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投稿日:2025年12月31日
「──ルーフェンさん! 待ってください!」
トワリスは、講堂から飛び出すと、吹き抜けの長廊下へと出ていったルーフェンを追いかけた。
去っていく背中の裾に掴みかかって、思い切り引っ張る。
引きずり倒されそうになったルーフェンは、すんでのところで持ちこたえると、振り返って、驚いたようにトワリスを見た。
「ああ、なんか久しぶりだね。どうかした?」
けろっとした顔で尋ねてきたルーフェンに、思わず絶句する。
先程の出来事を、まるで何とも思っていないかのような飄々とした態度で、ルーフェンは、後ろから追い付いてきたハインツにも、にこにこと手を振った。
「ど、どうかした、じゃないですよ! なんで否定しないんですか!」
「……否定? 何を?」
「噂のことです! 状況分かってますか? アーベリトを陥れたのは、ルーフェンさんだって疑われてるんですよ!?」
所構わず大きな声を出してしまって、はっと口を押さえる。
しかし、引くことはせず、睨むようにルーフェンを見上げると、ルーフェンは、困ったように肩をすくめた。
「否定しても、仕方ないでしょ。実際、街を燃やしたのは俺なんだし」
「だけどそれは、残っていた人が、悪魔の糧にならないように仕方なく──」
トワリスの言葉を遮って、ルーフェンが、しーっと人差し指を自身の唇に当てる。
目を見開いたトワリスは、数歩、よろよろと後ろに下がると、悲しげに顔を歪めた。
「……どうしてですか。前に、俺が疑われなくちゃいけない、って言っていたことと、関係があるんですか? ……あの日、アーベリトであったことを隠すのは、ルーフェンさんが罪を被って、皆に憎まれてまでする価値のあることなんですか……?」
「…………」
「絶対に他言しないので、理由があるなら、教えてください。力になれるかもしれません」
強気な口調で言って、ぐっと拳を握る。
ルーフェンの、わずかな表情の変化も見逃すまいと、トワリスは、真っ直ぐにその銀の瞳を見つめた。
ふっと、ルーフェンが目を伏せる。
長い間、ルーフェンは、軒樋から落ちる雨垂れの音を聞いていたが、やがて、目をあげると、穏やかな声で言った。
「二人には、本当に助けられたと思ってるよ。ありがとう。……でも、もう、そういうのはいいよ」
トワリスとハインツが、微かに瞠目する。
ルーフェンは、昔を懐かしむように、目を細めて言った。
「二人は多分、俺に恩を感じて、アーベリトに尽くしてきてくれたんだと思うんだけど、そのアーベリトは、もうなくなったんだ。俺は、二人を縛り付けるために助けたわけじゃないし、命を危険に晒してまで尽くしてもらうなんて、全く望んでない。……もう、ここから先は、好きなように生きるといい」
頭が真っ白になって、言葉が出てこない。
とん、と背を押されて、突然、足場のない空間に、突き放されたような気がした。
ハインツも、同じ心境なのだろう。
黙り込んでしまったハインツを見て、ルーフェンは、申し訳なさそうに言った。
「ハインツくんも、ごめんね。リオット族は、俺を信じて着いてきてくれたのに、アーベリトにいた君の仲間を、今回、巻き込んで死なせてしまった」
「…………」
「陛下とも相談して決めたんだけど、教会の台頭で、今後は俺の傘下にあるというだけで、君達リオット族にも危険が及ぶかもしれない。だから、これを機に、召喚師とリオット族の関係は、断ち切ろうと思うんだ。ただ、君達が都市部でも幸せに、好きなように暮らせるように……と言った、あの時の言葉を撤回する気はない。元々、俺が仲介役として間に入っていたのは、当初は不安定だった君らの立場を、確立するまで守るためだったんだ。……今は、リオット族ありきの商会だってある。勿論、今後も困ったことがあったら、相談してくれて構わないけど、リオット族にはもう、地上に確かな居場所がある。だから、俺の介入は必要ないはずだよ」
言い置いて、すっと手を伸ばすと、ルーフェンは、トワリスの前髪に触れた。
びくっと身体を揺らしたトワリスが、恐る恐る、視線を向けてくる。
何を言われるのかと身構えながらも、絶対に目をそらしてたまるか、と言わんばかりの頑固な目付きに、ルーフェンは、眉を下げて微笑んだ。
「……それじゃあ、元気でね。しばらくは、安静にしてなよ。二人とも、結構な大怪我だったんだからさ」
トワリスから手を引いて、ルーフェンはそう言った。
ひらひらと手を振りながら、踵を返して、長廊下を歩いていく。
トワリスとハインツが、その背中を見ていることに気づいていたが、ルーフェンは、一度も振り返らなかった。
遠ざかっていくルーフェンが、長廊下の角を曲がって見えなくなるまで、トワリスとハインツは、呆然と立ち尽くしていた。
おそらく、もう関わるなと、遠回しに言われたのだ。
それは分かっていたが、引き留める言葉が、何も思い付かなかった。
不意に、ぐすぐすと、鼻をすする音が聞こえてきた。
トワリスの背後で、ハインツが泣いている。
振り向くと、ハインツは、辿々しい口調で呟いた。
「ル、ルーフェン……お、怒った、のかな……俺達、アーベリト、ま、守れなかった、から……」
鉄仮面を外して、涙を手の甲で拭う。
トワリスは、唇を噛むと、違うよ、とだけ返事をした。
手足が冷たく、強張っている。
トワリスはしばらく、俯いて何かを考えていたが、やがて、すっと顔をあげると、ハインツの腕をがしっと掴んで、足早に歩き出した。
「ど、どこ行くの……?」
「地下牢。シルヴィア様に、会いに行こう」
「えっ、ええ?」
困惑するハインツを引っ張って、トワリスは、ずんずんと足を進めていった。
長廊下を抜け、本殿を横切って、アーベリトの数倍はあろうかという主塔へと向かう。
シルヴィアが収容されているのは、その主塔の地下にある牢であった。
湿っぽい石階段を下っていき、息を止めたくなるような黴臭い廊下に出ると、その一番奥の牢に、シルヴィアは捕らえられていた。
通常は、階ごとの出入口にしか番兵はいないが、バジレットの命令で、シルヴィアの周辺は厳重に監視されている。
トワリスは、牢の前に立っている二人の番兵に、腕章を見せると、息を吐くように言ってのけた。
「私達、宮廷魔導師です。シルヴィア・シェイルハートと少し話がしたいので、牢の鍵をください」
「きゅ、宮廷魔導師様……?」
番兵たちは、見たこともない女と大男に宮廷魔導師を名乗られ、明らかに不審がっている様子であったが、本物の腕章を見せられると、訝しみながらも鍵を渡してくれた。
カシャン、と鉄格子の錠を開けて、トワリスは、無遠慮に牢の中に入っていく。
ハインツと番兵たちは、格子の外で、不安げにトワリスのことを見守っていた。
シルヴィアは、両手両足に枷を嵌められ、背後の石壁に鎖で繋がれた状態で、拘束されていた。
座ることしかできないその体勢で、眠っているのか、俯いて目を閉じている。
衣服は黒ずみ、陶器のような肌もくすんでいたが、薄暗い地下牢の中で、豊かに垂れる銀髪だけが、ぼんやりと光っているように見えた。
「こんにちは、トワリスです。シルヴィア様に、お願いがあって来ました」
「…………」
シルヴィアの前で正座をすると、トワリスは、開口一番にそう告げた。
うっすらと目を開けたシルヴィアが、鎖を鳴らして、顔をあげる。
虚ろな目をした彼女を見つめて、トワリスは言い放った。
「明後日、処刑台に立ったら、皆の前で謝ってください」
「…………」
「謝ったって許しませんけど、皆の前で、アーベリトのことは私がやりましたって土下座して、誠心誠意謝ってください」
シルヴィアの目が、ゆっくりと見開かれていく。
震え出した喉で、浅く息を吸いながら、トワリスは言い募った。
「ルーフェンさんが……貴女を庇っているのか、なんなのか知りませんけど、自分が、アーベリトを陥れたんじゃないかって疑われてるのに、全く否定しないんです。陛下までそれに協力して、本当のことを言うなって口止めしてくるし……もう、私達じゃどうしようもありません。だから貴女が、私がやりましたって白状して、ルーフェンさんの無実を証明してください」
「……ルーフェンが……私を、庇う……?」
譫言のように呟いて、シルヴィアが緩慢に瞬く。
夢現で話を聞いていた彼女は、ようやく目が覚めてきたのか、トワリスを見て、ふふっと笑った。
「ああ、そう……そうよね。ルーフェンの立場なら、そうせざるを得ないでしょうね……」
トワリスが、怪訝そうに眉をしかめる。
ゆったりとした口調で、シルヴィアは続けた。
「だって、今の私は、ただの魔女だもの……。その私が、召喚術を使ったとなれば、自分にも使えるんじゃないかと、方法を探る者が出てくるでしょう。そうなったら、魔術の在り方が狂ってしまうわ」
トワリスの瞳が、ふっと揺れる。
どこか気怠げに、しかし、それ以上の妖艶さを以て、シルヴィアは微笑んだ。
「それを防ぐには、召喚師である自分が罪を被るしかないけれど、はっきりと自分がやったと断言してしまえば、何らかの形で償わなければ、民への示しがつかない。でも、それは王が決して許さない。……きっと、そういうことでしょう」
「…………」
「ふふ、皆の顔を見るのが、楽しみね。ルーフェンも、バジレットも、私のことを、一体どんな目で見るのかしら……」
そう言って、シルヴィアは、恍惚と溜め息を漏らした。
トワリスの相貌が、膜を張って、ゆらゆらと揺蕩う。
不意に立ち上がると、トワリスは、シルヴィアの前に近づいていった。
そして、突然、その胸倉を掴みあげると、低い声で言った。
「……そんなこと、どうだっていいんですよ……」
ぎょっとしたハインツと番兵たちが、思わず腰を浮かせる。
それに構わず、トワリスは、喉が裂けんばかりの大声で、繰り返した。
「そんなこと、どうだっていいんですよっ!!」
トワリスの怒声が、地下牢中に響き渡って、一瞬、奇妙な静けさが下りた。
流石に驚いたのか、シルヴィアが、瞠目して固まる。
ぱたぱたっと、頬に涙が流れ落ちてきて、間近にあるトワリスの顔を、シルヴィアは、愕然と見上げていた。
「いいから、絶対謝ってください! ああなったら、ルーフェンさんは、絶対に意見を曲げません。へらへらしてる割に、意外と頑固なので、殴っても蹴っ飛ばしても、きっと吐きません。だから、代わりに、貴女が、折れてください。皆の前で、謝って……っ、それで」
だんだん息が吸えなくなってきて、トワリスは、苦しげに言葉を詰まらせた。
シルヴィアの胸元を絞り上げ、必死になって、喉から声を押し出す。
「……だって、納得いくはず、ないでしょう……! ルーフェンさん、人殺しとか言われたんですよ。サミルさんが死んだのも、お前のせいだとか、根も葉もないこと言われて……。そんなわけないでしょう! サミルさんが亡くなる前に、どうしたらいいか分かんないとか言って、うろうろしてたような人が……っ。おかしいです、こんな、簡単に、アーベリトで積み重ねてきたものが、壊れ……っ、ぅう……」
やがて、手を緩めると、トワリスは、崩れるようにして踞り、背を丸めて泣き出した。
それでもまだ、トワリスは何かを溢していたが、嗚咽と混じって、断片的にしか聞き取れない。
目の前で、身を絞るように泣いているトワリスを、シルヴィアは、戸惑ったように見つめていた。
「貴女……どうしてそんなに泣いているの」
「泣いてません、悔しくて、怒ってるんです!」
本気で分かっていない様子のシルヴィアに、間髪入れずに答える。
トワリスが、目に強い光を浮かべ、顔をあげると、シルヴィアは、動揺したように唇を震わせた。
「分からないわ……貴女、ルーフェンのために、そんなに怒っているの? 何故? 貴女にとって、ルーフェンは、所詮他人じゃない」
トワリスは、喉を鳴らして、歯を食い縛った。
突き上げてきたのは、怒りというより、哀れみだった。
一度言葉を飲み込んでから、トワリスは、圧し殺した声で言った。
「……シルヴィア様、貴女は、可哀想な人です……」
シルヴィアの相貌が、大きく揺らぐ。
涙を拭いながら、トワリスは続けた。
「きっと貴女には、分からないんですよ……。貴女にとって、私達は多分、罪悪感を晴らすための道具でしかないんです。殺意とか、憎悪とか、そういうのを向けられることで、貴女は、自分でしてきたことを、精算した気になっているだけなんです」
「…………」
「貴女は、自分のことばっかりで、他のことは何も見ようとしていないし、分かろうともしていない。だから、欲しいものが目の前にあっても、今まで気づけなかったんですよ。自分が見ようとしないから、だんだん、誰にも見てもらえなくなって、結局独りぼっちになってしまったんです。憎まれる以外に、気を引く方法を知らない、可哀想な人です。……分かろうとしていない内は、私の気持ちも、ルーフェンさんの気持ちも、理解できるはずがありません」
シルヴィアの目に、深い悲しみの色が浮かぶ。
突然、親に見放された子供のような、不安定で色であった。
シルヴィアは、ゆるゆると首を振った。
「……そんなこと……ないわ。私は、ルーフェンの気持ちを、よく分かってる。ルーフェンは、私のことを、憎んでいるのよ……」
シルヴィアが、トワリスを見つめた。
見つめていたが、その銀の瞳には、やはりトワリスは映っていない。
会いに行ったとき、彼女の目にはいつも、何も映っていなかった。
シルヴィアは、トワリスではなく、自分に言い聞かせた。
「ルーフェンは……生まれた時から、ずっと私を憎んでいたのよ。私を、殺したくて殺したくて、堪らなかった。だから、私の処刑が決まって、きっと喜んで──」
「──そんなわけないでしょう!」
不意に、振り上がったトワリスの掌が、シルヴィアの頬をぶっ叩いた。
甲高い音が響いて、衝撃で跳ねた銀髪が、はらはらと揺れる。
再び胸倉を掴むと、トワリスは怒鳴った。
「そうやって自己暗示を繰り返してるから、何も見えなくなるって言ってるんですよ! 分かんない人ですね!」
がくがくとシルヴィアを揺らせば、流石にこれ以上は止めねばと、慌てふためいた番兵たちが牢の中に入ってくる。
番兵は、トワリスの脇を抱えて、力づくでシルヴィアから引き剥がすと、そのままずるずると牢の外へと連れ出した。
「……っい、いいですか! 明後日、謝ってくださいよ! 約束しましたからね……!」
そう捨て台詞を残して、トワリスは、番兵の一人と揉めながら、地上へと引きずられていく。
ハインツは、どうしたら良いのか分からず、しばらく牢の前を行ったり来たりしていたが、ふと、呆然としているシルヴィアを見ると、躊躇いがちに口を開いた。
「あ、あの……」
シルヴィアが、ハインツに視線を移す。
目が合ったことに驚いて、その視線から逃れるように岩壁に身を隠すと、ハインツは、顔だけを格子から覗かせて、問うた。
「なんであの時、俺達、助けたの……?」
「あの時……?」
「悪魔の術式……解いてくれた……。俺達、意識あったから……?」
「…………」
記憶を巡らせてみて、シルヴィアは、アーベリトを落とした日か、と思い至った。
ハインツが言っているのは、シルヴィアが、召喚術を行使したときのことだろう。
あの時、トワリスとハインツの身体に刻んだ吸魂の術式を、シルヴィアは解いたのだ。
シルヴィアが答える前に、ハインツは、続けて尋ねた。
「あと、孤児院も……なんで、魔法陣の、外にしたの……? 離れてた、から?」
「…………」
シルヴィアは、何も答えなかった。
長い間、不安定な光を瞳に携え、俯いていたが、やがて、緩やかに吐息をつくと、ぽつりと呟いた。
「さあ。よく、分からないわ……」
ハインツが、鉄仮面の奥にある黒い目で、じっとシルヴィアを見つめる。
しばらくそのまま、牢の前で様子を伺っていたが、ややあって立ち上がると、ハインツは、ぺこりと頭を下げた。
去っていくハインツの背中に、シルヴィアは、声をかけた。
「……さっきの子に、伝えておいて」
シルヴィアは、薄く微笑んだ。
「約束は、守れないわ。ごめんなさい。それから……お粥、ありがとうって」
ハインツは、振り返って、少し首を傾げてから、こくりと頷いた。
そして、もう一度頭を下げると、踵を返して、地下牢を出ていったのだった。
残っていた番兵は、しっかりと牢の錠をかけ直すと、再び格子の前に立った。
そして、トワリスを連れ出した番兵が戻ってくると、二人で「さっきのは一体なんだったんだ……」と、嵐のように現れて去っていった、謎の宮廷魔導師二人について愚痴を言い合っていた。
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