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投稿日:2025年12月31日






  *  *  *



 少し弱まった雨の中、濡れた葉を掻き分け、山中を進むと、それは、まだそこに建っていた。
ヘンリ村の跡地近くに、ひっそりと聳える持ち主不明の山荘。
放置された山小屋というには、二階建てと広く、家具まで放置された、さながら幽霊屋敷とでも言うべき不気味なその屋敷は、七年前、カーノ商会から跡地を買った際に、ルーフェンが偶然見つけたものだった。

 所々ひびの入った石壁に、這うように伸びた枯れかけの蔓草つるくさ
砂埃でくすんだ窓と、色が剥げて変色した屋根。
最初に発見した時は、あまりの不気味さに入る気になれなかったが、人目を忍んで訪れている内に、なんとなく居着いてしまった。
世間から隔離されたような静けさが、当時、十四だったルーフェンの少年心を、秘密基地という響きを以て、見事にくすぐったのだ。

 アーベリトに移ってからは、一度も来ていなかったが、最後に訪れたのは、いつだったろうか。
確か、自分用の新しい寝具を、勝手に持ち込んだ時だった気がする。
その頃、よく共にいた宮廷魔導師のオーラントが、「まさか、本気で住む気なんですか」と言って、顔を引きつらせた時の事が、ふと、脳裏に蘇った。

 がたつく扉を開くと、七年も放置していた割に、山荘の中は綺麗だった。
綺麗と言っても、ほこりは溜まっているし、雨続きのせいか、部屋全体が湿っぽい。
ただ、もしかしたら、老朽化でどこか崩れているかもしれない、とか、野党あたりに荒らされているかもしれない、と思っていたので、そういった様子が一切見られないのは、少し意外であった。

 外套と上着を脱いでから、家の中を一通り見回すと、ルーフェンは、汚れの染み付いた窓を拭き、薄暗い外の景色をぼんやりと眺めた。
今は雨が降っているので、けぶって白んだ風景しか見られないが、小高い山の上に建つこの山荘からは、ヘンリ村の様子が一望できる。
アーベリトの人々が移住したら、この窓から、彼らをそっと見守ることもあるのだろうか。
罪悪感から買い取ったかつての故郷に、まさか、アーベリトの人々が住むことになろうとは、巡り合わせとは不思議なものだと、どこか他人事のように思った。

 埃の積もった食卓を、適当に払っていた時。
ルーフェンは、食卓の下の床に、一部分だけ、不自然に沈む箇所があることを見つけた。
そもそも、基本が石造で、床だけ板張りという構造に、違和感はあったのだ。
どうやら、地下に空間があるらしい。
七年前は、気づかなかったことであった。

 とんとん、と足で床を叩いていると、突然、ガタンッと音がして、床の底が消えた。
一瞬、床板を踏み抜いたかと焦ったが、どうやら、地下へと続く隠し扉が、衝撃で開いただけのようだ。
ぶわっと舞った埃が収まると、ちょうど人が一人、通り抜けられるくらいの穴が姿を現した。

 重みで崩れそうな木製階段を下り、固い石床に降り立つと、そこは、ただの地下倉庫であった。
魔術で光を灯し、暗闇を照らすと、五歩も歩けば行き止まりになってしまうような、狭い室内が浮かび上がる。
両側の壁には、半分腐食した木棚が設置されており、期待外れというべきか、そこには、食器類や、いつのものか分からない酒瓶などが、いくつか並べられているだけであった。

 拍子抜けしつつ、食器を一枚、手にとって見ると、やはりそれは、なんの変哲もない陶器の皿だった。
木製でないだけ多少高価かもしれないが、黒ずんで欠けているし、全く値打ちはなさそうだ。
折角、いかにも古くて汚い地下まで、足を踏み入れたのに、損をした気分である。
ルーフェンは、想像以上に埃まみれになっていた自分の姿を見て、思わず苦笑を浮かべたのだった。

 こんな姿で戻ったら、トワリスあたりは、一体何をしてきたんだと怒るだろう。
理由を聞いたら、子供っぽいことをするなと、もっと憤慨するかもしれない。
彼女は結構、綺麗好きだ。
一時期、家政婦の不在で、アーベリトの城館が荒れ放題だった時も、その瞬発力とハインツの腕力を駆使して、屋敷中を大掃除していた。

 そういえば、トワリスは、ハーフェルン領家の息女ロゼッタに、「乳母よりうるさい」という理由で解雇されている。
あの年齢で、妙に所帯染みているのは、初めて引き取った頃に、“アーベリトの母ちゃん”呼ばわりされていた家政婦のミュゼに、散々しごかれたからだろうか。
そうだとしたら、そのトワリスに色々と仕込まれたハインツも、だんだん所帯染みていくのかもしれない。
元々、石細工など、細かい作業が好きなハインツのことだ。
彼が、あの風体で炊事や洗濯までこなし始める姿は、なんとなく見てみたいような気がした。



(……なんて、二人とは、もう話すこともないかもな)

 ふと、講堂前で、戸惑ったようにこちらを見ていたトワリスのハインツの顔が、頭に浮かんだ。

 二人が今後、魔導師として残ったとしても、城内にいるルーフェンと、地方を含めた外回りが中心の一般の魔導師では、ほとんど会うことはないだろう。
向こうがルーフェンを一方的に見かけることはあるだろうが、それも、召喚師という立場がサーフェリアから無くなれば、当然叶わなくなることだ。
会って話す機会は、あれで最後だったのかもしれない。
そう思うと、痛みに似たものが、胸の中に広がった。

 案外、簡単なものだな、と思った。
召喚師になる時は、あれだけ苦悩して、もがいて、切れそうな糸を必死に手繰り寄せながら進んだのに──。
引きずり下ろされる時は、随分と簡単に、崖から転げるような勢いで、真っ直ぐに落ちていくものだ。

 アーベリトを陥れたのが、召喚師かもしれないという噂を、人々は、案外簡単に信じた。
あまりにもあっさりと、都合よく事が運んだので、ルーフェンも驚いたくらいである。
このまま、人々が召喚師一族を忌み、必要ないと願うなら、それほど遠くない未来に、召喚師という立場は、この国から消えてなくなるだろう。
バジレットは、これから先も召喚師一族を抱えようとしているようだったが、所詮は、神も守護者も、人々の願いの上で成り立っている、仮初かりそめの存在に過ぎないのだ。

 絶対に逃れられないと思っていた、召喚師一族としての運命。
子供の頃に、あれだけ願っても叶わなかったことが、もうすぐ実現するかもしれない。
それは、どこか現実味のない響きで、ルーフェンの心を揺さぶったのだった。

 だが、これで良い。これが、ルーフェンの望んでいたことなのだ。
召喚師一族の力は、存在しているべきではない。
闇の系譜は、この先に続いては行かない。
召喚術の本質を秘めて、その存在ごと、ルーフェンは密やかに消えていく。
これで、良いのだ。これで──。

「──……」

 手にしていた皿を、木棚に戻そうとした時。
そのわずかな振動で、隣に積まれていた皿の一枚が、滑り出るようにして落ちた。
石床の上で割れ、パリンと砕け散る。
それを見た瞬間、講堂で皿を投げつけられた時の事が、ふっと頭に過った。

──サミル先生も、お前のせいで死んだんだ! お前は死神だ……!

 不意に、目眩がするほどの怒りが、腹の底から沸き上がってきた。

 棚に並ぶ食器類を、横から殴り付けるようにして、力任せに叩き落とした。
甲高い音が重なって響き、次々と皿が割れていく。
勢い余って壁に叩きつけられ、細かく砕け散った破片は、ルーフェンの手の甲を、鋭く掠っていった。

 十数年前まで、やれ守護者だの、なんだのと祀り上げられ、苦汁を飲み込むような思いで、やっと召喚師という立場を受け入れたのに。
それが、こんなにも容易に覆るなんて──本当は、吐き気がするほど不愉快だった。

 分かっている。自分がそう仕向けたのだ。
そうなるように望んだのも、他ならぬ自分だ。
けれど、いとも簡単に掌を返した人々や、そもそもの元凶である母、イシュカル教徒たち、関わった全ての人間が、心の底から、憎くて仕方なかった。

 自分はただ、限られた時間を、アーベリトで穏やかに過ごしたかっただけだ。
最終的には、召喚師としてシュベルテに戻ることになろうとも、アーベリトで暮らした数年間の思い出があれば、それを胸に、生きていけるような気がしていた。
本当に、ただそれだけだったのに、何を、どこで間違ったのだろう。

 こんな幕引きを、するはずではなかったのだ。
サミルが崩御ほうぎょして、これから先は、もうアーベリトの人々を巻き込むつもりなんてなかった。
あの日から、ずっと、やり場のない怒りと後悔が、ルーフェンの身の内で燃え滾っている。
己の運命を呪いながら、死んでいったアーベリトの人々に謝り続けている自分が、惨めで、滑稽で、笑う気にもなれなかった。

 いつの間にか、手の甲が裂け、そこから血が流れ出ていた。
それに構わず、振り返ると、ルーフェンは、向かいの木棚に並んでいたものも全て叩き割った。
胸が詰まって、息が苦しい。
まるで、周りの見えない水中に、深く深く、沈められたようだった。
やがて、壊すものがなくなると、ルーフェンは、ずるずるとその場に踞って、長い間、荒い呼吸を繰り返していた。

 切れた手の甲が、じんじんと熱くなって、その痛みを自覚し始めると、頭の中が、徐々に冷静になっていった。
石床に、砕けた破片が散乱している。
膨らんで弾けた怒りが、ゆっくりと引いていくと、最後に残ったのは、発散できない虚しさだった。

 地下倉庫から、這い出るようにして居間に上がると、激しい立ち眩みがして、ルーフェンは近くの椅子に手をついた。
視界に光がちらついて、嫌な汗が背を伝っている。
そのまま床に座り込み、椅子の座板部分に腕と額をつけると、ルーフェンは、胸を押さえて目を閉じた。

 静まり返った部屋の中で、雨音と自分の呼吸音だけが、耳鳴りのように聞こえている。
その時、強まってきた雨足と共に、誰かが、山荘に近づいてくる気配がしたが、今は、相手をする気になれなかった。
こんな辺鄙へんぴな場所に、偶然通りがかる者などいないだろうから、イシュカル教徒あたりが、暗殺でも目論んで、ルーフェンのあとを着けてきたのかもしれない。
それならそれで、この場で殺されても、自分の人生はここまでだった、ということでいいだろう。
そんな風に考えてしまうくらい、疲れていたし、今は、とにかく眠りたかった。



 どのくらい、時間が経ったのか。
ふと、目を覚ますと、部屋は宵闇に沈んでいた。
ぼやけた頭をもたげ、ルーフェンは、しばらく暗がりを見つめていたが、ややあって、扉の方に視線をやると、思わず目を見開いた。
外に、まだ人の気配があったのだ。

 重たい身体で立ち上がり、そっと扉を開けると、軒樋のきどいの下の石壁に、膝を抱えて寄りかかる人影があった。
まさか、と思い近づいてみると、人影が、ぴくりと反応して、顔をあげる。
先程まで、ずっと雨に打たれていたのだろう。
頭の上から爪先まで、全身ずぶ濡れになって、そこに座り込んでいたのは、他でもない、トワリスであった。

「……なんで、ここに」

 思わず出た声は、いつもよりずっと低くて、不機嫌そうな声だった。
自分でも驚いて、ルーフェンは口を閉じたが、トワリスは、急に声をかけられたことに驚いたようであった。

 弾かれたように立つと、トワリスは、慌てて口を開いた。

「あ、あの……こんばんは」

「……こんばんは」

 そこで会話が途切れて、トワリスが、気まずそうに俯く。
濡れて張り付いた前髪を、鬱陶しそうに払いながら、トワリスは言った。

「ヘンリ村の跡地を見に行って、それから、ずっと戻ってきてないって聞いたので……探しに来ました」

 ルーフェンは、眉をしかめた。

「よく、こんな場所見つけたね」

「他に、雨宿りできそうな建物とか、なかったので」

「……寒かったでしょう。声、かけてくれれば良かったのに」

 ルーフェンが言うと、トワリスは口ごもった。

「いや、声はかけるつもりだったんですけど、その……少し、頭を冷やしてから行こうかと」

「……雨で?」

 ルーフェンが、わざと引き気味に返すと、トワリスが、じろっと睨んできた。
束の間、睨み合ってみてから、ふっと吹き出すと、ルーフェンは、冷たいトワリスの手を引いた。

「入りなよ。風邪引いちゃうよ」

 トワリスは、頷くと、大人しく着いてきた。

 手近に綺麗な手拭いがなかったので、ルーフェンが来るときに着てきた上着を貸すと、トワリスは、それで濡れた髪を絞った。
最初は遠慮していたが、室内で、濡れ鼠のままでいるのも恥ずかしくなってきたのだろう。
ちょっとした問答の末、トワリスは、上着を受け取って、しばらく頭から被っていた。

 光源の確保と、暖をとらせる意味もあって、ルーフェンが宙に炎を灯すと、トワリスは、明るくなった山荘の中を、興味深そうに見回した。

「……ここ、なんなんですか?」

 ルーフェンは、一瞬言葉に迷ってから、答えた。

「……俺の……秘密基地」

「秘密基地……?」

 思わぬ答えだったのだろう。
目を丸くしたトワリスに、ルーフェンは説明した。

「昔、偶然見つけた場所でね。七年も放置してたから、どうなってるか見に来たんだけど、まだ残ってたんだ」

「はあ、なるほど……。なんか、意外ですね。ルーフェンさんが、秘密基地とか」

「そう? 男の子は、こういうの好きでしょ。……まあ、トワに見つかったから、秘密じゃなくなっちゃったけどね」

「悪かったですね。別に、場所を言いふらしたりしませんよ」

 ルーフェンが、くすくす笑うと、トワリスは、気に入らなさそうにそっぽを向いた。

 ルーフェンが床に座って、隣に来るよう促すと、トワリスは、少し離れたところに腰を下ろした。
講堂前でのやりとりについて、何か話でもあるのだろうと思い、ルーフェンは、黙って待っていたが、トワリスは、一向に何も言わなかった。
見かねたルーフェンが、何かあったのかと尋ねようとしたとき、トワリスは、ようやく口を開いた。

「私と、ハインツなんですけど……バーンズさんに誘って頂いて、今後は、宮廷魔導師としてお仕えすることになりました」

「……宮廷魔導師?」

 ルーフェンが、ぱちぱちと瞬く。
トワリスは、無愛想な声で付け加えた。

「言っておきますけど、恩とかそういうのじゃないですよ。自惚れないで下さい。やっぱり、私とかハインツみたいな、特殊な出自の人間は、魔導師が向いてると思うんです。だから、これは……そう、ただの出世です」

 その言い方がおかしくて、ルーフェンは、思わず苦笑した。
何故笑われたのかと、トワリスが顔をしかめると、ルーフェンは、首を振って言った。

「いや、ごめん。別に、文句を言うつもりはないよ。宮廷魔導師になるんだったら、ただの出世じゃなくて、大出世だね。……そっかぁ、宮廷魔導師かぁ。あの手のかかったトワリスちゃんとハインツくんがなぁ」

「子供扱いしないでください!」

 大袈裟な口調で言うと、肩をばしっと叩かれた。
鼻を鳴らしたトワリスに、ルーフェンが肩をすくめる。

 そうか、と思った。
宮廷魔導師も、勿論危険な立場ではあるが、そうなると、王宮仕えの武官という扱いなるので、二人は今後も、城を出入りすることになるだろう。
城に来るなら、また、顔を合わせる機会があるかもしれなかった。


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