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投稿日:2021年02月24日






 胸の中に、漠然とした不安のしこりを抱えたまま、トワリスは、また一日、また一日と、レーシアス家での慌ただしい日々を過ごしていった。
結局、日が経つにつれて、サミルとルーフェンの間にあった確執も、薄れていったように思えたし、襲撃があってから、騒然としたアーベリトの雰囲気も、徐々に穏やかでのんびりとしたものに戻っていった。
それでも、トワリスは思うのだ。
不穏な影の足音は、着実に、この頃からアーベリトに忍び寄っていたのだろう、と。

 サミルやルーフェンに救われ、アーベリトに身を置いたことは、トワリスにとって人生最大の転機であり、また、幸運であった。
その後の自分の選択にも、後悔はないし、きっと、もしもう一度人生をやり直したのだとしても、トワリスは、同じ道を歩むのだと思う。

 ただ、襲撃されたあの夜から、確かに感じていたこの不安、そして恐れは、決して勘違いなどではなかった。
トワリスは、何年もあとになって、そのことを強く感じるのだった。



 日向の庭園に、何本もの竿受けを立て、そこに物干し竿を引っ掛けると、ミュゼは、洗ったばかりの洗濯物を、手早く干していった。
布地が薄いものは、ぱんぱんと手で叩いて、皺を伸ばしてから竿にかける。
簡単な作業だが、両腕一杯の大きな籠五つ分の洗濯物を干さなければならないので、見かけ以上の重労働だ。
しかも、日が出ているとはいえ、冬を目前にした今の時期は、湿った洗濯物を長時間触っていると、手がかじかんできて、ろくに動かせなくなる。
ミュゼを手伝って、トワリスも素早く籠を運んでくると、早速作業に取りかかったのだった。

 やがて、ほとんどの洗濯物を干し終えた頃。
残りの洗濯物を確認すると、ミュゼは、とんとんと肩を叩きながら、言った。

「トワリスちゃん、まだ干しきれないから、もう一本、物干し竿をとってきてちょうだい」

「分かりました」

 頷いてから、腰を伸ばして立ち上がる。
そのまま、物置小屋まで駆けていこうとしたトワリスは、しかし、屋敷の裏で、サミルと見知らぬ誰かが話しているところを見つけると、立ち止まった。
レーシアス家の使用人ではない、見たことのない中年の男だった。

(誰だろう……?)

 サミルと親しげに話していることから、怪しい人物ではないのだろう。
こんな裏庭で、何を話しているのか気になって、立ったまま二人を見つめていると、こちらに気づいたらしいサミルが、にこりと笑った。

「ああ、トワリス、ちょうど良かった。今、少しこちらに来られますか?」

「えっ……」

 まさか自分が呼ばれるとは思わず、困ってミュゼの方に振り返る。
頼まれごとをされていた最中だったので、どうすべきか迷ったトワリスであったが、ミュゼは、サミルと中年の男に気づくと、何かを察したように、曖昧な笑みを浮かべた。

「あ、ああ……トワリスちゃん、行ってらっしゃい。あとは、私がやっておくから」

「でも……」

「大丈夫よ。あと残り少しだから」

 そう言って、籠に残った洗濯物を示してから、ミュゼが頷く。
急にぎこちなくなった彼女の態度に、疑問を覚えながらも、トワリスは、仕方なくサミルの元へと向かったのだった。

 裏庭から離れ、見知らぬ男と共にトワリスが通されたのは、サミルの自室であった。
サミルに座るように促され、長椅子に腰かける。
トワリスの向かいに座った男は、柔和な笑みを浮かべて、手を差し出してきた。

「はじめまして、トワリスちゃん。私はテイラー・シグロスと言います」

「……はじめまして」

 ひとまず手は出さずに、軽く頭だけ下げて、挨拶をする。
テイラーは、警戒心剥き出しのトワリスに、気分を害した様子もなく、苦笑を浮かべると、大人しく手を引っ込めた。

 サミルは、テイラーの隣に腰を下ろした。

「テイラーさんは、東区の孤児院の責任者です。今日は、お話があって来てもらいました」

「…………」

 孤児院、という言葉に、なんとなく話の予想がついてしまう。
道理で、ミュゼもあのようなぎこちない態度をとったわけだ。

 表情を曇らせたトワリスに、サミルは、穏やかに告げた。

「来月から、トワリスには、東区の孤児院に移ってもらおうと思っています。アーベリトでの生活にも慣れてきたようですし、何より、このままこの屋敷にいるのは、危険です。いつ、また私を狙って、何者かが襲撃してくるかも分かりません」

 サミルに次いで、テイラーも口を開いた。

「最初は寂しいと思うかもしれませんが、孤児院は、この屋敷からそう遠くはありません。それに、孤児院には、トワリスちゃんと同じ年くらいの子供たちが沢山います。きっと楽しいと思いますよ」

「…………」

 トワリスは、わずかに俯いたまま、何も答えなかった。
しばらく黙って、何かを堪えるようにぎゅっと唇を引き結んでいたが、やがて、小さな声で呟いた。

「……私は、この屋敷には、いりませんか?」

 サミルとテイラーが、微かに瞠目する。
サミルは、そんなつもりで言っているのではないと分かっていたが、他に言葉が見つからなかった。

「……私、沢山働きます。お屋敷の家政婦のお仕事は、ほとんど覚えました。教えてもらえれば、他のお仕事も頑張ります。だから、ここにいたいです」

 トワリスは、サミルと視線を合わせようとしなかった。
我が儘を言っているから、きっとサミルは、困っているに違いない。
そう思うと、サミルの顔を見るのが怖かった。

 サミルは、席を立つと、トワリスの両手を握った。

「いらないだなんて、そんなこと思っていません。トワリスはいつも、一生懸命屋敷の仕事を手伝ってくれていたので、本当に助かりました。ミュゼさんもね、感心していたんですよ。でもね、慌ただしいレーシアス家で、そんな生活を送らせていることについても、私は、少し気がかりだったんです。孤児院に行けば、色んな子供たちと関わって、遊んで、今よりもずっと年相応の暮らしができるでしょう。その方が、君のためになると思うんです」

「…………」

 それでも、頷こうという気にはならなかった。
テイラーはとても穏やかそうな男に見えたし、別に、孤児院自体が嫌なわけではない。
ただ、サミルやルーフェンと離れたくない気持ちのほうが、遥かに強かったのだ。

 もう一度、レーシアス家にいさせてほしいとお願いしようとして、けれど、トワリスは口を閉じた。
サミルは優しいから、どうしてもここにいたいと駄々をこねれば、もしかしたら聞いてくれるかもしれない。
しかし、サミルを困らせてまでこの屋敷に残って、それで本当に良いのだろうか。

 トワリスは、サミルやルーフェンをはじめ、レーシアス家の者達のことが好きだった。
だからこそ、言うことを聞くべきなのではないか。
感謝している人達に対して、聞き分けのない子供のように、嫌だ嫌だと騒ぐのは、なんだかみっともないように思えた。

「……少し、考えさせてください」

 長い沈黙の末、トワリスは、返事をした。
そう答えるのが、精一杯だった。

 サミルは、どこか申し訳なさそうに眉を下げ、言葉を探している。
そんな気まずい空気を察したのか、テイラーは、あえて明るい声音で言った。

「まあ、いきなり孤児院に移れと言われても、トワリスちゃんだって驚いてしまうでしょう。大丈夫、急いでいるわけではありませんし。ね、陛下」

 トワリスとサミルに笑いかけて、テイラーは長椅子から立ち上がった。
そして、持ってきた荷物を手早くまとめると、小さく頭を下げた。

「また、日を改めて伺いますね」


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