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投稿日:2021年02月24日
ヘレナたち職員の許可を得て、孤児院から出ると、外は一面の雪景色であった。
今朝雪掻きをしたばかりの道にも、既にうっすらと雪が積もっている。
防寒用の革の長靴を履き、分厚い毛皮の外套を纏っても、長時間外にいると、腹の底が震えてくるような寒さだった。
トワリスは、リリアナを背負って、孤児院の裏手にある林まで歩いていった。
夏場は涼しいからと、子供たちにも人気の庇陰林であったが、冬は薄暗いし、裸になった木々が不気味にざわめいて怖いというので、ほとんど人が寄り付かない場所だ。
トワリスは、林の奥の方まで行くと、露出していた手近な木の根に、リリアナを座らせた。
「こんなところまで来るってことは、人に聞かれたくない話なの?」
きょろきょろと周りを見回しながら、リリアナが尋ねる。
トワリスは、すぐ傍にあった木の幹に触れながら、答えた。
「聞かれたくない、ってわけじゃないんだけど、孤児院の人達を、びっくりさせちゃ悪いと思って」
「びっくり?」
首をかしげたリリアナに、トワリスが眉を下げる。
触れていた木の幹に、とんとん、と何度か爪先をぶつけると、トワリスは、数歩後ろに下がった。
「ちょっと、見てて」
言うや否や、トワリスは姿勢を低くすると、ずんっと力強く雪を踏みしめ、駆け出した。
木めがけて助走をつけると、左足を軸に、一気に右足を回転させる。
力一杯、トワリスが幹を蹴りつければ、瞬間、地面が揺れるほどの衝撃が広がって、リリアナは思わず肩を震わせた。
木の枝々に積もっていた雪が、どさどさと落ちる。
同時に、トワリスが蹴り飛ばした木が、ぎしぎしと軋むような音を立て始めたかと思うと、ゆっくりと傾いていき、やがて、雪の上に倒れた。
倒れた木の幹は、リリアナが両腕を伸ばしても、抱え込めるか、抱え込めないかくらいの太さがあった。
特別太いわけではないが、決して細くもない。
樵が全力で斧を振るっても、一撃では折れないだろう。
トワリスは、それを蹴り一つで倒してしまったのである。
目の前で起こった出来事が信じられず、リリアナは、しばらくぽかんと口を開いたまま、硬直していた。
トワリスは、そんなリリアナの顔を覗き込むと、心配そうに言った。
「……ごめん、怖かった?」
「こ、怖い、というか……」
ゆっくりとトワリスの方を向いて、ぱくぱくと口を開閉させる。
リリアナは、トワリスと、倒れた木を交互に見やると、ようやく言葉を紡いだ。
「……すごい、驚いたわ……。獣人の血が入ってると、そんなに力が強くなれるものなの?」
興奮が混じったような声で、リリアナが問う。
木を蹴り飛ばして折るなんて、いくらリリアナでも気味悪がってしまうかもしれないと懸念していたが、どうやら杞憂だったらしい。
トワリスは、苦笑した。
「まさか。本物の獣人は知らないけど、私は、普通の人間より少し身体能力が優れてるくらいだよ。今のは、私の力じゃなくて、魔術なんだ」
「魔術? 蹴っ飛ばすのが?」
眉を寄せたリリアナに、トワリスは頷いた。
「単純に、脚に魔力を込めたんだよ。魔力っていうのは、生物がもつエネルギーみたいなものだから、この力を、例えば枝に込めて、浮かべって命令すれば浮かぶし、折れるように命令すれば、折れる」
言いながら、トワリスは、雪に埋もれていた枝切れに手を向けると、指をひょいと動かした。
すると、その指の動きに合わせ、枝が宙に浮かび上がる。
くるくると回った後、トワリスがぎゅっと拳を握ると、枝は呆気なく折れて、再び雪の中に落ちた。
「命令は、別にしなくても良いんだ。枝は、動こうという意思を持たないから、こっちが命令しないと動かないけど、私の脚みたいに、元から動く力が備わっているものは、命令しなくても動けるし、込めた魔力は、力そのものになる。つまり、脚に魔力を込めて蹴っ飛ばせば、普通より、ずっと威力が強くなるってこと」
感心した様子で話を聞いているリリアナに、トワリスは向き直った。
それから、微かに目を伏せると、辿々しい口調で言った。
「だから、その……この原理を使えば、リリアナは、また歩けるようになるんじゃないかな、って思って……」
「え……」
リリアナが、大きく目を見開く。
トワリスは、顔をあげると、リリアナに一歩近づいた。
「他人の魔力に干渉すると、違う波長同士がぶつかり合って、拒絶反応が出ちゃうらしいんだけど、私がリリアナの脚に魔力を込めるだけなら、簡単にできると思うんだ。魔力を込めれば、怪我の後遺症で弱った脚でも、歩くだけの力を持てるかもしれない。あとは、リリアナが歩こうとすれば、脚が動く可能性だって、十分あると思うんだ」
「…………」
熱のこもったトワリスの言葉に、リリアナの瞳が、驚愕の色を滲ませる。
呆気にとられたような顔で瞬くと、リリアナは尋ねた。
「……ずっと、私が歩けるようになる魔術を探してくれてたの?」
トワリスは、小さくうつむいた。
「私なんか、まだまだ知識も技術も足りないし、上手くいくかかどうかはわからない。でも、色々考えてみて、この方法が、一番試してみる価値があると思ったんだ。危険なことも、ないと思う。……どうかな?」
躊躇いがちに聞けば、リリアナは、長い沈黙の末に、こくりと頷いた。
トワリスも頷き返して、雪の上に膝をつくと、そっとリリアナの脚に手を伸ばす。
トワリスは、革靴越しでも分かる、彼女の細いふくらはぎに触れると、ぎゅっと目をつぶった。
(お願いだから、上手くいって……!)
心の中で祈って、リリアナの脚に魔力を注ぎ込む。
やがて、詰めていた息を吐き出すと、トワリスは、ゆっくりと目を開けた。
立ち上がれば、目の前がちかちかして、頭痛がする。
こんなに一気に魔力を使ったのは、初めてであった。
トワリスは、木の根に座るリリアナを見下ろして、言った。
「立ってみて……」
「う、うん……」
首肯して、リリアナが身じろぐ。
しかし、力が入るのは上半身ばかりで、脚はぴくりとも動かない。
どんな表情をすれば良いか、迷ったのだろう。
少し視線を彷徨わせた後、リリアナは、躊躇いがちに口を開いた。
「だ、駄目そう……動かない」
「…………」
トワリスの表情が、微かに強張る。
再び膝をつくと、トワリスは、再度リリアナの脚に手を伸ばした。
「ちょっと待って、もう一度やってみる」
「い、いいよ! 無理だから!」
慌てて首を振ると、リリアナは、咄嗟にトワリスの手を掴んだ。
びくりと震えたトワリスに、言葉を詰まらせる。
リリアナは、はっと口を閉じた後、ゆっくりとトワリスの手を離すと、困ったように笑った。
「ご、ごめんね、トワリス。ありがとう……でも、無理なの」
寂しさを含んだような、穏やかな声。
眉を寄せたトワリスに、リリアナは言い募った。
「火事で負った怪我が原因で、歩けなくなったって言ったじゃない? でも、脚じゃないの。……私が怪我をしたのは、背中だったのよ」
「背中……?」
リリアナは、こくりと頷いた。
「脊髄損傷、ってやつ。家が燃えて、逃げている途中に、倒れてきた柱の下敷きになっちゃったのよ。幸い、火傷は大したことなかったんだけど、その時に、脊髄の一部が傷ついてしまったんですって。脊髄には、神経が沢山通っていて、それが壊れてしまったから、脚が麻痺して、動かなくなったんだって。そうお医者様には言われたわ。だからね、脚の問題じゃないの。私が動けって命令しても、それは伝わらない。私の脚は、動く意思を持たない、枝切れと一緒ってこと。だから、自力で歩けるようになるのは、難しいんですって」
トワリスの目が、徐々に見開かれる。
ぐっと唇を噛むと、トワリスは立ち上がった。
「じゃあ、リリアナが魔術を使えるようになればいいよ。枝切れだってなんだって、魔術が使えれば、動かせる。人間は、多かれ少なかれ、魔力を持ってるんだ。私にだって出来たんだし、リリアナだって、きっと使えるようになる!」
思わず口調を強めて、トワリスは言った。
神経が途絶えてしまっていたのだとしても、枝切れを動かせるのと同じように、脚だって動かせるはずである。
理論上、トワリスが魔力を込めれば、トワリスがリリアナの脚を動かすことになってしまうが、リリアナ自身が魔術を使えるようになれば、自分の意思で、再び自分の脚を動かせるようになるのだ。
しかしリリアナは、首を左右に振った。
「出来ないわ。枝切れは軽いけど、私の脚を動かすには、私一人分の重さを支えられるくらいの魔術が使えなきゃいけないのよ。そんなの、普通は出来ないもの。確かに、私にも少しくらいは魔力があるのかもしれないけど、私の家系に魔導師はいないし、持ってる魔力なんて、たかが知れてる。魔力を持っていても、魔術が使えるくらい強い魔力がある人は、珍しいのよ。だから、魔導師になるのは大変なんじゃない。それは、トワリスの方が分かってるでしょう?」
「…………」
唇を震わせると、トワリスは下を向いた。
可能性は低いと思いつつも、心のどこかで、成功するかもしれない、なんて期待していた自分が、とても惨めだった。
考えてみれば、リリアナは以前、西区の孤児院にいたのだ。
西区の孤児院は、施療院も兼ねた場所だから、当然、アーベリトの医師も常駐している。
つまり、リリアナは既に、脚の治療を受けていたはずなのである。
受けていたけど、駄目だったのだ。
魔力を込めるだけなんて、トワリスが思い付く程度のことで治るなら、リリアナは、もうとっくに医師たちの力で、歩けるようになっていただろう。
すっかり黙りこんでしまったトワリスに、リリアナは、焦った様子で言い直した。
「あっ、でもね! トワリスが提案してくれたとき、もしかしたら……って私も思ったのよ。まあ、結果的には駄目だったけど、それでも私、すごく嬉しかったの! だってトワリス、寝る間も惜しんで、私が歩ける方法を探していてくれたんでしょう? 私、トワリスと友達になれて、とっても幸せよ」
トワリスの手を握って、リリアナは、明るい声で言った。
「それに私ね、歩けないくらい、気にしてないの。確かに不便ではあるけど、火事が起きたときに、死んじゃってたかもしれないって考えると、命が助かって良かったなって思うの。本当よ。アーベリトの皆は優しいし、私にはカイルだっている。歩けないくらい、なんだっていうのよ。だから、トワリスが気にする必要なんて、全くないわ。ね?」
「…………」
リリアナは、にこにこと笑みを浮かべながら、はっきりと言いきった。
だがトワリスは、一層表情を曇らせると、ぽつりと呟いた。
「……そんなの、嘘だよ」
リリアナの手を外すと、トワリスは、静かに続けた。
「前に、球蹴りしてる子供連中を、羨ましそうに見てたじゃないか。気にしてないなんて、嘘だよ。本当は、自分の脚で歩きたいって思ってるし、すごく不安なんでしょう? リリアナは前向きで、いつだって明るいけど、今のその笑顔は、空元気にしか見えないよ」
揺れたリリアナの目を、トワリスは、まっすぐに見つめた。
「結局、私じゃ力になれなくて、ごめん。でも、私のことを友達だって言うなら、気にしてないなんて、嘘つくことないじゃないか。別に私は、リリアナが触れられたくないことを、無理矢理聞き出そうなんて思ってないよ。私にだって、思い出したくないこととか、あるもの。だけど、そんな風に嘘つかれたり、嘘笑いして気遣われたりしたら、なんか、寂しいよ」
「…………」
リリアナは、瞠目したまま、しばらく黙りこんでいた。
トワリスは、やりづらそうに目を伏せたが、やがて、こちらを見るリリアナの目に、みるみる涙が盛り上がり始めると、ぎょっとして、慌てて屈みこんだ。
「あっ、ご、ごめん、私、責めたつもりじゃ……」
細かく震えるリリアナの肩に手をおいて、謝罪する。
リリアナは、ぽろぽろと涙を流しながら、言った。
「だって、私、お姉ちゃんだもん……」
思いがけない答えに、トワリスが動きを止める。
リリアナは、涙でぐしゃぐしゃになった顔を、ごしごしと拭った。
「お父さんと、お母さんが死んじゃったの、カイルが、一歳の時よ。カイルに、両親との思い出なんて、ほとんどないの。つまり、カイルにとっては、私がお姉ちゃんで、お父さんで、お母さんなのよ。その私が、暗い顔してちゃ、駄目じゃない……っ、ふぇええ……」
まるで幼い子供のような声をあげて、リリアナは泣き出した。
激しくしゃくりあげながら、なんとか涙を止めようとしているようであったが、リリアナは、なかなか泣き止まなかった。
「リリアナ……」
かける言葉が見つからなくて、トワリスは、黙ったままリリアナの隣に座った。
孤児院に帰って、カイルの元に戻ったら、きっとリリアナはまた笑うのだろう。
だから今は、勇気づけるより、彼女が泣けるこの時間を、見守っていた方が良いだろうと思った。
リリアナはそうして、長い間、わんわんと声をあげて泣いていた。
涙を溢しながら、すがるように抱きついてきたので、トワリスも、リリアナの背に手を回す。
そのまま背を擦ってやると、リリアナは、一層激しく嗚咽を漏らした。
「トワリス、トワリス……ありがとぉ、大好き……」
トワリスの服の袖にぎゅっとしがみついて、リリアナが言う。
涙声だったが、口調にはいつもの快活さが戻っているような気がして、トワリスは、安心したように笑った。
「……うん、私も」
ぽんぽんとあやすように、背中を撫でる。
つられて熱くなった目頭に、繰り返し瞬くと、トワリスもこくりと頷いたのだった。
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