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投稿日:2021年02月24日
その夜、夕飯を終えると、トワリスは孤児院で与えられた自室に戻った。
基本的に、子供たちは皆、二、三人ずつに一部屋を割り当てられ、共同で生活をしていたが、トワリスは、他に空き部屋がないという理由で、新しく一人部屋をもらっていた。
燭台に炎を灯すと、トワリスは、文机の椅子に腰かけた。
揺れる明かりを手繰り寄せて、広げた魔導書の文面を照らす。
記載された古語の並びを目で追いながらも、トワリスは、昼間のリリアナの姿を思い出していた。
──トワリスは、きっと大丈夫ね。
どことなく、寂しそうにそう言っていたリリアナ。
表情こそ笑っていたが、あんな風に沈んだ彼女の声を聞いたのは初めてであったから、妙に耳に残っている。
(……リリアナ、本当は不安だったのかな)
トワリスは、ふうと息を吐くと、椅子の背もたれに寄りかかった。
いつも明るく笑っているから、あまり意識したことがなかったが、よく考えれば、リリアナは自力で歩けないのだ。
親が亡く、自分で歩くこともできない子供は、これから先、どうやって生きていくのだろう。
孤児院を出た子供たちは、仕事を見つけて生活していく場合がほとんどであるが、車椅子でしか移動ができないリリアナが、誰の補助もなく出来る仕事なんて限られている。
弟のカイルだって、まだたったの二歳だ。
とても働いて稼げるような年齢ではない。
(……リリアナの脚は、もう二度と動かないんだろうか)
魔導書の頁をぱらり、ぱらりと捲りながら、トワリスは眉を寄せた。
レーシアス邸から借りてきた魔導書は、全部で三冊。
どれも、一冊抱えれば両腕が一杯になってしまうほど分厚くて重かったが、それらのどこにも、医療魔術に関する詳しい記述はなかった。
書かれているのは、火や水、風などの自然物を操る魔術についてばかりだ。
医療魔術は発展的な内容だから、もっと専門的な魔導書にしか載っていないのだろうか。
それとも、医療魔術と呼ばれるものは、そもそも自然物を操る魔術の応用か何かなのだろうか。
どちらにせよ、今、トワリスの頭にあったのは、なんとかリリアナの脚を治せる魔術を使えないだろうか、ということであった。
まだ基礎的な魔術も覚えきれていない自分が、医療魔術なんて使えるとも思えないが、何かの糸口でも見つかれば、それでいい。
治せる方法があるかもしれない。
そう分かるだけで、リリアナの気持ちも少しは楽になるはずである。
魔導書を三冊、同時に文机の上に広げると、トワリスは、引き出しから羽ペンとインク壺を取り出した。
リリアナは、火事で負った怪我が原因で、歩けなくなったのだと言っていた。
つまりは、その怪我が完全に治ってしまえば、再び歩けるようになる、ということである。
羽ペンとインク壺を机の端に置くと、トワリスは、素早く魔導書の頁を捲りながら、目ぼしい魔術を探した。
(怪我を治すんだったら、どんな魔術がいいんだろう。……自己治癒力を高めるとか、薬の効能を高める、とか……?)
そこまで考えて、トワリスは、頭の中の思考を振り払った。
魔術といえど万能ではないし、優れた施術方法や薬剤はあれど、魔術によって短時間で身体が回復する、ということはないのだろう。
思えば、トワリスがレーシアス邸で治療を受けていた時も、なにか特別な魔術をかけられた記憶はない。
沢山寝て、食べて、傷には薬を塗布していたくらいだ。
それでもまだ、受けた傷痕や、背中に刻まれた奴隷印などはくっきりと残っているし、今後一生、それらは消えないだろう。
サーフェリア随一の医師と言って良いサミルやダナですら、完全には治せないのだ。
きっと、医療魔術が使えたって、出来ることには限界があるし、受けた傷を治すというのは、それだけ難しいことなのだ。
(私には、無理かなぁ……)
やりきれない思いが込み上げてきて、トワリスは、深くため息をついた。
まだまだ素人同然とはいえ、仮にも、魔術を学ぶ身になったわけだから、自分もルーフェンのように、魔術を使ってリリアナを助けてあげられたら、なんて思っていたのだが、現実はそう甘くないようだ。
考えてみたところで、リリアナを本当の意味で笑顔にできそうな魔術は浮かばない。
トワリスは、魔導書を捲る手を止めると、頬杖をついた。
諦め半分な気持ちで、魔導書に挟んでいた栞を手先で弄ぶ。
その栞に閉じ込められた、黄色い押し花を眺めながら、トワリスは、長い間ぼんやりとしていた。
蝋燭の蝋がじわりと溶けて、燭台の受け皿に垂れる。
明かりに照らされて、赤にも橙にも染まる栞の押し花を見ている内に、トワリスは、不意に不思議な感覚に襲われた。
(蘇らせる、なら……?)
ふと、そんな考えが頭をよぎる。
思い付いた、というよりは、じわじわと身体の芯から沸き上がってきたような、奇妙な感覚であった。
リリアナの脚は、動かない。
一度動かなくなってしまったものを、再び自らの意思で動くように治すというのは、つまり、死んでしまったものを、生き返らせるのと同義ではないか。
(……例えば、この栞の押し花を、元の生きた状態に戻せる魔術があれば……)
全身に、鳥肌が立った。
怪我を治療するだけの魔術すら思い付かないのに、死んだものを生き返らせるなんて──そんな魔術、あるはずがない。
仮にあったとしても、自分に使えるわけがない。
そう思うのに、どうしてか、この魔術なら出来るような気がした。
まるで、心の内で、何者かが「お前ならやれる」と、そう囁いているかのようだ。
先程取り出した羽ペンを手に取ると、トワリスは、ただ脳裏に浮かんだ魔法陣を、素早く白紙に描き上げた。
異様な経験であった。
誰に教えてもらったわけでもない。
まだ魔導書を見ながらでないと、簡単な魔術も使えない自分が、知りもしない蘇生魔術の魔法陣を、さらさらと描いている。
自分は、誰かに操られているのではないかと、そう思うほどに、手が勝手に動くのだ。
──気味が悪い。
そう感じる一方で、トワリスは、手が震えるほどに興奮していた。
今から、強大な魔術を使おうとしているのだという、高揚感。
それは、得体の知れないものに触れようとしている不安や躊躇いよりも、遥かに強いものであった。
描き上げた魔法陣の上に栞の押し花を置いて、魔力を高める。
全身の力を注ぎ込むように、栞の上に手をかざすと、トワリスは、自然と唇を動かしていた。
「──汝、後悔と悲嘆を司るものよ。
従順として求めに応じ、我が元に集え……!」
瞬間、かっと手元が熱を帯びて、あまりの熱さにかざしていた手を引く。
同時に、魔法陣から強烈な光が噴き出したかと思うと、平らに横たわっていたはずの押し花が、栞の土台を巻き込むように根を伸ばし、息を吹き返した。
「──……」
トワリスは、言葉を失って、長い間呆然としていた。
しかし、やがて、文机に根付いて開花した、瑞々しい黄色い花びらに触れると、ごくりと息を呑んだ。
(……でき、た……)
何度も、確かめるように、花びらに触れる。
そうしている内に、トワリスの全身に、痺れるほどの強烈な喜びが這い上がってきた。
(すごい、できた……! 思った通り! 私にも、こんな魔術が使えるんだ……!)
──その時だった。
突然、ぱたぱたっと、金臭いものが胸元に垂れた。
驚いて、視線を落とせば、服に点々と血がついている。
「え……」
思わず声を出すと、途端に喉に熱いものがせり上がってきて、トワリスは、その場で喀血(かっけつ)した。
ごほごほと咳き込んで、口元を手で押さえれば、掌が真っ赤に染まる。
その掌も、火傷したように皮膚が爛れていること気づくと、その瞬間、トワリスの頭は、水を打ったように冷静になった。
(なに、これ……?)
慌てて手拭いを用意して、顔全体を覆う。
痛みなどはなかったが、鼻からも、口からも、鮮血は流れ出ているようであった。
少しずつの出血ではあったが、なかなか血が止まらないので、トワリスの心は、徐々に恐怖に支配されていった。
先程までの、滾るような興奮は消えて、ただただトワリスは、恐ろしさに震えてうずくまっていた。
このまま血が流れ続けたら、死んでしまうかもしれない。
部屋にこもっていないで、助けを呼んだ方が良いだろうか。
そんなことを考えながら、トワリスは、手拭いに顔を埋めていた。
しばらくして、ふと顔をあげると、いつの間にか、出血は止まっていた。
安堵したのと同時に、全身の力が抜けて、がっくりと床の上に倒れこむ。
そのままトワリスは、じっと目を閉じていたが、ふと立ち上がると、誰にも気づかれないように共同の洗い場に向かい、顔や服についた血を落とした。
深夜の真っ暗な廊下なんて、いつもなら、手燭なしでは出られない。
だが今は、暗闇に対する恐怖よりも、誰かに見られたくないという思いと、自分は一体何をしてしまったのだろうという狼狽が勝っていた。
結局トワリスは、その夜にあった出来事は、孤児院の誰にも話さなかった。
孤児院には、魔術を使える者などいないから、話しても分からないだろうし、何より、自分はきっと、無意識に手を出してはならない魔術に触れてしまったのだと自覚していたから、それが怖くて、言い出せなかった。
幸い、その日以降、トワリスの身体に不調は表れなかった。
掌の火傷は、リリアナやヘレナに心配されたが、うっかり熱した鍋を触ってしまったのだと説明して、誤魔化した。
後で調べて知ったことだが、トワリスが使った魔術は、俗に言う、禁忌魔術というものであった。
その危険性から、発動することを一切禁止された、古の魔術のことだ。
禁忌魔術は、主に『時を操る魔術』と『命を操る魔術』の二種類に大別される。
生物ではなくとも、トワリスが行おうとした“一度枯れた植物を蘇らせる”魔術は、命を操る魔術の一種であったのだ。
禁忌魔術は、強力である一方で、術者の身体に相応の代償を払わせる危険なものだ。
そのことを、まだ知識の浅い十二のトワリスは、知らなかったのである。
研究されることも禁じられているため、その多くは謎に包まれているが、知識などなくとも、人間が触れてはならない何かだということは、確かに感じ取れた。
今回は、押し花を蘇らせる程度の魔術であったから良かったものの、もし同じ魔術を、人間に使っていたら、一体どれくらいの代償を払うことになっていたのだろう。
おそらく、火傷や出血だけでは済まなかったはずだ。
トワリスは、まるで誰かに誘導でもされたかのように、蘇生魔術を使ってしまった。
魔力も少なく、無知なはずの自分が、どうして──。
なぜ、知らないはずの禁忌魔術が使えたのか。
考えてみたところで、謎が多すぎて怖くなるばかりであったが、トワリスが一番恐ろしかったのは、押し花を蘇らせたあの時、自分の胸の中にあったのは、強い喜びだったということであた。
リリアナを助けられるかもしれないなんて、そんな純粋な喜びではない。
花が再生したのは自分の力だと錯覚し、酔いしれて、禁忌魔術の強大さに、一瞬でも魅了されてしまったのだ。
それ以来トワリスは、魔導書に載っている魔術以外は、使わないと決めた。
少なくとも、魔導師になるという夢が叶うまでは──ちゃんとした知識と技術を身に付けるまでは、無闇に使うべきではないと思ったのである。
当然、得手不得手はあるだろうし、サーフェリアでは、魔術を使えない者の方が多い。
しかし、ルーフェンの言う通り、魔力とは人間なら皆が持っているものであり、きっと、思っているよりもずっと、魔術は簡単に使えるものなのだ。
そう、簡単に使える──だからこそ、恐ろしいのである。
血で汚れた顔や衣服を綺麗にすると、トワリスは、胸を押さえて、寝台にもぐりこんだ。
気味が悪いほどの静寂に耐えて、きつく目をつぶっていたが、気づけば、窓から光が透き射して、小鳥の囀りが聞こえ始めていた。
その夜、トワリスは、一睡もすることできなかった。
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