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投稿日:2021年02月24日
犠牲者一人という小規模なものではあったが、レーシアス家への襲撃は、アーベリトの人々にとって衝撃的な事件となった。
国王、サミル・レーシアスを狙った暗殺未遂──。
この知らせは、瞬く間に街中に広がり、王都になってから沸き立っていたアーベリトの人々に、冷水を浴びせたのだった。
レーシアス家でも、以前のような活気はなくなってしまった。
一層任務に打ち込むようになった、と言えば聞こえはいいが、自警団員たちの雰囲気が、ぴりぴりするようになったし、サミルとルーフェンも、あまり話さなくなった。
二人とも、前々から仕事に追われて、話す時間が多かったわけではない。
それでも、屋敷内ですれ違った時なんかは、楽しそうに会話していたのに、今はもう、気まずそうに一言二言交わすだけになっていた。
そんな中でも、トワリスが会いに行けば、ルーフェンはいつも通り優しかった。
最初は、変わらぬ態度に安堵したものだったが、だんだん、その優しさが作っているもののように感じられて、ふと悲しくなることがあった。
だって、サミルとの間に亀裂が入った上、アーベリト全体の雰囲気も悪くなったのだ。
こんな状況にいたら、ルーフェンとて、穏やかに笑っていられるはずがない。
それなのにルーフェンは、いつも優しく、前と同じ態度で接してくれる。
いっそ、不平不満でもぶつけてくれたら良いのに、ルーフェンは、全く心の内を見せない。
そんな彼と話していると、自分は全く頼られていないのだと実感してしまって、寂しくなった。
結局、ルーフェンにとってトワリスは、哀れな境遇から救いだした、少女の一人に過ぎないのだろう。
疲れに良いだろうと、ミュゼと作った焼菓子を持っていった時も、ルーフェンの態度は、普段通りだった。
「トワリスちゃん、どんどんお料理上手になってくね。ありがとう」
そう言って、ルーフェンは、美味しそうに焼菓子を食べてくれる。
以前なら、それだけでトワリスも幸せな気持ちになったが、本当は、ルーフェンは別のことを考えているのかもしれない。
そう思うと、純粋に喜べなくなった。
トワリスは、図書室の指定席になりつつある、ルーフェンの向かいの椅子に座った。
そして、特に口を開くこともなく、黙って、事務仕事をするルーフェンのことを眺めていた。
ルーフェンは、また報告書に目を通しているのだろう。
用紙の署名欄に、素早く自分の名前を書いている。
ルーフェンの字は、教本に載っているような、丁寧で整った文字ではなかったが、滑らかで流暢なものだった。
少なくともトワリスは、それが綺麗だと思えたし、ルーフェンの文字を手本に練習ばかりしていたので、なんとなく、トワリスの書く字も、ルーフェンのものに似るようになった。
今なら、文字の読み書きも出来るようになったから、読んで署名するだけの作業なら、本当に手伝えるかもしれない。
──なんて、そんなに簡単な仕事ではないのだということも、トワリスは理解できるようになっていた。
物思いに耽っていると、気づかぬ間に、難しい顔になっていたらしい。
ふと顔をあげたルーフェンが、話しかけてきた。
「どうしたの? 何かあった?」
「……え」
ルーフェンに見つめられて、思わず俯く。
最近、なぜかルーフェンと目を合わせられなくなっているのも、悩みの一つだったが、今はそんなことは二の次だ。
トワリスは、しばらく迷った様子で黙っていたが、やがて、微かに顔をあげると、意を決して尋ねた。
「……ルーフェンさん、サミルさんと、仲直りしないんですか?」
襲撃があってから、数日間。
ずっと触れづらかった話題に触れて、緊張しながら返事を待つ。
しかしルーフェンは、小さく鼻を鳴らしただけで、思いの外あっさりと返してきた。
「仲直りもなにも、別に喧嘩なんてしてないよ。お互い時間が合わなくて、話せてないだけ」
「……でも……」
反論しようとするが、上手く言葉が見つからない。
ルーフェンは、少しの間、トワリスの言葉を待っていたようだったが、彼女が完全に口を閉じると、再び事務作業に戻った。
こういうときのルーフェンは、どことなく、相手に有無を言わせぬような、近寄りがたい空気を纏っている。
別に、黙れと怒鳴るわけでもなく、むしろ、纏う空気自体は柔らかい。
それなのに、触れようとすれば、するりと指の間をすり抜けてしまって──。
なんとなく、それ以上は踏み込むなと牽制されているようだった。
(……私の、役立たず)
和やかなアーベリトに戻したいのに、何もできない。
サミルやルーフェンの力になりたいのに、どうすれば良いのか分からない。
そもそも、自分が手を出そうとしていること自体が、間違っているのだろうか。
そんな風に思い始めると、自然と目の前がぼやけてきて、涙がこぼれ始めた。
突然ぽろぽろと泣き出したトワリスに、ルーフェンが、ぎょっとする。
手を伸ばし、涙を親指で拭うと、ルーフェンは渋々といった様子で問うた。
「……俺と、サミルさんのこと?」
こくりと頷けば、ルーフェンが困ったように眉を下げる。
やはり、ルーフェンとしても、この話題には触れられたくなかったのだろう。
やりづらそうに目線をそらすと、はぁっと息を吐いた。
「……俺たちのせいで、気まずい思いをしていたなら、ごめんね。でも、本当に喧嘩してるとか、そういうのじゃないから。ちょっと意見が食い違ってるだけ」
「シュベルテの魔導師達に、アーベリトに来てもらうかどうかって話ですか?」
「……まあ、そう」
答えてから、ルーフェンは、真面目な表情になった。
「サミルさんの意見も理解できるけど、やっぱり俺は、シュベルテや他の街を、安易に信じようという気にはなれない。今回の襲撃だって、アーベリトを狙っている勢力があるからこそ、起きたことなんだ。サミルさんは頭の良い人だし、そう簡単に利用されたり、騙されたりはしないと思う。だけど、人一倍お人好しなのは確かだし、すぐに無茶をするから、いつ誰があの優しさにつけ込んで来るか、分かったもんじゃない。下手に動いてアーベリトを危険に晒すくらいなら、俺が守り抜いた方が確実だ」
堅い声音でそう言いながら、ルーフェンは目を伏せた。
トワリスは、ごしごしと袖で涙を拭ってから、小さな声で返した。
「……多分、サミルさんも、同じこと考えてるんだと思います。ルーフェンさん、すぐに無茶をするから、負担をかけさせちゃいけないって」
「…………」
わずかに視線を動かしてから、トワリスに向き直る。
ルーフェンは、微苦笑をこぼすと、肩をすくめた。
「……そうなんだろうね。だから、サミルさんはお人好しなんだよ。そんな甘さ、俺には必要ないのに。だって俺は召喚師で、守ることが使命なんだから」
「……使命?」
「そう。……召喚師は、国の守護者だから」
まるで、自分に言い聞かせるように言って、ルーフェンは、再度目線を落とした。
近くを見ているのに、どこか遠くを見据えているような、銀色の瞳。
トワリスは、そんなルーフェンの茫漠とした目を見ながら、ぽつりと言った。
「国を守るのが召喚師の使命なら、ルーフェンさんのことは、誰が守るんですか……?」
一瞬、ルーフェンの動きが止まる。
呆気にとられた様子で瞬くと、ルーフェンは、聞き返した。
「守るって、誰を? ……召喚師を?」
「うん」
首肯した途端、ルーフェンが吹き出して、けらけらと笑い始めた。
何故笑われたのか分からず、首を傾げる。
深刻な雰囲気が一転──ルーフェンは、しばらく笑った後、ふうと息を吐くと、答えた。
「召喚師は、守らなくていいんだよ。強い力を持ってるからこそ、国の守護者なんだから」
「そうなんですか?」
トワリスは、納得のいかなさそうな面持ちで、眉を寄せた。
「……でも、いくら強い力を持っていたとしても、一人で国を守るのは、無理だと思います。だって、この国には……いえ、アーベリト一つをとっても、沢山の人が住んでるんですよ。それをたった一人で守り切ろうなんて、誰にも出来ないと思う」
言ってから、失礼な発言をしてしまっただろうかと、慌てて口をつぐむ。
だが、そんなことは気にしていない様子で、ルーフェンは苦笑いした。
「そうだね。でも、普通はそんな風には思わないんだよ。魔導師団があって、騎士団があって、召喚師一族は、その上に立つ者だ。強大で絶対的な守護者……それが、世間の認識だ。俺も、守れとはよく言われるけど、召喚師を守ろうなんて話は、今、初めて聞いたよ」
どこか冗談めかして言ってから、ルーフェンは、静かに続けた。
「ただね、本当は俺も、国を守るなんて、どうすればいいか分からないんだ。そもそも、俺自身、サーフェリアのために命を懸けようだなんて思ってない。──それでも」
言葉を継いで、ルーフェンは、トワリスを見つめた。
「……それでも、このアーベリトの平穏だけは、崩したくない。ある人が、サーフェリアの召喚師は人殺しだと言っていたけれど、それが、守ることに繋がるなら、そうなったって構わない。それだけアーベリトは、俺にとって大切な街だし、唯一の場所なんだ。この数月で、改めてそう感じた。俺は、アーベリトのためなら、何にでもなれる」
「…………」
人殺し、という言葉が、数日前のルーフェンを想起させた。
屋敷に侵入した暗殺者たちを、いとも簡単に、まるで虫でも踏み潰すかのように、殺してしまったルーフェン。
結果的に、サミルの命は守られたのだから、あれで良かったのだと思う。
だが、あの時のルーフェンの残虐な瞳を思い出す度、トワリスの心には、底知れない恐怖が沸き上がってくるのだった。
アーベリトを守りたいのだと、そう語るルーフェンの表情は、存外穏やかだった。
しかし、何にでもなれる、という言葉が、なんだか危なげで、不安定な響きを孕んでいるようにも思えた。
トワリスは、ぎゅっと唇を噛んでから、か細い声で言った。
「……私も、この街には、感謝しています。暖かくて、優しくて、素敵な街だと思う……。でも私は、それ以上に、サミルさんや、ルーフェンさんのことが好きです。だから、二人が変わっていってしまうことの方が、嫌です」
トワリスは、ルーフェンの目を、まっすぐに見つめた。
「襲撃者たちを殺してしまったときの、ルーフェンさんは、なんだか別人みたいで、すごく怖かった……」
ルーフェンの瞳が、微かに動く。
もしかしたら、本人には自覚がなかったのかもしれない。
一瞬だけ、動揺したように見えたルーフェンだったが、嘆息すると、すぐにいつもの穏やかな表情に戻ってしまった。
「そりゃあ、あんな場面を見せられたら、怖いよね。ごめんね」
「…………」
──誤魔化された。
優しい言葉で一線引かれて、もうこれ以上は、踏み込んで来るなと告げられる。
トワリスは、口を開こうとして、閉じると、そのまま俯いて、何も言えなくなってしまった。
脳裏に再び、血の海の真ん中に立つ、ルーフェンの姿が蘇る。
残虐で、冷酷で、狂気的な銀色──。
確かに、あの夜のルーフェンは、全くの別人のような目をしていた。
トワリスの表情が、怯えたように強張っていくのを密かに見ながら、ルーフェンは、黒変した左腕に、袖越しに爪を立てたのだった。
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