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投稿日:2021年02月24日





 ロクベルは、随分と羽振りの良い女性だったので、新居は一体どんなものなのかと身構えたが、案外素朴な外観の、二階建ての一軒家であった。
孤児院から大通りに出て、西に行き、レーシアス邸がある通りをまっすぐ南に進んだところに、ロクベルの家は建っていた。

 二階建てといっても、実際に生活するのは二階だけで、一階は、小料理屋を開けるように設計されていた。
広くはないが、新品の食卓と椅子が並ぶ、清潔感のある店だ。
真新しい木の匂いが漂うその空間は、どこか懐かしいような、なんとも言えない居心地の良さがある。

「主人が亡くなってからは、なんだかやる気も出なくて、店は閉じていたのだけれど、これを機に、私も働かなくちゃね」

 ロクベルは、さっぱりとした顔つきでそう言った。

 リリアナやカイルと暮らすことを決めてから、トワリスの生活は、再び慌ただしくなった。
元々私物は少なかったので、荷物をまとめたりするのは時間がかからなかったが、ようやく孤児院で落ち着いてきたかと思ったところで、また引っ越すことが決まったのだ。
最近は、一日一日がゆっくり流れているように感じていたが、ロクベルに「一緒に暮らそう」と唐突な提案をされてから、孤児院の者たちに感謝と別れの言葉を告げるまでの数日間は、驚くほどの速さで過ぎていった。

 サミルとルーフェンに、手紙も書いた。
孤児院では、リリアナとカイルという友達ができて、なんだかんだで、楽しく過ごせたということ。
それから、突然リリアナの叔母、ロクベルに引き取られるようになったということ。
そして、魔導師を本気で目指している、ということ。

 手紙なんて書くのは当然初めてで、なかなか納得のいくものが出来上がらず、何度も書き直したので、最終的に、引っ越しの準備よりも、手紙を書き上げる方が時間がかかった。
手はインクで汚れ、文字の書きすぎで指も痛くなったが、それでも、いざ送るときは心が弾んだし、返事は来るだろうかと思うと、どきどきして幾晩も眠れなかった。
結局、一月以上経っても、手紙の返事は来なかったが、それも予想していたことだったので、特別気落ちすることはなかった。
きっと、サミルもルーフェンも、忙しい日々を過ごしているのだろう。
勿論、返事を全く期待していなかった、といえば嘘になるが、片手間に、送った手紙を読んでくれていれば、それだけで十分嬉しいと思っていた。

 厳しい冬が過ぎて、暖かな春が訪れると、王都では、魔導師団の入団試験が行われる季節だった。
勉強もまだ不十分に違いないし、試験を受けるお金もないので、トワリスは来年か再来年で良いと言ったのだが、ロクベルは、お金は出すから、とりあえず様子だけでも見てくると良いと言って、聞かなかった。

 心配だと言いつつも、ロクベルとリリアナは、トワリスが魔導師になろうとしていることを、思った以上に応援してくれているようだった。
というよりは、半ばはしゃいでいると言っていいかもしれない。
以前ルーフェンは、魔力は人間なら誰もが持っているものだと言っていたが、だからといって、実際に魔術を使える者は、やはり希少な存在だったらしい。
トワリスが、魔術を使えることを、ロクベルもリリアナも、「十分すごいことだし、自分達も誇らしい」と喜んでいた。

 申し訳なさはあったが、魔導師団の入団試験の様子を知りたいのは事実だったので、お金は後で必ず返すと約束して、トワリスは、シュベルテに行くことにした。
アーベリトからシュベルテまで行くには、定期的に回ってくる馬車を利用して、約二刻ほどかかる。
特別遠いわけではないが、準備や試験を受ける時間も含めて往復しようと思うと、やはり一日がかりだ。
特にトワリスは、見知らぬ人間も大勢いる馬車に乗り込むなんて、初めてのことであったから、緊張して気が休まらなかった。

 シュベルテは、領主バジレット・カーライルの住む旧王宮を中心に、扇状に広がった大きな街だ。
サーフェリア最多の人口を抱えており、召喚師一族を筆頭とした騎士団と魔導師団、この二大勢力に守られている。

 近頃は、召喚師であるルーフェンが不在なのを良いことに、イシュカル教会など、反召喚師派の勢力が力を増しているとの噂もあったが、シュベルテは、厳格なカーライル家が統治する、サーフェリア随一の大都市である。
王権を失ったとはいえ、何百年もの間、王座を守り続けてきたカーライル家が、アーベリトと協力関係にあることを取り決めた以上、その制約が破られることはないように思われた。

 トワリスがシュベルテに到着したのは、ちょうど昼に差し掛かる頃であった。
一人では心細いだろうからと、同行してくれたロクベルに手を引かれ、旧王宮の城門横にそびえ立つ、魔導師団の本部に訪れる。
高い漆喰の壁を見上げて歩き、象徴的な獅子の紋様が描かれた大門をくぐると、そこは、トワリスと同じ、魔導師を目指しているであろう者達で、ごった返していた。

 トワリスは、一度ロクベルと別れると、一人、ずらりと並ぶ人の中に入っていった。
冷たい石造りの室内には、トワリスと同い年くらいの少年から、中年の男性まで、様々な年齢層の者達が、緊張した面持ちで列を成している。
恐ろしかったのは、その列から外れた場所に、時折、担架に乗せられた男達が運ばれて来ることであった。
彼らは、気絶をしていたり、怪我を負って呻いていたりと、置かれている状況は様々であったが、共通していたのは、皆、男達が並ぶ先の扉から出てきていることであった。

 金の刺繍が施された、豪勢な錦布のかかる分厚い鉄扉。
あの奥で、きっと魔導師になるための試験とやらが行われているのだろう。
トワリスは、ごくりと息を飲むと、意を決して、扉へと続く男達の列に加わった。

(……やっぱり、いきなり戦ったりしないといけないのかな)

 自分よりも、ずっと体躯の大きな男達の隙間から、なんとか顔を覗かせて、トワリスは扉の方を見た。
奥から運ばれてくる、怪我人の様子を見る限りは、おそらく予想通りだ。
流石に命の危機に晒されることはないだろうが、魔術の知識を問われる以前に、まずは戦闘能力を見られて、ふるいにかけられるらしい。

 じわじわと膨らんできた恐怖心から目を反らすと、トワリスは、かぶっていた外套の頭巾をぎゅっと握って、うつむいた。
様子を見るだけだから、とか、自分は獣人混じりで力も強いから、とか、そんな甘い考えでやって来てしまったが、無事に帰れるのかどうか、急に不安になってきた。
トワリスは、言わずもがな、戦闘の経験なんてないし、こんなに大勢の男に囲まれたことだって初めてだ。
最初は、魔術の知識を問われるのだろう、なんて思っていたから、初っ端から、大の男達が怪我を負うような試験を受けることになるなんて、完全に予想外であった。

 男達の列は、魔導師団の本部に入りきらないほど長い。
だから、自分の順番が来るまでは、かなり待つことになるだろうと思っていた。
しかし、運び出されてくる負傷者を見て、怖じ気づいたのか、途中で列から抜ける者も多かったため、気がつけば、扉はトワリスのすぐ近くまで迫っていた。
扉から魔導師と思しき男が出てきては、列の先頭に並ぶ志願者を室内に引き入れ、しばらくすると、ずたぼろになった志願者が扉の外に放り出される。
そしてまた、次の志願者が引き入れられる。
そうして、着実に前へ前へと進んでいく列に、トワリスの脈打つ心音は、どんどんと大きくなっていった。

 試験では、一体何が行われているのか。
聴覚の良いトワリスが耳を澄ませても、鉄扉はとても分厚かったので、部屋の様子は分からない。
やっぱり、試験を受けるのは来年にして、今日のところは帰ろうか。
しかし、折角ロクベルがお金を出してシュベルテまで連れてきてくれたわけだし、どの道受けることになる試験なのだから、腹を括るべきだろうか。
そんな風に迷っている内に、重々しい金属音が聞こえて、はっと我に返る。
顔をあげると、再び開いた扉から、ひょっこりと顔を出した魔導師が、トワリスに手招きをしていた。

「次は君? どうぞ、入って」

「あ、は、はい」

 試験の直前に読もうと思って、結局読まなかった魔導書を持ち直し、慌てて返事をする。
魔導師の男に導かれるまま、鉄扉の向こうに踏み入れると、そこは、全面板石に囲まれた、頑強な造りの部屋であった。
魔導師たちの、室内鍛練場のようなものだろうか。
壁に設置された棚には、杖や紋様の入った剣など、多様な魔法具が収納されており、よく見れば、この部屋の石畳にも、所々、魔法陣が彫られていた。

 部屋の奥に進むと、トワリスを招き入れた魔導師とは別の魔導師が二人、椅子に座って、こちらをじっと見ていた。
一人は、中年の男性、もう一人は、トワリスより少し年上くらいの、黒髪の少年であった。

 部屋に入った瞬間、攻撃でもされたらどうしようかと内心びくびくしていたトワリスであったが、思いの外、中年の魔導師は、穏やかな表情を浮かべていた。
思えば、先程トワリスのことを呼んだ魔導師も、口調は優しかった。
唯一、黒髪の少年だけが、仏頂面で椅子にふんぞり返っていたが、年がそう離れていないせいもあるのだろう。
特別恐ろしい印象は受けなかった。

「こんにちは。それではまず、名前を教えてもらえるかな?」

 手元の書類に何かを書き込みながら、中年の魔導師が問いかけてくる。
トワリスは、姿勢を正すと、努めてはっきりとした声で答えた。

「トワリスと言います。姓は……マルシェです」

 刹那、魔導師の眉が、ぴくりと動いた。
微かに目を細め、トワリスを覗き込むように顔を近づけると、男は尋ねた。

「……トワリス? 君、ちょっと外套を脱いでくれるか?」

「あっ、はい」

 急いで外套を脱ぎ、軽く畳んで、その場に置く。
狼の耳を隠すために、頭巾を深くかぶっていたことを、すっかり忘れていた。
正直、自分が獣人混じりであることは、今でも明かしたくはないが、こういった正式な場で頭巾をかぶったままというのは、流石に失礼だろう。

 しかし、改めて中年の魔導師に向き直ったとき、トワリスは後悔した。
トワリスの狼の耳を見た途端、男の目の色が、確かに変わったからだ。
奇異と侮蔑の色──かつて、トワリスが見慣れていた目の色だった。


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