トップページへ
目次選択へ
投稿日:2025年12月31日
ルーフェンは、はっと表情を強張らせると、シルヴィアを睨み付けた。
「この期に及んで、なんのつもりだ! ……お前がやったのか、全て」
唸るような声で言って、ルーフェンが殺気立つ。
シルヴィアは、銀の目を細めて、にっこりと笑った。
「そうよ、私がやったの。……でも駄目ね。悪魔を作ったのは初めてだったから、少し加減を間違えたみたい。どうも、意識を失っていない人間は、肉体と魂の結び付きが強すぎて、うまく力を奪えないようなのよ。死んだ人間は元より、魂が既に肉体から離れてしまっているし……。贄の選定を、死にかけて、魂と肉体が分離しかかっている人間に限定したら、街一つ分じゃ、大した量にはならなかったわね」
言いながら、シルヴィアが手をかざすと、トワリスとハインツの身体に刻まれた魔語が、ふっと薄くなって消えた。
瀕死でもない二人からは、大した力を奪えないため、用済みということなのだろうか。
しかし、アーベリトの人々を犠牲にし、魔力を吸収して肥大した悪魔は、赤子の姿から徐々に成長し、やがて、立ち上がると、屈んだシルヴィアと同じくらいの背丈になった。
泥人形のようだった悪魔は、やがて、茶髪の少年の姿になると、ゆっくりと振り返った。
ルーフェンの瞳が、微かに揺れる。
シルヴィアは、満足そうに微笑むと、悪魔の頬に口づけた。
「ふふ、懐かしいわ。形がとれるだけ、セントランスよりは上手くやれたみたい。……覚えているかしら、貴方の弟のアレイドよ。兄弟の中じゃ、一番よく話していたでしょう?」
「…………」
ルーフェンは、無意識に息を詰めて、今は亡き弟の姿をした悪魔を見つめていた。
悪魔もまた、こちらを見つめていたが、その光のない目には、ルーフェンなど映っていない。
ルーフェンは、乾いた笑みを浮かべた。
「……だからなんだ。自分で殺した息子を、今更生き返らせようとでも言うのか。それとも、似た泥人形を傍に置いて、可哀想な自分を慰めようって?」
悪意の満ちた言い方に、束の間、シルヴィアの顔から笑みが消える。
だが、すぐにいつも通りの冷たい微笑に戻ると、シルヴィアは立ち上がった。
「そんなこと言わないで、ルーフェン。私はただ、最期に召喚師としての力を取り戻したかっただけ。貴方が力を返してくれないのなら、私が新たに、使役悪魔を作るしかないと思ったの。……それで、折角なら、獣や人間離れした姿をじゃなくて、馴染みのある形を取らせた方が良いでしょう……?」
そう呟いて、シルヴィアが悪魔の背に触れると、悪魔は、再び形の定まらない泥人形となり、次いで、背の高い男の姿をとった。
それを見て、今度はトワリスとハインツが、動揺の色を見せる。
悪魔が象ったのは、ロンダートを初めとする、自警団員たちの姿だったのだ。
トワリスは、唇を震わせると、思わず叫んだ。
「待ってください! 貴女たちの言う悪魔って、死にかけた人間から魂を無理矢理引き剥がして、それを集めた存在だってことですか? そんなことして、ルーフェンさんと争って、一体何になるって言うんですか! 私達が、貴女に何をしたって言うんですか! ロンダートさんや、アーベリトの人達を返してください……!」
感情の高ぶりと共に、思いがけず、涙が溢れた。
怒りや悲しみ、様々な激情が綯い交ぜになった瞳で睨んできたトワリスに、シルヴィアは、淡々と答えた。
「悪魔というのは、理から外れた人間の成れの果て……みたいなものよ。こんなことを始めたのは、召喚師一族の始祖でしょうから、私も、詳しい経緯は知らないわ。でも、使った魂は、元の器に戻したところで、二度と元通りにはならない。それが代償よ。貴方たちが言う禁忌魔術というのは、何かを取り戻すために、何かを失う魔術だもの」
滔々と語られた真実を、ルーフェンだけが、顔色を変えずに聞いていた。
ルーフェンは、ただ黙って、怒りと嫌悪の眼差しをシルヴィアに向けている。
その表情を見て、トワリスは、シルヴィアの言ったことは嘘ではないのだろうと思った。
禁忌魔術の代償となったものは、もう戻らない。
無我夢中で闘っていたため、はっきりと意識していなかったが、先程までトワリスとハインツが攻撃していた化物は、アーベリトの人々の魂そのものだったのだ。
そう思うと、腹の底から震えが走った。
ルーフェンに向き直ると、シルヴィアは、口を開いた。
「私のことが、憎いでしょう。恨めしくて、殺したくて、堪らないでしょう。……だから、もうおしまい」
人形のように佇んでいた悪魔が、ふっと大気に溶けて、シルヴィアの中に宿る。
身構えたルーフェンに、唇で弧を描くと、シルヴィアは唱えた。
「──汝、完成と闘争を司る地獄の公爵よ。従順として求めに応じ、可視の姿となれ……。……アガレス」
シルヴィアから、突風のように魔力が迸ったのと、ルーフェンが結界を張ったのは、ほとんど同時だった。
地鳴りが響いて、ルーフェンたちが立っている場所を避けるように、地面に亀裂が入る。
結界外で巻き起こった暴風に、周囲の瓦礫や木々が薙ぎ倒され、互いにぶつかり合って、亀裂の下に雪崩れ落ちていった。
揺らめく人影のように、シルヴィアの傍に発現した悪魔は、ややあって、有翼の巨大なトカゲのような姿になると、結界に食らいついた。
咄嗟にルーフェンが手を動かすと、結界が雷撃を帯び、弾かれた悪魔が、液状になって飛び散る。
しかし悪魔は、ビリビリと振動する結界にへばりつき、無数の手を伸ばすと、ルーフェンたちを包むように広がった。
どう助太刀すれば良いのか分からず、剣を握ったまま硬直していたトワリスは、ふと、何かに呼ばれたような気がして、視線を巡らせた。
覆い被さる悪魔の体表が、沸騰したように泡立ち、弾け、ぼこぼこと波立っている。
その泡が、人の顔を象って、トワリスに言った。
──殺せ、殺せ……!
浮き上がった顔が、恨めしそうにトワリスを責め立てる。
苦悶の表情で喘ぎながら、憎悪の眼差しで、こちらをじっと見つめている。
それらが全て、この悪魔に吸収された者たちなのだと思った途端、身体を絡め取られたかのように、動けなくなった。
剣を持つ手が強張って、もう握れないし、斬れない。
もしかしたら、この顔一つ一つが、正真正銘、アーベリトの人々の魂かもしれないのだ。
トワリスとハインツが、吸い寄せられるように悪魔の目を見ていることに気づくと、ルーフェンは叫んだ。
「見るな! 声も聞いちゃ駄目だ!」
肩を震わせた二人の目に、はっと光が戻る。
ルーフェンは、トワリスから片剣をとると、それを逆手に持ち替え、悪魔の目に突き刺した。
縮み上がった悪魔が、耳障りな断末魔を発する。
刃に伝わせ、ルーフェンが一気に魔力を放出させると、今度こそ悪魔は霧散した。
間髪入れずに結界を解き、短く詠唱すれば、飛散した悪魔を追撃して、立て続けに稲妻が閃く。
弾かれ、撹拌され、もはや、形を保てなくなった悪魔であったが、すぐに周辺から魔力を吸収し出すと、散った身体を寄せ合って、再生し始めた。
何度攻撃したところで、魔法陣上に贄となる人魂がある限り、この生まれたての悪魔は消えない。
何もかも、もう元には戻らない。
その現実を突きつけられた時、不意に、時の流れが緩やかになった。
激しい魔力のぶつかり合いで、大気が振動している。
その中で、ふと、視界に入ったシルヴィアの顔を見て、ルーフェンは、自分がやらなければならないことを悟った。
ルーフェンは、つかの間目を閉じて、開いた。
再度剣に魔力を込めれば、剣が粘土細工のように変形し、鉄杖へと変わる。
その杖を、一気に横に振ると、次の瞬間、灼熱の炎が辺り一面を飲み込んだ。
霧に包まれていた街が、燃え盛る炎の海に沈んでいく。
吹き荒れていた嵐が止み、全ての音が、炎の音に吸い込まれて消えていった。
「まあ……皆、殺してしまったのね」
不意に、シルヴィアが、少し驚いたように呟いた。
トワリスとハインツも、目前で起きていることが信じられぬ様子で、ルーフェンのことを見つめている。
何故、とは問えなかった。理由は分かっていたからだ。
ただ、一瞬でその選択を果たしてしまったルーフェンに、どうしても、理解が追い付いていなかった。
糧を失った悪魔が、泥のように地面に蟠っている。
沸き上がった泡が、見知った顔になって、ルーフェンに歪んだ目を向けた。
ルーフェンは、この目をよく知っている。
幼かった頃、身の内に巣食う悪魔に意識を取り込まれると、いつも、暗がりから、この目がルーフェンを見ていた。
苦痛を訴え、嘆き悲しみ、ルーフェンに贖罪を求める人々の目だ。
悪魔のほうに杖を向けると、ルーフェンは言った。
「──来い」
一斉に目を剥くと、悪魔は、ルーフェンに襲いかかった。
邪悪な気を纏い、放物線を描きながら飛び上がって、掴みかかるように、無数の手を伸ばしてくる。
その手が、いつだったかの、差し伸べられた手と重なって、ふと、今までの思い出が蘇ってきた。
目まぐるしくも、穏やかだったサミルとの日々。
倒壊した建物の隙間から見つかった、半獣人の少女と、最初は街中を歩いただけで卒倒しかけていた、リオット族の少年。
二人を招き入れたとき、現役を引退して、屋敷で暇を持て余していた医術師連中は、いよいよ色物揃いになったなぁと、案外すんなり事態を受け入れていた。
ちょっとした魔術を見せただけで、すごいすごいと興奮し、陽気に笑っていたアーベリトの人々。
何度言っても、勝手に王室や執務室に入ってくる自警団の者たちに、当時、屋敷勤めだった家政婦たちは、いつも憤慨していた──。
すぐ目の前まで、悪魔が迫っている。
歯を食い縛ると、ルーフェンは目を背けた。
(……ごめん)
どこかで、遠雷のような音が鳴り響いた。
- 137 -
🔖しおりを挟む
👏拍手を送る
前ページへ 次ページへ
目次選択へ
(総ページ数148)