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投稿日:2025年12月31日
大病院の屋根から跳んで、宙で一転すると、トワリスは、ハインツのそばに着地した。
化物の体液に混じって、大量の鮮血が地面に飛び散っている。
立っているのは、ロンダートたち数名とハインツだけで、その他の十人近い自警団員たちは、深傷を負って倒れ伏しているか、既に血と砂にまみれて事切れていた。
ロンダートは、しばらくの間、化物の死骸を呆然と見つめていたが、ややあって、我に返ると、懐から酒の入った瓶を取り出した。
自分の団服の裾を切り裂き、酒を染み込ませると、それをまだ息のある団員たちの傷口に、きつく巻いていく。
立ったまま、放心状態に陥っていた自警団員たちにロンダートが声をかけると、彼らも、焦った様子で手当てを始めた。
同じように、自警団員たちを手伝い始めたトワリスは、作業をしながら、ハインツとロンダートに言った。
「応急処置が終わったら、動かせそうな怪我人は、全員魔法陣の外に運び出しましょう。また地震が起きたら、今度こそ病院が倒壊するかもしれませんし、次に何が起こるかも分かりません」
ロンダートは、顔をしかめた。
「やっぱり、地震やあの化物と、この魔法陣は関係があるのか?」
「あると思います。さっき、二度目の地震が起きたとき、魔法陣が光って、病院のほうから流れ出るような魔力を感じました。化物が現れる魔術なんて、検討もつきませんが……」
言いながら、トワリスは、止血を施した自警団員を背負った。
──その時だった。
不意に、足元から殺気が膨れ上がり、一同は、目を見開いたまま硬直した。
魔法陣が鈍く光って、突如、浮き上がった魔語が、伸びた蔦のように身体に巻きついてくる。
立っている人間にも、事切れている人間にも関係なく、全身に付着した魔語は、刺青のように皮膚に刻まれていった。
「ひっ、な、なんだこれ……!」
狼狽した自警団員たちは、持っていたものを捨てると、全身に刻まれた魔語を無茶苦茶に掻きむしった。
しかし、血がにじむまで皮膚を引っ掻いても、魔語が消えることはない。
それどころか、魔語が染み付いた部分が、徐々に痛み出したので、場の空気は一層混乱を極めた。
まるで、魔語が皮膚を刺して、吸血しているような、身を絞られるような痛みであった。
覚えのある、凍てつくような魔力が、地を這い出るようにして湧き上がってくる。
大病院や、負傷した自警団員たちから、滲むように溢れ出た魔力──否、この場合は、生命力とでも言うべきなのだろうか。
それらが、吸い寄せられるように化物の死骸へと集まっていく様を、トワリスは、息をするのも忘れて凝視していた。
死んだはずの化物が、ぴくっと脚を動かす。
次の瞬間、背負っていた自警団員の身体から、すうっと体温が引いていって、トワリスは喫驚した。
つい先程まで、確かに息をしていたはずの自警団員が、蝋人形のよう白く強張って、絶命していたのだ。
ハインツがもぎ取って、捨て置いていた化物の脚や、散っていた体液までもが、砂のように形を変えて、化物の方へと吸い寄せられていった。
不気味な風を帯び、方々から集めた魔力を吸収して、化物は、傷ついた身体を再生させていく。
その姿を目の当たりにして、トワリスは、ロンダートに「化物が現れる魔術なんて検討もつかない」と言ったことを後悔した。
検討がつかないなんてことはない。トワリスは、この魔術をとっくの昔から知っていた。
トワリスだけではなく、皆が知っている魔術であり、正直なところ、シルヴィアが関わっているという時点で、そうではないかと予想はしていた。
ただ、使えないと“思い込んでいた”から、頭の中で決定付けていなかっただけで──これは、他ならぬ、召喚術なのだ。
トワリスは、息絶えた自警団員を背から下ろすと、ゆっくりと地面に寝かせた。
思えば、シュベルテがセントランスから襲撃を受けた時と、今のアーベリトでは、状況が酷似している。
トワリスは報告書を読んだだけなので、シュベルテ襲撃の様子を、実際に目の当たりにしたわけではない。
だが、確かシュベルテでも、傷の具合に関係なく、異様な数の人間が死んでいた。
単純に考えて、弱った人間からのほうが魔力を吸いとりやすいのであれば、被害状況以上に死傷者が多いことも、何故か重傷者がいないことにも、説明がつく。
シュベルテでも、アーベリトでも、運良く無傷、もしくは軽傷だった者は生き残った。
一方で、重傷を負った者は、化物を発現させるための養分にされて、著しく衰弱し、最終的には死亡してしまったのだ。
更に言えば、トワリスは、数月前のセントランスでも、似たような魔術を目の当たりにしている。
あの時は、サイ・ロザリエスという魔語を読解した術者と、贄となる瀕死状態の魔導師たち、これらの条件が揃っていた。
きっと、今は亡きサイは、調べていく内に、召喚術の発動条件に辿り着いてしまったのだ。
シュベルテでの襲撃を手引きした時は、魔語の解読ができていなかったために、不完全な召喚術しか行使できなかった。
セントランスでは、ルーフェンに逆に利用され、大勢の魔導師を死傷させたが、結果的にその魔導師たちを贄として、サイは、最期にもう一度だけ、召喚術を試みた。
結末としては、完成一歩手前で、その負荷に耐えられず、サイは亡くなった。
それでもあれは、ほとんど本物に近い召喚術だったのだろう。
(ルーフェンさんは、このことに気づいていたんだ……)
ぐっと拳を握ると、トワリスは、再び化物と対峙した。
吸魂術という、いわゆる命を操る禁忌魔術を、聞いたことがある。
召喚術とは、もしかしたら、吸魂術の一種のようなものなのかもしれない。
召喚師一族は、生まれもっての魔力量の多さから、単独で術を行使できる。
だが、魔力量の少ない普通の人間が、悪魔を一から作り出し、召喚するには、大勢の人間を犠牲にして、魔力を奪う必要があるのだろう。
今まで秘匿とされてきた、謎多き術──。
必要なのは、召喚師一族の血筋というより、多量の魔力と、隠語としての役割を果たしてきた、魔語と呼ばれる言語の存在なのだ。
トワリスは、勢い良く抜刀した。
「ロンダートさん! 今すぐ怪我人を魔法陣の外に運び出して下さい! その間の時間は、私とハインツで稼ぎます」
はっと顔をあげた全員が、トワリスを見る。
もがれたはずの脚を生やし、裂かれた腹部まで、硬い外骨格で覆われ始めた化物を一瞥して、ロンダートが言った。
「まっ、待ってくれ、無理だ! とても運びきれる人数じゃないし、まだ瓦礫の下にも生きた人達がいるかもしれない。トワリスちゃんたちだって、あんな化物相手に危険だ。置いていけるわけないだろう!」
トワリスは、首を振った。
「でもこのままじゃ、私達全員死にます! おそらくあの化物は、召喚術によって生まれた悪魔なんです。ここで戦ったところで、私達から魔力を吸い取って、いくらでも回復します。言わばこの魔法陣が、生け贄を捧げるための皿で、生け贄は私達です。今、シュベルテが襲撃された時と同じようなことが、アーベリトでも起こっているんです」
ロンダートは、大きく目を見開いた。
「あっ、悪魔!? 悪魔って、あの悪魔か? でも、シュベルテで使われたのが召喚術だったというのは、セントランスの出任せだろう? それに報告じゃ、シュベルテに出たのは、もっとモヤモヤした、なんていうか、実体のない幽霊みたいなやつだったって……」
「セントランスが使った悪魔は、不完全な、思念の集合体みたいなものだったんだと思います。あれを召喚術もどきと表現するなら、目の前の化物は、ほとんど完全に近い召喚術によって生まれたものです。私達じゃ太刀打ちできません」
早口で捲し立てれば、ロンダートの顔に、ますます焦燥の色が浮かぶ。
その時、隣にいた自警団員の一人が、ふと口を開いた。
「あの、これって、魔法陣から出たら解決するものなんでしょうか? この身体の文字……これ、全員包帯めくって確認したわけじゃないけど、院内の怪我人の身体にも刻まれてるんです。もしかして俺達、このままじゃ……」
怯えた声で言って、自警団員は、トワリスを見つめてくる。
思わず息を飲むと、トワリスも、自分の身体に刻まれた魔語に視線をやった。
自警団員の言う通り、この魔語は、贄となる人間の印みたいなものだろう。
先程まではなかったから、あの化物を再生させるにあたり、魔法陣の上にいた人間を贄として捕捉した、といったところだろうか。
魔法陣とは独立して、直接身体に刻まれているあたり、術式としては、呪詛に近い。
そう考えると、確かに、魔法陣の上から出ただけでは、回避できない可能性が高かった。
術を解く方法が、魔法陣の領域外に出ることなら、今になって、わざわざ術式を発動させた意味はないからだ。
あとは、化物が現れる前に領域外、つまり、孤児院に避難した者たちに、この術式が刻まれていないことを祈るばかりである。
トワリスの沈黙から、事態を察したのだろう。
自警団員たちは、顔面蒼白になった。
「そんな……じゃあ俺達は、一体どうすれば」
「要は、あの化物は、何度攻撃しても、俺達の命を食って生き返るってことだろう? そんなの、どうしようもないじゃないか」
瞳に絶望と諦めの色を浮かべて、自警団員たちは、口々に呟く。
トワリスは咄嗟に、まだ自分の推論に過ぎないことを伝えようとしたが、その瞬間、毛が逆立つような殺気を感じて、素早く臨戦態勢に入った。
ついに、全ての脚を取り戻した化物が、もがきながら起き上がって、トワリスたちの方へと突進してきた。
すかさず前に出たハインツが、空を切るように手を動かす。
すると、蹴散らされた瓦礫が、意思を持ったかのように宙で翻り、矢の如き勢いで化物に突き刺さった。
しかし、体表を抉ったのは僅かで、ほとんどの瓦礫が、化物にぶち当たっただけで弾かれてしまう。
元は柔らかな皮膚に覆われていた胴体が、再生後に変化し、今や、強固な外骨格に包まれていたのだ。
「ハインツ! 関節の隙間を狙って!」
叫んでから、地を蹴って距離を詰めると、トワリスは、化物の爪を避けて跳び上がり、その背に乗って、脚の付け根部分に剣を突き立てた。
ガツンッ、と途中で刃が引っ掛かり、うまく刺さらない。
思いの外、関節同士の隙間が狭く、剣を振り切ることができなかったのだ。
トワリスは、舌打ちをすると、化物の脚を踏みつけて、すぐに剣を引き抜いた。
だが、その僅かな間に、化物の背中から伸びてきた触手が、トワリスに襲いかかる。
即座に反応したトワリスは、揺れ動く化物の上で一気に踏み込むと、強く剣を握り、刀身に魔力を込めた。
刃から、うねる蛇の如く炎が噴き出すと、触手は、一瞬怯んだような動きを見せた。
その隙を見逃さず、前に乗り出すと、トワリスは、振り向き様に触手の束を斬り払う。
一閃、斬撃を炎が追いかけて、次の瞬間、触手の根本がぼっと燃え上がった。
身をぶるぶると震わせた化物が、地面に背を擦り付けるようにして、大きく全身を捩よじる。
触手に着火した炎は、あっという間に消えたが、化物が火を忌避したのは明らかであった。
振り落とされたトワリスは、地面に叩きつけられたが、頭を守るように身を丸めて横転すると、すぐに起き上がった。
化物が火を嫌うならば、再生する間も与えず、全身燃やし尽くしてやりたいところだが、トワリスの魔力量では、それほどの火力を維持できない。
身体や剣に魔力を集中させて、攻撃するしかなかった。
次の一手に出ようとしたトワリスは、剣を構え直した瞬間、化物の姿を見て瞠目した。
根本から燃やしたはずの触手が、凄まじい勢いで再生し、元の長さに戻ったからだ。
身体に刻まれた魔語が、吸い付くような痛みを伴って、再び鈍く光る。
怪我人や弱った自警団員たちから生命力を奪って、化物は、瞬く間に回復した。
見間違いなどではない。トワリスの推論が、証明されてしまったと、全員が認めざるを得なかった。
しかも、先程に比べ、再生に要する時間が、桁違いに短くなっている。
これは、トワリスたちにとっては、致命的なことであった。
回復に時間がかかるならば、再生する前に何らかの方法でとどめを刺せたかもしれないが、こうも瞬時に回復されては、攻撃したところで、こちらの魔力が搾取されていくだけだ。
つまり、トワリスたちの攻撃は、間接的に、魔語が彫られた者たちに向いているようなものなのである。
攻めに迷いが生じたトワリスは、振り上がった爪に対し、一瞬反応が遅れた。
しまった、と思う間もなく、目の前に、死の気配が迫ってくる。
だが、化物の爪がトワリスを引き裂く寸前に、横から走ってきたハインツが、彼女の身体を突き飛ばした。
「────っ!」
ハインツの背中から、ぱっと血が噴き出す。
しかしハインツは、痛みなど感じていない様子で、化物の脚を抱え込むと、思い切り、関節部分を逆に折り曲げた。
大木を叩き折ったかのような音が鳴り響き、化物の身体が傾く。
それは、化物が回復するまでの、ほんの少しの時間であったが、その隙にトワリスは、ロンダートに助け起こされた。
「トワリスちゃん! 大丈夫か!」
なんとか頷いて、立ち上がる。
ロンダートは、トワリスに意識があることを確認すると、ひとまず安堵したように頷いて、続けた。
「あの化物、やっぱり俺達の命を食って再生してるんだな。食い物がある限り、何度でも蘇るし、回復する」
「……はい。せめて、この術式さえなければ、魔法陣の外に出ることで状況は変わったと思うんですが……」
無意識に、腕に刻まれた魔語に爪を立てて、トワリスは返事をした。
つぷりと血が滴って、ようやく手を離す。
落ち着いた声音に反し、トワリスも、内心ひどく混乱していた。
何せ、打つ手が全くないのだ。
化物を相手にしていては、自分達が消耗していく一方だし、シルヴィアを探すにしても、ハインツと自警団員を残していくわけにはいかない。
そもそも、シルヴィアがどこにいるのかも、検討がつかなかった。
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