……具合は良くなったんですか」
開けた扉にもたれかかって、何の前触れもなくルーフェンが問うと、シルヴィアは、寝台に座ったまま振り返った。
長い銀髪が揺れて、感情のない眼差しが、ルーフェンを射抜く。
突然押し掛けてきて、許可も取らず入室してきた息子を、シルヴィアは、驚いた様子もなく見つめていた。
食卓の椅子を引き寄せ、寝台から少し離れた位置に座ると、ルーフェンは口火を切った。
「貴女に、聞きたいことがあります」
「…………」
返事の代わりに、シルヴィアは微笑を浮かべる。
相変わらず、何故笑っているのかは分からない。
無機質で温度のない、その凄艶な微笑みを見ていると、途端に嫌悪感が湧いてくるのは、もはや条件反射だ。
ルーフェンは、少し間を置いてから、口を開いた。
「ご存知かと思いますが、陛下が亡くなりました。シュベルテとの約定を貫くなら、あと数年、形式的に国王を立てないといけません。……貴女の名前が、候補に上がっています」
「…………」
シルヴィアの目が、じっとルーフェンを見つめる。
視線をそらさず、見つめ返して返事を待っていると、シルヴィアが、ふっと笑みを深めた。
「ああ、そういうこと。私を、繋ぎの王にしようと。……それが、前王の意思なの?」
ルーフェンは、首を振った。
「いいえ。……ただ、シュベルテの現状を鑑みるに、貴女と俺でこの国の根幹を守れば、教会と新興騎士団の動きを抑制できると考えただけです。サミルさんが、実際にそうと言葉を残したわけではありません」
「……でしょうね。レーシアスの人間は、呆れるほど優しいもの」
物憂げに呟いて、シルヴィアはため息をつく。
ルーフェンは、苛立たしげに先を促した。
「貴女が拒否をするなら、それで構いません。カーライル公と話して、別の王を立てるか、分権して一時王座を空席にするだけです」
「…………」
シルヴィアは、ふいと目線を反らすと、窓の外を眺めた。
街の屋根々々 に積もった雪が、日光を反射して、きらきらと輝いている。
雪遊びにはもう飽きてしまったのか、子供たちの声は聞こえず、往来には、立ち働く人々の姿だけが目立っていた。
外の景色を見たまま、シルヴィアは答えた。
「……無理よ。後々剥奪される王座に、何の意味があるというの。言ったでしょう。渇いて、枯れ果ててしまった人間には、一滴の水もやらない方が、よほど幸せなのよ」
「…………」
ルーフェンはつかの間、警戒したような面持ちで、シルヴィアのことを睨んでいた。
その答えが、彼女の本心なのかどうか、はっきりと確信できなかったからだ。
一方で、シルヴィアはこれ以上、何も求めてこないだろうと予想していた自分もいた。
言葉通り、この女は、もうすっかり枯れ果ててしまったのだ。
シルヴィアが、今まで自分のしてきたことを、どう思っているかは分からない。
ルーフェンから奪われたもの、自分が周囲の人間達たちから奪ったもの、それらに対する執着心が、彼女の中でどの程度精算されたのか──そればかりは、きっと本人にしか分からない。
ただ、シュベルテで別れたあの時から、シルヴィアの中にあった感情の炎が、蓋をしたように消えてしまったことは、なんとなくルーフェンも感じていた。
しばらくしてから、ルーフェンは、冷静に返した。
「……分かりました。それならもう、貴女を政界に引き込むことはしません」
言いながら、立ち上がって、椅子を食卓に戻す。
次いで、ふと何かを思い出したように手を止めると、ルーフェンは、シルヴィアに向き直った。
「……それから、もう一つ」
声をかけても、シルヴィアは振り返らない。
その後ろ姿を見つめたまま、躊躇ったように言葉を止めると、ルーフェンは、嘆息して首を振った。
「……いえ。やっぱり、何でもありません。用件は、以上です。……身体の具合が良くなり次第、貴女は、シュベルテに帰ってください」
突き放すように言って、踵を返す。
すると、その時初めて、シルヴィアがルーフェンの言葉に反応を示した。
待って、と呼びかけられて、ルーフェンが足を止める。
シルヴィアは、心底不思議そうに尋ねた。
「私のことを、殺さないの……?」
ルーフェンが、思わず瞠目する。
振り返ると、シルヴィアが、恐怖も何も感じていないような瞳で、じっとこちらを見ていた。
「貴方は、私のことを憎んでいるでしょう。てっきり、殺しにきたのかと思ったわ。繋ぎの王としての役割も果たせないなら、私には、何の利用価値もない」
「…………」
その空虚な表情を見て、ルーフェンは、シルヴィアが何を思ってそんなことを問うたのか、理解した。
彼女はもう、死んで、逃れたいのだ。
枯れ果てて尚、その場で踏みつけにされるよりも、早く土の中から根を抜いて、どこかへ消え去りたいと思っている。
ようやく終わりを迎えられると信じて、その時を、ずっと待っていたのだ。
ルーフェンは、ぐっと拳を握った。
恐ろしいほどの沈黙が、室内を支配する。
ややあって、近付いていったルーフェンが、母の細い首に手をかけると──シルヴィアは、口元に笑みを浮かべて、そっと目を閉じた。
「──……」
シルヴィアの白い首筋が、どくり、どくりと脈打っている。
指先を震わせて、静かに手を下ろすと、ルーフェンは、唇を開いた。
「……殺しません」
「…………」
シルヴィアが、ゆっくりと瞼を開ける。
ルーフェンは、微笑を浮かべた。
いつだったかの、母のように──残酷なほど、美麗に微笑むと、ルーフェンは告げた。
「生きてください。貴女が、今まで切り捨ててきた人達の分まで」
それだけ言って、再び背を向ける。
大きく瞳を揺らしたシルヴィアを横目に確認すると、扉を開けて、ルーフェンは、部屋から出ていった。
無慈悲な静寂が、再び室内を包み込む。
閉まった扉の先を見つめて、シルヴィアは、呆然と目を見開くと、やがて、ぽつりと呟いた。
「え……?」
どこかで、屋根に積もった残雪が、どさりと落ちる音がした。
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