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投稿日:2025年12月31日
* * *
カーン、カーンと、正午を知らせる鐘が鳴る。
長廊下に響く雨垂れの音を聞きながら、ようやく配給の待機列を抜けたカイルは、リリアナとダナの分のスープも持って、講堂の中に戻った。
講堂では、カイルたちの他にも、合計で百数十名ほどのアーベリトの避難民たちが、各々俯いて、スープを飲んでいた。
見上げると、思わず気が遠くなるほど高い梁天井や、様々な色硝子を組み合わせて作られた、絵画のような大窓。
アーベリトではなかなか見られない、豪華で派手な建物に、本来であれば、皆はしゃいだであろうが、今は、そんなものに興味を示す者はいない。
やけに広い講堂の中で、傷つき、疲れはてたアーベリトの人々は、それぞれ身を寄せ合いながら、黙々と暮らしているのであった。
カイルがスープを持って帰ると、リリアナが、高い声をあげて喜んだ。
「わぁ、今日はジャガイモのスープね。美味しそう!」
ほくほく顔で受け取って、リリアナは、早速スープを飲み始める。
天井の高い講堂の中だと、少し声を上げただけでも響いてしまうので、いつも騒がしいリリアナは、よく注目の的になっていた。
最初は、苛立った者に「うるさい」と怒鳴られたものだが、避難生活が続く内に、周囲の方が慣れてきたのだろう。
今では、声の主がリリアナだと分かると、いつものことだと無視されるようになった。
しかし、そんな彼女の空元気が続くのは、日中だけであることを、カイルは知っている。
夜になると、リリアナは、悪夢に魘うなされては、汗だくになって飛び起き、それを幾度も繰り返しているのだった。
車椅子の傍らに、丸まって落ちている毛布の塊を叩くと、カイルはスープを差し出した。
「ダナさん、起きられる? スープ持ってきたよ」
「……おお、ありがとう。カイル坊」
毛布の隙間から、ひょっこりと顔を出したダナが、スープを受け取る。
その皺だらけの細い手が、微かに震えていることに気づくと、カイルは、自分の分の毛布をダナに押し付けた。
「寒いなら、俺の分の毛布も使っていいよ」
そう言って、スープを片手に床に座ると、ダナが、苦笑しながら毛布を返してきた。
「ええ、ええ。坊が使いな、子供が身体を冷やしちゃいかん」
「子供は体温が高いから、いいんだよ。ダナさんの方が、無理しちゃ駄目。あんたもう年寄りなんだからさ」
「……言うようになったのう」
年寄り扱いされたのが癪に触ったのか、ダナは、カイルの分の毛布もいそいそと着込んで、スープに口をつける。
二人のやりとりに笑ってから、リリアナは、ふと、濡れた窓の外を眺めた。
「雨、なかなか止まないわね……」
そう呟いて、スープをもう一口すする。
あの日から、延々と降り続けている冷たい雨は、人々の心身から、じわじわと熱を奪っていくのだった。
アーベリトが没して、皆の顔からは、すっかり笑顔が消えてしまった。
シュベルテが、雨風を凌げるようにと講堂を解放し、寝床も食事も用意してくれたが、それでも人々は、暗い顔で日々を過ごしている。
家を失い、家族を失い、何もかもを失くしたアーベリトの避難民は、不安と恐怖に押し潰されて、怯えているのだった。
避難先がシュベルテであることも、人々の不安を煽る原因の一つであった。
アーベリトを陥落させた首魁として、前召喚師シルヴィアの処刑が決まったと知らされていたが、それを鵜呑みにして信じている者は、ほとんどいなかった。
というのも、あの日、生き残った人々は、小高い丘の上に建つ孤児院にいたため、アーベリト全体が見渡せる状況にあったのだ。
勿論、遠目から見ていただけなので、一体アーベリトに何が起こったのか、全てを把握しているわけではない。
ただ、アーベリトを覆った見慣れぬ魔法陣や化物、進軍してきたシュベルテの騎士たちの姿を、はっきりと見ている者は何人もいた。
となれば、疑うべきは、召喚術を唯一扱える現召喚師、ルーフェンか、七年前にアーベリトに王権を奪われたシュベルテ軍、もしくはその両方である。
憎むべき相手がはっきりせず、不満を募らせた人々の中には、半狂乱になり、講堂から出ていった者もいた。
敵(シュベルテ)から施しを受けるくらいなら、死んだほうがましだと考える者も多かったのだ。
温かいスープを、ゆっくり味わいながら飲んでいたリリアナは、ふと、向かいに座っているカイルが、目を丸くして、講堂の入口を見つめていることに気づいた。
つられて視線を動かし、リリアナも、驚いて目を見開く。
入口に、トワリスとハインツが立っていたのだ。
「──トワリス! ハインツくん!」
思わず大声を出してしまい、はっと口を閉じる。
気を取り直して、ぶんぶんと手を振ると、気づいたトワリスたちが、リリアナたちの元へとやってきた。
「全然顔を出せてなくて、ごめん。大丈夫? その……怪我とか、色々」
控えめな声で尋ねて、トワリスは、リリアナたち三人を見遣る。
リリアナは、こくりと頷いてから、トワリスの手を握った。
「お陰様で、私達は大丈夫よ。やっとお礼が言えるわ。あの日、助けてくれてありがとう。取り乱して、迷惑かけちゃってごめんね」
「いいよ、そんなの、全然」
首を振って、トワリスも、手を握り返す。
リリアナは、どさくさ紛れにハインツの手も握ろうとしたが、気づくと、彼は遠ざかった位置に移動していた。
「私達はなんとかやってるけど、トワリスたちこそ、大丈夫なの? ひどい怪我をしていたんでしょう。ちゃんと治った?」
立て続けに問うてきたリリアナに、トワリスは、苦笑を浮かべる。
縫った右足に手を添えると、トワリスは答えた。
「うん、もう平気だよ。私とハインツは、普通より頑丈だから」
「本当? それならよかった!」
そう言って、リリアナはふわりと微笑む。
しかし、いつもは笑うと、丸みを帯びて紅潮するはずの頬が、心なしか痩こけて、血色も悪かった。
おそらく、あまり眠れていないのだろう。
うっすらと目の下に隈を作り、それでも明るく笑顔を浮かべる彼女に、トワリスも、ぎこちない笑みを返したのだった。
不意に、トワリスの袖を引いて、カイルがこそこそと声をかけてきた。
「なあ、トワリス。会えたら聞こうと思ってたんだけど、前召喚師様が死刑になるって、ほんと? それって、アーベリトを襲ったのは、前召喚師様ってことなのか。ルーフェンがやったんじゃないんだよな?」
不安げに尋ねてきたカイルに、思わず、トワリスは口ごもる。
曖昧に首を振って、トワリスは呟いた。
「やっぱり、ここでもその噂が流れてるんだね……」
気落ちした様子のトワリスに、リリアナが、慌てたように付け足す。
「違うの。私達は、ちゃんと分かってるのよ。召喚師様とはお会いしたことがあるし、トワリスやハインツくんからも、沢山お話を聞いているもの。だから、召喚師様がそんなことをする人じゃないって、私達は信じてる。ただ、皆が皆、召喚師様が、どんな方なのかを知っているわけじゃないから……」
言いながら、視線を動かして、講堂内を見回す。
一様に下を向き、生気のない顔で食事をとっているアーベリトの避難民たちを見て、リリアナは、沈んだ声で囁いた。
「……皆、召喚師様か、シュベルテの遷都反対派だった人達がやったんじゃないかって、そう疑ってるみたい。前召喚師様の処刑を知らせてくれた魔導師様に、詳しく聞いたんだけど、はぐらかされちゃって……それで皆、余計に不審がってるのよ」
「…………」
項垂れるリリアナに、答えることもできず、トワリスは、もどかしく唇を噛んだ。
箝口令が敷かれているのは分かっていたが、いっそ、この場で全てを話してしまいたかった。
真実全てを語らないにしても、噂の否定だけでもすれば、人々がルーフェンに抱く認識は、大きく変わるに違いないのだ。
ただ一つ、懸念点を挙げるならば、シュベルテの新興騎士団が進軍してきたことを事実だと知れば、今、そのシュベルテに匿われていることに、避難民たちが一層不安を覚えるのではないか、ということだ。
普段、街中で暮らしている人々、特に、シュベルテ外の人間ともなれば、教会と王家の間にある衝突など、所詮は他人事である。
今回暴走したのは、あくまでイシュカル教会であり、シュベルテを治めるカーライル家には、協定を反故にする気はなかったのだと、この場で説明しても、理解してもらえるかどうか分からなかった。
トワリスが言葉に迷っていると、ふと、通りすがった避難民の男が、ハインツを見て凍りついた。
ハインツと、次にトワリスの方を見て、何かを確信したように息を飲む。
男は、振り返ると、突然大声で避難民たちに呼び掛けた。
「おい! アーベリトの魔導師様だ! アーベリトの魔導師様がいるぞ!」
男の声に、はっと顔を上げた避難民たちが、わらわらと一斉に集まってくる。
あっという間に避難民たちに包囲されたトワリスたちは、入口付近の壁際に追い詰められ、何事かと身を硬直させた。
避難民たちは、ぎらぎらとした目を動かして、口々に尋ねてきた。
「魔導師様、私達をこのような目に遭わせたのは誰なのですか!」
「どうぞ教えてください! 私は息子と妻を殺されたのです!」
「街に描かれた魔法陣を見ました! あれは、古語ではありませんよね? 召喚師様が、私達を裏切ったのですか?」
「シュベルテは、本当に安全なのでしょうか? 私達は、これからどうなるのですか?」
「魔導師様、お願いします。どうか教えてください……!」
追いすがる人々の声が、幾重にも折り重なって、割れ鐘のように響き渡る。
あまりの剣幕に、萎縮していたトワリスであったが、ややあって、手を上げると、大声で叫んだ。
「い、一旦落ち着いてください!」
人々が口を閉じて、講堂内に沈黙が広がる。
トワリスは、すっと息を吸うと、一言一言、区切るようにして答えた。
「皆さんの……現状を憂うお気持ちは、お察しします。私としても、事態の真相をお話ししたいとは、思っています。……ただ、ごめんなさい。今は出来ないんです。……申し訳ありません」
トワリスが頭を下げると、途端、人々の目に、凶暴な光が浮かんだ。
眉を吊り上げ、ぎりぎりと歯を食い縛り、避難民たちが怒鳴り声をあげる。
「ふざけるな! この役立たずめ! 俺達を見捨てる気なんだろう!」
トワリスは、顔色を変えて否定した。
「違います! 私達は、皆さんが一刻も早く、安心して暮らせるように──」
「だったら話せ! やましいことがないなら、話せるだろう!」
掴みかからんばかりの勢いで、人々は、剥き出した感情をぶつけてくる。
中には、食事に使った匙を投げる者まで出始めて、ハインツは、トワリスを庇うように前に出た。
「待って皆! 焦るのは分かるけど、トワリスたちを責めたってしょうがないでしょう! 二人は、命懸けで街を守ってくれたんじゃない!」
声を張り上げ、リリアナも制止を訴えるが、勢いづいた人々の罵声に飲まれて、その声は届かない。
揉み合う輪の中に入っていこうとするリリアナを、カイルは、必死になって止めるしかなかった。
──その時だった。
突然、煮えた空気を断ち切るような、鋭い打音が響いてきて、避難民たちは、そろって振り返った。
講堂の入口に、ルーフェンが立っている。
響いてきたのは、ルーフェンが、杖で壁を強く打った音であった。
「……失礼。声をかけても、届かないくらいの騒ぎだったので」
場に似合わぬ、悠然とした口調で言って、ルーフェンは微笑む。
アーベリトで着ていたような軽装ではなく、青を基調とした正装に身を包んだルーフェンは、近寄りがたい威厳を纏っていて、なんだか別人のようであった。
瞠目して、こちらを凝視しているトワリスとハインツを一瞥すると、ルーフェンは、避難民たちの元へと歩み寄った。
「長らく、窮屈な思いをさせてしまってすみません。朗報があって来ました。まだ少し先になると思うんですが、皆さんには今後、シュベルテとアーベリトの間にある、ヘンリ村の跡地に移住して頂こうと思っています」
突然の知らせに、避難民たちの間に、ざわめきが起こる。
ルーフェンは、軽い調子で続けた。
「あの辺一帯は、元々カーノ商会の所有地だったんですが、七年ほど前に、訳あって俺が買い取っています。今は更地ですが、アーベリトの皆さんが移住するにあたり、整地とその後の援助も、シュベルテが賄ってくれることになりました。そういうわけなので、今後はシュベルテの管轄となりますが、皆さんが望むなら、独立自治区として、宣言をしても構わないと陛下は仰っています」
喜びというよりも、戸惑いを隠しきれない様子で、避難民の一人が口を開いた。
「あ、あの……アーベリトは? アーベリトには、戻れないのでしょうか?」
ルーフェンは、淡々と答えた。
「アーベリトは、地盤沈下が酷く、建物の倒壊被害も深刻です。今のところ、復興させる予定はありません」
「そ、そんな……」
一様に青ざめた表情になり、人々は、絶望の色を瞳に滲ませる。
顔色一つ変えないルーフェンを、怒りの形相で睨んだ男たちが、前に出て怒鳴りつけた。
「じょ、冗談じゃない! アーベリトには、祖父の代から続く俺の店があるんです! それを、そんな簡単に諦めろだなんて、あんまりじゃないですか!」
「そうだ、横暴だ! 揃いも揃ってアーベリトを守れなかった挙げ句、こんなところまで連れてきて、その上、今度は故郷を捨てろだと? ふざけるな! シュベルテと結託して、落ちぶれた王都民の俺たちを、嘲笑ってるんだろう!」
興奮してわめき散らす男たちに、講堂の隅で抱かれていた赤ん坊が、ぎゃあぎゃあと泣き出す。
ルーフェンは、杖で床を打つと、強めた口調で言った。
「シュベルテへの一時避難も、ヘンリ村跡地への移住も、強制するものではありません」
驚いて、黙り込んだ人々に、ルーフェンは言い募った。
「アーベリトを守れなかったのは、俺の責任です。しかし、陛下や魔導師たちが、貴方達を陥れようなどと画策したり、影で嘲笑っていることなど、全く有り得ません。他に行く宛がある方や、何と引き換えにしてもアーベリトから離れたくないという方は、自分の思う通りにしたらいい」
「…………」
ぐ、と言葉を詰まらせて、避難民たちは悔しげに俯く。
実際、身一つで逃げてきた彼らには、他に頼れるものなどないのだ。
今にも泣き出しそうな女が、懇願するように、ルーフェンに問いかけた。
「では……それでは、シュベルテでないなら、誰がアーベリトを滅ぼしたというのですか。前召喚師様ですか? 一体、何のために? どうか教えてください」
人々が、女に同調して、ルーフェンを見つめる。
ルーフェンは、無感情な瞳を向けると、一呼吸置いてから、唇を開いた。
「……これ以上、俺から伝えられることは、何もありません」
しん、と、講堂内が静まり返る。
避難民たちは、唖然として、言葉を失ってしまったようだった。
身を翻して、出ていこうとしたルーフェンの背を指差して、男が言った。
「あいつだ! あいつがやったんだ! 自分がやったから、何も言えないんだ……!」
室内の空気が、一瞬で変わった。
今まで場に満ちていた不安や怯えが、底知れぬ怒りと憎しみに変化する。
人々は、目を光らせて、一斉にルーフェンを罵倒した。
「人殺し! お前がアーベリトに、不幸を招き入れたんだ!」
「お前が死刑になればよかったんだ! 家族を返せ……!」
異常なまでの熱気を纏い、鋭く発せられた怒声が、ルーフェンを刺し貫く。
トワリスが、咄嗟に間に入ろうとしたとき。
不意に、勢いよく投げられたスープ皿が、ルーフェンに肩に当たって落ち、床の上で砕け散った。
「──サミル先生も、お前のせいで死んだんだ! お前は死神だ……!」
皿を投げたのは、七、八歳くらいの少年であった。
ルーフェンは、顔だけ振り返ると、ふと、目を細めて少年の方を見つめた。
はっと身を強張らせ、気圧されて沈黙した人々の顔に、色濃い恐怖が浮かぶ。
まさか、本当に投げた皿が当たるとは思わなかったのだろう。
すぐに、母親らしき女が駆けてきて、少年を守るように抱えると、踞って、がたがたと震え出した。
張りつめた緊張が、人々の身体を縛り上げる。
ルーフェンは、しばらくの間、震えている親子を見ていたが、やがて、再び身を翻すと、何も言わずに、講堂を出ていったのであった。
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