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投稿日:2021年02月24日





 
 それからロクベルは、度々孤児院を訪れるようになった。
明るい彼女の人柄は、リリアナやカイルだけでなく、他の子供たちも惹き付けるようで、ふと見れば、子供たちの輪の中心に、ロクベルがいることも多くなっていた。

 リリアナも、彼女と暮らすことを決意したらしく、夕食の時間に、もうすぐ孤児院を去ることを告げた。
トワリスにとっては、大事であったが、孤児院では、引き取り手が見つかることくらい、特別珍しいことでもなかったのだろう。
子供たちは、悲しみながらも、リリアナの出立を受け入れて、素直に祝福していた。

 喧嘩して以来、トワリスは、リリアナとほとんど話していなかった。
このまま別れるのは嫌だったから、どこかで絶対に謝らなければと思っていたのだが、目が合ってもお互い気まずくなって、顔を背けてしまうので、なかなか和解できなかった。

 そんな風に足踏みしている内に、あっという間に、別れの日はやってきた。
ロクベルが乗ってきた馬車の前で、子供たちからもらった花束を抱き、リリアナは、幸せそうに笑っている。
カイルも、相変わらずの無表情であったが、ロクベルの手をぎゅっと握って、心なしか、いつもより明るい瞳をしているように見えた。

 溶けて少なくなった残雪が、日の光に照らされて、きらきらと輝いている。
リリアナは、湿った地面で車椅子の車輪が滑らないように気を付けながら、孤児院の職員や子供たち、一人一人と握手をして、別れと感謝の言葉を述べていた。
笑顔を浮かべ、そして、時折涙ぐみながら。
ゆっくりと時間をかけて、リリアナは挨拶をしていく。

 最後に、輪から少し外れたところに立っているトワリスの前にやって来ると、リリアナは、他と同じように、手を差し出してきた。

「トワリスも……今まで、ありがとう。私、トワリスに会えて、本当に良かったと思ってるのよ。……これからも、魔術のお勉強、頑張ってね」

 差し出された手を、軽く握る。
トワリスは、こくりと頷くと、微かに笑んだ。

「……うん。……私も、リリアナに会えて良かった。ありがとう、元気でね」

 少しの間、見つめ合って、手が離れる。
一番仲の良かった二人の挨拶が、思いの外淡白だったので、周囲の者たちは、意外そうにトワリスとリリアナを見つめていた。
だが、そんな視線を気にすることもなく、リリアナは、車椅子の向きを馬車の方へと変えた。

「それでは、皆様、お世話になりました。また、必ずこちらに顔を出しますから、そのときは、どうぞよろしくお願いしますね」

 ロクベルが丁寧に頭を下げて、それに対し、職員たちも礼を返す。
それから、いよいよ馬車に乗り込もうというとき、リリアナが、再び振り返った。

 リリアナは、トワリスを見た。
トワリスも、リリアナを見ていた。

 きゅっと顔をしかめると、突然、車椅子の肘置きを手で押して、リリアナが飛び出した。
地面に転げ落ちそうになったリリアナを、咄嗟に受け止めると、トワリスは、慌てた声を出した。

「いっ、いきなり何やってんのさ!」

 リリアナの全身を見て、怪我がないかどうか確かめる。
狼狽えているトワリスを、ぎゅっと抱き締めると、リリアナは、急に大声で泣き出した。

「やっぱり、こんなっ、仲直りできないままお別れなんて、嫌よぉお……! トワリスの馬鹿ぁ! 頑固者! 薄情者ぉっ」

 先程まで笑顔だったリリアナの号泣に、その場にいた全員が、目を丸くする。
リリアナは、ぶんぶんと首を振りながら、トワリスにしがみついた。

「私、トワリスを見習って、文字、覚えるから! お手紙出すわ! だから、お返事ちょうだいね! 魔導師になって、忙しくなっても、遠くに行っちゃっても、絶対によ! 約束だからね。私達、これからもずっと、友達よ」

「…………」

 喉の奥が熱くなって、涙が出そうになった。
揺らいだ視界に目をつぶって、なんとか泣き出しそうになるのを堪えると、トワリスは、リリアナの背をぽんぽんと叩いた。

「リリアナは、泣き虫だなぁ……」

 リリアナの肩をつかんで、ゆっくりと身体を離す。
トワリスは、眉を下げて、微笑んで見せた。

「この間は、そっけない態度とって、ごめん。私も、リリアナがいなくなるのは、すごく寂しいよ。寂しいけど……大丈夫。手紙も書くし、魔導師になれても、なれなくても、絶対、また会いに行くよ」

「ほんとう?」

 嗚咽を漏らしながら問いかけてきたリリアナに、トワリスは、深く頷いた。

「うん、約束」

 それを聞くと、リリアナは、しゃくりあげを止めようと、何度も何度も深呼吸をした。
その背を撫でながら、リリアナが落ち着くのを待っていると、不意に、近づいてきたロクベルが、トワリスの顔を覗きこんできた。

「ああ、貴女がトワリスちゃんだったのね。リリアナやカイルと仲良くしてくれていたみたいで、どうもありがとう」

「いえ……こちらこそ」

 急に会話に入ってきたので、少し驚いたが、トワリスがぺこりと頭を下げると、ロクベルは朗らかに笑った。
そして、座り込んでいるリリアナたちに合わせ、屈み込むと、トワリスの方を向いた。

「失礼なことを聞いてしまうけど、貴女は、この孤児院以外に、行く宛はあるの?」

 意図の分からない質問をされて、微かに眉を寄せる。
トワリスは、目を伏せると、小さく首を振った。

「ありません、けど……」

 思ったよりも暗い声になってしまって、はっと口をつぐむ。
しかし、ロクベルは、そんなことは全く気にしていない様子で、あっけらかんと答えた。

「そう。じゃあ貴女、一緒にうちで暮らしちゃいなさい」

「……は?」

 一瞬、言葉の意味が理解できなくて、硬直する。
同様に驚いたリリアナは、ひゅっと涙を引っ込めると、ロクベルにすがりついた。

「えっ、え、い、いいの!?」

 ロクベルは、まるで何でもないかのように、うふふと笑った。

「そりゃあ、シグロスさんの許可は取らなければならないけど、駄目とは言われないでしょうし。娘一人増えるくらい、私は全然構わないわよ。それに、こんなに別れを惜しんでいる二人を引き離すなんて、なんだか私が悪者みたいじゃない? トワリスちゃんさえ良ければ、一緒に暮らしましょうよ」

「…………」

 トワリスは、呆気にとられた様子で、しばらく放心していた。
だが、ややあって、自分の狼の耳を押さえると、首を左右に振った。

「お、お気持ちは、有り難いですけど……私、獣人混じりだし、普通とは違うんです。だから、やめた方がいいと思います」

 困惑した顔つきのトワリスに、ロクベルが目を瞬かせる。
ロクベルは、トワリスの手を取ると、穏やかな口調で言った。

「リリアナから聞いたトワリスちゃんは、普通の、優しい女の子だったわ。大丈夫、私、細かいことは気にしない質(たち)なの。トワリスちゃんは、私の可愛い姪と甥のお友達。その事実だけで、十分だわ」

 目尻に皺を寄せて、明るく笑ったロクベルを見て、改めて、この人はリリアナの叔母なのだろうと思った。
緊張も不安も、全て取り去ってしまう、屈託のない笑み。
この笑顔を向けられると、不思議なくらい、心に沈殿していた靄(もや)が晴れるのだ。

 呆然としているトワリスに、ロクベルは続けた。

「それに、トワリスちゃんは、魔導師になりたいんでしょう? それなら尚更、家族が必要よ。その年で魔導師団に入団するなら、名義人が必要だもの。うちの子になれば、堂々とマルシェの姓を名乗って、入団試験を受けられるわ」

「…………」

 トワリスとリリアナは、口を半開きにしたまま、顔を見合わせた。
二人とも、しばらくは黙っていたが、やがて、ふと思いついたように目を見開くと、リリアナが呟いた。

「すごいわ、トワリス……私達、友達とびこえて、姉妹になっちゃうのよ」

「…………」

 未だ言葉を失った様子で、トワリスは、ぽかんとしている。
ロクベルは、トワリスの手を引いて、立ち上がらせると、更に言い募った。

「勿論、無理強いはしないわ。孤児院を出ると言っても、私の家はアーベリトになったわけだし、心配しなくても、すぐに会え──」

「えっ、ちょ、ちょっと待って!」

 ロクベルの言葉を遮ったのは、リリアナだった。
リリアナは、混乱した様子でロクベルに向き直ると、口早に問うた。

「家がアーベリトって、どういうこと? 叔母さんは、シュベルテに住んでいるのよね?」

 ロクベルは、首をかしげた。

「ええ、確かにシュベルテに住んでいたけど、最近アーベリトに越してきたのよ。ほら、あそこは人が多いし、リリアナやカイルと暮らすには、少し狭いと思って。シグロスさんにはお話ししていたのだけど、聞いていなかった?」

「き、聞いてないわ……」

 答えてから、リリアナの顔が、みるみる赤くなっていく。
つまり、自分とカイルは、王都シュベルテではなく、アーベリトにあるロクベルの新居に移るということだ。
同じアーベリト内に引っ越すというだけのことで、トワリスと喧嘩し、悩み、そして、まるで今生の別れとでも言うかのように、大勢の前で号泣した。
そう思うと、途端に恥ずかしくなってきた。

 不意に、トワリスが、ぷっと笑みをこぼした。
緊張の糸が切れたような、間の抜けた笑いであった。
それにつられて、事態を見守っていた子供たちも、くすくすと笑い出す。
終いには、真っ赤な顔で萎縮していたリリアナも、吹っ切れたように笑い始めて、それを見ながら、ロクベルは、嬉しそうに頬を緩めたのだった。


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