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投稿日:2021年02月24日







 再びミュゼと合流し、その日一日の仕事を終わらせると、夕飯を食べてから、トワリスは図書室に向かった。
夜の図書室には、ルーフェンも、誰もいない。
それがわかっていて、トワリスは図書室に来た。
自室に戻っても良かったのだが、使用人たちが多く暮らしている宿舎では、どうにも騒がしくて落ち着かない。
今は、なんとなく、一人で静かな場所にいたかったのだ。

 持ってきた手燭を翳せば、柔らかな光が、並ぶ本の背表紙を撫でた。
何気なくその炎を見つめながら、トワリスは、呟くように唱えた。

「其は空虚に非ず、我が眷属なり。主の名は、トワリス──……」

 瞬間、手燭の炎が、鳥の形を象って燃え上がる。
自由を得たことを喜ぶかのように、宙を滑空した炎の鳥は、ややあって、頭上で散ると、眩い火の粉となって、雪のようにトワリスに降り注いだ。
トワリスが、初めてルーフェンに教えてもらった魔術であり、そして、一番に覚えた魔術だ。

(きれい……)

 この魔術を教えてもらって、もうどれくらい時が経っただろう。
確か、ルーフェンに出会ったのが、初夏の頃であったから、もう半年も経過しているのか。
そう思うと、長いようで短かったアーベリトでの日々が、沸々と頭に浮かんできたのだった。

 本棚に寄りかかり、きらきらと舞う火の粉を眺めていると、ふいに、扉の方から足音が聞こえてきた。
図書室に入ってきたルーフェンは、トワリスの横に並ぶと、同じように、本棚に背を預けた。

「……魔術、上手になったね。才能あるんじゃない?」

 くすくすと笑って、ルーフェンが言う。
こんな夜更けに、ルーフェンがやって来たことに驚いていると、理由を問う前に、返事が返ってきた。

「トワリスちゃん、図書室が好きみたいだから、多分ここにいると思ったんだ。どうしたの? ミュゼさんが心配してたよ。宿舎に帰ってこないって」

「…………」

 図書室が好き、というよりは、ルーフェンが図書室にいることが多いから、通う頻度が高くなっていただけなのだが、わざわざ訂正するのも恥ずかしいので、黙っておく。
答えないでいると、ルーフェンは苦笑して、尋ねてきた。

「孤児院に行くのは、そんなに嫌?」

「…………」

 無意識にむっとした顔になって、下を向く。
トワリスが孤児院に移る話を、ルーフェンも知っているだろうということは、予想していた。
ミュゼだって知っていたのだ。
多分この話は、サミルの周りの者達の間で、以前から話題に出ていたことなのだろう。
今日まで知らなかったのは、自分だけだったのだと思うと、なんだか悲しくなった。

 別に、だからといって、サミルたちを薄情だとは思っていない。
皆、トワリスのことを考えて、提案してくれているのだ。
サミルの言葉通り、孤児院の方が年相応の暮らしができるだろうし、レーシアス家の屋敷にいては、また襲撃を受けるような事態だって考えられる。
だから、トワリスのために、孤児院に移れと言っているのだ。
分かっていた。
分かってはいたが、それでも、トワリスを屋敷に残そうとしてくれる者が、一人もいなかったのだと思うと、自分はレーシアス家にとって、必ずしも必要な存在ではないのだと突きつけられているようで、無性に寂しくなった。

 トワリスが黙ったままなので、ルーフェンも、しばらくは口を閉じて、宙を見つめていた。
しかし、やがて、ふとその場に腰を下ろすと、トワリスにも座るように言って、ルーフェンは唇を開いた。

「最近まで、アーベリトじゃなくて、シュベルテが王都だったのは知ってる?」

 脈絡のない質問に、首をかしげる。
とりあえず頷くと、ルーフェンはそのまま続けた。

「俺は召喚師一族だから、当然、王都だったシュベルテにいたんだけど、八歳の頃、わけあって、ほんの少しだけ、アーベリトにいたことがあったんだ」

 見上げると、ルーフェンも、トワリスの方を向いた。

「サミルさんの人柄に触れて、俺は、これから先も、ずっとアーベリトにいられればいいのにって思った。でもね、ある日、言われたんだ。君のお母さん、つまり当時の召喚師は、シュベルテにいるから、君も王宮に住まなきゃいけないんだって」

 懐かしそうに目を伏せて、ルーフェンは言い募った。

「正直、すごく嫌だったよ。王宮での暮らしなんて想像もできなかったし、何度、働くからレーシアス家に置いてくださいって、お願いしようと思ったか知れない。でも、出来なかった。我が儘を言うのは許されなさそうな状況だったし、働くって言っても、俺は何にもできない子供だったからね。言う通りに従って、王宮に行くしかなかったんだ」

 今の自分と酷似した状況に、興味がわいたのだろう。
トワリスは、ルーフェンの表情を伺いながら、尋ねた。

「王宮は、どうだったんですか?」

「そりゃーもう、最悪だったよ」

 真剣な顔つきのトワリスに対し、ルーフェンが、あっけらかんと答える。
身ぶり手振りまでつけて、ルーフェンは、ふざけた調子で答えた。

「無責任で、押し付けがましくて、腹の底が読めない大人ばっかり。だから、徹底的に反抗したよ。何があっても、召喚師なんかになるもんかと思っていたし、召喚師になるために勉強しろって言われても、大半の講義はすっぽかしてた。誰の言うことも聞かず、自室や図書室に引きこもってた時期もあったかな」

「ルーフェンさん、そんなことしてたんですか……」

 びっくりして瞠目すると、ルーフェンは、からからと笑った。

「他にも、色々やったよ。当時、勅命が下りた時しか使っちゃいけないとされてた移動陣を、勝手に使ったり、王族である兄を、そそのかして利用したこともある。無断で荷馬車に乗り込んで、遥か遠い南方の地まで、リオット族に会いに冒険をしたこともあった。あのときは、次期召喚師が行方不明になったっていうんで、王宮中、大騒ぎになったらしいよ。俺のことをよく気にかけてくれていた、こわーい政務次官がいるんだけど、彼が過労死したら、間違いなく原因は俺だろうね」

「…………」

 驚きを通り越して、呆れ顔になる。
隣で絶句しているトワリスに、くすくすと笑って、それから、再び前を見ると、ルーフェンは、一転して静かな声で言った。

「シュベルテにいた頃は、とにかく何もかもに反発していたし、先のことを想像するのも、怖くて嫌だったんだ。ある程度諦めがついた時には、自分は、一生シュベルテで、召喚師として生きていく運命なんだろうなぁって、そう思ってた。……でも、結局今は、巡り巡って、サミルさんのいるこのアーベリトに行き着いてるんだから、不思議だね」

 目を閉じ、開くと、ルーフェンは、再びトワリスの方を見つめた。

「きっと、そういうものなんだよ。生まれも、期間も関係なく、自分が故郷だと思うなら、そこが故郷なんだ。君も俺と同じで、普通とは違うから、人より変わった人生を歩むことになるかもしれない。今後、孤児院に限らず、どこに行くことになるかも分からない。もしかしたら、シュベルテや、もっと遠く……それこそ、二度と帰れない、なんて思うような、遠い場所に行くことだってあるかもしれない。それでもね、どこにいたって、何をしていたって、トワリスちゃんが望むなら、君の故郷は、アーベリトなんじゃないかな」

 トワリスは、ルーフェンを見つめたまま、少しの間黙っていた。
それから、どこか寂しそうに微笑むと、トワリスは言った。

「……だったら、私の故郷は、アーベリトじゃなくて、ルーフェンさんとサミルさんがいるところです」

 思いがけない返事だったのか、ルーフェンが目を大きくして、ぱちぱちと瞬く。
一瞬、視線をそらした後、少し照れたように肩をすくめると、ルーフェンは言った。

「それなら、いつかまた会えるよ。……なーんて、たかだか孤児院に行くだけで、大袈裟かな?」

「……大袈裟?」

 聞き返してきたトワリスに、ルーフェンは、いたずらっぽく笑った。

「大袈裟、でしょ? 孤児院なんて、すぐそこだもん。窓から見えちゃうよ」

 そう言って、窓の外を示せば、トワリスも、そちらに視線を移した。
夜闇に沈む、白亜の街並みの奥に、小さな青い屋根が見える。
間近で見れば、そこらの民家よりは大きいであろう、横長の煙突屋根──あれが、東区の孤児院の目印だ。

 拍子抜けしたような顔で、ルーフェンを見ると、トワリスは尋ねた。

「歩いて……どれくらい?」

「半刻もかかんないよ。トワリスちゃんの脚の速さなら、一瞬かも」

 からかうような口ぶりで言って、ルーフェンが、眉をあげる。
そう言われてみると、確かに、大したことがないように思えてきた。
考えてみれば、奴隷だった頃、ハーフェルンやシュベルテにいたこともあったのだ。
あの頃は、離れたくない場所も、相手もいなかったから、何とも思わなかったが、距離で言えば、同じアーベリトの中の孤児院に移るくらい、ちっぽけなことなのかもしれない。

 急に気持ちが軽くなって、トワリスは、思わず息を漏らした。
多分ルーフェンは、自分を勇気付けに来てくれたのだ。
その言葉が、たとえトワリスを引き留めてくれるものではなかったのだとしても。
普段、あまり己のことを語らないルーフェンが、自分の話をしてまで、勇気づけてくれた。
そのことが、とても嬉しかった。

 それに本当は、サミルから孤児院に行くように告げられる前から、こんな日が来ることは予感していた。
ずっと、心の奥底では、別れを覚悟していたのかもしれない。
ほんの数月前までは、考えもしなかった世の仕組みを勉強し、理解するにつれ、嫌でも気づいてしまったのだ。
結局のところ、ミュゼやロンダートの言っていた通り、サミルやルーフェンと自分では、住む世界が違うのである。

 どんなに親しく、等身大で接してくれても、しょせん自分は、サーフェリアに迷いこんだ獣人混じりに過ぎず、対して、サミルとルーフェンは、この国の王であり、召喚師だ。
釣り合わない──この表現が、一番しっくりくる。
もし、本当にこの二人と一緒にいたいと願うなら、二人に釣り合う身分にならなければならない。
泣き虫で、役立たずなまま、それでもサミルやルーフェンと共にいたいなんて、そんなのは、身勝手な子供の我が儘であり、甘えだ。

(……私にだって、出来ることは、沢山ある)

 今のアーベリトにとって──サミルやルーフェンにとって、必要なもの。
それに、なることができたら──。
そんな思いが、すとんと、トワリスの中に落ちてきた。

「……ルーフェンさん」

 トワリスは、口を開いた。

「この図書室にある魔導書、私に、何冊か貸してくれませんか? いつか、必ず返すので」

 打って変わった、はっきりとした口調で尋ねる。
ルーフェンは、何故突然そんなことを聞かれたのか分からない、といった様子で、図書室を見回した。

「まあ、ここには、大した魔導書もないし、構わないと思うけど」

「……ありがとうございます」

 立ち上がって、トワリスは、ルーフェンに向き直った。
そして、小さく息を吸うと、落ち着いた声で言った。

「本音を言うと、孤児院に行くのは、嫌です。私、これからも、サミルさんやルーフェンさんといたい……」

 声が、微かに震えているのを自覚しながら、トワリスは、必死に熱いものを飲み込んだ。
だって、これを言ったら、孤児院に行くことを受け入れてしまうことになる。

 本当は、言いたくなくて、けれど、心を奮い立たせると、トワリスは告げた。

「──だから……もし、私が、サミルさんやルーフェンさんにとって、必要な人間になれたら……。また、レーシアス家に、置いてくれますか……?」

 ルーフェンの目が、微かに見開かれる。

 たった一人、襲撃者たちを骸の中に立っていたルーフェンの姿を思い出しながら。
トワリスは、その目をまっすぐに見つめて、言った。

「私、魔導師になります」

 銀色の瞳に、驚愕の色が滲む。
トワリスの出した答えが、予想外のものだったのだろう。
ルーフェンは、戸惑った様子で聞き返した。

「ちょっと、待って……魔導師って、魔導師団に入るってこと? シュベルテの?」

「はい」

 トワリスは、力強く頷いた。

「勉強して、強くなって、アーベリトを守れる魔導師になります。そうしたら、召喚師一族の……ルーフェンさんの、力になれます」

「…………」

 言葉を失った様子で、ルーフェンは、黙り込んでいる。
ルーフェンのその表情が、肯定だったのか、否定だったのかは分からない。
しかし、トワリスの決意は、強かった。

「サミルさんも、言ってくれましたよね。獣人の血を引いているからといって、隠れるように暮らすのは、とても悲しいことだって。もう私は自由の身なんだから、堂々と生きてほしいって。……だから、私、二人の優しさに甘えて、ここで暮らすんじゃなくて、サミルさんたちにとって必要な人間になって、堂々とアーベリトに帰ってきます」

 自然と熱の入った声で、トワリスが告げる。

「絶対に、絶対に、帰ってきます。だから、そうしたら、私のこと、認めてください」

 静かな迫力に満ちた光が、トワリスの目の奥底で閃く。
ルーフェンは、そんな彼女の瞳に浮かぶ強い光を、しばらくの間、見つめていたのだった。



To be continued....


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