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投稿日:2021年02月24日
しんしんと降り続いた雪は、三日経って、ようやく止んだ。
大通りは、毎日雪掻きをしていたが、人の寄り付かない下道などには、小さな子供の背丈ほどまで雪が積もっている。
トワリスは、孤児院の玄関口から大通りまでの道を雪掻きしながら、やれやれと嘆息した。
本当は、朝の内に終わらせたかったのだが、既に日は高く昇っている。
こんなに時間がかかってしまったのは、一緒に雪掻きをしていた、七、八歳の子供たちが原因だ。
彼らは、ぎゃあぎゃあと騒ぎながら遊ぶばかりで、雪を片付けるどころか、散らかすのである。
こうなることは、なんとなく予想出来ていたが、トワリスが折角隅に寄せた雪を、男児連中が突進して崩した時は、流石に怒鳴りたくなった。
言い聞かせたところで、獣女が怒っただの何だのと喚かれるだけなので、ぐっと堪えたが、これでは、一人だけ真面目に雪掻きをしているのが、馬鹿みたいである。
どうせ日が照れば雪は溶けるのだし、トワリスが雪を掻いた道は、うっすらと雪が残っているだけで、歩けないほどではない。
もう中断して、孤児院に戻ろうか。
そう思い立って、腰を伸ばした、その時であった。
不意に、大通りの方から、馬蹄の鳴る音が聞こえて、トワリスは顔をあげた。
(……珍しいな。誰だろう?)
孤児院の中庭の入口に、一台の馬車が止まる。
そこから、上品な身なりをした中年の女性が降りてくると、トワリスだけでなく、雪まみれになって遊んでいた子供たちも、途端に目を丸くした。
ちょっとした金持ちの風体をした女性が、こんな貧乏臭い孤児院に、一体何の用だというのだろうか。
女性は、道のど真ん中に突っ立っているトワリスの元に歩いてくると、にこにこと微笑みながら、話しかけてきた。
「雪掻き、ご苦労様。突然ごめんなさいね。私、ロクベル・マルシェと申します。こちら、シグロスさんの孤児院で合っていますか?」
「あ……はい。そうです」
トワリスが答えると、ロクベルの笑みが深くなった。
マルシェ、というと、リリアナやカイルと同じ姓だ。
結い上げられた赤髪も、リリアナとよく似た色をしていて、このロクベルと名乗る女性が、リリアナと何か関係のある人物であることは、すぐに分かった。
ちらりと孤児院の方を見てから、ロクベルは言った。
「シグロスさんは、お部屋の中かしら。少し、お邪魔しますね」
軽くトワリスに会釈して、ロクベルは孤児院に入っていく。
その様子を、呆然と見守っていると、他の子供たちが、興味津々といった顔でトワリスに近づいてきた。
「今の人、王都から来たのかな? 貴族かもしれないよ!」
「マルシェって名乗ったよな? リリアナ姉ちゃんとカイルって、実はお金持ちの子供だったのかな」
「えぇっ、じゃあ二人とも、ここを出ていっちゃうんじゃない?」
何やら興奮した口調で話しながら、子供たちは盛り上がっている。
トワリスは、微かに眉を寄せると、子供たちの方に振り返った。
「リリアナたちが出ていっちゃうって、どういうこと?」
子供たちは、お互い顔を見合わせると、答えた。
「あのおばさんが、リリアナ姉ちゃんたちを、引き取りにきたんじゃないかってことだよ! 時々あるんだ。孤児になっても、遠い親戚とかが引き取りにくること。ね?」
子供たちが、同調してうんうんと頷く。
トワリスは、黙ったまま、再び孤児院の方を見た。
確かに、ありえる話だと思った。
両親が亡くなったといっても、リリアナとカイルは、天涯孤独になったわけではない。
どこか別の場所に住んでいた親戚が、リリアナたちが孤児院に引き取られたと知って、迎えに来るなんて、十分考えられることだ。
(……優しそうな、人だったな)
ふと、先程のロクベルの笑顔を思い出す。
軽く挨拶を交わしただけだったが、リリアナと同じで、温かい人柄の女性に見えた。
彼女が一緒に暮らそうと言ったら、リリアナやカイルは首を縦に振るだろうし、トワリスも、そうするべきだと思う。
孤児院も悪いところではないが、迎えてくれる親族がいるなら、やはり一緒に暮らすべきだ。
喜ばしいことなのだから、もし本当にリリアナが引き取られることになったら、笑って送り出そう。
そう思いながらも、胸にもやもやしたものが沸き上がってきたのを感じて、トワリスは、雪掻き用のシャベルを握り直したのだった。
雪掻きを終えると、トワリスたちは、孤児院の中に戻った。
予想通り、あのロクベルという女性は、リリアナとカイルを連れて、院長であるテイラー・シグロスの部屋に入っていったらしい。
子供たちは、食堂にある暖炉の前で冷えた身体を暖めながら、リリアナたちが孤児院からいなくなるかもしれないという話題を広めて、語り合っている。
トワリスは、客人が来ているのだから、静かにするようにと子供たちを諫めたが、本当は、子供たちと同様、院長室でロクベルがどんなことを話しているのか、とても気になっていた。
気分が落ち着かないまま、トワリスは、自室にこもって魔導書を読みふけっていた。
だが、再び食堂に出ていったときには、いつの間にか、ロクベルは帰っていたようだった。
リリアナは、カイルを抱えて、同年代の子供たちを相手に、何やら楽しそうに会話している。
ひとまずリリアナたちがまだ残っていることに安堵すると、トワリスは、静かに食堂を後にした。
ロクベルたちと一体何を話していたのか、聞きたかったが、聞けなかった。
いざ聞いてみて、もしリリアナに「孤児院を出て、ロクベルさんと暮らします、さようなら」なんて言われたら──。
そう考えると、なんだか怖くなってしまった。
トワリスは、自室から灯りを持ち出すと、こっそりと孤児院の外に出た。
まだ夕飯の時間にもなっていないとはいえ、夜に無断で外出したことがばれたら、後々怒られるだろう。
それでも、今はなんとなく、誰もいない外の空気が吸いたくなったのだ。
孤児院の外壁に寄りかかり、灯りを足元に置くと、トワリスはその場にしゃがみこんだ。
孤児院の中から、やかましい子供の声は聞こえてくるが、冬の夜は、恐ろしいほど静かだった。
息を吐けば、ふわりと舞った吐息が、白く濁る。
身に染み込むような寒さと静寂が、今は心地よかった。
トワリスは、上を向いて、星の散らばる夜空を眺めていた。
そうして、しばらくの間、ぼんやりと意識を漂わせていると、不意に、扉の開く音がした。
孤児院の職員が、トワリスの不在に気づいて探しに来たのだと思ったが、出てきたのは、リリアナであった。
「あ! トワリスったら、こんなところにいたのね。孤児院のどこにもいないんだもの。随分探しちゃったわ」
「…………」
トワリスが返事をしないので、不思議に思ったのだろう。
リリアナは車椅子を操って、道に薄く張った雪氷をぱきぱきと踏みながら、トワリスの隣にやってきた。
そして、同じように上を向くと、ほうっと息を吐いた。
「……今夜は、星が綺麗ね」
リリアナが、ぽつりと呟く。
二人は黙って、満天の星空を眺めていたが、やがて、トワリスの方を見ると、リリアナが口を開いた。
「今日来た人ね、私の叔母さんだったの。私が生まれたばかりの頃に、一度だけ会ったことがあるらしいんだけど、私、覚えてなくて……。連絡もとっていなかったから、私のお父さんとお母さんが死んじゃったことも、つい最近知ったんですって。それで、生き残った私とカイルのこと、ずっと探してくれていたみたい」
「…………」
リリアナは、嬉しそうな顔で言った。
「久々に、お父さんとお母さんの話をしたわ。私が小さかった頃の話も……。叔母さん、すごいのよ。シュベルテで小料理屋を出しているんですって! 一年前、旦那さんが亡くなっちゃって、今はお店を閉じてるらしいんだけど、近々また再開するって言ってたわ。自分のお店があるなんて、なんだかかっこいいわよね!」
トワリスは、リリアナの方を見ずに返した。
「じゃあ、リリアナとカイルも、近々シュベルテに行くの?」
一瞬、リリアナが言葉を止める。
少し困ったように笑うと、リリアナは答えた。
「一緒に暮らさないかって、誘われたわ。……でも、それに関しては、私、どうしようか迷ってるの」
「え……?」
大きく目を見開いて、トワリスがリリアナを見る。
リリアナは、微かに苦笑した。
「叔母さんは、とっても優しい人だったわ。一緒に暮らせば、カイルにとってもお母さんみたいな存在ができるし、安心できると思う。でも、私たちはここでの生活に馴染んじゃったし、今すぐアーベリトを離れて、叔母さんと暮らしたいかって言われると、悩んじゃうのよね。ほら、私、歩けないし、カイルだってまだ小さいでしょう? 叔母さんにも迷惑かけちゃうと思うの。院長先生も、今は孤児院にいる子供の数が少ないから、どうするかは自分で選んで良いって言ってくれたし」
「…………」
リリアナは、それだけ言うと、口を閉じて、再び夜空を見上げた。
そんな彼女の横顔を見つめて、トワリスも、長い間、黙っていた。
多分、リリアナは、一緒に行きたいのだろうと思った。
ロクベルの話をしていたときの、あの嬉しそうな顔。
あれが、リリアナの本心を表していた。
彼女が悩んでいると言ったのは、きっと、自分達が孤児院に残りたいからではない。
ロクベルに、迷惑をかけたくないと思っているからだ。
トワリスは、ふと立ち上がると、リリアナに向き直った。
「……行くべきだよ。ロクベルさん、ずっとリリアナたちのことを探していて、ようやく見つけて、迎えにきてくれたんだろう? リリアナたちのことを、迷惑だなんて思わないよ」
そう言うと、リリアナの顔に、戸惑いの色が浮かんだ。
「それは、そうかもしれないけど……。別にそれだけじゃなくて、私、この孤児院で出来た友達と別れるのも、寂しいのよ。ここにきて、まだ半年も経ってないんだもの。出会ってすぐお別れなんて、嫌だわ」
トワリスは、首を振った。
「そんなの、またいつだって会えばいいじゃないか。ロクベルさんは、リリアナやカイルにとって、やっと巡り会えた家族みたいなものだろう? だったら、一緒に住むべきだと思う」
「…………」
黙ってしまったリリアナに、トワリスは言い募った。
自分の声が、固くならないように。
嘘だとばれないように。
トワリスは、努めて口調をやわらげた。
「召喚師様も、言ってたよ。自分が故郷だと思うなら、そこが故郷なんだって。だから、シュベルテに行こうと、どこに行こうと、リリアナが思うなら、リリアナにとっての第二の故郷は、この孤児院なんだよ。だから、悩む必要はないと思う。孤児院が懐かしくなったら、また帰ってくればいいよ。離れたくないとか、迷惑かけたくないとか、そんな些細なことで、家族ができるかもしれない機会を、潰すべきじゃないと思う」
トワリスの言葉を聞いているうちに、リリアナの顔つきが、変わった。
悲しそうに表情を歪めると、リリアナは、トワリスを責めるように言った。
「全然些細なことじゃないわ。帰ってくればいいって言うけど、シュベルテとアーベリトは、気軽に行き来できるような距離じゃないじゃない。それにトワリスは、魔導師団に入るんでしょう? そうしたら、本当に会えなくなっちゃうわ。私は、トワリスと離れたくないって言ってるの! トワリスは、私がいなくなっても、ちっとも寂しくないの?」
「……それは……」
言いかけて、口を閉じる。
リリアナがいなくなるのは、もちろん寂しい。
しかし、今ここで、彼女を引き留めるような言葉を言うべきではないと思ったのだ。
トワリスが何も言わないことに、苛立ったのだろう。
リリアナは、滲んできた涙を強引に拭うと、叫んだ。
「いいもん! 私、叔母さんのところに行く! お店で働いたりするの、実は、すごく憧れてたんだから! トワリスなんて知らない!」
言い終わるのと同時に、くるりと車椅子の向きを変えて、リリアナは孤児院の中に入っていく。
勢いよく閉じられた扉の音が、嫌な余韻を残して、トワリスの中に響いていた。
(……行かないで、なんて、私が言うことじゃない)
トワリスは、細々と息を吐いて、再びその場にしゃがみこんだ。
喧嘩になってしまったのは予想外だったが、結果としては、これで良かったのだと思った。
胸のもやもやはまだ治まらなかったが、リリアナとカイルに家族が出来ることを喜ぶ気持ちは、本当である。
リリアナは確かに親友だが、彼女たちと自分は、決定的に違う。
リリアナには、カイルがいるし、ロクベルもいる。
探せば、もしかしたら他にも、親戚がいるかもしれない。
サーフェリアの隅々まで探したって、同族がいないトワリスとは、違うのだ。
(……寂しいよ、リリアナ)
座り込んで、膝の間に顔を埋める。
すると、リリアナの前では見せまいと思っていた涙が、ぽろぽろとこぼれてきた。
リリアナを送り出そうとしている自分が、ひどく滑稽に見えた。
自分だって、レーシアス邸を出るとき、サミルやルーフェンと離れたくないと、散々ごねて、いじけたくせに。
リリアナよりも、誰よりも、別れを寂しいと感じているのは、自分のくせに。
虚勢を張って、誰の目にもつかぬ場所で一人、めそめそと泣いている自分が、とても惨めだったし、そんなことを考えて、いつまでもうじうじとしている自分にも、腹が立った。
やはり家族というのは、温かいものだと思う。
トワリスだって、顔すら浮かばぬ母のことを考えるだけで、心が落ち着くし、同時に、二度と会えないのだと思うと、身悶えするほど悲しくなる。
きっと、家族とはそういうものだ。
唯一無二、友達や仲間とはまた違う、強い絆で結ばれた、大切な存在なのだ。
自分は、誰の唯一無二でもない。
サミルやルーフェンにとっては、助けた子供の内の一人でしかないし、リリアナにとっては、数いる友達の内の一人だ。
目まぐるしい日々の中で、すっかり忘れていた孤独感が、ちくりと心を刺した。
(……寂しいよ。……寂しい)
鼻をすすると、鼻の奥が、つんと痛んだ。
冬の夜気にさらされて、手や足が、悴むほどに冷えている。
ぽつぽつと零れる涙だけが、染みるように熱かった。
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