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投稿日:2021年02月24日




†第三章†──人と獣の少女
第三話『進展』



 昨夜からちらついていた雪は、朝になると、ぴたりと止んでしまった。
暗い色をした雲が、まだ分厚く空を覆っていたが、冷たい風に煽られていく内に、徐々に青空が覗き始める。
雪が積もって、外出できなくなってしまえばいいのに。
そんな密かな願いも空しく、うっすらと積もっていたはずの雪も、トワリスがレーシアス家を出る頃には、すっかり溶けてなくなっていた。

 アーベリトには、孤児院が二ヶ所あった。
西区の孤児院は、施療院も兼ねており、身体的、または精神的に障害を持っている等の理由で、生活が困難な子供たちを治療・復帰させることを目的とした養護施設であった。
一方、トワリスの行く東区の孤児院は、身寄りのない子供たちを、自立できる年齢になるまで支援する施設だ。
西区の方が、入所できる子供の数が少ないため、中には、回復して普通の生活を送る分には問題ないとされた西区の子供が、東区に送られて来ることもあった。
しかし、東区の孤児院とて、受け入れられる数には限りがある。
故に、孤児院の子供たちは、大体十五から十六を迎えると、仕事に就いたり、運が良ければ引き取られたりして、孤児院を出るのだった。

 迎えに来たテイラーに連れられて、東区に向かう道中、トワリスは、ほとんど喋らなかった。
レーシアス家を出ると決心したとはいえ、サミルたちと別れたことが悲しくて、心が深く沈んでいたのだ。
周囲の者たちは、皆、孤児院とレーシアス家はそう離れていないから、と慰めてくれたし、ルーフェンだって、必ずまた会えるだろうと言ってくれた。
けれど、一度レーシアス家を出てしまえば、トワリスは、獣人混じりという点を除いて、ただの行き場のない普通の子供だ。
そんな身分の者が、国王や召喚師に、簡単に会いに行けるわけがない。
最近は特に、襲撃があったせいで、レーシアス家への人の出入りは厳しく制限されているようだったから、尚更だった。

 もう、二度と会えないかもしれない。
そう思うと、また泣きそうになったが、トワリスは泣かなかった。
ぐっと涙を堪え、レーシアス家の図書室から借りてきた、数冊の魔導書を抱えて、トワリスは、孤児院への道を歩いていったのだった。

 東区の孤児院は、青い煙突屋根が目印の、大きな石造の建物であった。
一般的には、木造建築の方が安価かつ主流であり、戦火に備えた大きな街以外では、石造建築はほとんど見かけない。
しかし、かつての繁栄の名残なのか、アーベリトには、石造の建物が多かった。
とはいっても、大きく構えるシュベルテ等の家々を思うと、アーベリトの街並みはこじんまりとしていて、どこか古臭い印象を受ける。
孤児院も、ところどころ修繕しているのか、真新しい塗料の臭いがしたり、部分的に綺麗な石壁があったりはしたが、建物全体を見れば、雨風にさらされて薄汚れていたし、鮮やかに見えた青い煙突屋根も、近くでよく見ると、苔が生えている。
大通りから外れた先、木の柵で囲まれた大きな庭の真ん中に、ぽつんと建つ孤児院は、思ったよりも質素で、みすぼらしかった。

 孤児院の玄関まで行くと、扉の奥からは、微かに人の声が聞こえていた。
今、孤児院にいる子供の数は少なく、大体五十ほどだと聞いていたが、それにしたって、気配が薄いし、想像していたより静かだ。
もしかしたら皆、外に出ているのかもしれない。

 テイラーに言われるまま、玄関で靴を脱ぎ、孤児院の中に入ると、砂っぽいような、黴臭いような臭いが、むっと香ってきた。
玄関からは、薄暗くて長い廊下がまっすぐに伸びており、両側の壁に、いくつもの部屋が並んでいる。
きっと、子供たちの共同部屋だ。
それぞれの扉には、二、三人くらいの名前が書かれた木札が、乱雑にかかっていた。

 周囲を見回していると、不意に、廊下の奥の扉が開いて、背の高い女が駆けてきた。

「あらあら、予定より早い到着で。ごめんなさいねえ、出迎えられなくて」

 そう言いながら、女は手早く室内履きを用意して、トワリスたちの足元に並べてくれる。
促されて履いていると、テイラーが女を指して、紹介した。

「こちら、うちの職員で、ヘレナさんと言います」

 ヘレナと呼ばれた女は、目尻に皺を寄せて笑うと、手を差し出してきた。

「貴女がトワリスちゃんね。シグロス孤児院にようこそ。これからよろしくね」

「……よろしくお願いします」

 軽く触れるような握手を交わして、上目にヘレナを見る。
孤児院に来て、その雰囲気に馴染めないトワリスのような子供など、職員たちはもう見慣れているのだろう。
ヘレナも、テイラー同様、トワリスの無愛想な態度を見ても、全く気にしていないようであった。

「それでは、ヘレナさん、あとは頼みますね」

「はい、院長」

 ヘレナの方に行くように指示して、テイラーがトワリスに手を振る。
振り返す代わりに、軽く頭を下げると、苦笑して、テイラーは長廊下の最奥にある部屋へと入っていった。

「テイラーさんは、ここの院長ですからね。お忙しいのよ。孤児院にいないことも多いの、お仕事で外に出ることが増えているみたい。最近は、サミル先生も、あまり頻繁には孤児院に来られなくなってしまいましたからねえ。みんな、やることが多くて、てんてこまいよ。ところで、貴女いくつだったかしら?」

 軽快な口調で問いかけられて、トワリスは、思わず口ごもった。
レーシアス邸には、のんびりとした話し方をする者が多かったし、ヘレナと同年代くらいの女性であるミュゼだって、こんなに忙しない話し方はしなかった。
尋ねてもいないことを早口で捲し立てられると、いまいち、どう反応したら良いのか分からない。

 うつむいたまま、十二歳だと答えると、変わらずの口調で、ヘレナは返事をした。
 
「あらそう! まだ十いっているか、いっていないかくらいだと思っていたけれど、十二なの。それなら、もうお姉さんね。うちの孤児院にいるのは、大体五歳から十歳くらいの子が多いのよ。今日もみんな、雪が降ったっていうので、朝っぱらから外に飛び出して行ったわ。もうとっくに止んで、雪もほとんど積もってないのにねえ。全く、やんちゃで手に追えないったら」

 相槌をはさむ暇もなく、ヘレナがしゃべり続けるので、トワリスは、終始目を白黒させていた。
サミルが紹介した孤児院であるし、トワリスが獣人混じりだと聞いても顔色一つ変えないあたり、テイラーもヘレナも、暖かい人柄であることには違いないのだろう。
だが、ヘレナのこの早口言葉には、ついていける気がしなかった。

 ヘレナは、ぱんぱんと手を叩いた。

「──さ、立ち話していても始まらないし、院内を案内するわ。夕飯時になれば、子供たちも帰ってくるだろうし、貴女の紹介は、そのときね。ついてきてちょうだい」

 ぺらぺらと口を動かしながら、トワリスの手を引いて、ヘレナが歩き出す。
戸惑いながらも、魔導書が詰まった荷物をぎゅっと抱き込むと、トワリスは、ヘレナについていったのだった。

 子供たちが使っている共同の小部屋の通りを抜けて、廊下を横に曲がると、大きな食堂があった。
食堂には、長い食卓がずらりと並んでおり、天井には、飾り気のないシャンデリアが三つ下がっている。

 食卓を囲んで座る孤児院の子供たちは、新しく来たのだという獣人混じりの少女を、一様に見つめていた。
前に引っ張り出されたトワリスは、沢山の子供たちの視線にさらされて、緊張した様子で縮こまっている。
こんなに注目を浴びたことなんてなかったし、皆が、どんな目で自分を見ているのだろうと思うと、顔をあげることすら出来なかった。

 自己紹介をしろと言われても、名前と年齢を、ぼそっと呟いただけで終わった。
静まり返った室内に、せめてよろしくの一言だけでも言えば良かったと焦ったトワリスであったが、ヘレナが横で補足してくれたので、このときばかりは、彼女の多弁さに深く感謝した。

 席に案内されて、食事が再開しても、トワリスは、うまく場にとけこめなかった。
周りは、今日あった出来事を話したり、年上の子が、まだ小さな子の食事を補助したりと、それぞれ和やかな雰囲気を楽しんでいたが、トワリスには、共通の話題などなかったし、黙々と味の薄い夕飯を口に運ぶことしかできなかった。

 何人か、話しかけてくる子供はいたが、それに対しても、素っ気ない態度で一言二言返すだけで終わってしまった。
別に、話しかけられることが嫌なわけではなかったのだが、どう返事をすれば良いのか分からなかったし、目を合わせるのも怖かった。
そんな態度をとっている内に、トワリスに近づいてくる子供はいなくなったし、トワリス自身、声をかけられなくなったことに、安堵してしまっていた。

 朝起きて、寝る時間まで、常に周囲と足並みを揃えなければならない孤児院での生活は、トワリスにとって、慣れないことの連続であった。
レーシアス邸で暮らしていた頃は、ミュゼの仕事の手伝いをするとき以外は、基本的に自由であったから、疲れたと思えば一人で静かな場所に行ったし、寂しい時は、ルーフェンやダナのところに通っていた。
しかし、孤児院では、一人だけでどこかに行くということが許されない。
常に職員の目が届くところにいないといけないので、どんなときでも、場所でも、やかましい子供たちと一緒だ。
仕方がないと思う一方で、四六時中騒がしい場所にいなければならないのは、正直なところ苦痛であった。

 孤児院に来てから、トワリスは、日中はずっと、レーシアス邸から持ち出した魔導書を読みながら、勉強をしていた。
サミルやルーフェンたちから、一般的な教養を多少教わったとはいえ、魔導師になるには、深い魔術の知識と技術が必要だ。
独学でどれほど身に付けられるものなのかは分からないが、家庭教師を雇ったり、私塾に通うお金なんてものは当然ないので、自力で学んでいくしかなかった。

 常に勉強をしているので、孤児院の職員たちも、トワリスが孤立しているのではと心配しているようだった。
だが、いざ子供たちの輪に引き入れようとしても、トワリスは、なかなか話に乗ろうとしない。
いつしか、孤児院の中でトワリスは、『物静かで一人が好きな読書家だ』、と印象付けられていた。


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